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第3章:勇者のパパ疑惑!?伝説の師匠と魔の育児研修
第22話:ドラゴン・スナッチャー(誘拐犯)
しおりを挟む「リスク」というのは、警戒している時にはやってこない。
緊張の糸が解け、「もう大丈夫だ」と安堵したその一瞬の隙を突いて、音もなく忍び寄ってくるものだ。
ガランド師匠との模擬戦から一夜明けた、穏やかな午後。
屋敷は久しぶりに平穏な空気に包まれていた。
「ほれ、リュウ。もっと腰を入れんか。それではブレスの反動に耐えられんぞ」
「あい! じっじ!」
庭では、ガランド師匠がリュウ(エンシェント・ドラゴン幼体)に「ドラゴンの構え」なる謎の体術を教えている。
微笑ましい光景だ。
昨日の「特製筋肉シチュー」が意外にも美味だったことと、模擬戦での俺のプレゼンが効いたのか、ガランド師匠の態度は軟化していた。
まだ「認めた」とは明言していないが、少なくとも俺を見る目に殺気はない。
「平和だな、ノワール」
「ええ、ボス。嵐が過ぎ去って何よりです」
テラスで紅茶を飲みながら、俺とアレクセイは目を細めていた。
このまま師匠がリュウにデレデレになり、なんとなく俺のことも「まあ、孫(リュウ)の世話係としてなら置いてやってもいいか」くらいに思ってくれれば、監査はクリアだ。
そう思っていた。
だが、その油断こそが、最大の敵だったのだ。
◇◇◇
「ふむ。少し休憩にするか」
一時間ほどの特訓を終え、ガランドが汗を拭った。
リュウは元気いっぱいに庭を駆け回っている。
「リュウ、あまり遠くへ行くなよ」
「はーい! ……あ! ちょちょ!」
リュウが何かに気づいて声を上げた。
見ると、庭の植え込みの奥に、珍しい「金色の蝶」が舞っている。
キラキラと輝くその蝶に、好奇心旺盛なリュウが惹きつけられるのは自然なことだった。
「おや、綺麗な蝶じゃな」
ガランドもまた、目を細めてそれを見ていた。
その時。
ガランドの意識が、ほんの一瞬、リュウではなく蝶に向いた。
――ヒュンッ。
風を切る音。
いや、空間が断裂する音だ。
「……!?」
ガランドの長年の勘が警鐘を鳴らし、即座に振り返る。
だが、遅かった。
リュウの足元に、黒い魔法陣が展開されていたのだ。
「キャッ!?」
リュウが驚きの声を上げる。
魔法陣から噴き出した黒い霧が、瞬く間に白いドラゴンの体を包み込む。
「ぬかせぇぇぇッ!!」
ガランドが咆哮し、凄まじい速度で踏み込む。
その手には、瞬時に喚び出した戦鎚(ウォーハンマー)。
彼は魔法陣の発生源――庭の木陰に潜んでいた術者目掛けて、ハンマーを投擲した。
ドゴォォォォン!!
大木がへし折れ、地面がえぐれる。
だが、手応えはない。
霧が晴れた後、そこにはリュウの姿も、敵の姿もなかった。
残されていたのは、地面に落ちたリュウのお気に入りの玩具(ぬいぐるみ)だけ。
「……馬鹿な」
伝説の勇者が、その場に膝をついた。
◇◇◇
「――なんだと!?」
リビングにアレクセイの怒号が響き渡った。
ガランド師匠が戻ってきた。
いつもなら扉を蹴破って入ってくる彼が、今は幽霊のように足取りが重い。
その手には、泥だらけになったリュウのぬいぐるみが握りしめられていた。
「すまん……。わしが、ついていながら……」
ガランドの声は震えていた。
あの傲岸不遜な師匠が、小さく見えた。
「一瞬じゃった。わしが目を離した隙に、転移魔法で……。おそらく、最初から狙って待ち構えておったのじゃ」
プロの犯行だ。
ガランド・ヴォルテックスという最強の護衛がいる中で、真正面から挑めば勝てないことを知っている。
だからこそ、あえて「蝶(使い魔による幻覚)」で気を逸らせ、一瞬の隙を突いて「確保と離脱」のみに特化した罠を仕掛けたのだ。
「……どこのどいつだ……!」
アレクセイから、どす黒い殺気が溢れ出す。
部屋の空気が重くなり、窓ガラスにヒビが入る。
愛する「息子」を奪われた父親の怒りは、活火山のように爆発寸前だ。
「俺が行く。王都中を焼き払ってでも見つけ出す」
「待て、アレクセイ」
ガランドが制止するが、アレクセイは聞く耳を持たない。
「止めないでください師匠! あなたがついていながら、なぜみすみす……!」
言ってしまった。
アレクセイが、尊敬する師匠に対して、初めて露わにした非難の色。
ガランドは何も言い返さず、ただ唇を噛み締め、項垂れた。
「……わしの、責任だ。老いたものよな……。孫のような子一人、守れんとは……」
伝説の勇者の、あまりにも痛々しい敗北宣言。
室内に、重苦しい沈黙が落ちた。
アレクセイも、言い過ぎたと気づいたのか、口を閉ざして拳を震わせている。
最悪の空気だ。
誰も動けない。誰も次の一手を言い出せない。
後悔と、自責と、怒りが空回りしている。
――パンッ!!
