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第二部 1章 森の国

闇への出立

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 ――燃え盛る村からの黒煙を背に、ニーヴァとマレイシャは森を駆けていた。

「ハァ……ハァッ……!!」
「あうあうあうあう……」

 木の根や岩を跳び越え、背後より響く不穏な喧騒から少しでも遠くへ離れようとする2人。

 だが。ラーダとの戦闘で受けた傷と、ホイットニーの操る人形達からの逃走による消耗。
 無傷のマレイシャはともかく、ニーヴァの身体は最早限界に近かった。

「ううぅ、こんなことならもっと薬を作り溜めしとくんだったよう……」

 後ろを警戒する余裕すら残っていない彼女に代わり、ちらちらと追っ手が来ていないことを確認しながら、ふと悔いるような言葉をマレイシャが吐き出す。
 手持ちの回復薬ポーションでは、ニーヴァに応急処置を施す程度しか出来なかったのだ。

「ハッ……らしくねえじゃねえか、ノーテンキ小娘が……ゴホッゴホッ!!」
「ニーヴァさん!?」

 疲労した身体に鞭打った所為で、塞がったばかりの傷が開いたのだろう。
 激しく咳き込み、少量だが吐血するニーヴァ。
 そのまま彼女はおぼつかない足取りで、よろよろと近くの大樹へもたれかかった。

「ニーヴァさん、大丈夫!? しっかりして!」
「チッ……体力落ちたな……煙草、やめるか……」
「1日60本のヘビースモーカーが何か言ってるよー! きっと肺癌が脳まで回ったんだ、もう手遅れだよー!」

 ……何やら失礼なことを耳元で小うるさく喚き立てるマレイシャに、一発拳骨でも落としてやりたかったけれど。
 全身が鉛のように重いこのザマでは、もうそれすら出来そうになく。

 口の端から零れ落ちた血を、緩慢な動作で拭いながら。
 ニーヴァは光の弱まった眼差しで、すぐ傍の少女を見た。

「……おい、マレイシャ……ウチのことは、ここに置いてけ。お前だけでも、逃げろ」
「ヤダ!」

 刹那の逡巡すら挟まない即答。
 予想通りな反応に、力なく苦笑するニーヴァ。

「言うこと聞きやがれ……お前の、フロイライン家の製薬技術があれば、どこだってお前を歓迎する。取り敢えず、向かうなら帝国だな……ヤコウ達を、頼れ」
「ヤダ!」

 またも即答。更には背負ってでも運ぶとばかりに、マレイシャがニーヴァへと肩を貸す。
 小柄と言えどエルフ。その身体能力は、人間の大人より高い。
 身長差がかなりある所為で彼女の足を引き摺るような形になりながらも、マレイシャは進み始めた。

「行くならニーヴァさんも一緒! ボク1人じゃ道わかんないもん、森から出たことないんだから!」
「……お前な――」
「絶対一緒!」

 声を張り上げ、ニーヴァの言葉を遮るマレイシャ。
 その声色は、僅かだが震えていて。

「自分の母親を見捨てる娘がどこに居るのさ!」
「……いつからお前は、ウチの娘になったんだよ……つかウチ、独身だぞ……」
「死んだママの代わりにボクを育ててくれたのはニーヴァさんだもん! 何があっても一緒、見捨てるくらいならボクもここで死ぬ!」

 ――それは有無を言わさぬ、決意の篭った叫びだった。

「……マレイシャ……」

 ニーヴァは、口を固く結んだ彼女の目尻に溜まった、今にも零れてしまいそうな滴を見て。
 それ以上、何も言えなくなってしまった。

「残す側は、いつだって残される側の気持ちなんか考えちゃくれない……置いてかれるのは、もう嫌なんだよう……!」
「ッ……」

 ――残される側。
 その言葉に、ニーヴァの中にあった古い記憶が揺り起こされた。

 遥か昔に殺された、両親と義姉。
 そして、兄との決別。

 マレイシャの言葉を借りるならば、ニーヴァもまた『残される側』だった。
 故に今、自分がしようとしたことがどれだけ残酷なのかを。遅れながら、理解する。

「……そうだな……置き去りにされるのは、辛いよな……悪かった。もう1人で逃げろなんて言わねぇよ」
「分かってくれればいいのです! さ、早いとこ遠くへ逃げようじゃ――」


