星空のツァイトライゼ ~未来の君がくれた二人の時間~

成井露丸

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Prologue 失敗したタイムリープ

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 手のひらの上から藤色の光が溢れ出す。
ときを翔ける紫水晶アメジスト」から放たれ煌めきが光の渦になって僕を包みこんだ。
 はじめての感覚が僕を襲う。翔の言っていたことは嘘じゃなかった。
 僕はこの光に乗って過去へと跳ぶ。
 あの日から一ヶ月半の間、意識を失って目を覚まさない夏菜子を助けるために。
 やがて世界が暗転フェードアウトする。
 やがて、じっとりと温かい暑い風が肌を打ち、僕は目を開いた。


【2024年12月21日 → 2024年10月6日】

 景色が視界へと飛び込んでくる。街中。道路。人の流れ。
 ――今は何月何日の何時だ?
 左ポケットからスマートフォンを取り出す。
 時間は16時44分。日にちは10月6日。――あの日だ。
 京都の街の雑踏が僕の記憶を呼び起こす。
 そういえばあの日は、10月の始まりにしては暑い日だった。

「本当にタイムリープしたんだな。――時間は五時少し前。まだ間に合う」

 一人呟く。この世界では今の僕は異質な存在。どこかひとりぼっちにも思える。
 同時に責任感も湧いてくる。チャンスは一回きり。
 過去を変え、未来を変えられるのは自分だけなのだ。
 あの事故までまだ十分以上ある。
 大きく息を吸って、状況を把握する。
 今は約束の場所へ向かう途中というところだろう。
 10月6日。僕と夏菜子の誕生日。僕は二〇歳の誕生日を迎えたら言おうと思っていた事を彼女に伝えるために、彼女をこの京都の街中へと呼び出したのだ。

「――待っていてくれよ。未央」

 未来に置いてきた彼女――未央のことを思い出す。はじめて会った時から、僕は彼女に惹かれていた。理由なんてない。ただ知らない間に好きになっていたんだ。だから、彼女にきちんと向き合うためにも、僕は夏菜子を助けなければならない。そして伝えなければならない。夏菜子に。言えなかった言葉を。
 左手のスマートフォンに目を落とす。充電状態はあと30%だ。

「こんな時くらいちゃんと充電しておけよ、――自分」

 いつでも僕のスマートフォンは電池が足りていない。僕はスマートフォンをパンツのポケットに突っ込んだ。右手には紫水晶アメジストを握りしめたまま。
 そして僕は、待ち合わせの交差点に向かって駆け出した。
 見上げると大空を黒い鳥が飛んでいた。不吉の兆候を告げるみたいに。

 あの日の僕はそんな兆候にも気づいていなかった。ただ夏菜子に告げるだろう言葉のことばかりを考えていた。そして夏菜子がどう思っているのか。その日に僕らを襲う不幸のことなんて予想さえせずに。
 夏菜子はあの日――つまり今日、横断歩道を渡る子供を助けるために飛び出して、そして事故にあってしまった。そして眠りについた。ブレーキを踏まなかったワゴン車の運転手は居眠り運転だった。ぶつかられた夏菜子は意識不明。彼女が守った少年は無事だった。
 それから夏菜子は眠り続けている。だから伝えるべきだった僕の言葉は、今も胸の中にとどまったままだ。夏菜子の言葉も彼女の心の中に伏せられたまま。
 だから僕らは、出口の無い水槽の中に、閉じ込められている。。
 だから僕は翔んだのだ。閉じ込められてしまう前の時間に。未央には心配をかけているだろう。もしかしたら、夏菜子とのことについて誤解を深めているかもしれない。だけど夏菜子を助けて、伝えることができたら、きっと言うから。――僕が好きなのは君だって。
 待ち合わせの交差点に辿り着いた。どこの国の言葉かわからない言葉を話す観光客たち。 鳥の鳴き声を真似た交通信号の報知音。
 ポケットから電池残量が心もとないスマートフォンを取り出す。待ち合わせ時間まで三分を切っていた。つまり、事件が起きた瞬間まで三分を切っていた。

 ――どこだ、どこだ、どこだ、どこだ、どこだ!?

 周囲を見回す。京都の湿気に満ちた空気が体にまとわりつく。
 そして歩道の信号が赤に変わる。

「――いた! 夏菜子!」

 それは夏菜子だった。あの日着ていたのと同じ白いワンピースに身を包んだ彼女が僕に気づいた。彼女が右手を振る。その視線がゆっくりと右前方へと下される。そしてその表情に怪訝な表情が浮かぶ。そしてその目が真剣なものへと変わる。
 だから僕は駆け出した。
 赤になった横断歩道の中央には風船を手に持った男の子が立っていた。
 あの日、夏菜子の意識を代償にして命を助けられた少年が、またそこに立っていた。

「――夏菜子っ! 来るな! 僕が助ける!」

 アスファルトを蹴る。思いっきり脚を回す。
 こんな全力で走るのなんて高校の体育祭以来だっつーのッ!
 僕に気づいて、一瞬、躊躇いの表情を浮かべた後に、夏菜子が立ち止まる。

