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2章
第15話:『魂の選択』
しおりを挟む雨上がりの朝。
廃墟の隙間から差し込む光が、レンオリスの頬を優しく撫でた。
目を覚ますと、ゼルフィードが少し離れた場所に立ち、外の景色を眺めていた。
その背中はどこか寂しげで、それでいて、ここで眠るレンオリスを静かに守ってくれていたことが伝わってくる。
「……おはようございます、ゼルフィードさん」
レンオリスが声をかけると、彼はゆっくりと振り返った。
昨夜の冷たい拒絶は鳴りを潜め、諦念と慈愛が混ざり合った、穏やかな瞳をしていた。
「起きたか。……雨は上がった。屋敷の者が探しているだろう、早く帰れ」
それは命令ではなく、レンオリスの身を案じる優しい忠告だった。
レンオリスは、借りていた外套を丁寧に畳みながら、彼に歩み寄った。
「帰ります。……でも、また来てもいいですか?」
ゼルフィードは苦笑した。
「駄目だと言っても、来るのだろう?」
「はい。あなたに会えない時間は、息をしていないのと同じですから」
レンオリスの真っ直ぐな言葉に、ゼルフィードは眩しそうに目を細めた。
記憶がなくても、魂の形が変わらない青年。
ゼルフィードが何かを言いかけた、その時だった。
——フワリ。
風の匂いが変わった。
森のざわめきが止まり、あたりが不思議な静寂に包まれる。
それは恐怖を感じさせるものではなく、まるで図書館にいるような、静謐で理知的な気配だった。
空間が滲み、光の粒子が集束する。
現れたのは、金色の瞳を持つ美しい青年だった。
彼は廃墟の入り口に佇み、腕を組んで二人を見つめていた。その表情には怒りも殺気もなく、ただ純粋な「疑問」が浮かんでいた。
「……解せませんね」
青年の声は、困惑していた。
ゼルフィードが即座に反応し、レンオリスの前に立つ。
「……何しに来た」
ゼルフィードが低く問うと、青年はため息をついた。
「データ確認です。……記憶を消去し、別人格『レンオリス』として再構築したにも関わらず、なぜあなたはまた此処にいるのですか? システム上、あなたがこの森に興味を持つ理由は完全に削除されているはずなのですが」
青年は、本当に不思議そうに首を傾げた。
レンオリスは、ゼルフィードの背中から顔を出した。
「記憶消去」「再構築」——聞き慣れない言葉だ。この青年が何を言っているのか、レンオリスには理解できない。けれど、彼が自分たちの関係に水を差そうとしていることだけは分かった。
「理由なんてありません」
レンオリスはきっぱりと言った。
「ただ、心がここに来たいと叫んだからです。理由がないと、人を愛してはいけませんか?」
「愛、ですか。……不確定な概念ですね」
青年は眉をひそめた。
「ですが困りました。あなたがここに居座り続けると、世界線が安定しません。貴族『レンオリス』としての役割を果たしてもらわなければ、周囲との因果律にズレが生じます」
青年は事務的に告げた。
「やはり、森の主と物理的に距離を取るべきでしょう。この森を封鎖し、あなたを二度と入れないように結界を強化するしか……」
「待ってください」
レンオリスは、青年の言葉を遮って前に出た。
ゼルフィードが「レンオリス、下がるんだ」と止めようとするが、レンオリスは「大丈夫です」と目で合図し、青年——不思議な闖入者に向き直った。
貴族として、理不尽な要求には毅然と立ち向かう。それがレンオリスのやり方だった。
「難しいことは分かりませんが……あなたは、僕たちが一緒にいるのが『間違い』だと言いたいのですか?」
「ええ。本来交わるべきではない存在ですから」
「なら、どうしてこんなに『正しい』と感じるんでしょう」
レンオリスは、自分の胸に手を当てた。
「あの立派な屋敷にいた時、僕は満たされていました。家族もいて、何不自由ない生活でした。……でも、ずっと寒かったんです。胸に穴が空いたみたいに、何かが足りなくて、寂しくてたまらなかった」
レンオリスは、周囲の瓦礫を指差した。
昨日の雨で濡れただけの、冷たい石。枯れた木々。
「そして、この場所もそうです。僕が来るまで、ここはただ寒くて、寂しくて、死んだような場所でした。……これがお望みの『安定』なんですか?」
「……ふむ」
「でも、今はどうですか?」
レンオリスは振り返り、ゼルフィードの手をぎゅっと握った。
冷たい手。でも、繋いだ瞬間、レンオリスの胸に温かい血が巡る。
そして——奇跡が起きた。
