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三.表の書・裏の書 3
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足の方は縛られていないし、扉にも鍵はかけられていない様子なので、立ち上がって逃げ出せぬことはない。しかし、すぐに捕まってしまうのは目に見えている。
マリアスはここ一番のときのために、体力の温存に努めることに決めた。
「さて、どうされます、ネイアス様」
ランペターが、しょうがないといった顔でマリアスの方を見つめながら、ネイアスに聞いた。
「私の本心としては、一族の恨みを晴らすため、ライ国王族の者は残らず抹殺してやりたいぐらいよ」
不意に鋭い目になるネイアス。獲物を見つけた肉食の昆虫のようだ。美しいが故に凶暴な虫。
マリアスは背筋が冷たくなった。
「……でも、あいつらが私達にしたのと同じ、血を流すことによる解決は、真の解決にならない。だからこそ、今度の企てをなしたんだったわね」
ちらりとランペターを見やったネイアス。薄々感づいてはいたが、ネイアスがこの一行の首領なのは、もはや間違いない。
「さようで」
ランペターは頭を下げてうなずいた。
「ならば、ここでもこのお姫様を殺すには、問題があるとなるの?」
憎しみに満ちた口振りのネイアス。マリアスは、ネイアス一人から強い恐怖を感じていた。
「もちろん、いくつかの道があります。このまま計画を進めていこうと思えば、一人の犠牲者を出すことになるでしょう。つまり、我々の話を知ったマリアス姫には、消えてもらう必要があります」
ランペターの淡々とした物言いに、マリアスは恐怖を覚える以前に、夢でも見ているんじゃないかと思えてきた。私を助けてくれたランペターが、どうして今、私を殺そうとするのだろう。いいえ、そんなこと、するはずがない――。
マリアスが色々と思っている間にも、ランペターの意見は続く。
「マリアス姫を殺すとしても、あからさまに我々がやったと分かるようでは意味がないのは申すまでもありません。そう、例えば、盗賊がこの城に侵入し、たまたま起きていたマリアス姫とはち合わせになった。賊は仕方なく、マリアス姫を殺し、何も盗まずに逃げ去った――このように見せかける必要があります。これならば、我々の計画はほぼ変更なく、続行することができますが」
「でも……ここで一人の命を奪っておいて、その後の計画が成功したとしても、それが何になろう」
マリアスに対し、あれほどまでに憎悪の視線を向けていたネイアスが、不思議にもこう言った。マリアスにはよく分からぬが、ネイアスの私人としての心情と、ある組織の頂にある者としての自尊心とが、激しく葛藤を起こしているらしい。
「では、出直すとおっしゃるのですか?」
カイナーベルが叫ぶように、だが小さな声量で言った。
「……分からぬ、私には分からぬ。分かっているのは、レオンティールに我らがほとんど滅ぼされ、苦しみを受けたこと。そして今なお、この大陸のあちらこちらで苦しんでいる領民がいるということだけだ」
言葉の後半は、あたかもマリアスに聞かせたいかのような様子のネイアスであった。
(どういうこと?)
