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3巻
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隊内序列。
帝国決戦部隊『セブンスターズ』の結成、及び命名に並ぶ形で、帝国第2皇女クリュス=ラ・ヴァナの独断と偏見により定められた、夜行達の隊員番号である。
判断基準は、主に部隊を構成する勇者7人それぞれの総合的な戦闘能力。
防衛戦、攻城戦、護衛戦、白兵戦、集団戦、個人戦、殲滅戦、奇襲戦、持久戦、短期決戦。
より多様な状況下にて高い能力を発揮できる者ほど、上位の番号が与えられている。
とは言え、実のところこの序列自体にはさして深い意味など存在しない。
何せクリュス曰く「こんなのあった方がカッコ良くないですか?」という気紛れ、思い付きの下で作られたもの。本当に、ただそれだけだったりするのだ。
だが、世界最大の大国を一身に背負う皇女の人を見る目、眼力とでも呼ぶべきものは、伊達ではない。
各々へと与えられたその数字は、割かし適当に決められたものであるにも拘らず、存外に正確だった。
――『セブンスターズ』は、魔族との戦争における切り札。
クリュスが神に国家予算半年分にも相当する財を供物として捧げ、召喚した存在である。
極短期間で魔族達より強くなるべく、全員が特化型の力を与えられ、更にはレベルの上昇率にも大きく補正が掛けられている。
だからこそ彼等7人は僅かひと月少々の準備のみで、獣人やダークエルフで構成された魔族もどきの軍勢を圧倒するだけの強さを得た。
そればかりか未だレベル30にさえ至っていない状態であるにも拘らず、一部のステータスは既に魔族級の数値へと到達する勢いだった。
無論特化型であることから、他のステータスの中には人間の一般兵士以下の数値を示しているものもある。7人の殆どが、何らかの形で明確な欠点を抱えていた。
しかし、彼等は1人ではない。特化している力も、それぞれ方向性そのものから異なっている。
寄り集まれば各々抱える弱点や欠点はほぼ消え去り、利点長所だけを存分に活かすことが可能となる。
元よりそれを想定して、勇者は複数召喚された。
各々の特性、適性がまるで重ならない以上、一概に誰が最も強いと断言することは難しい。
置かれた状況に応じて、発揮できる力が全く変わってしまうからだ。
そんな、状況によって激しく能力が変動する面々の中でも、振れ幅が安定している者ほど高い数字が与えられる。
要は戦場で使い勝手の良い順に、振られていく番号。
それこそが隊内序列である。
『セブンスターズ』隊内序列7番、『滅魔導』伊達雅近。
今戦における魔族軍討伐数、7031人。
『セブンスターズ』隊内序列6番、『狙撃手』雪代九々。
今戦における魔族軍討伐数、808人。
戦い――否。
そもそも戦いとは、両者間の力量がある程度拮抗しなければ成り立たないもの。
故に今繰り広げられているのは、最早そのような次元を軽く飛び越えた、単なる蹂躙劇だった。
Ψ
一瞬で軍勢の過半数と退路が消し飛び、そこからたった6人の手で加速度的に数を削られる魔族軍。
彼等は応戦どころか、陣形も指揮系統もほぼ完全に崩壊し、半ば烏合の衆へと成り果て、ワケも分からず屠られた。
どうにか生き残りの指揮官達が集まり、辛うじて態勢を立て直した頃には、1万2千の軍はほんの数十分で僅か3千。当初の4分の1にまで、その勢力を弱めていた。
しかも、橋が崩落した為に撤退することさえ出来ない。
かと言えど獣人やダークエルフ達は、降伏することなど考えすらしていなかった。
彼等は遥か昔に魔族の眷属へと堕ちはしたが、両種族共に気位の高さは筆舌に尽くし難い。
そして基本的に、人間を蔑視している。
彼等がその人間に頭を垂れるなど、劣等種の軍門に降ることなど、生まれながらの上位種である誇りが、決して許しはしなかった。
好戦的で凶暴な獣人、とことん人間を見下しているダークエルフ。
