【16話完結】あの日、王子の隣を去った俺は、いまもあなたを想っている

キノア9g

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第7話:暮らしの灯を灯して

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 王都での手続きを終えたアッシュは、自分の新たな拠点へと足を向けた。旧市街の東、少し寂れた通りに佇む、こぢんまりとした一軒家。三年ものあいだ流浪の身だった彼にとって、ようやく手に入れた「帰る場所」だった。

 土地の契約を済ませたのは、前回の護衛任務のすぐあとだ。ひと息つく間もなく建築を決め、怪我で療養に入っていたころには、すでに工事が始まっていた。間取りは簡素で実用的。冒険者としての暮らしに必要な機能だけを備えた、小さな住まいだった。

 そして今、すべてが整ったその家の扉を前に、アッシュの足取りはどこか重かった。

 扉を開けた瞬間、真新しい木の香りが鼻先をくすぐった。家具や日用品は最低限のみ。ギルドを通じて手配したベッドにテーブル、小さな棚があるだけ。どれも質素だが、ひとりで暮らしていくには充分だった。

 窓から差し込む午後の光が、部屋の隅々までをやわらかく照らしていた。ここが、アッシュの“終の棲家”になるはずだった。旅を終え、誰にも干渉されず、静かに過ごす日々。そうやって、自分はこの先を生きていくのだと、そう思っていた。

 ――あの日までは。

 カイルの告白。そして、彼の「誓い」。

 自分に会うために、王位継承権まで手放したその決意が、アッシュの心に深く響いていた。

 本当に、この場所で独りで生きていけるのだろうか。カイルのいない生活に、また耐えられるのだろうか。

 その夕暮れ時、扉がノックされた。

 アッシュが戸口へ向かい、扉を開けると、そこにはカイルが立っていた。いつもの簡素な装束のまま。だがその手には、小さな包みを抱えている。どこか落ち着かない様子だった。

「……来て、くれたんですね」

 思ったよりも、声が震えていた。

「ああ。邪魔かと思ったが、どうしても来たかった」

 カイルはそう言って、アッシュが差し出した手から包みを受け取った。中には、焼きたてのパンと、簡素な惣菜が詰められていた。

「……どうぞ、入ってください」

 戸惑いながらも、アッシュは部屋へとカイルを招き入れた。

 カイルは、静かに部屋の中を見渡した。

「ずいぶんと質素だな。……だが、アッシュらしい」

 そう言って微笑んだ顔には、どこか懐かしさがにじんでいた。

 二人はテーブルを挟み、向かい合った。

 他愛もない会話が続いた。カイルは、王都に戻ってからの特別調査官としての仕事について、楽しげに語った。アッシュは、新居での暮らしぶりを、端的に答えた。

 言葉が途切れることもあったが、気まずさはなかった。むしろ、その静けさが心地よくさえあった。

 パンをかじりながら、アッシュは迷っていた。

 カイルの隣にいることは、もはや自分の立場を脅かすものではない。彼は、王族としての束縛を捨て、自由になった。アッシュがこの地に築いた拠点もまた、己の選んだ静かな終着点だった。

 ――この家で、一人で生きていくつもりだった。

 だが、カイルの言葉が、再び心を揺らす。

「違うからこそ、一緒にいたいと思う。それが間違いかどうかは……これから、二人で確かめよう」

 もし、カイルがこの家にいたら。

 もし、この場所で、彼と共に暮らす未来があるとしたら。

「……この家の、ひと部屋は空けてあります」

 ぽつりと、アッシュは呟いた。

 それは、彼なりの精一杯の告白だった。

 カイルは一瞬、目を見開いた。次の瞬間、その瞳に驚きと、そして深い喜びの色が宿ったのを、アッシュは見た。

 カイルは何も言わず、ゆっくりと立ち上がると、テーブルの上に置かれたランプに手を伸ばした。

 そして、焔の魔法で、ランプに灯りをともした。

 ふっと、オレンジ色のあたたかな光が部屋を満たしてゆく。

 それは、アッシュがこの三年間、心の奥底で求めていた「温もり」そのものだった。

 カイルはランプを元の場所に戻すと、アッシュの隣に腰を下ろした。

 二人の間に、わずかな隙間があった。

 けれど、その距離は、もう以前とは比べ物にならないほど近かった。

 カイルは、そっとアッシュの肩に頭を預けた。

 そのぬくもりと、首筋にかかる吐息に、アッシュは小さく震えた。

 もう、拒む理由はなかった。

 もう、一人で耐える必要もなかった。

「……もう離れないって、今度こそ信じていい?」

 カイルの声が、耳元でかすかに揺れた。

 その声は、不安と、切実な願いに満ちていた。

 アッシュは、言葉にならない想いを込めて、静かに頷いた。

 カイルは顔をアッシュの肩にうずめたまま、深く、安堵の息をついた。

 暖かなランプの光が、二人の静かな誓いを、優しく照らしていた。

 この家で、二人の新たな暮らしの灯が──今、確かにともされたのだった。
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