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第一章(謎解きのはじまり)
謎の書店員の男、現る。
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あえて恥ずかしい思いをした本屋にまた来たのは、単にわざわざ他の本屋まで行くのが面倒臭かったからだ。
最初からネットで購入することは頭には無かった。それほどまでに購買意欲が、恥を上回っていたというわけだ。
僕は、もしかしたら少し浮かれているのかもしれない。
つい最近まで、あれほど他人のぶしつけな視線を浴びることを何よりも恐れていたというのに。今の自分が最優先していることは、デジャヴさんの描いた漫画の原作を、一刻も早く読むことだけだった。
幸運なことに、少年漫画の週刊誌をずっと購読していたおかげで、この本屋の少年漫画の売り場まで迷うことなく直行することができた。
店内の入口付近にすでに、「デジャヴュ」の新刊ポスターが貼ってあったので、大々的に平置き展開しているであろうことは想像に難くなかったが、まさに漫画売り場の1番目立つ平置き台に全巻がずらりと並んで積まれてあるのは壮観だった。
本当なら、大人の懐の底力を遺憾なく発揮して、全巻一気に買ってしまいたいところなのだけれど、分量も36巻と長編だし、持ち帰るのも、レジに運ぶのも大変だし、何より恥ずかしいので、それはやはり辞めることにした。
しばし漫画の前で立ち尽くしてから、一度うなずくと、「キリが良いしな」と、とりあえず6巻分をレジに持っていくことにした。
目的の物を無事に手に入れることができる安堵感から、僕にはようやく、そこで初めて、店内を見渡す余裕が出てきた。
目的はスタッフだ。例の、数ヶ月前に、大恥をかいた黒髪ロングヘアの女性店員の姿は、どこにも見当たらなかったので、思わずホッと胸をなでおろした。
しかもラッキーなことに、レジにいるのは、背の高いひょろりとした男の店員だった。別に、今の時代、大人が漫画をまとめ買いしたって、それがイコールでオタクと断定されるものではないけれど、それでも女性に密かに、キモオタ認定されたら、たまったものじゃない。
その程度には、僕には、まだ俄然、無意味な自意識の過剰さがあるようだった。
男は、遠目からでも目立ったが、近くで見ると、かなり背の高い男だった。
丸ぶち眼鏡をかけているところが、本屋らしいといえば、らしい。時勢もあって、マスクをしているので確認しようもないが、その中には、もしかすると端正な顔が隠されているのかもしれない。まあ、どうでもいいけれど。
漫画を重ねてレジ台の上に置くと、男はしばらく、まじまじと漫画を見つめていた。早く仕事をしてくれよと、いぶかしんで、思わず男の顔を見ると、
「……カバー、かけますか?」
その男の声には、不思議と、言葉とは裏腹に、心をどこかに置き去りにしてきたかのような響きがあった。
「いらないです」
「レジ袋は有料となりますが、つけますか?」
「お願いします」
男はやはり、漫画のバーコードを機械で読み取りながらも、何かが物足りなさそうに、動作の何もかもが緩かった。
ずいぶん間の抜けたスタッフだな……。
1年に満たないとはいえ、戯言の全く通用しない社会で多少なりとも洗礼を受けてきた身なので、思わず脳内で、そう、愚痴を漏らしてしまった。
「この漫画、今すごい人気みたいですね」
会計の最中に、突然普通の会話をされたものだから、僕は今度は、まじまじと店員を見た。その太縁眼鏡の奥に光る黒い目と、僕の目がカチリと合った。男は、眼鏡越しなのに、そのまま吸い込まれてしまいそうになるほど、まっすぐな眼差しをしていた。
「……ああ、はあ」
まさか、二次創作イラストを観たせいで、急に読みたくなったんです、とも言えず、ましてや、全く内容を知らない身なので、これ以上の掘り下げトークは願い下げだとばかりに、そそくさと財布を取り出した。
