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番外章 零れ話

バレンタイン・セブンスターズ

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 本編とは全く関係ない、バレンタイン番外編です。
 時系列等色々とおかしい所がありますが、気にしないで下さい。
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 その日の早朝、夜行は奇妙なものを見た。

「……?」

 そこは、宮殿に幾つかある厨房のひとつ。
 夜行が普段立ち入ってるそれとは違う、主に使用人の賄いなどを作るための場所。
 何せ宮殿はとにかく広いので、厨房ひとつとっても1ヶ所では足りないのだ。

 そして。

「あうーあうあうー」

 『男子禁制』と書かれた張り紙、厳重に閉鎖された扉。
 扉の前に立って猫のようにカリカリ引っ掻いてる、クリュスの姿。

 夜行が見た奇妙なものとは、当然クリュスのことであった。

「入れて下さいよう、入れて欲しいですよう。お願いしますクク様ー、わたしも仲間に入りたいですよー」
『そう言ってさっき材料を片っ端から食べ始めたのはどこの誰よバカプリンセス! 私にとってチョコ作りは戦いなの、邪魔しないで!』
「邪魔なんかしません、する筈ありません! ただチョコレートの皆さんが、わたしに食べて欲しいと言ってたんです!」
『言うかぁッ!!』

 無い胸を張ったクリュスが、扉越しに撃たれた。
 ぴよぴよと頭上にヒヨコを飛ばす彼女に、取り敢えず関わるまいと踵を返す夜行。

 今日は2月14日。
 男にとっても女にとっても聖戦である、バレンタインだった。





 ~雪代九々の場合~


「まったく、邪魔ばっかりするんだから……」

 『ガン・リコール』で手元から魔銃ライフルを消しながら、深々と嘆息する九々。
 ただでさえ数日前から行っているチョコ作りが上手く行かず、苛ついているのだ。
 この上で材料を食い散らかすハングリーモンスターの相手など、していられなかった。

「あぁ、気付けばもう既に14日……本当にもう時間無いじゃない……」

 頭を抱える九々の前には、ずらりと並ぶ失敗作。
 けれどどれひとつ取っても、女子高生の作品としては見事のひと言に尽きる出来栄えだった。

 元より彼女はどちらかと言えば、料理上手である。
 手先も器用だし、今更チョコレートくらい目を瞑っていても作れる。

 そんな九々が、何故こんなにも苦戦しているのか。
 それは彼女がチョコレートを渡したい相手が、自分より料理の上手い夜行だからだった。

「くっ……」

 あれは去年、忘れもしない屈辱の日。
 一生懸命作ったチョコを渡す前、夜行から贈られた逆チョコ。

 とろけるようなチョコムース。涙が出るほど美味しかった。
 そのせいで視界が滲んで、自分の作ったチョコを渡せなかった。

「少なくとも戌伏君の去年を超える……! 中途半端な出来のものを渡して、内心で「あ、これ俺が作った方が美味い」とか思われたらもう、死ぬしかないじゃない!」
『失敗作でいいから食べさせて下さいよー! こんなにいい匂いを漂わせて、プリンセスの生殺しですよー!』
「黙りなさい!」

 相手をする時間も惜しいとばかりにまたも扉越しにクリュスを撃ち、作業に戻る九々。
 結局彼女がどうにか満足の行くチョコレートを作れたのは、夕方に差し掛かったあたりのことだった。





 ~鳳龍院躑躅の場合~


「……落ち着いてアタシ……そう、落ち着くの……」

 宮殿通路の曲がり角で、そんな言葉を繰り返しながら深呼吸する躑躅。
 彼女の手には、小奇麗な包みが抱えられていた。

「2年間やってきたことをまたやるだけ……はいどうぞって、何食わぬ笑顔で渡すのよ……」

 ちら、と躑躅は通路の向こう側を覗き込む。
 どうやら今年も全滅らしい千影と平助にクッキーを差し出す、慈悲深い夜行の姿があった。

「ああ夜行君、なんて優しいの……よし!」

 やがて彼が1人になった瞬間を見計らい、意を決し、通路を飛び出す躑躅。
 そしてやけにキラキラとした空気を纏いながら、微妙なスローモーションで夜行に駆け寄った。
 流石の演出家である。

