49 / 57
第7章 俺たちは『呪われた生贄』じゃなくて、『里帰り』がしたい
第49話:愛の100本ノック(逆)と、実家からの果たし状
しおりを挟む「――その四十二。羽ペンを走らせる際、ふとした瞬間に小指が少しだけ浮く癖。その角度が計算されたものではなく、無意識の愛らしさを醸し出しており、私の理性を静かに削り取っていく」
重厚な執務室に、朗々とした美声が響き渡る。
まるで王国の英雄譚を語るかのような荘厳な響きだが、語っている内容はただの「俺の観察日記」だ。
「……っ、もう、マジで勘弁してくれよ……!」
俺、ルシアンは山積みになった書類に顔を埋めるようにして呻いた。
耳が熱い。いや、耳だけじゃない。首筋から頬にかけて、カッと火がついたように熱くなっているのが自分でもわかる。
目の前には、優雅にソファに腰掛け、俺を熱っぽい瞳で見つめる旦那様――氷の伯爵ことオルドリンがいる。
彼は満足げに目を細め、頬杖をついてこちらを見ていた。
「なんだ? まだ途中だぞ。あと五十八個残っている」
「だから、仕事に集中できないんだってば……! 内容が恥ずかしすぎて、数字が頭に入ってこないんだよ!」
「ふむ。恥じらう君もまた絶品だ。……その四十三。照れると耳まで赤く染まり、視線を彷徨わせるその仕草。私の庇護欲と、それとは真逆の『いじめたい欲求』を同時に刺激する」
「うわぁぁぁ! もうやめろ! 聞かないからな!!」
俺はバッと書類で顔を隠した。
南の島でのバカンス。
そして、帰宅直後に開催した伝説の「クラーケン大食いフェスティバル(兼・誤解解消パーティー)」。
あれは大成功だった。王都中に広まっていた「呪いの館」という噂は消え去り、今やクライス家は「美味いものを食わせてくれる気前のいい家」として庶民からの好感度が爆上がりしている。
そのパーティーの夜。
俺が彼に伝えた「好きなところ」のお返しにと、旦那様は今朝からずっとこの調子なのだ。
いくら耐性のできた俺だって、限度というものがある。
「ルシアン。顔を隠さないでくれ。君の表情の変化を目に焼き付けることができないではないか」
「焼き付けなくていい! ……アンタ、仕事は進んでるのかよ」
「安心してくれ。口と手は別の生き物のように動かしている」
見れば、オルドリンの手元では、複数の羽ペンが魔法で浮遊し、猛烈なスピードで書類にサインをし続けている。
高速処理魔法を並列起動しながら、口では俺への愛を囁く。
このハイスペックさを、なぜもっと違う方向に使えないのか。
「……なぁ、オルドリン。本当にあと五十個も言うつもりか?」
「当然だ。君がくれた言葉以上の愛を返さなければ、私のプライドが許さない」
オルドリンはふわりと立ち上がると、机越しに身を乗り出し、書類で隠した俺の手首を優しく掴んで退けた。
至近距離で、アイスブルーの瞳が絡みつく。
「……それに。君が赤くなって動揺する姿を見るのが、今の私にとって一番の娯楽(デザート)だからな」
「……ッ! アンタちょっと性格悪くなっただろ!」
「ふふ、愛ゆえだ」
チュッ、と俺の指先にキスが落とされる。
心臓がドクリと跳ねた。
この旦那様の不意打ちの攻撃力には未だに慣れない。
俺がまた顔を赤くして俯くと、彼は楽しそうに喉を鳴らして笑った。
まあ、平和だ。
命がけの冒険も、誤解による殺伐とした空気もない。
ただ仕事に追われ、旦那様の重たくて甘い愛に翻弄される日々。
これを幸せと呼ぶのだろう。
……そう思っていた、その時だった。
コンコン。
控えめだが、どこか切迫したノックの音が響いた。
甘い空気が一瞬で霧散する。
「入れ」
「失礼いたします」
入ってきたのは、老執事のセバスチャンだ。
普段は鉄壁のポーカーフェイスを誇る彼が、今日は珍しく眉間にシワを寄せ、困り果てたような顔をしている。
その手には、分厚い手紙の束が載せられた銀盆があった。
「どうしたセバスチャン。おやつの時間にはまだ早いが」
「いえ、旦那様。……至福の愛の語らいの最中、大変申し上げにくいのですが」
セバスチャンは俺とオルドリンを交互に見ると、意を決したように言った。