「うちのスタッフの女の子たちも、皆好きみたいなんですよ」
ああああ、そう。でも、いいから早くお釣りを出してくれよ。そんな僕の気持ちをよそに、男はレジの内側で今度は、なにやら漫画にカバーをかけるような所作をしはじめた。
「あの、カバーいらないですけど」
一刻も早く帰りたいのは本心なので、僕にしては珍しく自分から注意を促した。すると、その男は、わずかに目を細めると、唐突にカバーをかけ終えた漫画を1冊、自分の顔の横に掲げてみせた。
「今だけ、まとめ買いのお客様限定で、こちらのオリジナルカバーをお付けしているんですよ、先着ですけど」
そう言って、手渡してきた漫画には、手描きで「デジャヴュ」のデフォルメイラストが描かれているカバーが掛けられていた。
しかも、なんということでしょう、それは僕がツイッターで見た、あのデジャヴさんが描いたキャラクターのイラストだった。僕は、思わず「わあっ」とバカみたいな声を上げてしまった。
「あ、いらなかったですか?」
「いや、……はあ、すごい……欲しいです」
予期せぬラッキー続きに、思わず僕はオタク魂を炸裂させてしまった。でも、瞬時に限界まで振り切ったテンションのせいで、完全に挙動不審になってしまっている。
ああああ、うん、まとめ買いして、本当に良かった、良かったああああ。
嬉しすぎて頭に血が上るのを抑えられず、きっと今、ゆでダコみたいに真っ赤な顔をしているんだろうなと、自分でも自覚していた。けれど、それに対する恥ずかしさよりも、自分が自分の予想以上に、心を奪われていることのほうが衝撃的だった。
あのデジャヴさんが描いたファンアートに、人をここまで幸せにする力があるだなんて、ファンの一人として、とても誇りに思います。
でも、こんなの、まるで恋じゃないか。そう思ったけれど、そう思うことこそが、ありえないことだと瞬時に否定した。僕が、恋するわけがない。
「ありがとうございました」
そんな僕の、内面の嵐のような感情の揺れを知るわけもない店員が、レジスターの画面に目線を落としたまま、そう、つぶやくように言うのが微かに聞こえた。
最初からネットで購入することは頭には無かった。それほどまでに購買意欲が、恥を上回っていたというわけだ。
僕は、もしかしたら少し浮かれているのかもしれない。
つい最近まで、あれほど他人のぶしつけな視線を浴びることを何よりも恐れていたというのに。今の自分が最優先していることは、デジャヴさんの描いた漫画の原作を、一刻も早く読むことだけだった。
幸運なことに、少年漫画の週刊誌をずっと購読していたおかげで、この本屋の少年漫画の売り場まで迷うことなく直行することができた。
店内の入口付近にすでに、「デジャヴュ」の新刊ポスターが貼ってあったので、大々的に平置き展開しているであろうことは想像に難くなかったが、まさに漫画売り場の1番目立つ平置き台に全巻がずらりと並んで積まれてあるのは壮観だった。
本当なら、大人の懐の底力を遺憾なく発揮して、全巻一気に買ってしまいたいところなのだけれど、分量も36巻と長編だし、持ち帰るのも、レジに運ぶのも大変だし、何より恥ずかしいので、それはやはり辞めることにした。
しばし漫画の前で立ち尽くしてから、一度うなずくと、「キリが良いしな」と、とりあえず6巻分をレジに持っていくことにした。
目的の物を無事に手に入れることができる安堵感から、僕にはようやく、そこで初めて、店内を見渡す余裕が出てきた。
目的はスタッフだ。例の、数ヶ月前に、大恥をかいた黒髪ロングヘアの女性店員の姿は、どこにも見当たらなかったので、思わずホッと胸をなでおろした。
しかもラッキーなことに、レジにいるのは、背の高いひょろりとした男の店員だった。別に、今の時代、大人が漫画をまとめ買いしたって、それがイコールでオタクと断定されるものではないけれど、それでも女性に密かに、キモオタ認定されたら、たまったものじゃない。
