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2話 死体の婚約破棄

死体は真実の愛に目覚める

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 秋バラの咲き乱れる王城のローズガーデンに、甘いケーキと紅茶の香りが漂う。
 ここは亡き王妃のお気に入りの庭で、王族だけのプライベートな空間だった。
 そんな特別な場所で、

「はい、あーん」

 フォークに刺したまま差し出された生クリームたっぷりのフルーツケーキを、小さな口がぱくり。
 もぐもぐとよく噛んでごくりと飲み込むと、次の1片が差し出されて、それもぱくり。

「おいしい?」

 耳元で甘くささやかれて、こくりと頷くと「よかった」とまた嬉しそうな声がする。

 そんな甘ったるい行為を、テーブルを挟んだ向かい側であんぐりと口を開けて見ているのがこの国の王とその第二王子だ。

 王の息子であり第二王子の兄でもある第一王子エルドレッドは膝に幼い少女を乗せて、今にもとろけそうな甘い顔をしながら少女にケーキをせっせと運んでいる。
 少女はいつもは下ろしているふわふわの長い銀髪を今日は可愛らしく結い上げて花とリボンで飾っている。サックスブルーのシフォンを重ねたドレスには小花の刺繍がちりばめられ、花の妖精のような風情を出していた。

「あ、紅茶も飲むかい?」

 精一杯のおしゃれをした少女が可愛らしく頷くと、エルドレッドは白磁のカップを取ってふうふうと息を吹きかけて冷ましてから、少女の口に運ぶ。
 それを少女は無言で口に入れる。

「……エルドレッド……」
「……兄上……」

「ん? どうかしましたか? 父上、ユージーン」

 朗らかな微笑みを向けられて、二人は戸惑う。

「その……なんというか、お前、変わったな」
「そうですよ、その……兄上はもっと……前は毅然とした方だったと……」

 父王が言葉を選んで言うと、ユージーンも続けて言う。
 そんな二人の様子をエルドレッドは笑い飛ばす。

「ハハハ。そんなこと。僕はねぇ……この間死にかけてから大切なことに気づいたんですよ」
「大切なこと?」

 オウム返しににっこりと頷き、

「愛です」

 きっぱりと恥ずかしげもなく言い切った第一王子に、家族はピキッと固まる。

『愛……』

「そうです。今まで僕は国のため、王族としてあるべき姿に固執し過ぎていたのかもしれません。生死の境を彷徨い、彼女――フィーナに助けられて一命を取り留めて、生きる意味を見つけたんです。つまり――愛のために生きると。ほら、フィーナって可愛いでしょう? フワフワの髪に紅いお目目、甘いものを食べる口なんてもう、リスみたいだ。あ、クリームが口についてるね」

 ナフキンでフィーナの口元をぬぐってあげると、フィーナはムスッとしながらも受け入れる。
 ――あたし、そんな赤ちゃんじゃないのに。

「それに彼女は僕だけじゃなくてユージーンを助けてくれた、僕ら兄弟にとっての命の恩人だ。彼女以上の女性なんていない。彼女は僕の天使、女神……もう僕はひと時も彼女から離れられなくなってしまったんですよ」

 愛おしむように髪にキスを降らせる。
 ――くすぐったい!
 フィーナは髪をバリバリと掻きたい衝動を抑える。

「でっ……でも、兄上には、ジュリエット姉様というれっきとした婚約者がいるのに……」
「うん、そうなんだ。ジュリエットには悪いのだけれど、もう無理なんだ。彼女なしでは生きていけない」

 ぎゅうっと後ろからフィーナを抱きしめて頬にキスを落とす。
 フィーナの毛がブワッと逆立つ。
 ――我慢、我慢。

「そんな……!」
「エルドレッド……! しっかりしろ! ワシはお前をそんな風に育てた覚えはないっ!」

 激怒した王が椅子から急に立ち上がると、めまいを起こしてふらついて従者に支えられる。

「父上、怒るとお体に障りますよ」
「誰のせいで……! だいたいこのお嬢さんは若すぎるだろう! 何才なんだ!」
「10才です」

 フィーナが答えると、王はまたフッと意識が飛びかける。

「23にもなって幼女趣味だと……! ふざけるのも大概にしろ! ああ、なんでこんなことに……、サザーランドだ……すべてはサザーランドのせいだ……」
「ハハハ。サザーランド伯はもう国外追放させましたからいいじゃないですか。僕はむしろサザーランド伯に感謝したいくらいですよ、僕の愛フィーナに会わせてくれてありがとうって……」
「貴様ぁああああッッ!!」
「兄上! もうやめてください!」

 飛び掛かりそうな父をユージーンと従者が必死に抑えるが、当のエルドレッドはどこ吹く風で、フィーナの世話を焼く。

「ああ、もうお腹はいっぱいになったんだね、じゃあそろそろ行こうか、フィーナ。それでは父上、ユージーン、ごきげんよう」

 エルドレッドはフィーナを抱っこしたまま立ち上がり、軽やかに笑いながら退席する。
 その背には王の怒声が飛んでいた。



「王様、かわいそうだったよ」

 エルドレッドの部屋に戻ってから、フィーナがエルドレッドを非難した。 
 エルドレッドはきっちりと締めていたタイを緩めながら、おかしそうに笑う。

「そうかい? あんなに怒られたことって僕は初めてだったから、つい笑ってしまいそうで大変だったよ」

 フィーナもショート丈のレースの手袋を外して、次いで結った髪をバサバサとほどく。

「あれ? 取っちゃうのかい? 可愛かったのに」
「うー……頭かゆいのに掻けなかった……」

 ふるふると頭を振っていつものふわふわの毛玉に戻る。
 ソファに座って、寄って来たクレイヴの首を抱きしめながら毛並みを撫でると、やっと人心地ついた。

 エルドレッドの暗殺事件から1カ月がたった。
 当初事件の関与を認めなかったサザーランド伯だったが、ダリル・ウィリスの自供とサザーランド派の貴族たちが次々と謀反の証言を行い、サザーランド一族は身分と領地を奪った上での国外追放とした。本来であれば、死刑とすることもできる要件ではあったのだが、証言を得るためにエルドレッドはフィーナに助力を求めた。死霊術で動植物を動かして諜報活動をさせ弱みを握り、それを元に証言を強要したのだ。フィーナは手伝う条件として「人を殺すのはダメだからね」としたため、サザーランド伯についても死刑にはできなかったが。

 それからというもの、エルドレッドはバッサバサと大ナタを振るって国政の改革を行っている。
 もちろん、エルドレッドはフィーナの傍を離れられないので、どこに行くにもフィーナと一緒だ。寝る部屋も一緒、ともなれば幼女趣味の噂が流れているのだが、エルドレッドはそれすらも丁度いい、と使うことにした。
 自分の婚約者ジュリエット・フェザーストンと婚約破棄するために使おう、と。
 先ほどの茶会での溺愛ごっこは王と弟に、エルドレッドとフィーナの関係を知らしめるための演技だった。

「そもそも、いつかは僕が生きてる人間と違うことがバレてしまうからね。スムーズにユージーンに王位を継いでもらうためにも、僕が頭のおかしい放蕩息子として程良い時期に消えるのが一番なのさ。ジュリエットは王妃教育も受けている令嬢だし、早めに僕と婚約破棄してユージーンに乗り換えてもらうのがいい」

 自分勝手な言い草にフィーナは口をとがらせる。

「嘘つかないで皆にちゃんと説明すればいいのに」
「僕は死体で、君が死霊術で蘇えしてますって? それこそ混乱の元だ。いいかい?君の能力を知れば人は間違いなく悪用しようとする。僕の『お願い』なんて目じゃないほどの規模でね。だからこそ君の一族はずっと森でひっそりと暮らしていたんだと思うよ」

 そうかなあ、とフィーナは首を傾げる。

「まあ、言わないでいいことはひとまず黙っておこう。口は災いの元って言うしね。それよりほら、今日のご褒美をどうぞ」

 エルドレッドが天蓋付きのベッドで仰向けにくつろいで胸をはだけさせると、フィーナは目を輝かせてベッドへと飛び乗った。
 エルドレッドのお願いを聞くたびにフィーナはご褒美をもらえる。エルドレッドの体を好きにしていいのだ。
 フィーナはエルドレッドに馬乗りになると、小さな手を硬い胸板にあてて、魔力を操作する。エルドレッドを動かすのとは別に用意した検査用の魔力回線を流し込む。

「……ッ……」

 エルドレッドは苦痛に耐えるように顔をゆがめる。
 対するフィーナの顔は真剣そのものだ。

 フィーナは通常死んだら離れていくはずの魂がなぜエルドレッドに残されていたのかを探っていた。その場所がどこにあるのか、なぜそうなっていたのか、疑問は次々と湧き出てきて、興味が尽きない。

「うーん……? このあたりの反応がなあ……」
「……うぅッ……!」

 手を腹部に移動させたところで、エルドレッドがけいれんし出して、フィーナは慌てて手を離す。

「わ、ごめん、痛い?」
「……大量の蛆虫に体を食い破られている気分だ……有体に言って、最悪……」
「そっかぁ……やっぱりこれ以上は痛覚を止めてからじゃないと難しいかなぁ……でもそうしたら半日動けなくなっちゃうし……」

 うーん、とフィーナが首をひねったところで、

 バアンッ!

「エルドレッド! これはどういうことなのっ!?」

 怒声と共に部屋の扉が乱暴に開けられると、肩を怒らせたミルクティー色の髪のうら若き令嬢が一人、水色の瞳をこれでもかというほど大きく見開いて固まった。
 ベッドの上には、衣服をはだけさせたエルドレッドの上に馬乗りになって手を服の中に入れている幼い少女の姿。

「な……な……ななな……!」

 エルドレッドはふうっとため息をついてフィーナを上に乗せたまま体を起こし、部屋の入り口で立ち尽くす女性に朗らかな笑顔を向ける。

「やあ、ジュリエット、久しぶりだね。それにしてもノックもなしに部屋に入って来るなんて、子どもの時みたいだ。君はもう立派な淑女レディーだと思ったんだけどな」

「あなた何をしているのおぉぉぉっっっ!!」

 絶叫しながらツカツカとベッドに高速で歩み寄って、フィーナを引きはがして抱きしめる。

「こんな……こんな子どもに……なんてことを……!」

 フィーナはジュリエットの大きな胸をぎゅうぎゅうと押し付けられて「苦しい……」と呻く。

「ああ、可哀想に、怖かったわね……もう大丈夫だから……。エルドレッド! 見損なったわ! あなたがこんな破廉恥なことをする人だったなんて……!」
「ふむ……、破廉恥。やだなあ、僕がフィーナに何をしたって言うんだ」

 問われてジュリエットは顔を真っ赤にさせる。

「な……何って……、口にもできないようなおぞましいことよ……! そんなの……そんなの、この『女性と子どもの権利を守る会、ベルスフィールド支部支部長』のわたくしが許さないわ!」
「また名誉職を増やしたのかい? ジュリエット」
「名誉職ではないわ! ちゃんと地道な草の根活動をしています!」
「ふうん、どんな?」
「孤児院に行って慰問活動をしたり、生活困窮家庭を訪問したり……」
「忙しいね」

 ジュリエットは誇らしげに胸を張る。

「ええ、でもフェザーストンの娘として弱き者に心を砕くことは当然のこと。これぞ高貴さは義務をノブレス・オブリージュの体現よ」
「さすがジュリエット、次期王妃にふさわしい崇高な精神だ」