「ヴァーデル子爵家より……書簡が届いております」
「ヴァーデル?」
俺は首を傾げた。
聞き覚えがあるような、ないような。
……いや、あるに決まっている。
俺の実家だ。
「実家から? 珍しいな。今まで向こうから連絡なんて来たことなかったのに」
俺は貴族の次男坊だ。厄介払いされるように政略結婚でクライス家に嫁いできた身だから、実家とは「便りがないのは良い便り」という冷めた関係だったはずだ。
「それが……ただの書簡ではないのです」
セバスチャンは銀盆を差し出した。
そこに乗っていたのは、赤い封蝋で厳重に封印された封筒。
しかも、封筒の表には、震えるほど達筆な文字でこう書かれていた。
『邪悪なる氷の魔王への、最後通告』
「……果たし状?」
俺とオルドリンは顔を見合わせた。
「なんだこれは。魔王? 私のことか?」
「他に誰がいるんだよ。……ちょっと貸して」
俺は封筒を手に取った。ずしりと重い。怨念がこもっているようだ。
ペリペリと封を開け、中身を取り出す。
差出人は――
『ヴァーデル子爵家当主代行、ファビアン・ヴァーデル』
うげっ。
苦手な、長兄のファビアン兄さんだ。
真面目で、堅物で、顔が怖くて、口を開けば説教しかしないあの兄貴。
「……読んでみるぞ」
俺は恐る恐る手紙を読み上げた。
『拝啓、クライス伯爵オルドリン殿。
あるいは、人の皮を被った氷結の悪魔よ』
「出だしから不穏すぎる」
「失礼な。私は悪魔ではない、愛の伝道師だ」
「黙ってて。続き読むから」
『我が愛すべき愚弟、ルシアンを即刻解放せよ。
風の噂、および貴殿より送りつけられた「呪詛の遺物(クラーケンの肉)」により、我々は全てを悟った』
……ん?
呪詛の遺物?
あ、もしかして。
『先月、我が家に届いた黒き氷塊。あれは「邪神の封印石」か、あるいは魔の者の一部か。
貴殿の添え状にはこうあったな。
「妻と共に楽しんだ味を共有する。心して食せ(次は貴様らの番だ)」と』
「誤解が! 王都と同じ誤解が地方に遅れて届いてる!」
俺は叫んだ。
そういえば、「お裾分け作戦」の時、セバスチャンに勧められて実家にも送ったんだった。
王都ではパーティーを開いて誤解を解いたが、遠く離れた実家には、あの「脅迫状(挨拶状)」と「黒い氷」だけが届き、そのまま放置されていたのだ。
しかも、王都の噂話――「伯爵夫人は全身の皮を剥がれて監禁されている」という話も、尾ひれがついて伝わってしまっているらしい。
『王都からの商人より聞いたぞ。
ルシアンは全身の皮を剥がされ、赤く爛れた姿で座敷牢に繋がれていると!』
「それ! それも解決したやつ!」
日焼けで皮がむけた件だ。
オルドリンが「日焼け」を「皮膚の剥離」と大袈裟に説明して回ったせいで広まった噂が、伝言ゲームで最悪の形に進化して実家に伝わっている。
『母上は、その凶報を聞いて以来、心労のあまり寝込んでしまわれた。「あの子が……あんなに元気だったルシアンが、生きたまま皮を……!」と、うわ言のように繰り返しておられる』
「母さん!!」
俺は頭を抱えた。
あの心配性でネガティブな母さんが、そんな話を聞いたらショック死しかねない。
『父上も、口には出さぬが、夜な夜なルシアンの幼き日の肖像画を眺めてはため息をついておられる』
「親父……!」
脳裏に、実家の家族たちの顔が浮かぶ。
頑固な父、心配性の母、口うるさい兄。
彼らが、俺の「不幸」を嘆いて絶望している姿が鮮明に想像できてしまった。
……そういえば。
俺、結婚してから一度も、まともに実家に手紙を出していなかった。
最初は「どうせ政略結婚の捨て駒だし」と腐っていたし、冒険者デビューしてソロ冒険に明け暮れ、オルドリンと心が通じ合ってからは、毎週の冒険やイチャイチャに忙殺されて、実家のことなんてすっかり頭から抜け落ちていた。
そこへ来ての、この突然の「呪物(イカ)」と「監禁の噂」だ。
家族がパニックになるのも無理はない。
『もはや猶予はない。
我らヴァーデル家は、貴殿の強大な魔力の前には無力かもしれぬ。
だが、家族を傷つけられた怒りは魔力をも凌駕する!