「ねぇ」


 ――とんっ。

 頷き合った2人の耳へと、不意に届いたのは。
 そんな短い呼び掛けと、ひどく軽い着地音。

「――――ッ!?」

 オレンジ色と、藍色と、赤紫。
 三色に彩られた長い髪を小洒落たシュシュでポニーテールに纏めた、血色の悪い痩せぎすの少女。

 ――『星喰』と名乗った者達の1人が、ニーヴァ達の眼前に立っていた。

「あんまり騒いでると、そうやって逃げ回る意味なくない? 現にこうしてマリに見付かっちゃったしー」
「な……て、めえ……!?」

 一体、いつの間に。
 戦慄を露わとしつつ、ニーヴァは内心でそう呟く。

 ……疲弊と消耗で注意力が落ちていたとは言え、決して警戒を怠っていたワケではない。
 にも拘らず、声をかけられたその瞬間まで。ニーヴァもマレイシャも、少女の存在に全く気付くことができなかった。
 僅かな気配すら感じさせず、数メートルの間合いにまで踏み入る技巧。
 立ち姿の所作から感じられる、手練れ特有の呼吸。

 そして――心臓を握り潰されそうな程に濃密な死の臭いを、彼女は漂わせていた。

「(な……なんなんだよ、コイツは……人間、なのか……?)」

 外見は、紛れもなく人間。それも歳若い少女。
 けれど彼女の纏う雰囲気も、エルフの目で見通せる心も。
 いっそありえないくらいに、人間離れしていて。
 少女を、人間以外の何かに幻視させた。

「(得体の知れねぇ……! コイツ、ドウサンや兄貴とは全く別の意味でヤバい……!!)」

 ふとニーヴァは、少女の心が示す色合いに一瞬だけ夜行を連想したけれど。
 どう見ても全くの別物。何故そんな考えが頭をぎったのか混乱するいとまもなく、思考を振り払う。

「くッ……」

 余計なことになど気を回している場合ではない。
 今、ニーヴァが考えなければならないのは、如何にしてこの局面を乗り切るかのひとつに尽きる。

 2人揃って生き残れる確率は、少女の出現により潰えた。
 それどころか、ボロボロの自分ではマレイシャ1人を逃がすことすら難しい。

 ぎりっと音が鳴るほどに、強く歯を軋ませるニーヴァ。
 己の無力さを呪いながら、それでも何か手はないかと思案思索を巡らせる。

 ――その時だった。


「……ホラ、こっち」


 唐突にニーヴァ達へ背を向ける少女。
 次いで彼女は、肩越しに指先を動かす。

 まるで、ついて来いとでも言わんばかりに。

「取り敢えず、他の連中に見付からないとこまで連れてってあげる。あとは自分で何とかしてよ、マリにだって立場があるんだから」
「……なん、だと?」

 次いで放たれたのは、想像だにすらしなかった台詞。
 ニーヴァはいよいよ理解が及ばなくなったのか、目を見開き呆けた声を出す。

「ほえ? わー、助けてくれるの!? やったねニーヴァさん、ボク達これで大逆転だよ!」

 対して、飛び跳ねるような勢いで喜ぶマレイシャ。
 何の疑いも持たず、少女の後へ続こうとする。

「なっ……オイ待て、この馬鹿娘!」

 だが、当然そんな行いにニーヴァが何も言わず従うワケなどない。
 マレイシャを押し留め、釣り上がった双眸で少女を睨み付けた。

「手前……村を襲っといて、ウチ等の仲間を殺しておいて、次は助けるだぁ!? そんなモンをはいそうですかと信じられると思ってんのか!?」
「…………」
「なんのつもりかは知らねぇが、誰が思惑通りにしてやるか……どうせ殺されるんなら、せめて一矢報いて――ッ!?」

 語調を荒げたその言葉は、しかし最後まで続かなかった。
 一瞬で距離を詰めた少女の手が、素早く口を塞いだのだ。

「……あのさぁ、立場分かってる? 騒いだらマズいっての分かんない? ホウジちゃんなら幾らでも誤魔化せるけど、もしカミュらんあたりにバレたらすっごい面倒なワケよ」

 手はさほど強く添えられていないにも拘らず、どれだけ抵抗しようと外れない。
 青白い肌に濃い隈の浮いた眼差しが、じっとニーヴァに向けられる。

「どうしても死にたいなら止めないけど、そっちの子は違うでしょ? ここは騙されたと思ってついて来た方が、幾らかお利口さんだと思うけどにゃー」
「ッは……」

 言い終えると同時に、少女はバックステップで距離を取った。
 そして踵を返し、2人の前を歩き始める。

 未だ納得していない様子で、ニーヴァが再び口を開こうとするが。
 次にそれを止めたのは、少女ではなくマレイシャだった。

「大丈夫だよ、ニーヴァさん。よく見て、あの人嘘ついてないから」

 示されるままに、目を凝らす。

 ……先程は心そのものの異常性にばかり意識が向いていたため、確かめようとする気さえ湧かなかったけれど。
 マレイシャの言う通り――少女の心に、偽りの色は一切浮かんでいない。