「いーぬぶーしくーん」
「あ、鳳龍院さん」

 躑躅は柔らかい笑みを浮かべて、両手で包みを差し出す。

「ハッピーバレンタイン♪ どうぞ、受け取って下さい」
「今年もありがとう鳳龍院さん。嬉しいよ」
「うふふふふっ」

 頬を軽く染め、口元を覆い隠して照れ笑う躑躅。
 彼女の出す甘ったるい好き好きオーラは、普段の3割増だった。
 けれど直接好きと言われなければ好意に気付かないタイプの夜行は、朗らかに笑みを返すのみ。
 鋭いのか鈍いのか、よく分からない男だった。

「なんと、今年は手作りなんですよぉ? 包装紙とリボン、自分で作ったんです」
「へぇ……あれ、中身は?」
「買って来ましたぁ」
「……そ、そうなんだ……」

 ただチョコレートを作るより、何気に難易度は高いのではないだろうか。
 やけに精巧なつくりのレースリボンを見下ろしながら、どう反応すれば分からないとばかりに頬を引き攣らせる夜行。

 ちなみに高い店のチョコだったらしく、結構美味しかった。





 ~伊達雅近の場合~


 雅近にとって、バレンタインとは面倒しかない行事である。

 次から次に手渡してくる、ロクに話したことも無い女子の群れ。
 面倒臭がりが服を着て歩いているような彼にとって、可能な限り避けたいイベントだった。

 非モテ――例えば平助や千影あたり――に聞かれれば、背中に火を点けられそうな意見の下。
 雅近は今日1日を非難して過ごすべく、隠れていた。

「まったく、七面倒臭い……」

 寝転がってぽりぽりと朝に夜行がくれたクッキーを齧りながら、ここなら見付からないだろうとリラックスする雅近。
 しかし。

「……何やってんのよ、バカチカ」
「む」

 気付けばいつの間にか、呆れ目で自分を見下ろしてくるテスラに発見されていた。

「テスラ……! 何故ここが分かった、人間心理の裏をかいたオレの隠れ場所を……」
「往来の! ど真ん中に! タタミ敷いて寝転がってたら! 誰だって気付くわよ!!」

 どうやら裏をかきすぎたらしい。
 道ゆく通行人がじろじろと向けてくる視線を今更ながらに感じ、雅近はポンと手を叩いた。

「なるほど。策士策に溺れたか」
「バカやってないで帰るわよ。あとこれ、はい」

 溜息を吐き、踵を返す間際。
 押し付けるように、雅近へとテスラが小さな包みを渡した。

「おい、なんだこれは」
「買い過ぎて食べ切れなかった残りよ! いちいち聞くな!」

 ハタから聞けば理不尽な怒鳴りを浴びせ、肩を怒らせ歩き去って行くテスラ。
 けれど、雅近は見た。後ろから見える彼女の耳が、真っ赤になっている光景を。

 そしておもむろに包みを開けると、中にはどう見ても手作りとしか思えないレベルのチョコレートが入っていた。

「……やれやれ。素直じゃない女だ」

 かぶりを振りつつ、雅近はチョコレートをひとつ摘んで口に放り込む。
 正直あまり美味しくはなかったが、敢えて言葉にはしなかった。

「ああ、不味くはない」
「っ!? ちょ、何もう食べてんのよバカチカ!」
「貰った物をいつ食おうとオレの勝手だろうが」

 カリッとチョコを齧りながら、くつくつと意地悪く笑う雅近。
 そんな彼に向けてぶんぶんと手を振り回し、デリカシーが無いだのと本当に今更なことを吠え立てるテスラ。

 ……往来のど真ん中で当たり前の如く寛いでいる人間に、堂々と話しかけられる者などそうは居ない。
 躊躇いなく実行できるのは、その人間と親しい相手くらいのものだろう。

