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1 お嬢様と鎧
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静かな森の奥深く、木々の間に隠れるようにひっそりと佇む古めかしいお屋敷で、一人のお嬢様が軽くため息をついていた。
「何度も挑戦してみてはいるけど……やっぱり駄目ね」
形のいい眉を顰めて呟いたのは、この屋敷の主アリシア。
先程から手のひらで転がしているきらきらと輝く石と、テーブルの上に置いた紙を見比べながら、深くソファに身を沈めた。
「今に始まったことでもないし、考えるのは後にして休憩にしましょう」
疲れた時には甘いものがいいわ、と声をわずかに弾ませながら石をころりとテーブルに置き、視線を隣に向ける。
そこには埃一つ積もっていない、磨かれた鎧が立っていた。
「バルト! アップルパイが食べたいわ」
アリシアがそう声をかけると鎧の頭部がカシャンと頷くように動き、金属が擦れる音を鳴らしながら扉の向こうへ消えていった。
そしてすぐに戻って来ると同時に、部屋の中にふんわりと甘い匂いが漂う。
鎧は持っていたアップルパイを丁度いい大きさに切りわけて、いつの間にか淹れていた紅茶と一緒にアリシアの前に置いた。
「あいかわらず準備がいいわね、バルト。いつから用意していたのかしら……まったくわからないわ」
目の前に揃えられたものを見つめながら、そんなことを言うアリシアにバルトは少し得意げな雰囲気で『光栄です』とでも言うように小さく礼をする。
バルトと呼ばれたこの鎧の中には誰もいない。つまり、人ではなかった。
細かい条件は明らかになっていないが、鎧が長い時を重ねたり霊が鎧に取り憑いたりする事によって生まれる『リビングアーマー』という種族で、中は空洞のまま鎧自体が意思をもって動く。
バルトの場合は後者であり元人間だったらしい。
言葉を話すことは出来ないが意思疎通は問題なく行える為、昔からアリシアの側に仕えている。
「いつも謎なのよ。貴方、私が言う前に用意してあるわよね? 一体いつから準備しているの?」
サクリ、と瑞々しいリンゴとアリシアが好きな、濃いカスタードがたっぷり入ったアップルパイにフォークを入れて口に運ぶ。
このアップルパイも、バルトが作ったものだということは理解しているが、調理している所をアリシアは見たことが無かった。
それを言うとバルトは話せないなりにガチャガチャと身振り手振りで伝えようとする。
しかし、伝えようとする気持ちは伝わってきても詳細な行動の説明は当たり前だがアリシアにはわからない。わかるのは無理なことを問いかけてしまったという事だけだ。
「ごめんなさい、意地悪な質問をしたわ。少し疑問に思っただけなの」
ばつが悪い顔をして謝る。アリシアとバルトは長年一緒に居るおかげで、言葉を使わなくても何となくで会話らしきものが出来るため、細かいところは伝わらないということをつい忘れてたまにこういった事が起こる。
バルトは動かしていた手をガシャンと音を立てながら止め、苦笑するように肩を揺らした。
筆談すれば詳細な会話も可能だがアリシアもそこまでするほど答えを望んでいた訳ではない、会話を切り上げて大好きなアップルパイを食べることに戻った。
空になった皿を下げ、さっぱりとした紅茶を飲み一息つく。
休憩前にしていた事を考えながら、テーブルに無造作に置かれた石を指先で軽くはじくと、石は不思議な模様の描かれた紙の上まで転がった。
「魔石にはちゃんと魔力を溜めれるのよね……」
魔石とはその名の通り魔力を溜めておける石のことだ。
空っぽの状態では真っ黒な色をしているが魔力を溜めれば溜めるほど透明になり、きらきらと輝く。溜めた魔力が無くなっても質のいいものなら再度魔力を溜めて使うことができる。
容量が多いものほど貴重だが見ための大きさでは量れないので、入る限界まで魔力を溜めてみる必要がある他、魔石の形を綺麗に整えると魔力を早く溜めることが可能な為、透明で形の美しい魔石ほど価値が高い。
時間のあるアリシアは、その魔石に魔力を溜める事を日課にしていた。
「何で魔術式は魔力がすり抜けるのかしら」