「少年っ! 来いっ!」

 そう言っても、突然現れた大学生に飛び込んでくる子供はいないだろう。
 だから僕は少年の手を掴んで思いっきり引っ張った。そして駆け出す。元いた歩道へ。
 視界の左側の周辺視野で、車の影はどんどん大きくなる。クラクションの音が鳴る。
 タイヤがアスファルトを擦るブレーキの音。周囲で悲鳴が上がる。
 僕は少年を抱き寄せて、思わず目を閉じた。
 大きな音を立てながらワゴン車が背中を抜けていく風を感じた。
 背後でけたたましい衝突音が響き、やがて悲鳴が巻き起こった。

「――お兄ちゃん……」

 腕の中で少年が怯えた顔で僕を見上げる。

「……大丈夫だよ。君は大丈夫だ」

 僕は少年を救った。夏菜子の代わりに。
 だから過去は変わった! だから未来は変わる!

「違うよ、お兄ちゃん。――あれ」

 少年が僕の後方に人差し指向ける。
 背筋に何だか嫌な感覚が駆け上がり、しゃがんだままゆっくりと振り返った。
 車は対岸の歩道に立つ電柱へと突っ込んでいた。その周囲にはいくつもの倒れた人の姿があった。京都に交差点に広がっているのは、阿鼻叫喚の世界。
 車の運転手がステアリングを左に切ったのだ。
 やり直す前の事故ではそんなことはなかったのに。きっと、僕が飛び出したから、こんなことになったのだ。
 恐れながら、願いながら、祈りながら、向こう岸に視線を這わせる。だけど、その被害者の姿はあった。――あってしまった。

「――夏菜子?」

 夏菜子は向こう岸でぐったりとした姿でアスファルトの上に横たわっていた。

「嘘だろ? なんでだよ……?」

 その姿は、少年を救ってワゴン車に轢かれた、あの日の彼女の姿と酷似していた。
 過去に跳んで、夏菜子を救うはずだったのに。
 改変の結果は、同じように暴走した車に轢かれて意識を失う夏菜子の姿と、あの日より酷い被害状況と犠牲者の数々。

「……こんなことって」

 僕は何のために過去に翔んだのか。この紫水晶アメジストの力を借りて。

「――お兄ちゃん?」

 少年はまだ怯えたように僕を見上げている。
 そっと彼の体を離す。二つの足で立たせると、その頭を撫でた。

「ごめんな。怖い思いをさせて。だけど、ごめん、こんな現実は僕には受け入れられないんだ……」

 苦々しい味が喉の奥から駆け上がってくる。横隔膜が締め付けられるみたいに痛む。瞳の奥が熱を持って揺れている。
 こんなはずじゃなかった。
 こんなはずじゃなかった。
 こんなはずじゃなかった。

「だから、リセットさせてくれ、――少年。僕は未来に戻るよ」

 ポケットの中から「ときを翔ける紫水晶アメジスト」を取り出す。願うとそれはまた光を放ち出した。過去に跳んだ時と同じ藤色の光を。それは渦になり僕を包む。
 少年は不思議そうに見上げる。彼にはこの光が見えているのだろうか。
 振り返る。対岸は、慌ただしい空気に包まれていた。
 夏菜子の隣には跪いている男性の姿があった。その姿に見覚えがある。

「――翔?」

 そこには相沢翔の姿があった。その顔は明らかに動揺に溢れていた。
 夏菜子と一緒にバンドを組んでいた僕の友人。
 そこで僕は気づく。そうだったんだな、って。

 動き始めた時間転移を起こす藤紫の輝きは僕を包み、また世界は暗転した。


【2024年10月6日 → 2024年12月21日】

 ゆっくり目を開く。そこは白いベッドの上。
 腰掛けたマットレスの前にあるローテーブルのクッションに彼女が座っている。
 彼女からどう見えていたのかはわからない。
 タイムリープしている間の僕の姿はどうなっていたんだろう?
 タイムリープしている間こちらではどれだけの時間が流れていたのだろう?
 だけどそんなことはどうだって良いのかもしれない。
 彼女は頬杖をついて僕に尋ねた。

「お帰りなさい。――どうだった?」

 彼女は半分まぶたを下ろして、寂しそうな表情を浮かべた。
 まるで僕の答えを知っているように。 

「失敗した――。――過去は変えられなかった」
「そう。――お疲れ様。悠人くん」

 未央は悲しそうな表情を浮かべた。
 僕は過去を変えられなかった。僕たちは出口の無い密室に立っている。
 ただ僕は右手の中にある紫水晶を強く握りしめた。
ときを翔ける紫水晶アメジスト
 願った時間へと僕らを運ぶ不思議な神秘の宝石。
 だけどその使用制限回数は一回きり。
 だから僕はもう、過去を変えられない。夏菜子を救えない。
 だから未央との未来に向き合うことができない。
 僕の額に暖かくて柔らかいものが触れた。
 彼女の両手が僕の背中に回されるのを感じた。

 失敗した。
 失敗した。
 失敗した。
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