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第2話:雑魚モンスターの過酷な労働環境
しおりを挟むブラック企業において、試用期間中の新入社員が最も恐れること。
それは「使えない奴」というレッテルを貼られることだ。
一度その烙印を押されれば、待っているのは窓際への左遷か、あるいは契約終了という名の追放。
ましてや俺の就職先は、勇者パーティー(構成員一名)。
雇用主は、冷徹無比な最強の勇者アレクセイ。
ここで「使えない」と判断されれば、即座に契約破棄――つまり、物理的な死が待っている。
だからこそ、俺は声を大にして(心の中で)言いたい。
(……新人研修のレベル設定、間違ってませんかあああああッ!?)
薄暗い洞窟の中、俺は必死に地面を転がり回っていた。
頭上をブンッ! と不穏な音が通過する。
直後、背後の岩壁が豆腐のようにスパンと切り裂かれた。
「ギィィィィャァァァッ!!」
断末魔を上げて崩れ落ちたのは、全長三メートルはある『キラーマンティス』だ。
鋼鉄すら切り裂く鎌を持つ中級モンスター。
俺ごとき初期雑魚ウサギが遭遇すれば、一秒でミンチにされる相手である。
「……ふん。脆いな」
アレクセイが剣についた体液を一振りで払い、涼しい顔で言った。
彼は一歩も動いていない。ただ、迫りくる魔物の群れを、散歩のついでに雑草を刈るような手つきで処理しているだけだ。
強い。強すぎる。
それは頼もしいことだが、問題はそこではない。
バシュッ!!
斬撃の余波で砕け散ったマンティスの甲殻片が、弾丸のような速度で俺の頬を掠めた。
鋭い痛みが走る。HPバーがごっそり減った感覚がある。
(痛ったぁ!! 破片! 破片だけで致死量!!)
俺は岩陰に身を縮こまらせ、ガタガタと震えた。
勇者の攻撃範囲が広すぎて、近くにいるだけで命がけなのだ。
これぞまさに職場環境災害。労基署があったら即刻業務停止命令が出るレベルだ。
「ノワール。そこから出るなよ」
アレクセイが背中越しに声をかけてくる。
その声は平坦で、感情が読めない。
俺の背筋が凍る。
(『出るな』……? それって、『邪魔だからすっこんでろ』って意味ですか!?)
ネガティブ思考が暴走する。
無理もない。今の俺は攻撃力ゼロ。防御力紙切れ。ただ勇者の後ろをついていき、経験値を吸うだけの寄生虫(パラサイト)。
『穀潰しのペットはいらん』
そう言われて捨てられたら終わりだ。
何か……何か役に立たないと!
(考えろ、元営業マン佐伯湊! 自社商材(この体)の強みはなんだ!?)
俺は必死に自分のステータス画面(脳内イメージ)を検索した。
攻撃スキル、なし。魔法、なし。
あるのは『逃走』『隠密』……そして、『索敵』。
ウサギの長い耳は飾りじゃない。周囲の音や魔力の揺らぎを感知するレーダーだ。
俺は耳を極限までそばだてた。
洞窟内の湿った風の音。アレクセイの足音。死体の転がる音。
そして――
(……え?)
微かな違和感。
前方の闇の中、天井付近から、粘着質な音がする。
アレクセイは正面の敵に気を取られている。彼の死角、頭上だ。
『アシッド・スライム』。
強力な酸を吐き出す厄介な敵が、勇者の頭上へと落下しようとしていた。
もちろん、勇者なら酸を浴びても「痒いな」で済むかもしれない。
だが、もし彼の美しい鎧が溶けたりしたら? 「お前の注意不足だ」と減給(餌抜き)されたら?
やるしかない。
俺は岩陰から飛び出した。
「キュウウウウッ!!(上です! 足元失礼します!!)」
俺は全速力でアレクセイの足元へ駆け寄り、その脛(すね)に頭突きならぬ「体当たり」をかました。
ドンッ!
もちろん、勇者の強靭な足はびくともしない。逆に俺の首がむち打ちになりかけた。
「……ッ? ノワール?」
アレクセイが驚いて足元を見る。
その一瞬の動作で、彼の体がわずかにずれた。
ジュワァァァァッ!!
直後、彼が元いた場所に、緑色の溶解液が降り注いだ。
岩が溶け、鼻を突く異臭が立ち込める。
アレクセイがハッと見上げ、瞬時に剣を閃かせた。スライムは悲鳴を上げる暇もなく蒸発した。
静寂が戻る。
俺は地面にへたり込み、ゼェゼェと荒い息を吐いた。
怖かった。流れ弾で死ぬかと思った。
でも、役に立ったはずだ。少なくとも、リスク回避には貢献した。
俺はおそるおそるアレクセイを見上げる。
怒られるだろうか。戦闘の邪魔をしたと。
「…………」
アレクセイは剣を鞘に収めると、ゆっくりと俺の前に膝をついた。
その碧眼が、揺らめくように俺を見つめている。
怖い。無表情なのが一番怖い。
「お前……」
低い声。俺は反射的に「すみません!」のポーズ(土下座)を取ろうとした。
「俺を守ったのか?」
(へ?)