手に持った模様の描かれた紙をひらひら揺らして眉を下げる。
紙にある模様は魔術式と呼ばれるもので、魔力を込めると魔術が発動する筈だった。しかし、アリシアは魔術式に魔力を込めることが出来ない。何故か魔力が魔術式に留まらず、そのまますり抜けるのだ。
何度確かめてもその事実は変わらない。
魔力があるものなら誰でも使える魔術がアリシアには使えなかった。
それは最初に魔術式を使った時からわかっている事なのだが、アリシアはもしかしたら使えるようになっているかもしれないと微かに期待して、魔石に魔力を溜めるついでにたまに魔術式を試していた。結果はいつも同じである。
「バルト、少しやって見せて」
食器を片付け戻って来たバルトに、持っていた魔術式を渡すと『またか』と声が聞こえるような仕草で軽く魔力を込めた。
すると、ひらりと花びらが落ち、バルトが持っていた紙は柔らかい桃色をした小さな花になっていた。この魔術式は初歩の初歩、紙を花に変える簡単な魔術だ。
「わからないわ……どうしてバルトは出来るのに私は出来ないのかしら? どっちも根本的には同じ魔力のはずなのだけど……」
リビングアーマーであるバルトの魔力はアリシアの魔力が元になっている。
普通のリビングアーマーなら食べ物や植物からでも活動に必要な魔力は十分に取れるが、バルトはお屋敷の掃除や庭の手入れ、アリシアのお世話など、その他雑用も全て一人で行っている為、活動量が通常よりも多くなりどうしても足りなくなるのだ。
そのためアリシアから定期的に魔力を貰う必要があった。
「同じなのに出来ないのは、私の魔力以外に問題があるということ?」
もしかして、と原因に心あたりがあったかのか、アリシアは不安げな表情でバルトを見た。
「ねぇバルト。前々から、これのせいなのかもしれないとは思っていたのだけど……」
――私が、壊滅的に不器用だからなのかしら……
鎧が擦れる音すらしない微妙な沈黙が流れた。
バルトは鎧だというのに何処か遠い目をしている。そっとアリシアの方へ腕を動かすとそれに反応したように誰に対してなのかわからない弁明を始めた。
「待って! 何も言わないでわかってるわ! でも私の話も聞いて?」
何も言っていないし、そもそも話せない。
勢いに圧されたバルトは差し出しかけた手を引っ込めてアリシアの次の言葉をまった。
「あの……刺繍の猫が最終的に絵本の魔王みたいになったり、花壇に水をあげようとして、花をほとんど水で押し流して泥だらけにしてしまったり、私がそんなに器用な方じゃないのはわかってるの」
バルトは黙って頷く。アリシアがバルトの仕事を手伝うと言って、心配に思いながらも一部を任せた日。
仕事が二倍三倍四倍と増えていった時は、流石のバルトもリビングアーマーには感じるはずのない疲労を感じた。今となってはいい思い出になっているのだが。
「でもね? そんな私でも魔力の操作は大丈夫なはずなのよ。魔石に魔力を溜めるのもバルトに魔力をあげるのも、ちゃんと出来ているもの! ……出来てるわよね?」
魔石に魔力を溜めるのは容量限界まで一気に込めるだけであるし、魔力を貰う時もたまに多すぎる事があるのだが、出来る出来ないで言えば問題なく出来ている方なのでバルトは静かに頷いた。
アリシアはそうよねと、ほっとしたように表情を和らげ言葉を続ける。
「だから、もし魔術が使えないのが不器用のせいなら……! せいなら……? ……あら、どうしましょう。解決策が全くわからないわ」
――魔術は諦めた方がいいかもしれない。
アリシアの不器用は努力でどうこう出来るものではないどころか、努力すると余計に酷くなることを長年の経験から理解している二人は、 浮かんだ答えからそっと目を背けた。
「今まで使えなくても困った事はないし、使えれば便利よねって思っていただけだから、この話はしばらく保留にしましょう」
そう言いながらも肩を落としたアリシアを慰めるように、バルトは魔術で作った花をアリシアの髪に飾り、アップルパイを取り出して紅茶と共に置いた。『今回は特別ですよ』とでも言っているような雰囲気でおやつの用意してみせたが、バルトがアリシアを甘やかすのはいつものことである。