 つまり、彼女は。
 本気でニーヴァ達を、ここから逃がそうとしているのだ。

「……ワケ分かんねぇ……手前、クソ兄貴の……ラーダやドウサンの仲間じゃねぇのかよ」
「仲間だよー。協力することを契約した相手を、そう呼ぶならねー」

 ひらひらと手を振りながら、背中越しに告げられた気のない返答。
 言葉や行動が真実だと分かっても、ニーヴァには少女が何故このようなことをするのかが理解できなかった。
 故に、問う。

「じゃあ、何でウチ等を助ける。手前が魔族側なら、どうして」
「…………」

 その問い掛けに、少女は暫し沈黙する。
 そして、幾らかの間を置いた後に返ってきた答えは、ひどく淡々とした口調により紡がれたもので。

「……マリは痛いのが嫌いなの。それだけだし、いいじゃん別に理由なんてどーでも。つか、お喋りしてる暇があったら足を動かせっての」

 説明になっていない説明。真意など何ひとつ分からなかった。
 これ以上何かを話す気は無いのか、少女は歩調を少しだけ速め、強引に会話を断ち切る。
 そんな彼女に続くマレイシャ。ニーヴァは未だ完全には納得行っていなかったが、相手の様子から問うだけ無駄と判断したのか。

「……ワケ分かんねぇ」

 最後にひとつ、先程と同じひと言を呟いて。
 先へと進む2人を、疲労で震える脚に鞭入れ、追いかけた。





 ……そうやって、ニーヴァとマレイシャが、少女――茉莉夏に案内されたのは、この洞窟だった。
 彼女達が来た時には、既に何人ものエルフが匿われていて。
 恐らくはその中の誰かから、ここのことを聞いたのだろう。

「まあ、その辺は別に大したことじゃない……彼女の行いがなければ、ワタシもマレイシャも、今生き残っている者達の大半も、どうなっていたか。理由や真意はどうあれ、感謝している」
「…………」

 調理台に置かれていた葡萄を一粒口に放り込み、大きく、けれど静かに息を吐いたニーヴァ。
 彼女の話を聴いていた夜行は、ふと頭上を仰ぎ……そして苦笑した。

「……そっか」

 どこか安堵したような、短いひと言。
 それ以上を言葉にはせず、胸の内で思いを馳せる。

 ――雑な言葉遣い、派手な外見、他人を見下した態度。
 夜行の知る、星音茉莉夏と言う少女は。そうした幾つものパーツとは裏腹に、暴力や争いごとを嫌う優しい性根の持ち主だった。
 向こうから一方的に別れを告げられた関係とは言え、元恋人。どんな人間であるかは、ひと通り理解している。

 故に。変わっていなくて、安心した。
 茉莉夏が村人達をこっそり匿うくらいのことをしても、彼の中では特に不思議はない。
 

「…………」

 そして、だからこそ不可解だった。
 諍いを好まない筈の茉莉夏が、何故『星喰』の1人として魔族についているのかが。

 夜行達と同様に、自らの意思に反して召喚されたのか。
 だがもしそうだったとしても、彼女が素直に戦争へ参加するとは、どうしても思えなかった。

 少しの間思案を巡らせる夜行だったが、自身を納得させるような推論は出ず、首を傾げるばかり。
 当然だろう。情報が少な過ぎるし、元より彼は物事を推理したりするのがお世辞にも得意とは言えないのだから。

 ――ならば、事実を知るにはどうすればいいのか。
 思考の方向性を変えた夜行が出した結論は、至ってシンプルなもの。

「……直接聞くしかない、か」

 気は進まないが、それしか無い。

 相手は自分と同じビースト系のクラス所持者ユーザー。加えて、恐らく夜行よりも『始原の獣』との親和性は上。
 一朝一夕でどうこうなる相手ではない。少なくとも、己の獣性を全く制御出来ていない現状では、戦えば寧ろ負ける確率の方が高いだろう。

 ……本音を言ってしまうと、戦いたくなどなかった。
 嫌いだなんだと嘯きながらも、結局のところ夜行はまだ、茉莉夏を好いている。
 身内と争うなんて最悪の気分だ。背中に蟲が這い回るよりも酷い。

 気は進まない。気乗りする筈も無い。
 だが、相手は身内だった・・・と言えど、今は敵対者。
 いずれにせよ、戦いは避けられなかった。

「気分悪りぃことに変わりはないが……なあ、ニーヴァちゃん」
「?」

 未だ揺らぎは残るも、固まった決意。切り替えの早さは、夜行の長所である。
 そして傍らのニーヴァへと、彼は問いかけた。

「……ここから1番近いSランクダンジョンって、どこにあるんだ?」

 ――必要なのは、力。
 茉莉夏を殺さず捕らえるには、彼女よりも強くなければならない。

 餌が、要る。




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