 テスラが来るのを待っていた雅近は、宮殿に帰るまでずっと意地悪く、上機嫌に笑っていた。
 素直でないのは、お互い様だった。





 ~鬼島千影の場合~


「…………」
「チカゲさまー」

 つんつん。
 倒れ伏した千影を、その辺の棒切れでつつくクリュス。
 返事はない。ただの屍か何かだった。

「…………」
「おーい、チカゲさまー」

 つんつんつん。
 抜け殻となった千影を、何が面白いのか、つつき回すクリュス。
 返事はない。千影はもう、死んでいる。

「お姉様からチョコレート貰えなかったのがそんなにショックでしたかねー。そも、貰える義理すらあったかどうかってレベルなのに」
「がぼふッ!?」

 トドメだった。
 大人と子供ほども身長差のある女性に言葉のナイフを突き刺され、イメージ的に血を吐き出す千影。
 所詮言葉なので、実際は吐いていない。

「……がくっ」
「ありゃ、死んじゃいました。なーんて、実はここにお姉様からのチョコレートがあったり――」
「そいつをヨコセェェェェェッ!!」

 凄まじい速度と勢いだった。
 千影はクリュスが後ろに隠し持っていたチョコの包みを出した瞬間、掌を返したように復活して、それを奪い取る。

 そして、包装紙諸共に食べ始めた。
 ……何も、そこまでしなくてもいいと思われる。

「うめぇ、うめぇぇぇぇッ!! リスタルさんは料理も上手なのか、俺様超感激!!」
「そ、そうですか……」

 食いしん坊万歳のクリュスですら、軽く引く光景だった。
 と言うか――なんか、言い出せなくなってしまった。

 リスタルからの、と言うのはちょっとした冗談で、本当は自分があまりにしつこいから九々がくれた幾つかの失敗作のひとつを、それっぽく包んだだけ、とは。

「うおぉぉぉ! おぉいおいおい! うめ、うめぇぇぇぇッ!!」
「…………」

 クリュス=ラ・ヴァナ、21歳のバレンタイン。
 ついていい嘘と駄目な嘘があることを、まざまざと知った瞬間である。





 ~柳本平助の場合~


「へーすけっ」

 メイドに文官、庭師に料理人、女騎士。
 宮殿中のめぼしい相手を回って全滅、しょぼくれて歩いていた平助を呼び止める声がひとつ。

「……およ? おー、リタちゃんじゃん。どったの?」
「あ、あの……その……」

 もじもじと身体を揺らし、後ろに何か隠すリスタル。
 日に当たっていない全く日焼けしていない肌。
 そんな顔を朱に染めて、視線を泳がせる彼女に、平助はピンッと頭上へLEDライトを照らす。

「もしや! リタちゃん、俺っちにバレンタインのプレゼントを持ってきてくれたのですか!?」
「ッ……こ、これ……」

 益々顔を赤くしながら、リスタルはゆっくり頷いて、おずおずと包みを手渡す。
 香ばしい匂い。クッキーだと、平助は悟った。

「ちょこ……あんまり、すきじゃないって、きいたから……」
「ひゃっふぉぉぉぉいッ!! 女子からクッキー、バレンタイン! 俺っち初めて貰ったー!」
「……え? せぶんすたーずの、おんなのこたち……からは?」
「鳳龍院さんも委員長も、チョコは毎年戌っちにしか渡してねーんだ」

 差別? いえいえ、区別です。
 躑躅も九々も、友チョコや義理チョコなるものは渡さない主義なので。

「まあね、いんだよ俺っちは別にね? 扱いが雑なのは今に始まったことじゃないし、雑に扱われて然るべきキャラだし? そも、覗きとかその他諸々やって通報もされず許して貰ってる時点でかなり優遇されてるよね!」
「……ぽじてぃぶしんきんぐ……」
「前向きさなら戌っちにだって負けねーさ! だって俺っち、オトコノコだもん!」

 その割には、今ひとつ強がっている感が拭いきれない平助だった。
 目尻に若干光るものが見えるのは、彼の名誉のために指摘しないのが優しさだろう。

「――だが! 俺っちは今日、人生初のバレンタイン勝ち組加入を果たした! ザマーミロ世界中の非モテ共、今日から俺っちは天上人だぜ、ぶはははは!」
「あ……その……くっきー、つくるのなんて、はじめてだったから……あんまり、おいしくないかも――」
「うめー! ヤベーうめー、美人の作るもんは何でもかんでもうめー!!」