二人が触れ合った場所から、ふわりと温かい風が巻き起こり、足元の瓦礫の隙間から小さな緑の芽が一斉に顔を出したのだ。
殺伐としていた森の空気が瞬く間に浄化され、穏やかな光に満ちていく。
青年の金色の瞳が、驚いたように僅かに見開かれるのを、レンオリスは見た。
「僕たちが一緒にいる時だけ、この場所は『楽園』になるんです」
レンオリスは微笑んだ。
「僕の心は温かくなって、彼の寂しさも消える。枯れていた地面に花が咲く。……これが『間違い』なんですか? 僕には、これが一番『あるべき姿』に見えます」
レンオリスは、青年に対して一歩踏み出した。
「あなたが世界の秩序を守る方なら、どうかこの結果を見て判断してください。彼を一人にして世界を凍らせるのと、僕たちを一緒にして花を咲かせるのと……どちらが、世界にとって『良いこと』なのかを」
それは、難しい理屈ではない。
ただ目の前にある真実を提示しただけの、素朴な問いかけだった。
青年は沈黙した。
彼は咲き始めた小さな花を見つめ、何かを計算するように、ぶつぶつと呟いた。
「……二つの魂による相互補完……局所的な環境改善を確認。彼を隔離して虚無を拡散させるリスクよりも、この状態で維持する方が、エネルギー効率が良い……?」
難しい言葉だが、彼がレンオリスの言葉を検討していることは分かった。
「……なるほど」
長い沈黙の後、青年が顔を上げた。
その瞳から、事務的な冷たさが消え、呆れたような、しかしどこか晴れやかな色が宿っていた。
「認めましょう。あなたたちを引き離すコストの方が、遥かに高くつくようだ」
「では……!」
「ええ。干渉を終了します」
青年はあっさりと認めた。
ゼルフィードが拍子抜けしたように瞬きをする。
「いいのか? 俺は世界にとっての異物だぞ」
「異物も、毒にならずに薬になるなら放置します。……ただし」
青年は指を一本立てた。
「条件として、この森を『特区』として隔離します。あなたたちはここで、二人だけで完結した世界を築きなさい。外界への干渉を最小限に抑えること。……それが守られる限り、私は二度と干渉しません」
レンオリスには「特区」の意味はよく分からなかったが、二人が一緒にいることを許されたのだということは理解できた。
「交渉成立ですか?」
レンオリスは満面の笑みで頷いた。
「はい! ありがとうございます!」
「……やれやれ。人間の『愛』とは、本当に厄介ですね」
青年は微かに口角を上げ——それは初めて見せた人間らしい苦笑だった——光の粒子となって薄れていった。
「お幸せに。……今度こそ、永遠に」
その言葉を残し、不思議な青年の気配は完全に消滅した。
森に、本当の朝が訪れる。
小鳥たちがさえずり始め、光が降り注ぐ中、レンオリスはその場にへたり込みそうになった。
「はぁ……き、緊張しました……」
「レンオリス」
ゼルフィードが、慌てて彼を支えた。
その顔は、驚きと、信じられないという喜びで輝いている。
「お前は……本当に、とんでもない奴だ。あんな存在相手に、一歩も引かないなんて」
「だって、必死でしたから。……あなたと離れるくらいなら、神様だって論破してやろうと思って」
レンオリスは悪戯っぽく笑い、ゼルフィードを見上げた。
「ゼルフィードさん。これで、邪魔者はいなくなりました」
レンオリスは、彼の手を両手で包み込んだ。
記憶はない。過去のことも、自分が何者だったのかも、曖昧なままだ。
けれど、目の前にいるこの人が、自分にとって一番大切な存在であることだけは、疑いようのない真実だった。
「僕を、ここで暮らさせてくれませんか? 貴族の名前も、地位も捨てて。……ただの僕として、あなたの隣にいたいんです」
それは、二度目のプロポーズだった。
過去の記憶を取り戻したからではない。今のレンオリスが、自分の意志で、目の前の彼を選び取ったのだ。
ゼルフィードの紫の瞳が潤み、揺れた。
彼はレンオリスを、壊れ物を扱うようにそっと、しかし力強く抱き寄せた。
「……ああ。もちろんだ」
耳元で響く声は、甘く震えていた。
「俺の世界には、お前しかいらない。……もう二度と、離しはしない」
ゼルフィードの腕の中で、レンオリスは幸福に目を閉じた。
廃墟だった場所には、いつの間にか色とりどりの花が咲き乱れている。
記憶をなくした貴公子と、彼に二度愛された森の主。
二人の新しい楽園が、ここからまた始まろうとしていた。
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