私は領内の有志を募り、奪還隊を結成した。
近日中に貴殿の屋敷へ向かう。弟は絶対に返してもらう!
首を洗って待っていろ!』
バァァァン!!
俺は手紙を机に叩きつけた。
「ヤバい! 完全に開戦直前じゃん!」
「ふむ……。随分と威勢のいい義兄上だな」
オルドリンは冷ややかに目を細めた。
その周囲の温度が、スッと下がる。
彼の背後に、不穏な氷の結晶がパキパキと浮かび上がり始めた。
「私のことを悪魔呼ばわりし、あまつさえルシアンの『奪還』などと……。教育が必要かもしれんな。返り討ちにして、氷像のコレクションに加えてやろうか」
「やめて! 俺の家族だから!」
俺は慌てて旦那様の腕にしがみついた。
この人、放っておくと本当に「敵対勢力=殲滅」のロジックで動きかねない。
「でも、どうするこれ……。近日中に来るって……もう出発してるかもしれないぞ」
「放っておけばいい。我が家の防衛システムは完璧だ。農民の鍬(くわ)ごときで破れる結界ではない」
「そうじゃなくて! 家族と戦いたくないんだよ!」
俺は頭を抱えた。
このままでは、兄貴たちは屋敷にたどり着く前に、オルドリンの自動迎撃魔法で消し炭にされるか、よくて氷漬けにされてしまう。
それだけは避けなければならない。
「……俺のせいだ」
俺はガックリと項垂れた。
母さんが倒れたのも、兄貴がキレたのも、全部俺の不精が招いた種だ。
俺がちゃんと「幸せだよ」って伝えていれば、こんなことにはならなかったのに。
「……ルシアン」
オルドリンが、そっと俺の肩に手を置いた。
「自分を責めるな。悪いのは、誤解を招くような梱包をした私の不徳だ」
「オルドリン……」
「それに、考えようによっては好機だ」
彼はニヤリと不敵に笑った。
「義兄上たちは、私が君を虐げていると勘違いしているのだろう? ならば、実際に見せてやればいい。私たちがどれほど愛し合い、君がどれほど健康で、つやつやのピチピチであるかを」
「言い方はあれだけど、その通りだ!」
俺は顔を上げた。
ここで手紙を書いても、もう手遅れだ。「脅されて書かされている」と思われるのがオチだろう。
直接行って、元気な姿を見せるしかない。
「俺……実家に帰るよ」
俺は決意を込めて言った。
今から馬車で向かったら、街道ですれ違ってしまうかもしれない。だったら――。
「オルドリン、頼みがある。アンタの使い魔で、先に実家へ『俺がそっちに行くから動くな』って伝言を飛ばしてくれ! 今すぐに!」
「ふむ、わかった。最速で届けよう」
……待っててくれよ、兄貴、母さん。俺は呪われてもいないし、皮も剥がれてないから!
385
あなたにおすすめの小説
ブラコンすぎて面倒な男を演じていた平凡兄、やめたら押し倒されました
あと
BL
「お兄ちゃん!一肌脱ぎます!」
完璧公爵跡取り息子許嫁攻め×ブラコン兄鈍感受け
可愛い弟と攻めの幸せのために、平凡なのに面倒な男を演じることにした受け。毎日の告白、束縛発言などを繰り広げ、上手くいきそうになったため、やめたら、なんと…?