心の中、そんな言葉を口にしたマリアスであったが、それはネイアスら五人には伝わらなかった。
「俺は――私は嫌でございます。ここまできながら、最初からやり直すなどとは。そもそも、この計画自体、やり直しが利かない物だと、先ほど我が師ランペターが言ったではございませんか」
「言葉が過ぎるぞ、カイナーベル」
重く、低い声は、ダルスペック。彼が続ける。
「よいか、我々があれやこれやとうろたえることはない。ネイアス様のご決断に従えば、それでよいのだ」
このネイアスという女性、若いけれど、相当の信頼を得ているんだ。マリアスはこんな状況にも関わらず、少しばかり圧倒されてしまっていた。
そして、マリアスが生きるか死ぬかも、今やそのネイアスの心一つにかかっていると言えた。
「……決めた」
やがてネイアスが口を開いた。
彼女を信頼してやまない四人だけでなく、マリアスも彼女の唇がどう動くか、緊張して見守る。
「我々はライ国とは違う。血を流すような事態は徹底的に避けるべきと考える。加えて、今度の危機を招いたのは我が方の不始末。このようなことで命を奪っては、恥にこそなれ、名誉にはならない」
「では」
ダルスペックが、短く言葉を差し挟んだ。
「城の者には誰にも気付かれぬよう、姿を消すとしよう。皆、すみやかに抜け出る備えをするよう」
「マリアス姫はどういたします」
ランペターが問うた。
ネイアスは、どこか神妙な顔つきになって、ゆっくりと答える。
「……無事、抜け出すためには、このままにしておくしかないであろう」
マリアスがほっとしていたところに、ネイアスの鋭い声が飛んだ。
「ただし! 我らのことを少しでも分からせてやりたい。いかに己が偽善に塗り固められた平和を生きてきたかを知らしめしてやろう。それが『親切』というもの」
ふっとわずかな微笑をしてネイアスは、倒されたままのマリアスの前に跪いた。
「よいか、お姫さん。聞いていた通り、我々はそなたの命を奪いはしない。このまま、いなくなるとしよう。が、我々の受けた苦しみを知ってもらうには、今までの話だけでは、まるで足りない」
そこで言葉を区切ると、ネイアスはまた立ち上がり、机の隅に置いてあった二冊の書物を手に取った。
「これが何か分かるな? そう、この国の歴史書だ。当然、そなたもこれを勉強して憶えているのであろう」
何か意志表示しなくてはと、マリアスは大きくうなずいて見せた。
ネイアスは満足そうに、そして嘲るように微笑すると、もう一冊の書物をかざした。古く、ぼろぼろにすり切れた本だ。
「こちらが何か分かる? 分かるはずもないだろう、これこそが真の歴史書だ。そなたが幼い頃、いやまだ生まれる前からの血の歴史が封じてある。これを読むがいい。そなたが学んだ歴史がいかに装飾されているかが分かる。はっきり言おう、そなたの父レオンティールの手が、いかに汚れているかを知ることになる。
そしてもう一つ。そなたが知らぬ戦について贖罪の気持ちがあるのであれば、この書を一人で読むといい。この国の他の輩に聞かせても、適当にごまかされるに違いないのだからね」
最後には何とはなしに寂しげな表情を見せながら、ネイアスは喋り終えた。
と同時に、マリアスは何か薬の染みた布をかがされた。それを自覚する前に、意識が薄れていった……。
マリアスはここ一番のときのために、体力の温存に努めることに決めた。
「さて、どうされます、ネイアス様」
ランペターが、しょうがないといった顔でマリアスの方を見つめながら、ネイアスに聞いた。
「私の本心としては、一族の恨みを晴らすため、ライ国王族の者は残らず抹殺してやりたいぐらいよ」
不意に鋭い目になるネイアス。獲物を見つけた肉食の昆虫のようだ。美しいが故に凶暴な虫。
マリアスは背筋が冷たくなった。
「……でも、あいつらが私達にしたのと同じ、血を流すことによる解決は、真の解決にならない。だからこそ、今度の企てをなしたんだったわね」
ちらりとランペターを見やったネイアス。薄々感づいてはいたが、ネイアスがこの一行の首領なのは、もはや間違いない。
「さようで」
ランペターは頭を下げてうなずいた。
「ならば、ここでもこのお姫様を殺すには、問題があるとなるの?」
憎しみに満ちた口振りのネイアス。マリアスは、ネイアス一人から強い恐怖を感じていた。
「もちろん、いくつかの道があります。このまま計画を進めていこうと思えば、一人の犠牲者を出すことになるでしょう。つまり、我々の話を知ったマリアス姫には、消えてもらう必要があります」
ランペターの淡々とした物言いに、マリアスは恐怖を覚える以前に、夢でも見ているんじゃないかと思えてきた。私を助けてくれたランペターが、どうして今、私を殺そうとするのだろう。いいえ、そんなこと、するはずがない――。
マリアスが色々と思っている間にも、ランペターの意見は続く。
「マリアス姫を殺すとしても、あからさまに我々がやったと分かるようでは意味がないのは申すまでもありません。そう、例えば、盗賊がこの城に侵入し、たまたま起きていたマリアス姫とはち合わせになった。賊は仕方なく、マリアス姫を殺し、何も盗まずに逃げ去った――このように見せかける必要があります。これならば、我々の計画はほぼ変更なく、続行することができますが」
「でも……ここで一人の命を奪っておいて、その後の計画が成功したとしても、それが何になろう」
マリアスに対し、あれほどまでに憎悪の視線を向けていたネイアスが、不思議にもこう言った。マリアスにはよく分からぬが、ネイアスの私人としての心情と、ある組織の頂にある者としての自尊心とが、激しく葛藤を起こしているらしい。
「では、出直すとおっしゃるのですか?」
カイナーベルが叫ぶように、だが小さな声量で言った。
「……分からぬ、私には分からぬ。分かっているのは、レオンティールに我らがほとんど滅ぼされ、苦しみを受けたこと。そして今なお、この大陸のあちらこちらで苦しんでいる領民がいるということだけだ」
言葉の後半は、あたかもマリアスに聞かせたいかのような様子のネイアスであった。
(どういうこと?)
心の中、そんな言葉を口にしたマリアスであったが、それはネイアスら五人には伝わらなかった。
「俺は――私は嫌でございます。ここまできながら、最初からやり直すなどとは。そもそも、この計画自体、やり直しが利かない物だと、先ほど我が師ランペターが言ったではございませんか」
「言葉が過ぎるぞ、カイナーベル」
重く、低い声は、ダルスペック。彼が続ける。
「よいか、我々があれやこれやとうろたえることはない。ネイアス様のご決断に従えば、それでよいのだ」
このネイアスという女性、若いけれど、相当の信頼を得ているんだ。マリアスはこんな状況にも関わらず、少しばかり圧倒されてしまっていた。
そして、マリアスが生きるか死ぬかも、今やそのネイアスの心一つにかかっていると言えた。
「……決めた」
やがてネイアスが口を開いた。
彼女を信頼してやまない四人だけでなく、マリアスも彼女の唇がどう動くか、緊張して見守る。
「我々はライ国とは違う。血を流すような事態は徹底的に避けるべきと考える。加えて、今度の危機を招いたのは我が方の不始末。このようなことで命を奪っては、恥にこそなれ、名誉にはならない」
「では」
ダルスペックが、短く言葉を差し挟んだ。
「城の者には誰にも気付かれぬよう、姿を消すとしよう。皆、すみやかに抜け出る備えをするよう」
「マリアス姫はどういたします」
ランペターが問うた。
ネイアスは、どこか神妙な顔つきになって、ゆっくりと答える。
「……無事、抜け出すためには、このままにしておくしかないであろう」
マリアスがほっとしていたところに、ネイアスの鋭い声が飛んだ。
「ただし! 我らのことを少しでも分からせてやりたい。いかに己が偽善に塗り固められた平和を生きてきたかを知らしめしてやろう。それが『親切』というもの」
ふっとわずかな微笑をしてネイアスは、倒されたままのマリアスの前に跪いた。
「よいか、お姫さん。聞いていた通り、我々はそなたの命を奪いはしない。このまま、いなくなるとしよう。が、我々の受けた苦しみを知ってもらうには、今までの話だけでは、まるで足りない」
そこで言葉を区切ると、ネイアスはまた立ち上がり、机の隅に置いてあった二冊の書物を手に取った。
「これが何か分かるな? そう、この国の歴史書だ。当然、そなたもこれを勉強して憶えているのであろう」
何か意志表示しなくてはと、マリアスは大きくうなずいて見せた。
ネイアスは満足そうに、そして嘲るように微笑すると、もう一冊の書物をかざした。古く、ぼろぼろにすり切れた本だ。
「こちらが何か分かる? 分かるはずもないだろう、これこそが真の歴史書だ。そなたが幼い頃、いやまだ生まれる前からの血の歴史が封じてある。これを読むがいい。そなたが学んだ歴史がいかに装飾されているかが分かる。はっきり言おう、そなたの父レオンティールの手が、いかに汚れているかを知ることになる。
そしてもう一つ。そなたが知らぬ戦について贖罪の気持ちがあるのであれば、この書を一人で読むといい。この国の他の輩に聞かせても、適当にごまかされるに違いないのだからね」
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