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第3話:勇者の孤独と温かい指先
人間社会というのは、モンスターの森よりも遥かに複雑で、理不尽なルールで動いている。
それは、異世界だろうと現代日本だろうと変わらない。
元営業マンとして、俺はそのことを骨身に沁みて理解していたはずだった。
だが――。
「おいおい、冗談だろ? 『剣聖』様が連れてるのが、あんなドブネズミかよ」
冒険者ギルドに併設された酒場。
その一角で投げつけられた嘲笑に、俺は思わず身を縮こまらせた。
久しぶりの「下界(街)」への帰還。
アレクセイの肩に乗り、彼のマントの陰からこっそりと周囲を観察していた俺だったが、どうやらその姿は格好の酒の肴になってしまったらしい。
「黒ウサギ……ダーク・ラビットだろ? 初期エリアで子供が狩るヤツじゃねえか」
「愛玩用にするにしても、もっとマシな魔物がいるだろ。珍獣趣味か?」
「おいネズミ、そこは勇者様の特等席だぞ。降りて俺のブーツでも磨けよ、ギャハハ!」
下品な笑い声が響く。
俺はギュッと耳を畳んだ。
悔しいが、反論できない。彼らの言うことは事実だ。
この世界において「強さ」は正義であり、ステータスの低い俺は、彼らにとって路傍の石ころ以下の存在なのだ。
(……迷惑かけちゃいけないな)
俺のせいで、アレクセイの評判まで下がるのはまずい。
クライアントの顔に泥を塗るなんて、営業としてあってはならない失態だ。
俺は空気を読んで、そっとアレクセイの肩から降りようとした。
この場は俺がどこかの隙間に隠れて、やり過ごせばいい。そう思ったのだ。
だが。
「――動くな」
アレクセイの低い声が、俺の動きを縫い止めた。
彼は肩に乗った俺を、大きな手でそっと覆うように押さえる。
そして、ゆっくりと酒場の荒くれ者たちへ視線を向けた。
ヒュッ、と。
酒場の空気が、一瞬で凍りついた。
「今、なんと言った?」
静かな問いかけだった。怒鳴ったわけでもない。
だが、そこから放たれるプレッシャー(殺気)は、先日のダンジョンのボスなど比較にならないほど濃密で、禍々しいものだった。
ガタガタ、と近くのテーブルで食器が震える。
「あ、いや、その……アレクセイ様……?」
「俺は聞いたぞ。『ドブネズミ』と」
アレクセイは碧眼を細め、氷点下の眼差しで男たちを射抜いた。
「こいつは、そこらの有象無象とは違う。俺が認め、俺が選び、俺が血を分けた『伴侶』だ」
(……ん? 伴侶? 従魔の訳間違いかな?)
俺の脳内ツッコミなどお構いなしに、勇者の威圧は続く。
「俺の連れを侮辱するということは、俺への宣戦布告と受け取っていいんだな?」
チャリ……。
アレクセイの親指が、腰の剣の鍔を弾いた。
ただそれだけの音で、男たちは顔面蒼白になり、泡を食って後退った。
「ひ、ひいいっ! 冗談です! 酔っ払いの戯言で!」
「し、失礼しましたぁーッ!!」
蜘蛛の子を散らすように逃げ出す男たち。
酒場に静寂が戻る。
アレクセイはフンと鼻を鳴らすと、肩の上の俺を指先で撫でた。
「気にするな、ノワール。雑音が消えただけだ」
その声は、先ほどまでの絶対零度が嘘のように甘やかだった。
俺は呆然と、至近距離にある彼の横顔を見つめた。
守られた。
たかがペットの悪口を言われただけで、勇者が本気で怒ってくれた。
「私の部下に何か文句でも?」と部下を守る上司。
そんな理想の上司像を、まさか異世界の勇者に見ることになるとは。
(……くそっ。ちょっとだけ、格好いいと思ってしまったじゃないか)
俺はごまかすように、彼の手のひらに頭を擦り付けた。
心臓の音がうるさいのは、きっとビビったせいだ。そうに違いない。
◇◇◇
その夜。
俺たちは街一番の高級宿に泊まることになった。
ふかふかのベッド。清潔なシーツ。
本来なら、野宿続きの疲れを癒やす最高の環境のはずだった。
だが、俺は眠れずにいた。
理由は、隣で眠る勇者様だ。
「……っ、うぅ……」
苦しげな呻き声。
アレクセイが脂汗を浮かべ、シーツを握りしめている。
悪夢だ。それも、かなり深刻な。
彼は最強の勇者だ。魔王を倒す使命を背負い、幼い頃から戦いの中に身を置いてきたと聞く。
ゲームのテキストでは「孤高」の一言で済まされていたが、生身の人間として彼を見れば、それがどれほど過酷なことか想像に難くない。
誰にも弱みを見せられず、常に完璧であることを求められ、殺戮を繰り返す日々。
(……この人も、ブラックな環境で戦ってるんだな)
俺は枕元から、彼の顔を覗き込んだ。
昼間の傲岸不遜な態度は消え、今は迷子のような心細い表情をしている。
起こすべきか?
