【完結済】僕の大切な人はBLゲームの主人公でした。〜モブは主人公の幸せのためなら、この恋も諦められます〜

キノア9g

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第5話:ただ、一緒にいたいだけ

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 春の風が頬を撫でてゆく。どこかで焼き栗の香ばしい匂いが漂い、鼻先をくすぐった。
 朝から賑わう市場のざわめきに紛れながら、俺は小脇にリネンの束を抱え、人の波を縫うように歩く。

 セスに似合いそうな布を探して、何軒も見て回った末にようやく見つけた。
 淡い生成色で、やわらかく、指に吸いつくような手触り。春の陽射しに映えるその布が、彼の肌によく似合う気がして——そう思っただけで、少しだけ胸が弾んだ。

 ——そのときだった。

「……で、最近ずっとあんたの話をしてたんだよ」

 ふいに、聞き慣れた声が耳に届いた。
 振り返らなくてもわかる。セスの声。楽しげな響きが、風に乗って届く。

「リセルくんって、ほんと器用なんだなあ。あの上着、仕立てたのは彼なんだろう?」

「まあな。でも最近なんか様子がおかしくてさ、何考えてんのかわかんねーし。おれのこと、嫌いになったのかとか思ってて」

 俺がセスを嫌いになる?

 ……ダメだ。
 これ以上は、聞いていられない。

 足を速めて通りを抜ける。誰かの背中に紛れ、人波に飲まれるようにして市場の外れまで歩いた。
 腕に抱えた布の重みが妙に熱く、肌にじんわりと汗が滲んでいた。

 胸が、ぎゅうっと締めつけられる。
 息が、うまく吸えなかった。

(……嫌いになんか、なれるわけないじゃないか)

 それだけは、誰よりも、俺がわかってる。


 
 ◇◇◇



 市場の帰り道、寄り道せずにまっすぐ帰ろうとしていたところで、不意に「リセルくん」と呼び止められた。

 振り向くと、王子——ライナルト殿下が、少し息を切らしながら立っていた。

「やはり君だったね。あの角を曲がるところで見かけたような気がして、失礼ながら追いかけてしまった」

 品のある微笑みに、俺は少し面食らった。

「……殿下。こんな通りまで……」

「抜け道はよく覚えているよ。君たちの案内のおかげでね」

 言われてみれば、以前セスと三人で街を案内したとき、確かにこの裏通りも通った。覚えていたらしい。

「それに……君とほんの少しだけ、話がしたくて」

 王子はそう言って、視線を落とした布の束に気づいたのか、微笑みを深めた。

「それは、誰かのための布かい?」

「……はい。友人に、春物のシャツを。彼に似合いそうな色だったので」

「君の目利きは確かだからな。セスは、きっと喜ぶだろうね」

 友人としか伝えなかったのに“セス”という名前が、王子の口から自然に出てくる。
 そのことが少し、胸に引っかかった。

 どうして、そんなに当たり前のようにセスの名を呼ぶのか。
 どうして、そんなに迷いなく、優しく微笑むのか。

 だからだろうか。ふと、口が勝手に動いていた。

「……殿下は、セスのことをどう思っていますか?」

 問うた瞬間、自分の言葉の棘に気づいて、思わず目を伏せる。二人の邪魔なんて、しちゃいけないのに。そんな資格、俺にはないのに。

 けれど王子は、意外にも真面目な顔で少しだけ考え込むと、静かに言葉を紡いだ。

「……とても、眩しい人だと思っているよ」

 その答えに、嘘はないように感じた。
 けれど、俺の知りたいそれ以上のことは語られなかった。

 何かを飲み込んだままの王子の表情に、言葉の続きがあるのかもしれないと思ったが、俺はそれを聞く勇気を持てなかった。

「君は、どう思っているの?セスのこと」

「……誰よりも幸せになって欲しい大切な友人、だと思っています」

 慎重に選んだ言葉だった。だけどそれでも、胸が軋んだ。
 言い終えた瞬間、自分の声が少しだけ震えていたことに気づく。

「……そう。羨ましいな」

 王子は目を伏せて笑った。
 その微笑みに滲んだものが、何だったのかはわからない。

 少しだけ、会話が途切れた。


「ああごめん、……春の風のせいかな。君と話すと、つい時間を忘れてしまいそうになる」

 言葉とは裏腹に、王子の視線はどこか遠く、静かな湖のようだった。
 穏やかで、でも底が見えない。

(……王子も、セスのことが気になっているんだろうな)

 モヤモヤする気持ちを、胸の奥へ押し込める。
 答えを探すより、逃げ出す方がずっと簡単だった。

「……では、これで。縫うものがあるので」

 深くは踏み込まれないように、礼を取る。
 王子は名残惜しそうに手を振り、俺もそれ以上の言葉を交わすことなく背を向けた。

 
 あとに残った春風が、妙に胸に沁みた。


 ◇◇◇


 家まで、あと数歩。
 石畳の角を曲がったその瞬間——

「おい、リセル!」

 呼び止める声に、心臓が跳ねた。

 次の瞬間には、セスが俺の腕を掴んでいた。
 少し強くて、でも決して乱暴ではない、まっすぐな力。

「お前、なんで最近、俺のこと避けんだよ!」

 ……来てしまった。
 向き合うことから逃げていた問いが、とうとう、目の前に差し出される。

 セスの視線に、喉が詰まった。
 目を合わせられないのは、俺の弱さだ。

「……避けてなんか、ないよ」

「嘘つけ。目も全っっ然合わせねーし、今日だって近くにいたの気づいてたくせに逃げただろ。俺、見てたんだからな。声ぐらいかけろよ。あ、まさか、俺が王子サマと話してるのが嫌だったとか?」

「っ……そうじゃない。そうじゃ、ないんだ……」

 胸の奥がきしむ。
 言葉にすれば壊れてしまいそうで、唇が震えた。

(……本当はただ、一緒にいたい。そばにいたい。笑ってほしい。触れたい。でも、それが叶わない未来を知ってるから。俺は、この気持ちに蓋をするしかない)

「……セスが、大切だからだよ」

 それは、ひとりでに漏れた言葉。
 風にさらわれるほど、小さな声。

 セスが、ほんの一瞬だけ、目を伏せた。

「……何だって?」

「……なんでもない。……ごめん。帰るね」

 そっと手を振りほどいて、背を向ける。

 走り出した背中の奥で、何度も涙がこみあげた。
 こぼれるのを堪えて、うつむいたまま黙って歩いた。

 
 ◇◇◇
 

 夜の部屋。机の上には、広げられた縫いかけのシャツ。

 選んだのは、春風みたいにやさしい白。
 王子みたいに華やかじゃないけれど、日差しの中できっと映える。

 指先で布を撫でながら、ぽつりとこぼす。

「最後に、もう一着だけ作らせて……お願いだから、それくらいは、許して」

 誰に向けた言葉かも、わからない。
 けれど、縫い針を手に取ったとき、ぽたりと涙が糸の上に落ちた。

 止めようとしても、止められなかった。
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