藤城皐月物語

音彌

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第7章 大人との恋

313 残り香

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 土曜日の朝、藤城皐月ふじしろさつきはいつもより少し遅い7時に目を覚ました。部屋着のまま洗面所に行くと、及川祐希おいかわゆうきが大きな鏡の前で髪を整えていた。
「おはよう、祐希。今日は学校休みなのに早いじゃん」
 祐希はすでに着替え終えていた。今日は制服ではなく、私服を着ていた。アイボリーのマウンテンパーカーを羽織り、デニムのスキニーを合わせていて、すっかり秋の装いだ。
「おはよう。お母さん、まだ寝てるよ。皐月は朝ご飯どうする?」
頼子よりこさんが寝てるなら、パピヨンでモーニングかな。祐希も一緒に行く?」
「ごめんね。私、すぐに出かけるから……」
 当たり前のように二人で喫茶店に行けると思っていたので、皐月は少しがっかりした。
美紅みくにカフェに行こうって誘われたの。新城しんしろのレトロなカフェなんだけど、よかったら皐月も行く?」
「俺はいいよ。今日はいろいろ用事があるし。それに新城なんて遠いじゃん」
「皐月が来たら美紅、喜ぶのにな……」
 皐月には祐希の考えていることがよくわからなかった。祐希にはれんという恋人がいる。そして、友人の黒田美紅くろだみくは祐希と蓮の関係を知っている。祐希は美紅と自分を会わせようとしているが、昨夜は恋人を裏切るようなことをしておきながら、よくこのタイミングで友だちに会わせたいなんて言えるものだ。

 皐月は祐希が髪を整えている横で、顔を洗い、歯を磨いた。かつて旅館だったこの建物はレトロな洗面台が二つ並んでいる。
 皐月は鏡を見ながら、この髪型をどうしようかと考えていた。今日は美容院に予約を入れてあり、修学旅行へ行く前に髪を整えてカラーを入れ直したいと思っていた。
「ねえ。俺ってショート似合うと思う?」
 両手で髪をかき上げながら祐希に聞いてみた。今はミディアムが少し伸びた状態だ。
「皐月はどんな髪型にしても似合いそうだけど、ショートにしたいの?」
「いや……できればロングに戻したい」
「じゃあ切っちゃダメでしょ?」
「でも、どうせ中学に上がったら髪の毛切らなきゃいけなくなるし……」
 ロングだった髪を切った時は気分が変わって嬉しかったが、最近は髪が長かった頃を懐かしく感じている。だが、クラスの女子からは今の髪型の方がウケがいい。
「祐希はミディアムとショート、どっちが好き?」
「そうだな……ミディアムかな?」
「あれっ? ロータスってショートじゃなかった?」
 前髪を触っていた祐希の手が止まった。
「どうして皐月がれん君の髪型を知ってるの?」
「駅で見た」
「嘘……」
 祐希は目を大きく見開き、鏡越しに皐月のことを見つめていた。皐月は左隣にいる祐希の方に少し顔を傾け、正視せずに横目で見た。
「祐希たち、仲良さそうだったじゃん」
 朝のルーティンを終えた皐月は祐希を残して自室へ戻った。これ以上祐希と二人でいると嫉妬を抑えられなくなり、言わなくてもいいことを言ってしまいそうだったからだ。

 皐月は部屋の戸を閉め、パジャマ代わりにしている部屋着を脱いで外出着に着替えた。この服は昨日の夕方、栗林真理くりばやしまりの家に行く時に着た服だ。昨夜は短時間しか着ていなかったので、今日も着ようと思った。
 上着には仄かに真理の匂いが残っていた。真理の残り香が蓮への嫉妬を鎮めてくれた。
 部屋を出ると、祐希はまだ洗面所にいた。今朝の祐希はラフな格好がかえっていつもの制服姿よりも色っぽく感じる。
「パピヨンに行ってくる」
 小百合寮は階段の傾斜が急すぎるので、手摺を掴みながらバックで降りないと危ない。皐月が階段を下りようとして向きを変えると、下り始める前に祐希に腕を取られた。腕を引っ張られるとその力が思いのほか強く、引かれた体が祐希にぶつかった。
「ねえ皐月、もしかして怒ってる?」
「えっ? 別に怒ってないけど」
「部屋に戻る時、目が笑っていなかった」
「そう?」
「うん」
 祐希は皐月の部屋の引き戸を開けて、皐月を部屋の中に引っ張り込んだ。戸を閉めた祐希は戸にもたれかかり、通せん坊をしているようなていになっていた。
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