「本当に用意がいいわねバルト、ここまで来るといっそ恐ろしいわ……」
苦笑でもアリシアに笑顔が戻ったことを、バルトはどこか満足げに見ていた。
「何度も挑戦してみてはいるけど……やっぱり駄目ね」
形のいい眉を顰めて呟いたのは、この屋敷の主アリシア。
先程から手のひらで転がしているきらきらと輝く石と、テーブルの上に置いた紙を見比べながら、深くソファに身を沈めた。
「今に始まったことでもないし、考えるのは後にして休憩にしましょう」
疲れた時には甘いものがいいわ、と声をわずかに弾ませながら石をころりとテーブルに置き、視線を隣に向ける。
そこには埃一つ積もっていない、磨かれた鎧が立っていた。
「バルト! アップルパイが食べたいわ」
アリシアがそう声をかけると鎧の頭部がカシャンと頷くように動き、金属が擦れる音を鳴らしながら扉の向こうへ消えていった。
そしてすぐに戻って来ると同時に、部屋の中にふんわりと甘い匂いが漂う。
鎧は持っていたアップルパイを丁度いい大きさに切りわけて、いつの間にか淹れていた紅茶と一緒にアリシアの前に置いた。
「あいかわらず準備がいいわね、バルト。いつから用意していたのかしら……まったくわからないわ」
目の前に揃えられたものを見つめながら、そんなことを言うアリシアにバルトは少し得意げな雰囲気で『光栄です』とでも言うように小さく礼をする。
バルトと呼ばれたこの鎧の中には誰もいない。つまり、人ではなかった。
細かい条件は明らかになっていないが、鎧が長い時を重ねたり霊が鎧に取り憑いたりする事によって生まれる『リビングアーマー』という種族で、中は空洞のまま鎧自体が意思をもって動く。
バルトの場合は後者であり元人間だったらしい。
言葉を話すことは出来ないが意思疎通は問題なく行える為、昔からアリシアの側に仕えている。
「いつも謎なのよ。貴方、私が言う前に用意してあるわよね? 一体いつから準備しているの?」
サクリ、と瑞々しいリンゴとアリシアが好きな、濃いカスタードがたっぷり入ったアップルパイにフォークを入れて口に運ぶ。
このアップルパイも、バルトが作ったものだということは理解しているが、調理している所をアリシアは見たことが無かった。
それを言うとバルトは話せないなりにガチャガチャと身振り手振りで伝えようとする。
しかし、伝えようとする気持ちは伝わってきても詳細な行動の説明は当たり前だがアリシアにはわからない。わかるのは無理なことを問いかけてしまったという事だけだ。
「ごめんなさい、意地悪な質問をしたわ。少し疑問に思っただけなの」
ばつが悪い顔をして謝る。アリシアとバルトは長年一緒に居るおかげで、言葉を使わなくても何となくで会話らしきものが出来るため、細かいところは伝わらないということをつい忘れてたまにこういった事が起こる。
バルトは動かしていた手をガシャンと音を立てながら止め、苦笑するように肩を揺らした。
筆談すれば詳細な会話も可能だがアリシアもそこまでするほど答えを望んでいた訳ではない、会話を切り上げて大好きなアップルパイを食べることに戻った。
空になった皿を下げ、さっぱりとした紅茶を飲み一息つく。
休憩前にしていた事を考えながら、テーブルに無造作に置かれた石を指先で軽くはじくと、石は不思議な模様の描かれた紙の上まで転がった。
「魔石にはちゃんと魔力を溜めれるのよね……」
魔石とはその名の通り魔力を溜めておける石のことだ。
空っぽの状態では真っ黒な色をしているが魔力を溜めれば溜めるほど透明になり、きらきらと輝く。溜めた魔力が無くなっても質のいいものなら再度魔力を溜めて使うことができる。
容量が多いものほど貴重だが見ための大きさでは量れないので、入る限界まで魔力を溜めてみる必要がある他、魔石の形を綺麗に整えると魔力を早く溜めることが可能な為、透明で形の美しい魔石ほど価値が高い。
時間のあるアリシアは、その魔石に魔力を溜める事を日課にしていた。
「何で魔術式は魔力がすり抜けるのかしら」
手に持った模様の描かれた紙をひらひら揺らして眉を下げる。
紙にある模様は魔術式と呼ばれるもので、魔力を込めると魔術が発動する筈だった。しかし、アリシアは魔術式に魔力を込めることが出来ない。何故か魔力が魔術式に留まらず、そのまますり抜けるのだ。
