「自由に生きていい」と言われたので冒険者になりましたが、なぜか旦那様が激怒して連れ戻しに来ました。

キノア9g

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第3章 俺たちは『公務』じゃなくて、『新婚旅行(ハネムーン)』がしたい

第18話:銀世界への旅路


 王都を出発して数日。
 俺たちを乗せた特注の馬車は、順調に街道を北上していた。

「……うわぁ、すっげぇ」

 俺、ルシアンは窓にへばりつき、ガラスの向こうに広がる景色に見入っていた。
 つい昨日までは鮮やかな紅葉が見えていたのに、大きな峠を一つ越えた途端、世界は一変していた。
 見渡す限りの銀世界。
 針葉樹の森は分厚い雪化粧をまとい、大地は白一色に染め上げられている。空からは絶え間なく白い欠片が舞い落ち、視界を白く霞ませていた。

「ここが『白銀領』の入り口か……」
「ああ。ここからは私の魔力が強く作用する領域だ。気温も王都とは比べ物にならないほど下がるぞ」

 向かいの席で書類に目を通していたオルドリンが、顔を上げて答えた。
 外は極寒の吹雪だが、この馬車の中は魔法の結界のおかげで春のように暖かい。
 半袖でもいけるくらいだが、さすがに雰囲気を出すためにカーディガンを羽織っている。

「寒くないか、ルシアン」
「全然。快適すぎて眠くなるくらい」
「ならいい。……だが、油断はするなよ。ここの寒さは『魔力寒冷』といって、肌ではなく魂を凍らせる性質がある」

 彼は真面目な顔で、少し脅すようなことを言った。

「抵抗力のない人間なら、数分で意識を失うレベルだ。……だから、もっと私にくっついていた方が安全だぞ?」
「……それ、半分は口実だろ」
「バレたか。……だが、温かいココアでも淹れようか?」
「お、いいね。飲みたい」

 オルドリンは指先を軽く振った。
 すると、簡易キッチンからポットが浮き上がり、勝手にカップにココアを注ぎ始めた。
 生活魔法のスキルが高すぎる。
 彼は出来上がったココアを俺に手渡し、自分は優雅に紅茶を啜った。

「しかし、よく揺れないな。外の道、雪でガタガタだろ?」
「ソリの下部に『氷滑り(アイス・スライド)』の術式を組み込んである。雪の上を滑るように走っているから、振動はほぼない」
「へぇ~、便利だな! だからこんなに快適なのか」

 俺は感心してココアを飲んだ。
 甘い。そして温かい。
 過酷な環境への遠征のはずなのに、まるで貴族のピクニックだ。
 最強の魔法使いが旦那だと、旅の難易度がイージーモードすぎる。

 窓の外では、吹き荒れる雪が結界に弾かれ、パチパチと小さな音を立てている。
 この絶対的な守られている感。
 俺はソファに深く沈み込み、幸せなため息をついた。

 ――と、思っていた矢先だった。

「――ッ!?」

 不意に、馬車がガクリと速度を落とした。
 同時に、御者台から緊張した声が響いてきた。

「だ、旦那様! 魔物です!」
「魔物?」

 俺は窓の外を覗き込んだ。
 吹雪の向こうに、白い影がいくつも動いている。
 狼だ。
 でも、ただの狼じゃない。体長が2メートル近くある巨大な白狼。
 『スノーウルフ』の群れだ。

「げっ、結構な数だぞ……二十、いや三十はいる!」

 俺はココアを置き、腰の短剣(護身用)に手をかけた。
 スノーウルフは集団狩りを得意とする魔物だ。しかもこの場所は、奴らのホームグラウンド。
 視界が悪い吹雪の中、白い毛皮を持つ奴らを視認するのは困難だ。

 ガリガリッ! ドンッ!

 不快な音が響く。
 狼たちが結界に体当たりし、鋭い爪で魔力の壁を削ろうとしているのだ。

「囲まれたか……! 結界、保つか!?」
「心配ない」

 俺が立ち上がろうとした瞬間、静かな、しかし有無を言わせない声が制した。
 オルドリンだ。
 彼は紅茶のカップをソーサーに置き、ゆっくりと足を組んだ。
 その瞳から、いつもの「甘い熱」が消えている。

「オルドリン、俺出るよ! 風魔法で散らせば――」
「座っていてくれ」

 彼は俺を見なかった。
 ただ、窓の外に群がる白い獣たちを、ゴミを見るような冷ややかな目で見下ろした。

「え……?」
「君が出るまでもない。……私の庭(テリトリー)で、よくもまあ騒々しく吠えるものだ」

 彼の周囲の空気が変わる。
 冷たい。物理的な温度ではなく、彼から発せられるプレッシャーが、空気を凍りつかせているのだ。

 バキッ、ミシミシッ……!