その程度には、僕には、まだ俄然、無意味な自意識の過剰さがあるようだった。
男は、遠目からでも目立ったが、近くで見ると、かなり背の高い男だった。
丸ぶち眼鏡をかけているところが、本屋らしいといえば、らしい。時勢もあって、マスクをしているので確認しようもないが、その中には、もしかすると端正な顔が隠されているのかもしれない。まあ、どうでもいいけれど。
漫画を重ねてレジ台の上に置くと、男はしばらく、まじまじと漫画を見つめていた。早く仕事をしてくれよと、いぶかしんで、思わず男の顔を見ると、
「……カバー、かけますか?」
その男の声には、不思議と、言葉とは裏腹に、心をどこかに置き去りにしてきたかのような響きがあった。
「いらないです」
「レジ袋は有料となりますが、つけますか?」
「お願いします」
男はやはり、漫画のバーコードを機械で読み取りながらも、何かが物足りなさそうに、動作の何もかもが緩かった。
ずいぶん間の抜けたスタッフだな……。
1年に満たないとはいえ、戯言の全く通用しない社会で多少なりとも洗礼を受けてきた身なので、思わず脳内で、そう、愚痴を漏らしてしまった。
「この漫画、今すごい人気みたいですね」
会計の最中に、突然普通の会話をされたものだから、僕は今度は、まじまじと店員を見た。その太縁眼鏡の奥に光る黒い目と、僕の目がカチリと合った。男は、眼鏡越しなのに、そのまま吸い込まれてしまいそうになるほど、まっすぐな眼差しをしていた。
「……ああ、はあ」
まさか、二次創作イラストを観たせいで、急に読みたくなったんです、とも言えず、ましてや、全く内容を知らない身なので、これ以上の掘り下げトークは願い下げだとばかりに、そそくさと財布を取り出した。
「うちのスタッフの女の子たちも、皆好きみたいなんですよ」
ああああ、そう。でも、いいから早くお釣りを出してくれよ。そんな僕の気持ちをよそに、男はレジの内側で今度は、なにやら漫画にカバーをかけるような所作をしはじめた。
「あの、カバーいらないですけど」
一刻も早く帰りたいのは本心なので、僕にしては珍しく自分から注意を促した。すると、その男は、わずかに目を細めると、唐突にカバーをかけ終えた漫画を1冊、自分の顔の横に掲げてみせた。
「今だけ、まとめ買いのお客様限定で、こちらのオリジナルカバーをお付けしているんですよ、先着ですけど」
そう言って、手渡してきた漫画には、手描きで「デジャヴュ」のデフォルメイラストが描かれているカバーが掛けられていた。
しかも、なんということでしょう、それは僕がツイッターで見た、あのデジャヴさんが描いたキャラクターのイラストだった。僕は、思わず「わあっ」とバカみたいな声を上げてしまった。
「あ、いらなかったですか?」
「いや、……はあ、すごい……欲しいです」
予期せぬラッキー続きに、思わず僕はオタク魂を炸裂させてしまった。でも、瞬時に限界まで振り切ったテンションのせいで、完全に挙動不審になってしまっている。
ああああ、うん、まとめ買いして、本当に良かった、良かったああああ。
嬉しすぎて頭に血が上るのを抑えられず、きっと今、ゆでダコみたいに真っ赤な顔をしているんだろうなと、自分でも自覚していた。けれど、それに対する恥ずかしさよりも、自分が自分の予想以上に、心を奪われていることのほうが衝撃的だった。
あのデジャヴさんが描いたファンアートに、人をここまで幸せにする力があるだなんて、ファンの一人として、とても誇りに思います。
でも、こんなの、まるで恋じゃないか。そう思ったけれど、そう思うことこそが、ありえないことだと瞬時に否定した。僕が、恋するわけがない。
「ありがとうございました」
そんな僕の、内面の嵐のような感情の揺れを知るわけもない店員が、レジスターの画面に目線を落としたまま、そう、つぶやくように言うのが微かに聞こえた。
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