 自信なさげに右肩下がりな声を出すリスタルの言葉が終わるより早く、包みの中身を貪り始める平助。
 微妙に形の歪んだクッキーを、怒涛の勢いで食べていた。

「うっうっ……あんがとねリタちゃん、こんないい思いさせて貰っちゃって! あれ、もしかしてこれ、俺っち明日死ぬ? 明日死ぬから、最後の思い出に神様が今日をくれた?」
「……おおげさよ……ばーか」

 くすくすと笑うリスタル。
 それに連られて、平助も笑う。

 通りがかったメイドが、咳き込んで砂糖を吐いていた。





 ~美作サクラの場合~


「戌伏。これ、あげるわ」

 宮殿内を歩いていた夜行のコート裾を掴んで引き止め、胸の谷間から箱を引っ張り出したサクラ。
 そしてそれを夜行に手渡すと、何事も無かったかのように去って行った。

「……え?」

 残された夜行は、ふと手中の箱を見下ろす。
 体温が移っているからか、少し温かい。
 と言うか、あんな所に仕舞ってあった物をどうすればいいのか。

 やっと完成したチョコを意気揚々と渡しに来た九々に声をかけられるまで、夜行はずっと悩み続けるのだった。





 ~戌伏夜行の場合~


 妙に気疲れした心地で、夜行はとっぷりと日も暮れた頃合に自室へと戻った。
 原因は言うまでもない、サクラから貰ったチョコレートだった。

「こ、これは食っていいのだろうか……美作さんの胸に入ってたってことは、これを食ったら間接的にあの爆乳を……」

 風の噂では、そろそろGからHに移行しそうとのこと。
 小柄な身体を飾るたわわな果実。
 トランジスタグラマーは人類の半分を狂わせる悪魔の産物だと、地味に混乱している頭で夜行は思った。

 ちなみに人類の半分とは、当然男性のことである。

「ああ、いつか間違いを犯しそうで怖い……」

 何せ最近仕草のひとつひとつに色香漂う九々や、物理的な距離が改めて考えてみればあまりに近い躑躅とも異なり、サクラはただ立ってるだけでもエロいのだ。
 そこに畳み掛ける形で流し目でも向けられようものなら、日によっては理性を断ち切られかねない。
 満月の晩とか、昂ぶりやすくなってるし。

「……まあいいや、とにかく今日はなんか疲れたから寝よ……うん?」

 ベッドに向かおうとした夜行は、ふと違和感を覚える。
 そして気付いた。テーブルの上に、ちょっとした小山が出来ていたことを。

「なんだこれ」

 朝、部屋を出る時にはこんな物無かった。
 首を傾げ、何かの包みらしきそれを持ち上げてみると、挟まっていたカードがひらひら落ちる。


『ハッピーバレンタイン。今年こそは魔族が人間界を征服させて頂きます』


 裏返して宛名を見ると、こう書かれていた。
 ――ホイットニー=カーミラ。

「何であの女がバレンタインチョコ送ってくるんだよ!?」

 思わず夜行は突っ込んだ。
 包みを開けるとそれは美味しそうな高級感溢れる箱詰めチョコが入っていて、微妙に腹が立つ。

 ……となれば、まさか他のも。


『おめでと。こんどこそ、たたきのめしてやる/ホウジ』
『私、正義、私、正しい、正しいからお前は悪、悪は殺す、必ず殺す/クリスティアーネ=ラ・ヴァナ』


 そんなカードと共に、ホウジからは五目いなり。
 クリスティアーネからは、ムカつくほど上手な手編みのマフラー。
 ゾンビのくせに、どうやって編み物などやったのだろうか。

「……『星喰』って、意外と律儀なんだなぁ……」

 でも、どうして纏めて俺に送ってくるんだろう。
 なんとも釈然としない気持ちを抱えながら、まだひとつ残っていることに気付く夜行。

 クランベリーとブルーベリー、そしてオレンジの3色チョコ。
 添えられたカードには――短く、ひと言。


『あげる/星音茉莉夏』


「…………」

 2秒もあれば簡単に読み上げられるそれを、夜行は暫し手にしたままでいた。
 そして彼はゆっくりとカードをテーブルに置き、3色チョコを取る。

 小さなそれを、ひとつ口に放った。
 曖昧な表情で噛み砕き、飲み込んで。

 静かに声を響かせ、呟いた。


「……砂糖と塩、間違ってやがる」




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