 結界の軋む音が大きくなる。狼たちの攻撃が激化している。

「オルドリン、来るぞ!」
「……この馬車を襲うなど、身の程知らずが」

 彼は吐き捨てるように呟き、スッと右手を上げた。
 そして、パチン、と指を鳴らした。

「凍れ(フリーズ)」

 たった一言。
 詠唱も、杖も、構えすらなく。

 次の瞬間。
 世界から「音」が消えた。

 風の音も、狼の遠吠えも、爪が結界を引っ掻く音も。
 全てが唐突に途絶えたのだ。

「……へ?」

 俺は恐る恐る窓の外を見た。
 そして、息を呑んだ。
 そこには、恐ろしいほど美しい光景が広がっていた。

 襲いかかってこようとしていたスノーウルフたちが、空中で静止していたのだ。
 飛びかかった姿勢のまま。牙を剥いた表情のまま。
 その全身が、透き通るような青い氷に覆われている。

 氷像だ。
 三十頭近い魔物の群れが、一瞬にして精巧な「氷の彫刻」へと変えられていた。
 キラキラとダイヤモンドダストが舞う中、芸術品のように並ぶ氷の狼たち。
 血の一滴すら流れていない。
 ただ、圧倒的な「静寂」だけがそこにあった。

「……御者よ、出せ。邪魔なものは排除した」

 オルドリンが淡々と告げると、御者が「は、はいぃっ!」と裏返った声で返事をした。
 馬車が再び動き出す。
 通り過ぎざまに見えた氷像たちは、ピクリとも動かない。完全に、生命活動ごと凍結されている。

「……すっげぇ……」

 俺は窓に張り付いたまま、呟いた。
 これが、氷の伯爵。
 俺と連携して戦っていた時の彼は、俺に合わせて手加減をしてくれていたのだと、まざまざと見せつけられた気分だった。
 本気を出せば、動くことすら必要ない。
 視界に入った全てのものを、意のままに凍らせる。
 それが「絶対強者」の戦い方。

「……怖がらせてしまったか?」

 不意に、申し訳なさそうな声が聞こえた。
 振り返ると、オルドリンが不安げな顔で俺を見ていた。
 さっきまでの冷徹な魔王はどこへやら、いつもの「俺大好き旦那様」に戻っている。

「君の前で、あまり乱暴な真似はしたくなかったのだが……。つい、楽しい二人の時間を邪魔されて腹が立った」

 彼はシュンとして目を伏せた。
 俺がドン引きしていると思ったのだろうか。
 とんでもない。

「いや……あのさ、オルドリン」
「な、なんだ? 嫌いにならないでくれ……」
「めちゃくちゃカッコいいじゃん!!!」

 俺は身を乗り出して叫んだ。

「なにあれ!? 指パッチン一つで全滅!? しかも氷像にするって、どんだけ魔力制御上手いの!? 魔法陣も見えなかったぞ!?」
「え……?」
「俺、鳥肌立ったわ! さすが世界最強! やっぱ俺の旦那様は格が違うな!」

 俺が興奮してまくし立てると、オルドリンは目を丸くし、それから頬を染めた。

「……そ、そうか? 君にそう言ってもらえると……嬉しいが」
「マジで感動した! 俺もあんな風になりたい! ……無理だけど!」

 俺は笑って、再び窓の外を見た。
 遠ざかる氷の彫刻たちが、太陽の光を受けて輝いている。
 恐ろしい光景のはずなのに、俺にはそれが、彼が俺を守ってくれた証のように思えて誇らしかった。

「……ふふ」

 オルドリンが小さく笑う声がした。

「君は……。普通なら恐怖するところを、目を輝かせて褒めてくれるのだな」
「だって、俺の味方だろ? 頼もしいに決まってる」
「……ああ。君の味方だ。この力は、全て君を守るためにある」

 彼は再び優雅に紅茶を口にしたが、その耳が赤いのは隠せていない。
 仕事モードの冷徹さと、俺に見せる甘さ。
 このギャップを独り占めできるなんて、役得以外の何物でもないな。

 そうこうしているうちに、前方に巨大な影が見えてきた。
 氷の壁に囲まれた、白亜の都市。
 目的地である『白銀領』の領都だ。

 城門の前には、すでに衛兵たちが整列していたが、彼らは一様に青ざめた顔で、街道の彼方を見ていた。
 おそらく、街道沿いに並ぶ三十体の「新たな氷像」を目撃したのだろう。

「……ご、ご到着、お待ちしておりました! クライス伯爵閣下!」

 震える声で敬礼する衛兵たち。
 オルドリンは窓から軽く手を振り、涼しい顔で通過した。

「着いたぞ、ルシアン。あれが私のもう一つの拠点だ」
「おおっ、でけぇ……! 全部氷でできてるみたいだ」
「歓迎しよう。……ようこそ、極寒の楽園へ」

 馬車が城門をくぐる。
 いよいよ、仕事と冒険の本番が始まる。
 俺は高鳴る胸を押さえ、隣の最強の相棒に笑いかけた。

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