【8話完結】魔王討伐より、不機嫌なキミを宥める方が難易度「SSS」なんだが。

キノア9g

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第3話:異世界流「察して」の極致


 時計の針が夜の八刻を回った。
 窓の外はすでに漆黒の闇だが、我が家のリビングはそれ以上に暗く、そして重苦しい。

 言われた通り、戦場での水浴びのような素早さで風呂を済ませてリビングに戻ると、一度は寝室へ消えたはずのエルヴィンが、いつの間にかソファに鎮座していた。彼がページをめくる音だけが、俺の死刑執行を告げるカウントダウンのように静寂に響いていた。

 そんな絶望的な空気の中、俺の腹の虫がこの状況を顧みず勇ましく進軍の合図を鳴らした。
 
「……ぐぅぅぅ~~~っ」

 静寂をぶち壊す、情けない音。
 だが、エルヴィンはピクリとも反応しない。
 いつもなら「もう、お子様なんだから」と呆れつつも、冷気の魔道具から手際よく食材を取り出し、俺の大好物を魔法のような手際で作ってくれる幸せな時間なのに。
 ……悲しいかな、今日のキッチンは墓場のように冷え切っている。

 俺は生きた心地もしないまま、恐る恐る声をかけた。

「あの……エルヴィンさん? その、夕飯、どうしようか?」
「……別に」

 ページをめくる指先は止まらない。視線すら、俺の影をかすめることさえない。

「お、お腹、空いてないのかい?」
「……うん。全然」

 嘘だ!!
 俺の死線を見極める勘(危機察知)が、鼓膜を突き破らんばかりの警報を鳴らしている。
エルヴィンの美しい身体から発せられる魔力波長が、禍々しく赤黒く渦巻いているのが視覚的に分かるんだ。
 その高密度な波動を翻訳すると――

 『空腹の限界をとうに超え、今すぐ最高に満足できるものを口にさせなければ、この邸宅ごと王都を焼き尽くす』

 ……と表示されているぞ。

 言葉と魔力が一ミリも合致していない!
 これが噂に聞く高度な精神攻撃なのか……。俺はひりつく喉で唾を飲み込んだ。

「じゃ、じゃあ外に食べに行こう! 俺が……いや、俺めに奢らせてください。何が食べたいかな!?」

 エルヴィンがようやく、パタンと本を閉じた。
 けだるげに俺を――いや、俺の喉元あたりを見上げ、吐息まじりに言う。

「……何でもいい」

 出た。この世で最も恐ろしい呪文。
 魔王討伐の最終作戦会議よりも難解で、一歩間違えれば即死する最上級の問題だ。
 だが、ここで「何でもいいなら、適当に屋台の串焼きで済ませよう」なんて言った瞬間、俺の聖騎士人生は幕を閉じる。
 俺は必死に、脳内の「王都絶品食事処地図」を猛烈な勢いで検索した。

「そ、そうだね! じゃあ、久しぶりに『冒険者ギルド亭』のドラゴンステーキはどうだ? あそこの肉、スタミナつくし、ガツンと元気が出るぞ!」

 渾身の提案。だが、エルヴィンはゴミを見るような冷ややかな目を俺に向けた。

「……重い」
「えっ?」
「今の僕の繊細な胃袋に、あんな野蛮な脂の塊を放り込む気? それに、あそこの店は煙だらけじゃないか。せっかく風呂上がりで綺麗にした髪や服に、脂の匂いが染み付いたらどうするつもり?」

 はい、却下! 瞬殺!
 思考を切り替えろカイル。重いのがダメなら、オシャレで軽いものだ。

「ご、ごめん! 俺がバカだった! じゃあ、南区の『妖精の森カフェ』はどうだ? あそこの新作ハーブサラダとフルーツの冷製スープ、ヘルシーで美容にも良いって騎士団でも評判なんだ!」

 これなら文句ないだろ。エルヴィンの美貌にもぴったりだ。
 しかし、彼はさらに深く、眉間に険しい皺を寄せた。

「……僕は今、草食動物になりたいわけじゃないんだけど」
「ええっ!?」
「これだけ空腹でイライラしてるのに、のんびり葉っぱを咀嚼して僕の気が済むと思ってるの?」

 理不尽すぎる……!
 さっき「重いのはダメ」って言ったじゃないか!
 俺はパニックになりながらも、最後の矢を放つ。

「わ、分かった! じゃあもう、王宮御用達の『碧玉の亭(ロイヤル・パレス)』に行こう! あそこなら味も最高級だし、雰囲気もいいし、君の好きな銘柄のワインも……」

「……はぁぁぁ」

 深いため息。
 この世の終焉を予感させるような、重く、果てしなく長い息だった。

「カイル。僕、今、部屋着なんだけど」
「えっ、あ、うん。似合ってるよ?」
「……わかってない。あんな格式高い店に行くために、これからわざわざ着替えて、髪をセットし直して、馬車を呼べって言うの? ……それにかかる時間と僕の疲労度、天秤にかけたことある?」

 詰みだ。王手(チェック)をかけられた。
 肉はダメ、草もダメ、正装もダメ。
 東西南北、すべての退路をエルヴィンという名の結界に塞がれた気分だ。

「じゃ、じゃあ一体どうすればいいんだよ……! 『何でもいい』って言ったじゃないか!」

 半泣きで叫んでしまった俺を、エルヴィンは慈悲のかけらもない目で見据えた。

「『(僕の今の気分と、空腹具合と、あなたへの怒りのレベルを完璧に計算して、寸分違わず最適解を導き出せるなら)何でもいい』って意味だよ。言葉通りにしか受け取れないなんて、聖剣と一緒に脳みそまで振り回してきたの?」

 俺はガクンと膝から崩れ落ちた。
 猛烈な空腹と、精神的困惑で視界がぐるぐる回る。
 世界を救ったはずの聖剣も、この「察してくれ」という名の難攻不落な要塞の前では、小指の爪の先ほどの役にも立たないんだ。

 エルヴィンの不機嫌オーラ(物理魔力)はさらに膨れ上がり、リビングの空気を確実に凍てつかせている。
 正解のない迷宮を彷徨い、俺の胃袋と精神は、すでに限界を通り越して真っ白に燃え尽きようとしていた。

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