いや、下手な刺激を与えれば、寝ぼけて斬られる可能性がある。
俺にできることは、なんだ。
言葉は話せない。気の利いた慰めも言えない。
今の俺にあるのは、この体温と、柔らかい毛並みだけ。
(……サービス残業だな、これは)
俺は心の中で苦笑すると、そっとアレクセイの首元へ潜り込んだ。
彼の脈打つ頸動脈の近く。
ひんやりとした肌に、俺の体温を押し付ける。
そして、小さな舌で、彼の強張った頬をぺろりと舐めた。
「……!」
ビクリとアレクセイの体が跳ねる。
だが、目は開かない。
俺は繰り返し、彼の頬や額を舐め、前足でトントンと胸を叩いた。
大丈夫だ。ここにいる。誰もあなたを傷つけない。
そんな念を込めながら。
「……ノワール、か?」
やがて、掠れた声が落ちてきた。
アレクセイが薄く目を開けていた。焦点はまだ合っていないようだが、その瞳には安堵の色が浮かんでいる。
「……また、誰もいない夢を見た」
彼は独り言のように呟き、俺の体を抱き寄せた。
強い力ではない。縋るような、弱々しい抱擁。
「皆、俺の力を恐れて離れていく。あるいは、利用しようと群がってくる……」
「キュゥ……(俺は逃げませんよ)」
「お前だけだ。こんな夜に、俺のそばにいてくれるのは」
アレクセイが顔を埋めてくる。
俺の黒い毛並みに、彼の金髪が混ざり合う。
俺は逃げなかった。いや、逃げられなかったと言うべきか。
彼の孤独が、あまりにも痛々しくて、放っておけなかったのだ。
「……温かいな」
彼は深く息を吐き出し、俺を抱き枕のように抱え込んだまま、再びまどろみへと落ちていく。
その寝顔は、先ほどまでとは違い、穏やかなものだった。
俺は勇者の腕の中で、ため息をついた。
完全に「依存」されている。
これはまずい。契約上の主従関係を超えて、精神的な支柱になりつつある。
このままでは、俺がもし死んだりいなくなったりしたら、この最強勇者は暴走するんじゃないだろうか。
(責任重大すぎるだろ……)
けれど。
不思議と嫌ではなかった。
前世では、誰かにここまで必要とされたことなんてなかった。
ただの数字として消費される毎日だった。
でも今は、俺という存在そのものが、この最強の男の安眠を守っている。
(……ま、今は寝かせてやるか)
俺は彼の腕の中で、モゾモゾと位置を調整し、額を彼の胸板に預けた。
ドクン、ドクンという彼のリズムが、妙に心地よい子守唄に聞こえる。
この夜の温もりが、二人の関係を決定的に変えていくことになるとは知らずに。
そして、翌朝目覚めたアレクセイが、俺を抱きしめたまま「昨夜は素晴らしかった……」と意味深な発言をして、宿の従業員に盛大な誤解を与えることになるのだが。
それはまた、別の話だ。
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