攻め:ヴィクター・ローレンツ
受け:リアム・グレイソン
弟:リチャード・グレイソン
pixivにも投稿しています。
ひよったら消します。
誤字脱字はサイレント修正します。
また、内容もサイレント修正する時もあります。
定期的にタグも整理します。
批判・中傷コメントはお控えください。
見つけ次第削除いたします。
【16話完結】あの日、王子の隣を去った俺は、いまもあなたを想っている
キノア9g
BL
かつて、誰よりも大切だった人と別れた――それが、すべての始まりだった。
今はただ、冒険者として任務をこなす日々。けれどある日、思いがけず「彼」と再び顔を合わせることになる。
魔法と剣が支配するリオセルト大陸。
平和を取り戻しつつあるこの世界で、心に火種を抱えたふたりが、交差する。
過去を捨てたはずの男と、捨てきれなかった男。
すれ違った時間の中に、まだ消えていない想いがある。
――これは、「終わったはずの恋」に、もう一度立ち向かう物語。
切なくも温かい、“再会”から始まるファンタジーBL。
お題『復縁/元恋人と3年後に再会/主人公は冒険者/身を引いた形』設定担当AI /チャッピー
AI比較企画作品
婚約者の王子様に愛人がいるらしいが、ペットを探すのに忙しいので放っておいてくれ。
フジミサヤ
BL
「君を愛することはできない」
可愛らしい平民の愛人を膝の上に抱え上げたこの国の第二王子サミュエルに宣言され、王子の婚約者だった公爵令息ノア・オルコットは、傷心のあまり学園を飛び出してしまった……というのが学園の生徒たちの認識である。
だがノアの本当の目的は、行方不明の自分のペット(魔王の側近だったらしい)の捜索だった。通りすがりの魔族に道を尋ねて目的地へ向かう途中、ノアは完璧な変装をしていたにも関わらず、何故かノアを追ってきたらしい王子サミュエルに捕まってしまう。
◇拙作「僕が勇者に殺された件。」に出てきたノアの話ですが、一応単体でも読めます。
◇テキトー設定。細かいツッコミはご容赦ください。見切り発車なので不定期更新となります。
悪役の僕 何故か愛される
いもち
BL
BLゲーム『恋と魔法と君と』に登場する悪役 セイン・ゴースティ
王子の魔力暴走によって火傷を負った直後に自身が悪役であったことを思い出す。
悪役にならないよう、攻略対象の王子や義弟に近寄らないようにしていたが、逆に構われてしまう。
そしてついにゲーム本編に突入してしまうが、主人公や他の攻略対象の様子もおかしくて…
ファンタジーラブコメBL
不定期更新
英雄の溺愛と執着
AzureHaru
BL
転生した世界は前世でどハマりしたBLゲーム。最推しは攻略対象!ではなく、攻略対象達の剣術の師匠である、英雄の将軍閣下。メチャクチャイケオジでドストライクだった主人公はこのイケオジみたさにゲームをやっていた。その為に、ゲームの内容など微塵も覚えていなかった。
転生したからには将軍閣下を生でみないとというファン根性で付きまとう。
付き纏われていることに気づいていた将軍だか、自分に向けられる視線が他とは違う純粋な好意しかなかったため、戸惑いながらも心地よく感じていた。
あの時までは‥。
主人公は気づいていなかったが、自分達にかけらも興味を持たないことに攻略対象者達は興味をそそられ、次第に執着していく。そのことにいち早く気づいたのは剣術指南役の将軍のみ。将軍はその光景をみて、自分の中に徐々に独占欲が芽生えていくのを感じた。
そして戸惑う、自分と主人公は親子ほどに歳が離れているのにこの感情はなんなのだと。
そして、将軍が自分の気持ちを認めた時、壮絶な溺愛、執着がはじまる。
【本編完結】落ちた先の異世界で番と言われてもわかりません
ミミナガ
BL
この世界では落ち人(おちびと)と呼ばれる異世界人がたまに現れるが、特に珍しくもない存在だった。
14歳のイオは家族が留守中に高熱を出してそのまま永眠し、気が付くとこの世界に転生していた。そして冒険者ギルドのギルドマスターに拾われ生活する術を教わった。
それから5年、Cランク冒険者として採取を専門に細々と生計を立てていた。
ある日Sランク冒険者のオオカミ獣人と出会い、猛アピールをされる。その上自分のことを「番」だと言うのだが、人族であるイオには番の感覚がわからないので戸惑うばかり。
使命も役割もチートもない異世界転生で健気に生きていく自己肯定感低めの真面目な青年と、甘やかしてくれるハイスペック年上オオカミ獣人の話です。
ベッタベタの王道異世界転生BLを目指しました。
本編完結。番外編は不定期更新です。R-15は保険。
コメント欄に関しまして、ネタバレ配慮は特にしていませんのでネタバレ厳禁の方はご注意下さい。
BLR15【完結】ある日指輪を拾ったら、国を救った英雄の強面騎士団長と一緒に暮らすことになりました
厘
BL
ナルン王国の下町に暮らす ルカ。
この国は一部の人だけに使える魔法が神様から贈られる。ルカはその一人で武器や防具、アクセサリーに『加護』を付けて売って生活をしていた。
ある日、配達の為に下町を歩いていたら指輪が落ちていた。見覚えのある指輪だったので届けに行くと…。
国を救った英雄(強面の可愛い物好き)と出生に秘密ありの痩せた青年のお話。
☆英雄騎士 現在28歳
ルカ 現在18歳
☆第11回BL小説大賞 21位
皆様のおかげで、奨励賞をいただきました。ありがとう御座いました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる