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第一部 終章 七星と星喰

おたがいに、いっかいやすみ

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 ――大陸最北部、Sランクダンジョン『魔国』。

 決して明けることのない、常夜の闇に覆われた世界。
 暗雲立ち込め、雷鳴響く空の下で悠然とそびえる城砦、その地下深く。

 外のけたたましい雷鳴すら全く届かない、冷たい石に覆われた一室。
 様々な器具、中には血のこびり付いた物も所狭しと並べられている、『実験室』とでも呼ぶべき場所。

「ひひ、ひひひひひひひっ。これはまた、随分と派手に壊した、もんだネェ」

 天井に備え付けられた『魔光石』の照明で、ぼんやりと照らされたふたつの人影。
 どこか背筋に寒気を奔らせるような笑い声を零したのは、血染みで半ば変色した白衣を着た女だった。

「ばらばらばらばら、ばぁらばら。ひひひひひ、随分激しいダンスだったんだネェ、お相手は?」
「『月狼ルナ・ウルフ』に御座います、ドクトリーヌ。妖刀使いでして、衣服にかけた防御も紙の如く抜かれてしまいました」

 石造りの手術台に置かれた、クリスティアーネの身体。
 白衣の女――魔界随一の研究者にして技術者、通称『ドクトリーヌ』ことアルケトの言葉通り、バラバラの肉片と化したそれを見下ろしつつ。
 静かな声音で、ホイットニーが答えた。

 対しアルケトは、何故か片方にのみメイクを施した双眸を輝かせて。
 より一層、笑い声を響かせる。

「ひひひひひひひひっ、なるほどネェ! 確かに恐ろしく禍々しい斬り口だ、ワタシ謹製の『強化死体カスタムコープス』も形無しだよ。こいつを傷痕も残さず治すのはホネだが、その分やりがいはある……そうだ! どうせだからもっと強くしよう!」

 そう言うが早いか、ホイットニーの着る漆黒のドレスの袖を掴むアルケト。
 霊体の魔物、『ゴースト』を材料とした半物質であるそれは、瞬く間にしゅるしゅると肩口まで解け。
 細く半透明の糸束として、彼女の手に残った。

「体表に糸を括りつけて操る、なんてやり方がそもそも間違いだった! 人体は人形と異なり、内側の神経が信号を伝達させ筋肉を収縮させることで動かされるもの!」
「ならばこの糸を死体の体内に余すことなく張り巡らせ、擬似的な神経として使えるようにすれば! 本来死体操作には向かない『人形遣いマリオネッター』のカーミラ君でも、操作効率は3倍! いやさ5倍10倍にも跳ね上がるだろう!」
「そうだそうだ、どれだけ死体こっちの性能を上げても操り手のカーミラ君が使いこなせなければ意味がないネェ……逐一彼女が操るのではなく、糸を通して命令を与えることでそれを遂行させる半自律形式に操作方法を変更しよう! そうすればカーミラ君自身も、戦闘中にある程度別行動が出来るようになる!」

 アルケトは息継ぐ暇すらなく喋りながら、甲高い靴音を響かせ実験室内を忙しなく歩き回り始めた。
 ……こうなってしまうと、ホイットニーでは彼女を宥めることが出来ない。

 寧ろ、こうなってしまった彼女を止められるのは、魔族でもたった1人で。


「随分と機嫌が良いな、アルケト。ぬしのそこまで嬉しそうな顔など、果たしていつ振りになるか」


 唐突に響いたのは、男の声だった。

 低く、けれどもよく通る音。
 ほぼ無作為に室内を歩き回っていたアルケトの足が、その声を聞いてぴたりと止まり。
 そして、ぐるりと振り返った。

「――あぁ、こんなに楽しいのは数十年ぶりだよ! 『竜の娘』は奪い返されてしまったけど、若くて弄くり甲斐のある異世界人に、王族の血を引いたハーフエルフの死体なんて、最高のプレゼントだ! ありがとうアナタ・・・、愛してる!」
「カカカ、それは重畳なこと。とは言え、いずれもそこのカーミラが齎したと言っていいもの。礼ならば、そやつに述べるのだな」

 の歓喜に満ちた言葉へ笑みを返した、黒鬼の偉丈夫――ドウサン。
 彼は後ろに続いていたラーダ共々、鬼にはサイズの小さい鉄扉てっぴから、窮屈そうに室内へと足を踏み入れた。

「ドウサン様、ラーダ様。報告でしたら、この後わたくしが参りましたのに……」
「よいよい、数日振りに妻の顔が見たくなったのよ。そのついでに過ぎん」
「フン……貴様のついでに付き合わされ、こんな生臭い場所に連れられた私の都合も考えて欲しいものだがな」
「ひひひひひ、アナタアナタアナタ~♪」

 ハートマークを飛ばすような勢いのアルケト。
 そんな彼女に擦り寄られているドウサンへと、ラーダの皮肉混じりな言葉が飛ぶ。

「カカカカ、まあ許せラーダ! それでアルケトよ、例の件・・・はどうなった?」
「ひひっ――うん? あぁ、そうだった。大丈夫さアナタ、バッチリ終わっているよ」

 ドウサンの問い掛けにより、思い出したかのようにバッと夫の胸から離れるアルケト。
 彼女は実験室の一角に積み上げられた紙の山から、それが崩れるのも気に留めず、一冊のファイルを引っ張り出した。

「異世界人召喚に用いる『門』の構成術式! 召喚の際に供物を捧げることで門を肥大化させ、通過する力の総量を上昇させる『カキン』システム! そして何より、後天的にクラスやクラス技能スキルを与える『クラスチェンジ』と、本来激しく個人差のある技能スキルレベルの制限を取り払う『リミッターカット』の解析!!」

 実際に召喚を目の当たりとし、更には召喚した被検体2名を改造ついでに調べ上げることで完全に理解した、と。
 さも楽しげに続けたアルケトの言葉に、ドウサンもまた笑みを浮かべ頷いた。

「そうか……では、可能なのだな? この世界で忌まわしき帝国の第一皇女、『死歌』だけが唯一持つクラス――『歌姫ディーヴァ』を作ることは!」
「うんうんうんうん、だぁいじょぉぶい! ちょうど都合よく血縁者の身体もあることだし、これを元に培養して産み出したホムンクルスなら、概算だけど9割以上の確率で定着させられるネェ!」

「……ただ、ひとつだけ問題があるそうでして」

 右肩上がりにテンションが高まって行くアルケトの台詞を、言葉尻で引き継ぐように。
 ホイットニーが、口を開く。

「ご存知の通り、ホムンクルスは特殊な溶液の満たされたフラスコ内部でしか生きられない、本来ならば兵力の一端とすらならない脆弱な生命。造るだけなら一週間もあれば可能とのことですが、消耗の激しい『歌唱ソングアーツ』の使用に耐えられる肉体を得るには――」

 そこで一旦言葉を止め、中空へと手を伸ばすホイットニー。
 伸ばした指先の空間が僅かに歪むと、彼女はいつの間にか一本の剣――『ジャッジメント』を手にしていた。

 白銀の剣身を赤く染める、未だ乾いてすらいない多量の血液。
 つい先日の戦闘で、夜行を刺し貫いた際に付着したものだった。

「――クリスティアーネの血肉を核として、更にこの血・・・を混ぜ込むことで、ヤコウ・イヌブシの持つ強靭な生命力を受け継がせることが可能となります。けれど異なる者達の遺伝子情報が溶け合い、馴染むまでには少々時間を要する、とのことで」
「ふむ。どれくらいだ?」

 ドウサンの問いに、再度バトンタッチする形でアルケトが答える。

「カーミラ君ともこの前話し合ったけど、諸々込みで2ヶ月ってとこだネェ。フラスコから出られるようなホムンクルスを作るなんて、そもそも初めてだし。こっち方面に誰よりも精通してるラーダ氏の妹君の知恵を借りられれば、もう少し縮められたんだろうけどネェ」
「……私が、取り逃がしてしまいました。申し訳ありません」

 失態への悔いか、ホイットニーが硬い声音で呟き、それから深々と頭を下げて。
 けれどドウサンは気にした風もなく、ゆっくりとかぶりを振った。

「よいよい、いずれにせよあの跳ねっ返りが大人しく手前共に協力したとも思えん。故に、最初から勘定に入れておらぬ。そうであろう、ラーダよ?」
「……フン」

 ラーダは否定も肯定もせず、ただひとつ鼻を鳴らして顔をそむける。
 兄妹仲が冷め切っている故に、妹の話題を振られるのは決して愉快ではないらしい。

「カカカ……ともあれ、2ヶ月か」

 不機嫌そうに眉根を寄せたラーダを見て、ドウサンはひとつ笑い。
 次いでおもむろに――その表情を、真剣なものへと変えて行った。

「魔界の資源は最早底が見えておる。先の戦いで実力の劣る者達を間引いた・・・・とは言え、そう長くは持たん。ここらで決戦を迎えねば我々は枯渇により遠からず、戦わずして敗北の道を辿ることとなろう」

 じゃらん。
 打ち付けた錫杖の音が、密閉された石の部屋に反響して鳴り渡る。

「数と財で劣る我々に、出し惜しみの余地などうに残ってはおらぬ。持てる全てで以って、人間界を攻め落とす他、手前共の――否、この世界を存続させる道はない!」

 一括。そう呼ぶべきドウサンの叫びは、壁や天井を微かに震わせ。
 アルケト、そしてホイットニーに後は任せたと告げ、踵を返し。

 万力のような握力で、錫杖の柄を握り締めた。

「最期となるその時まで精々祈っているがいい、人間共よ……祈る神などどこにもおらぬ、遥か昔に捨て去られたこの世界で、な」





 ……場所は変わり、城砦内部の一室。
 明かりも灯されていないその部屋のベッドに横たわる茉莉夏は、苦しげに呼吸を繰り返していた。

「はぁ……はぁ……」

 改造が施されて日の浅い身体で、『星猫アストラ・キャット』の力を使い過ぎた反動。
 起き上がることすら儘ならない状態の彼女を心配そうに見守るホウジが、湿らせたタオルをその額に乗せる。

「こぉん……」

 獣の因子を持つ茉莉夏ならば、その意味を理解出来る筈の呟き。
 けれど意識朦朧としている彼女には届いていないのか、ただ苦しそうに呻くのみで。

 そして。

「……ごめん、なさい……ごめんな、さい……ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……」

 茉莉夏は意識を失いながらも、止まることのない涙を流し。
 ひたすらうわ言のように、熱が引くまでの一晩中ずっと。

 何かに対する謝罪を、懺悔を、繰り返していた。




















 ――殆ど音もなく、夜行は倒木を軽快に飛び移る。
 移動を始めて僅か数秒で、彼はロッジから既に数百メートル以上離れていた。

「……まずはあそこか……」

 現在位置と目的地との方角、距離を頭に思い浮かべ、少々遠いことに嘆息する。
 けれどのんびり過ごす時間などなく、こと最初の目的地・・・・・・に関しては出来るだけ急がなければならない。

 速度を上げるべく、着地した樹上で一拍踏み込んで。


 けれどその瞬間――銃声と共に、足をつけていた枝が爆散した。


「ッ!?」

 崩れる体勢。
 『エアステップ』により身体を捻るようにして空中で姿勢を整え、手近な枝に飛び移る。

 夜行はまだ敵の残党か何かが居たのかと舌打ちし、後ろ腰の『娼啜』に手を掛け。
 それから銃声の聞こえてきた方に視線を向けて……唖然とした。

「……委員長?」

 向けた視線の先には、片手で構えた魔銃ライフルの銃口を向け、吊り上がった眼差しで夜行を睨む九々の姿があって。
 『ナイトロードⅣ』に寄りかかった彼女はそのまま銃を肩に担ぐと、斜めに倒れた幹を駆け上がり。
 夜行の眼前まで、迫った。

「な、なんで君がこんなとこに……」
「それはこっちの台詞よ。貴方1人で、一体何処へ行くつもり?」

 互いの吐息がかかる、なんてものではない。
 どちらかがほんの少し前に出れば、唇が触れそうな距離。

 とは言えロマンチックな雰囲気など、全く無く。
 寧ろひどく不機嫌そうな九々の様子にたじろぎ、一歩下がる夜行だが。
 下がった分と同じ距離を進まれ、結果間合いは変わらなかった。

 更に。

「……私も気になる、わ」

 突然の囁きにギョッとして振り返れば、そこには同じ枝の上でしゃがみ込むように立っていたサクラが居て。
 濡れた瞳を、夜行へと向け遣っていた。

「美作さん!? ちょ、マジでいつの間に……」
「ロッジから飛び出して行ったから……追いかけてきた、の。私だって、それなりに足は速いから……でも、流石に追いつくのは無理だったから、止まってくれて助かったわ。『一刀供養』を使わずに済んだから、ね」

 ……そう言えば九々もそうなのだが、呼び止める代わりに攻撃するのは如何なものだろうか。
 そんなことを深々と思う夜行だったけれど、言葉にしたら理不尽に怒られる気がしたので、やめた。

「…………」
「……えっと」

 ほぼゼロ距離で睨み付けられること、数十秒。
 夜行は対応に困り、取り敢えず何か言うべきかと思い始めた頃合い。


「――私も、連れて行って」


 有無を言わさぬ口調で――けれど、どこか懇願するように。
 肩に羽織ったコートの襟を、微かに震える手で握り締めながら。

 九々がそう、告げるのだった。




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