 褒められてジュリエットはさらに鼻を高くしてから、ハッと我に返る。

「違うわ! 今はそういうことを言いに来たのではなくて! エルドレッド! わたくしとの婚約を破棄しようとしているというのは本当なのっ!?」
「……やけに情報が早いな」
「わたくし、この一か月、あなたにずっと会おうとしていたのに面会拒否! 公務にはこの女の子を連れ回していると言うし、幼女趣味の噂は広まっているし……わたくしの元にもエルドレッドがおかしくなったという話ばかりが届いて……わたくし、心配で……心配で………………草の者を放ちました」
「草の者……」

 つまりは間諜。スパイ。忍者。
 新しく入ったやけに身のこなしのいいメイドがいたが、きっとそのことだろう。

 ジュリエットはエルドレッドを威圧するように睨みつけて、ビシリと指をさす。

「さあ、わたくしの納得のいくように説明なさい」
 


 場所を応接間に移して。
 エルドレッドとジュリエットは対決するようにテーブルを挟んで向かい合ってソファに座り、フィーナはジュリエットの横でグレイヴを抱っこして様子を見守っている。さっきジュリエットの胸で窒息しそうになったので少しだけ距離を取っている。

「説明って言ってもね」

 エルドレッドは紅茶にミルクを入れてスプーンで一混ぜ、困ったように微笑む。

「全部君が知っているとおりだよ。僕はサザーランドの陰謀によって殺されかけて、森でその子に助けられてついでに心を奪われてしまったんだ。つまり真実の愛に目覚めてしまった、という訳だね。貴族連中では度々あることだろう? まあそれが自分の身に起こるなんて思ってもみなかったけれど」
「真実の愛? 公務第一のあなたが? 鼻で笑ってしまうわ。……ねえ、何か事情があるのでしょう? わたくしに話して下さらない?」

 心配そうなジュリエットの様子ににエルドレッドは肩をすくめる。

「ジュリエット、人は変わるものだよ。いつまでも子どものままではいられない。それと同じようにいつまでも性的正常者ノーマルではいられないのさ。申し訳ないけれど君にはもうピクリともしない。しかしフェザーストン家とのつながりは欲しい。どうかそのままユージーンとスライド婚約してくれないか?」
「無茶なこと言わないで! あなたユージーンを何才だと思っているの? 12才よ、まだ子どもだわ」
「ジュリエットは今年で18だろう? 僕が23で5才差、ユージーンとは6才差。どっちもどっちだろう。正常ノーマルの範疇だ、大丈夫」

 エルドレッドが励ますようにグッと拳を握ると、ジュリエットは額に手をあてて嘆く。

「……本当に、どうしちゃったの……エルドレッド……。わたくしがあなたと結婚して王妃になるためにどれだけ長い年月努力して準備していたと……」
「それをそのままユージーンとの結婚に生かしてくれればいい。無駄にはならないよ」
「なにを……」

 エルドレッドは真剣な眼差しをジュリエットに向けると、言った。

「僕は近いうちに、王族をやめる」

「……!」
「フィーナとのことを父上がお認めになるわけがないからね。だから次期国王はユージーンだ。ほら、君は次期王妃様のままだ。何も変わらないよ、だから安心して――」

 パアンッ

 乾いた音が部屋中に響いた。
 ジュリエットが目に涙を貯めて、エルドレッドの頬を打った手を震わせている。
 エルドレッドは呆然と打たれた頬を手で押さえる。

「最低だわ! エルドレッド!」

 ジュリエットが部屋から走り去ると、部屋の中に何とも言えない嫌な沈黙が残された。

「………………痛いな……」

 ぽつりとエルドレッドが呟く。

 と、バタバタと音がしてジュリエットがまた部屋に戻って来た。

「忘れていたわ! この子はわたくしが保護しますから!」

 ジュリエットが嵐のような勢いでフィーナを抱っこして連れ去っていった。
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