魔王様は切実に隠居したい

塩おむすび

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第2章 隠居に成功(?)した魔王様

元勇者は魔王様が傷つくことを嫌う

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 クルゼルドを後にしてから、ノアはしばらく街道沿いを歩いていた。人通りも少なくないのか整備された道を歩いていると、突然子犬が道の途中で止まった。


「ん?ポチどうした?何か気になることでもあったのか?」

「わぉん、わんわん」


 子犬はこちらに歩いてくるが、やはり森の中をちらちらと気にしている様子だった。耳がぴくぴくと動いている。


「多分、お前にしか分からない何かがあるんだな。よし、行ってみるか!案内頼むぞ」

「わんっ!」


 ガサガサと音を立てて草むらに飛び込んでいく子犬の後ろをついていく。しばらく歩いたところでようやく、ノアにも子犬が気にしていた正体がわかった。


(これは…誰かが争っている声か…?悲鳴…それと少し血の匂いもする…。急いだほうが良さそうだ)


 さらに歩いていると、争う声はどんどんと鮮明に聞こえてくるようになる。命乞いをする声、それを嘲るような声も混じり始め、ノアはその声の主が見えたあたりで足を止めて身を隠した。


「い、命だけは助けてくれ…!積荷の半分ならやるから!」

「半分だぁ?お前今の状況が分かってねぇようだなぁ!そんなに自分の命よりも売り物が大事かよ!」

「こ、これが無いと俺も生活ができなくなる!家族を食べさせていくこともできなくなるんだ…!」

「ほー…お前家族がいるのか…。じゃあ俺たちがここでお前を殺して、積荷もお前の女も子供も奪えば問題はねぇよなぁ?」

「そ、そんな…!」

(武器はナイフのみ、人数は5人…ともう少しいる。身なりから見て、商人なんかを狙った盗賊…か。とりあえずは気絶させるに留めよう)

「お前はここで待っとくか?」

「きゅふー、わんっ」

「臨戦態勢って感じだな。じゃあ右にいるあいつを頼んでもいいか?」

「あぉんっ」


 ノアが一言つぶやくと、手のひらには複雑な魔術の印が刻まれる。


(人間にあまり怪我をさせずに昏倒させる方法は限られる。ナイフの間合いに入る危険性はあるが、首か頭を狙って魔術で衝撃を加えたほうが早い。ついでに記憶も少し消させてもらおう)


「あ、おい…っ!」


 ノアの静止も虚しく、ぴょんっ!と勢いよく草むらから子犬は飛び出し、言いつけ通り盗賊の1人へと噛みついた。


(あー…もうっ!本当はもう少し静かに仕留めるつもりだったけど仕方ない、騒ぎが大きくなる前にさっさと終わらせよう!なんか向こうから悲鳴とバキバキ何かが折れる音が聞こえるけど、知らないったら知らないからな!)





 ・・・・・・・・・・





(どこだ…?確かここらへんに1人逃げたはずなんだけどな…。あんまり派手に動いた証拠は残したくないのに…)


 戦闘自体は概ね何事もなく速やかに終わり、せいぜい誤算といえば子犬がやったであろう盗賊の足が無惨なことになっていたくらいだった。
 しかし1人を森の中に逃してしまい、怪我をしていた商人の男に薬を渡してここを動かないように言うと、子犬を番犬として置いて、ノアは1人森の中へと足を踏み入れた。

 先ほどまで歩いていた街道とは違い、人の手の入っていない森は鬱蒼と木々が茂っており、見通しも足場も悪い。
 ましてやノアはこの森に初めて入るのだ、対して盗賊は少なくともこの周辺の人間。その差が目に見える形として現れる瞬間がきた。


「死ねぇ!」


 いつの間にいたのか、ノアの背後の草むらから男が飛び出してきて、ノアに向けて真っ直ぐに突進してきた。その手にはナイフが握られており、このままでは突き刺さってしまう。


(いつの間に!?くそっ、視界が悪いせいで背後に回られていたのか…!防御は間に合うけれど…急所だけは外して反撃するか。あの人数相手だったし、少し傷がついていたほうが人間らしいかもしれないな)


 しかしノアは一度死んだ経験をした身だ。今更単なるナイフの攻撃を恐れるほどでもなく、背後を取られていたことには驚いたものの、頭では冷静に次の行動を計画していた。
 そうしてノアが致命傷にもならないナイフの攻撃を受け止めようとしたその時だった。


 キンッ!ゴッ!