顔を上げる。
そこには、見たこともない表情のアレクセイがいた。
冷徹な仮面が崩れ、まるで奇跡でも見たかのような、熱っぽい眼差し。
「こんな小さな体で……自分より遥かに強い敵の前に飛び出してまで……」
あ、あれ?
なんか解釈が壮大になってないか?
俺はただ、「上から汚いのが落ちてきますよ」と知らせただけで、決して身を挺して庇ったわけでは……。
「健気な奴だ……。俺の従魔(パートナー)は、世界一勇敢なウサギかもしれん」
アレクセイの大きな手が、俺の頭を包み込む。
くしゃり、と撫でられる。
その手つきは、壊れ物を扱うように優しかった。
……なんだろう。
営業トークで褒められるのには慣れているはずなのに。
こんな風に、心底愛おしそうに「勇敢だ」なんて言われたのは、生まれて初めてかもしれない。
俺の心臓が、トクンと妙な跳ね方をした。
◇◇◇
その夜。
ダンジョンの入り口付近で野営をすることになった。
俺はすっかり消耗していた。
精神的な疲労に加え、体は泥と埃、そして返り血(俺のではない)でバサバサだ。
自慢の黒い毛並みも、今は見る影もなく汚れている。
(うう……最悪だ)
隅っこで丸まりながら、俺は陰鬱な気分だった。
見た目の清潔感は、ビジネスマンの基本だ。
こんな薄汚いネズミみたいな姿では、勇者のペットとしての品位に関わる。「汚いからあっち行け」と言われたらどうしよう。
すると、焚き火の準備を終えたアレクセイが、手桶に水と布を持って近づいてきた。
俺はビクッと身をすくめる。
まさか、汚れたから「洗浄(という名の水責め)」か?
それとも、「汚いものは処分」か?
「じっとしていろ」
短く命じられ、俺は「覚悟」を決めて目を閉じた。
しかし、触れたのは、温かく絞った濡れタオルだった。
ごし、ごし。ではない。
ふき、ふき。
優しく、丁寧に。耳の裏から背中、泥のついた足の裏まで。
「……キュゥ?(あ、あの……勇者様?)」
俺が戸惑って声を漏らすと、アレクセイの手が止まる。
彼は俺の顔を覗き込み、困ったように眉を下げた。
「すまない。痛かったか?」
違う。逆だ。
優しすぎるのだ。
どうして、たかだか使い魔の掃除を、主人が自らやる? 魔法で『浄化(クリーン)』をかければ一発なのに。
「お前は、俺のために汚れたんだからな」
アレクセイは独り言のように呟き、俺の体を乾いた布で包み込んだ。
そして、そのまま俺を抱き上げ、自分の膝の上に座らせる。
「俺は……ずっと一人で戦ってきた」
焚き火の爆ぜる音だけが響く中、彼の低い声がぽつりと落ちる。
「背中を預ける相手などいらないと思っていた。足手まといになるだけだと」
俺の耳がピクリと動く。
それは、ゲーム内の彼の設定通りだ。孤高の勇者。誰も寄せ付けない絶対強者。
「だが……悪くないな。誰かが俺を案じてくれるというのは」
アレクセイの指が、俺の顎の下をこくりと撫でた。
そこはウサギの急所であり、同時に撫でられると最高に気持ちいいスポットでもある。
「キュ、キュゥゥゥ……(そこ、イイです……)」
抗えない本能で、俺はとろけた声を出し、彼の掌に頬を擦り付けてしまった。
ああ、情けない。社畜のプライドはどこへ行った。
でも、この手は温かい。
ただのメンテナンスだと思っていたのに。この人は、俺を「道具」として手入れしているんじゃない。
まるで、大切な宝物を磨くような手つきだ。
「ふっ……甘え上手め」
頭上から降ってくる視線の熱量に、俺の体温が上がる。
勘違いだ。これは全部、彼の勘違いだ。
俺は自分の保身のために動いただけ。
なのに、どうしてこんなに胸が締め付けられるような心地よさを感じるんだろう。
(……まあ、いいか。今は)
俺は考えるのを放棄して、勇者の膝の上で丸くなった。
勘違いでもなんでも、この温かい場所にいられるなら。
だが、俺は知らなかった。
この「温かい誤解」が積み重なった結果、勇者の独占欲という名の檻が、着々と完成しつつあることを。
そして、この心地よい「撫で」だけでは、勇者の溢れ出る魔力(と愛情)を抑えきれなくなる時が、すぐそこまで迫っていることを。
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