魔王様は切実に隠居したい

塩おむすび

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第2章 隠居に成功(?)した魔王様

元勇者は大切な人に誓う

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 月が真上に上り、夜も更けたころ。深い眠りに落ちたノアは穏やかな寝息をたてていた。部屋の中は静かで人の気配もない。
 しかしその時、締め切られた窓にかかるカーテンがふわりと揺れた。


「ー!ウゥーッ…」

「しーっ…そう警戒しなくても別にノア様を害そうとは微塵も思ってませんよ。警戒心があって番犬としては及第点かもしれませんが、他人と飼い主の違いも見分けられないようじゃまだまだですね」


 ルークはベッドの脇に腰掛けると、ノアの頬に軽く触れる。


(温かい…生きている…。本当に、あなたは僕の前に帰ってきてくれたんですね…)


 ルークにとってノアのいない時間はそれこそ永遠とも思えるほどだった。
 何も見えず、何も感じない暗闇に放り出され、残ったのは復讐心のみ。全てが終わった後は1人、この命を自らの手で終えるつもりだった。

 本来人間を守るはずであった自分が一つ二つと村に街に侵攻していくたびに、自分の大切な何かが崩れていく気がした。抵抗する人々の血を浴びるたびに、もう戻れなくなる気がした。

 魔族が絶えず侵攻してきているという話が広まるにつれて、無抵抗で降伏を願い出る人々が出てきた頃。殺さない理由が出来たことに、心のどこかでほっとしている自分がいた。
 そしてそう思ってしまう自分に心底嫌悪した。

 復讐だのなんだの言っておきながら、結局それすらも完遂できない自分が嫌になった。夜はまともに眠ることができなくなり、だんだんと意識が混濁することが多くなった。


(あなたが帰ってきたあの日は心底驚きました。自分が眠っていたということもそうですが、あなたが僕の隣にいてくれたという事実が僕にとって何よりも嬉しかった。あの日ほど、祈ったこともない神に感謝した日はありません)


 戻って来ないと思っていた。そんなかけがえのない大切な人が、わざわざ自分の隣を選んで戻ってきてくれたのだ。この手を離す理由などない。


(あなたはきっと、この旅がいつか終わるものだと思っているのでしょうね。その案を持ちかけたのは僕ですから)


 ノアに自由になって欲しいルークと、ルークの代わりに玉座へ戻ると言ったノア。双方納得するために、ルークはあの日一つの案を出した。
 ルークは魔王補佐となり魔王の任からは下りるが、ノアがいない間は魔王の代理として動く。
 そしてノアはその間、勇者と女神に対抗するための情報を集める。そして全てが終われば魔王として戻る。

 ルークに魔王という重荷を背負わせたくなかったノアは、その案を訝しみながらも承諾した。


(僕が魔王でなくなるのがノア様の望みですからね。主に自分の要望が叶えられていたから、あなたもおかしいとは気づいていたのでしょう。けれど何がおかしいのかまでは気づかなかった。僕が何を考えているか、なんて分からなくても無理はありませんよね)


 ゆっくりと頭を撫でれば、ノアの表情が柔らかく微笑む。なんとなく分かってはいたが、口では恥ずかしいと言いながら、どうやら喜んではもらえていたらしい。


(もう二度とあの日と同じようなことには絶対させない。ノア様にはまだまだ敵いませんが、あの頃より僕も強くなったんですよ?あなたを1人、果ての地へ転移させることだって出来る様になりました。だからこそ僕はあなたにあの提案をした。たとえ僕の命が尽きようとも、僕の全てをかけてあなたを守り、あなただけでも逃します。あなたが自由でいる時間が一分一秒でも延びるのならば、僕の全てをかけます)

「ふふっ……ルー、く…」


 突然名前を呼ばれたことに驚き、思わず手を引っ込めるがノアが起きた様子は見られない。何か夢でも見ているのだろうか。


「あなたは、夢の中でも僕と一緒にいてくれているんですか?嬉しいですけれど…少し妬けますね」

「…ん…ッ…」


 ルークが曝け出されたノアの首筋に口付けて少し強く吸い付くと、そこには真っ赤な花が咲いた。


「あの時は意識も朧げでこんなことは出来ませんでしたけれど、僕だってあなたを独占したい欲くらいはあるんですよ。それに…あなたを手に入れられるなら、僕はなんでもできますから。早くここまで堕ちてきてくださいね、ノア様」


 もう一度、今度は手首に赤い花を咲かせると、ルークの姿はまるで最初からそこにいなかったように一瞬にしてかき消えた。





 ・・・・・・・・・・





「…ん……ぅー……ふわぁぁ…あ、おはようポチ」

「くぅーん、きゃん」


 子犬のもふもふとした毛並みを撫でてやると、子犬は気持ちよさそうに目を細めて腹を見せた。


「お、よーしよし。可愛いなぁーお前は……ん?なんだこれ…?」


 子犬の毛並みを整えようと抱き上げた際に、ふと自分の手首が目に入る。そこには真っ赤な痕が一つあった。


「どっかでぶつけたのかな?それか寝てる間に掻いたとか…?まぁ痛くも痒くもないし放っといても大丈夫か」


 子犬を撫でることに戻ってしまったノアがその痕の意味に気づくことは残念ながらなかった。
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