「ぐはっ!」


 ノアに向かってきていたはずのナイフは突然方向を真上に変え、その持ち主は横に蹴られて勢いよく吹っ飛んだせいか、木に身体を強く打ち付けて気絶してしまった。

 そしてノアは自分の目の前に突然現れた人物に声をかけた。


「ル、ルーク…。お前、なんで…」


 その声に振り返ったルークの瞳には、明らかな怒りが渦巻いていた。


「あなたは…なぜ防御も何もしなかったのですか!あなたなら充分間に合ったはずでしょう!?いくらあなたが痛覚を魔術で遮断しているといっても、怪我をしていい理由にはならないんですよ!」

「そ、それは…」

(だって怪我は後でポーションでなんとでもなるし、痛くないなら怪我の一つや二つくらい大丈夫だと思ったんだよ。だって、俺は魔王の時からそうだったんだから)


 不老不死になったノアは、歴代の魔王が勝てなかった『寿命』という制限時間が無くなったせいで、正真正銘『勇者の聖剣』でしか死ぬことはなかった。そしてその呪いは生まれ変わりをした現在でも続いており、という前提で数百年を生きてきたノアは怪我に対する認知が歪んでいた。

『痛くもなく、すぐに治せて、死にもしない自分なら、いくら怪我をしてもいい』という意識のもと、ノアは自分を疎かにする癖がついていた。

 そしてルークにとってはそれが最も腹立たしかった。


「ご、ごめんな…?その…確かにお前の言うとおりだった…。今度からはちゃんと自分のことを優先にするから…」

「じゃあ…あなたは、僕が目の前で先ほどのあなたのように怪我をしそうになっていたらどうしますか?魔術も使えず、自分の身一つしかなかった時、あなたは目の前で人が傷つくのを黙って見過ごせますか」

「それは…」


 ノアにはすぐに出来ると返すことができなかった。無意識でも体が動くだろうと分かっていたから。たとえそれで自分が大怪我を負うことになろうとも。


「そ、それは…だって…ルークが怪我をするのは、俺…嫌だ…」

「今のあなたのその気持ちが、僕が常日頃からあなたに抱いている気持ちです」

「あ……」


 自分を大切にしないこと。
 それはすなわち、自分を大切に思っている人の心まで傷つけてしまうのだと、ノアはこの時初めて気づいた。


「…あなたがあなた自身をいつまで経っても大切にしないと言うなら、僕はあなたのことをどれだけ思っているかを知らしめるまでです」

「ま、待てルーク…!俺、そんなこと今まで考えたこともなくてっ…」

「なら、これからはちゃんと考えて下さい。後、待つ気はありません」

「んむっ…!?ん…ッ!やっ…ぁ…」


 ルークはノアとの距離を一息で詰めると、その身体を抱きしめると共に唇を奪った。とっさにルークの胸を押し返そうとするが、ノアの力ではルークの力に適うはずもなく、逆に抱き締める力が強くなっただけだった。


「んぐ…ッは……!っる、ルー…」

「黙って」

「は…っ…んむ…ぁっ……んッ……」


 反論は許されず、舌まで捩じ込まれて、ノアは息も絶え絶えで身体は今にも崩れ落ちそうなところを、押し返そうとしていた手でルークに縋りつくことでなんとか体勢を保っていた。
 ルークの腕はノアの背と後頭部に回り、まるで猛獣が獲物を味わうかのように決して逃がさないとばかりに力が込められていた。
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