何度確かめてもその事実は変わらない。
魔力があるものなら誰でも使える魔術がアリシアには使えなかった。
それは最初に魔術式を使った時からわかっている事なのだが、アリシアはもしかしたら使えるようになっているかもしれないと微かに期待して、魔石に魔力を溜めるついでにたまに魔術式を試していた。結果はいつも同じである。
「バルト、少しやって見せて」
食器を片付け戻って来たバルトに、持っていた魔術式を渡すと『またか』と声が聞こえるような仕草で軽く魔力を込めた。
すると、ひらりと花びらが落ち、バルトが持っていた紙は柔らかい桃色をした小さな花になっていた。この魔術式は初歩の初歩、紙を花に変える簡単な魔術だ。
「わからないわ……どうしてバルトは出来るのに私は出来ないのかしら? どっちも根本的には同じ魔力のはずなのだけど……」
リビングアーマーであるバルトの魔力はアリシアの魔力が元になっている。
普通のリビングアーマーなら食べ物や植物からでも活動に必要な魔力は十分に取れるが、バルトはお屋敷の掃除や庭の手入れ、アリシアのお世話など、その他雑用も全て一人で行っている為、活動量が通常よりも多くなりどうしても足りなくなるのだ。
そのためアリシアから定期的に魔力を貰う必要があった。
「同じなのに出来ないのは、私の魔力以外に問題があるということ?」
もしかして、と原因に心あたりがあったかのか、アリシアは不安げな表情でバルトを見た。
「ねぇバルト。前々から、これのせいなのかもしれないとは思っていたのだけど……」
――私が、壊滅的に不器用だからなのかしら……
鎧が擦れる音すらしない微妙な沈黙が流れた。
バルトは鎧だというのに何処か遠い目をしている。そっとアリシアの方へ腕を動かすとそれに反応したように誰に対してなのかわからない弁明を始めた。
「待って! 何も言わないでわかってるわ! でも私の話も聞いて?」
何も言っていないし、そもそも話せない。
勢いに圧されたバルトは差し出しかけた手を引っ込めてアリシアの次の言葉をまった。
「あの……刺繍の猫が最終的に絵本の魔王みたいになったり、花壇に水をあげようとして、花をほとんど水で押し流して泥だらけにしてしまったり、私がそんなに器用な方じゃないのはわかってるの」
バルトは黙って頷く。アリシアがバルトの仕事を手伝うと言って、心配に思いながらも一部を任せた日。
仕事が二倍三倍四倍と増えていった時は、流石のバルトもリビングアーマーには感じるはずのない疲労を感じた。今となってはいい思い出になっているのだが。
「でもね? そんな私でも魔力の操作は大丈夫なはずなのよ。魔石に魔力を溜めるのもバルトに魔力をあげるのも、ちゃんと出来ているもの! ……出来てるわよね?」
魔石に魔力を溜めるのは容量限界まで一気に込めるだけであるし、魔力を貰う時もたまに多すぎる事があるのだが、出来る出来ないで言えば問題なく出来ている方なのでバルトは静かに頷いた。
アリシアはそうよねと、ほっとしたように表情を和らげ言葉を続ける。
「だから、もし魔術が使えないのが不器用のせいなら……! せいなら……? ……あら、どうしましょう。解決策が全くわからないわ」
――魔術は諦めた方がいいかもしれない。
アリシアの不器用は努力でどうこう出来るものではないどころか、努力すると余計に酷くなることを長年の経験から理解している二人は、 浮かんだ答えからそっと目を背けた。
「今まで使えなくても困った事はないし、使えれば便利よねって思っていただけだから、この話はしばらく保留にしましょう」
そう言いながらも肩を落としたアリシアを慰めるように、バルトは魔術で作った花をアリシアの髪に飾り、アップルパイを取り出して紅茶と共に置いた。『今回は特別ですよ』とでも言っているような雰囲気でおやつの用意してみせたが、バルトがアリシアを甘やかすのはいつものことである。
「本当に用意がいいわねバルト、ここまで来るといっそ恐ろしいわ……」
苦笑でもアリシアに笑顔が戻ったことを、バルトはどこか満足げに見ていた。
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