乾いた音が響いた。
俺が手を叩いた音だ。
「はい、お通夜ムードはそこまでです」
俺は二人の間に割って入り、腰に手を当てて言い放った。
「落ち込んでいる暇があったら、動きますよ。お二人さん」
「……ノワール?」
「黒ウサギ……貴様、何とも思わんのか。リュウが攫われたんじゃぞ」
ガランドが信じられないものを見る目で俺を見る。
冷たい? そう見えるかもしれない。
でも、ここで俺まで泣き崩れたら、誰がリュウを助けに行くんだ?
「思ってますよ。犯人を八つ裂きにしてやりたいくらいにはね」
俺は努めて冷静に、事務的な口調で続けた。
「ですが、泣いていてもリュウは帰ってきません。これは緊急事態(インシデント)です。最優先事項は『人質の安全確保』と『奪還』。責任の所在を追求するのは、全てが終わってからです」
俺はガランドの前に立ち、彼を見上げた。
「ガランド様。あなたはミスをしました。それは事実です」
ガランドの肩がビクリと震える。
「ですが、ミスをした部下(ここでは祖父だが)がすべきことは、部屋の隅で縮こまって反省文を書くことじゃありません」
「……」
「『リカバリー』です。自分のミスは、自分で取り返す。それが仕事の流儀でしょう?」
元社畜の持論だ。
失敗した社員を責めても、売り上げは戻らない。
必要なのは、「どうやって穴埋めするか」を考え、即座に行動することだ。
「あなたは伝説の勇者だ。その鼻と勘は、まだ錆び付いちゃいないはずだ。犯人の魔力の残滓、逃走経路……追えるのは、現場にいたあなただけです」
俺の言葉に、ガランドがハッと顔を上げた。
その瞳に、消えかけていた闘志の火が宿る。
「……そうじゃな。わしが、このまま引き下がるわけにはいかん」
ガランドが立ち上がる。
その全身から、再び覇気が溢れ出す。
「黒ウサギ……いや、ノワールよ。礼を言う。目が覚めたわ」
「お礼はリュウを取り戻してからにしてください。……ボスも、闇雲に暴れるのは禁止です」
俺はアレクセイに向き直った。
「犯人はおそらく、希少生物の密売を行う闇ギルド『黒い牙』です。昨日の監査の際、森の方角から視線を感じていましたから」
「……気づいていたのか?」
「ええ。ですが、まさか師匠がいる庭に手出ししてくるとは想定外でした。……敵は相当なプロか、命知らずの馬鹿です」
俺はニヤリと笑った。
笑っているが、腸は煮えくり返っている。
俺の大事な新入社員(リュウ)を、金儲けの道具にしようなどと。
絶対に許さない。ブラック企業の人事権限(暴力)を行使してでも、連れ戻す。
「行きますよ。最強の勇者(パパ)と、伝説の師匠(ジジ)と、社畜の魔物(ママ)。……史上最強の奪還チームの結成です」
「……ああ。そうだな」
アレクセイが剣を握り直す。その顔からは焦りが消え、冷徹な戦士の表情に戻っていた。
「行くぞ、師匠、ノワール。……俺たちから家族を奪った愚か者に、絶望を教えてやる」
「おうよ! わしの可愛い孫に指一本でも触れておったら、ミンチにしてくれるわ!」
ガランドがハンマーを担ぎ上げる。
屋敷を出る三つの影。
誘拐犯たちは、まだ知らない。
自分たちが盗んだ「宝」には、世界で最も怒らせてはいけない三人の守護者がついていることを。
そして、その中には、物理最強の二人を操る、もっとも恐ろしい「管理者」がいることを。
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