大戦乱記

バッファローウォーズ

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存在と居場所

自らを二の次に

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「承土軍総代将・承咨! 剣義将バスナが生け捕ったァ‼」

 カイヨー兵が言ったか、バスナ兵が言ったか。兎に角その一報は急速に全戦場へ広まる。

 報せを聞いて一番驚いたのは右軍を任されている霍恩であった。

「あり得ぬ、誤報だ! 何故優勢な状況下で、片目のバスナごときに若君が捕まるのだ! 抑々にしてバスナは東壁で指揮を執っていたのではないのか!」

 右軍本陣にてブイズや将校達と策を練っていた彼は、報告をもたらした伝令兵を蹴り飛ばす。承咨の実力を高く評価している手前、信じる事ができなかったと言える。

「霍恩様、あれを!」

 然し、それが事実だと理解するのに多くの時は要らなかった。
霍恩の側近が指差した先はバスナ隊本陣のある東側防壁。
そこには数本の旗竿に拘束され、高々堂々と晒されている承咨の姿があった。

「あれは間違いなく承咨様です……!」

「ばっ……馬鹿な⁉ では我々は……! くそっ、退け! 一度後退だ!」

 霍恩は交戦中にある自部隊に号令を下す。

「おい霍恩の旦那、逃げんのか⁉」

「馬鹿を言え! 若君を捨て置いて国に帰れるか。いいからブイズ殿は自分の部隊を下がらせろ。中央の本隊、商吉、虜兵ども、左軍の楽瑜もだ。……今俺達が戦の構えを見せれば、敵に捕まった若君の身に危険が及ぶ。それだけは避けねばならん!」

 態勢を立て直したブイズ隊は、輝士隊左翼の李洪へ突撃する構えを見せていた。
血気に逸る彼等をいの一番に下がらせ、次いで自らの歩兵大隊を徐々に下げる霍恩。
彼の指示に従い承咨本隊と虜兵第二部隊も後退を始め、虜兵第一部隊がその殿となった。

「楽瑜様。霍恩将軍より全軍後退の指示が届いております。我々も下がりましょう」

「うむ。メイセイの追撃に警戒しつつ、緩歩退軍の構えをとれ」

 開戦より今に至るまで、承土軍左軍一万を率いる楽瑜は剣合国軍西陣に構えるメイセイと睨み合いを続けていた。
そして今戦に於ける見せ場が無いままに、霍恩の指示に従い撤退する羽目となる。
ただし、彼にとってはそれが一番有り難いだろう。

 ここで懸念されるのはメイセイ隊一万による雷撃的追撃であったが、バスナから事前に楽瑜隊への攻撃を制止されていた彼は珍しく出撃しなかった。

「……まあ、優勢下の戦況に於いて楽瑜隊からの攻撃がない限りとの条件だからな。極論を言えば、楽瑜以外は構わんという事だ。……遠慮なく殺ってしまえ、お前達」

 メイセイは陣内の櫓から、撤退する承土軍に冷淡な眼差しを向けた。

「メイセイ将軍に代わって我等が見参! 者共、逃げるブイズ兵の尻を掘り尽くしてやれ!」

「ウホォー‼」

「げぇっ⁉ また彼奴等かよ⁉」

 メイセイの副将・陳樊チンハン率いる別動騎兵約一千が戦場を迂回して現れ、霍恩隊に先んじて逃げるブイズ隊の追撃に移る。
前哨戦で彼等の力を思い知らされたブイズ兵が我先に逃げ出した為、立て直したばかりの彼の部隊は一気に敗走。五倍の兵力をもってしても、ろくな迎撃すら行えず多くの兵を失った。

「よし、この辺で良かろう! 者共、退くぞ!」

 陳樊の別動隊は霍恩隊が姿を見せた事で退却を始めた。

「……あんな奴等ごとき、俺が出られれば……!」

 韓任との戦闘で負傷したブイズは歯痒い思いで退却する陳樊隊を睨み付けるも、後に残ったのは散々に討ち捨てられた部下達の屍ばかりであったという。


 対して殿の任を与えられた虜兵第一部隊は、バスナ隊と一切の戦闘を行う事なく、ゆっくりと砦から引き上げていた。
彼等の真の敵は承土軍であり、その敵が全面的な後退を見せたなら無理に戦う必要はない。
無論、それは剣合国軍も同様であり、両軍は極めて珍しい形で矛を収めた。

「バスナ殿、涼周殿!」

 一息ついた状況に体を休めていた涼周達。
その目前にカイヨー兵を実際に指揮していた侶喧と数人の頭目達が現れる。

「我々は飛刀香神衆の頭目を務めていた者達です。此の度は貴軍に多大な迷惑を掛けてしまった事を、深くお詫びいたします」

 一斉に頭を下げる侶喧ら頭目達。
撤退を始めているカイヨー兵達もその姿を見て、足を止めて一様に頭を下げる。

「……お前達に罪はないだろう。寧ろ、苦しい心境の中で見事な奮戦を示したその勇姿こそ、誇るに値するものだと思うぞ」

 バスナはカイヨー兵を心から気遣った。偽善ではなく、純粋な義心を以て。
彼はカイヨー兵を勇気付ける様に続けて語る。

「この兄弟のお陰で承咨を捕虜とできた。それを材料として承土と折衝すれば、お前達を人質ごと解放させる事も可能だろう」

「何と……我々の事情を知っておられたのですか……」

「人の想いを理解しない承咨のやることだ。大体の予想はつく。だが最大の功労者は、やはりこの涼周だろう。こいつが兄に乗って現れなければ、俺はお前達ごと承咨を切っていたぞ!」

 笑顔で殺戮未遂を語るバスナに、侶喧達は顔をひきつらせた。

「左様でしたか……涼周殿!」

 カイヨーの者達は涼周に改めて向き合うと、その場で膝を折って注目した。

「貴方様の存在は我等に希望を抱かせてくだされた! 然らば、時が参った際には御恩に応え、必ずや貴方様の力になることを――」

「んぅんっ!……かぞく、だいじ」

 侶喧が皆を代表して涼周への協力を表明するが、当の涼周は手をブンブンと振って拒否。
バスナやナイツを含むその場の全員が唖然。

 侶喧は一瞬言葉を失った後、再度自分達の気持ちを伝えようとする。

「はっ……はい。家族も当然ですが、我等は貴方様に……」

「かぞく、さきっ!」

「いてっ! いてて! こら涼周、俺に当たってるって。やめなさい、こら。……って言うかわざと俺に当ててない? えっ、気のせい? そうか、気のせいか……いててててててっ!」

 それでも涼周は手と足をブンブンと振り回して全力で拒否。駄々っ子の様相を見せる。
その実害を真っ先に被っていたのはナイツだった。涼周が全力を出しきらなかった為に、余った体力の矛先が彼に向かったのだ。

「で……ではっ! 時が来たら家族に次いで、貴方様の為に尽くしましょう! ……これで、ようございますか?」

「ぅんっ!」

 自分を二の次とする事で、涼周はやっと協力を認める笑顔を見せた。

(何たる我が儘。だが、中々に面白い判断を下す。……思えば思うほど、涼周はあの頃のナイト殿に似ているな)

バスナは涼周の思考や言動が、初めて会った頃のナイトに何処と無く似ていると思った。
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