予想だにしていなかった劣勢へ追い込まれようとも、彼等の士気が下がることはない。
何故なら相手は所詮人間で、それも高々数人程度。
相当の手練れであることは確実にしろ、劣等種であることは何ら変わらないのだ。
どんな手を使ったのかは分からないが、確かに先程の奇襲で甚大な被害を受けてしまった。
けれど、潰されたのは後方の援護部隊のみ。前衛の主力部隊は未だ3千少々残っているし、橋が自己修復を終えれば、既に本陣を出発している筈の後続とも合流できる。
要するに、ほんの数時間だけ待てばいい話だった。多少予定は狂ってしまったが、本当にただそれだけの話だった。
冷静になって攻めれば、こんな状況すぐにでも覆せる。魔族軍の指揮官達は、そう信じて疑わなかった。
古来より寡兵で大軍を打ち破ってきたのが魔族。
物量に頼るしか能のない脆弱な人間風情に、このような状況で敗北を喫するなど有り得ない。
過去のあらゆる戦いの結果が、それを如実に物語っている。
相手の手勢は両手の指で足りる、やもすれば1部隊とさえ呼べない程の少数。
その中の1人か2人でも討ち取れば、一気に形勢は傾く。
分断して各個撃破に臨んだなら、恐るるに足ることなど何ひとつ存在しない。
――そう判断した魔族達は、前線で暴れ回る5人の敵を押し潰すべく、指揮官の命令の下、攻勢に出るのだった。
Ψ
「うおっとっとぉ!」
迫り来る白刃を、大きく後ろに跳ぶことでかわす平助。
その先に待ち構えていた獣人兵の槍も、身体を捻って素通りさせた。
「っぶねー。当たったら痛てーじゃ済まないっしょ、コレ……ほっと!」
ぼやきつつ、四方八方から飛び交ってくる攻撃の悉くを回避する。
しかしながら、避けても避けてもまるでキリが無かった。
魔族軍は雅近の放った最初の一撃で受けた損壊と混乱から態勢を立て直したらしく、最初よりも統制の取れた動きで、次々と襲い掛かって来る。
「お陰で皆バラけちったし……そいつは最初からか」
何せ平助達7人は結局、今日に至るまで合同訓練を一度もしていない。
故に慣れない、出来もしない連携を取るより、スタンドプレーで戦った方が寧ろ良い。
そんな考えによって、彼等は戦闘開始直後から各々好き勝手に動いていた。
それに加えて前衛組5人を分断しようとする魔族達の動きによって、完全にバラバラとなった平助達。
「皆に釣られて、思わず一緒に突っ込んでしまった俺っち。正面切っての戦闘、得意でも専門でもないのに」
そう、平助のクラスは『暗殺者』。
一応戦闘タイプのクラスではあるが、搦め手や奇襲に特化した中衛型。
当然ながら受けてきた訓練も、そうした状況でこそ最も力を発揮する内容のものである。
その上、手持ちの得物は全てが暗器。
要するに、服の中に隠せる程度の大きさしかない。完全武装の敵を相手とするには、余りにも心許ないものばかり。
武器の扱いに特別秀でているワケでもないのに、袖に忍ばせたナイフでどう剣や槍の相手をしろと言うのか。普通に無理である。
「マジで無理無理リームー。えーと、毒煙玉とか風に乗って、皆のトコまで行ったらシャレになんないし、仕込み矢は全部使っちゃったしー」
あと何かあったっけなーなどと呟きつつ、服の中をゴソゴソと漁る平助。
そうこうしている間にも、魔族軍の兵士達は絶え間なく襲ってくる。
だが平助は軽快に動き回り、特に危なげも無くかわしていた。
クラス技能『気配消失』を散発的に使用しており、囲まれそうになればフッと姿が消え、そして少し離れた場所に現れると、また攻撃をかわす。
「……あららら、完全にネタ切れだわコレ。使えないのと、使い物にならないのと、使っちゃったのしかもう無いわ」
毒煙は、丁度平助から見渡して全方位に仲間がバラけている為、風向きに関係なく使えない。
極細のワイヤーを張り巡らせようにも、こんな橋の上ではそもそも引っ掛ける所が無い。
仕込み矢、手裏剣、投げナイフ、含み針。この辺の飛び道具は、使い切って残数ゼロ。
最早逆立ちしようとポケットを裏返そうと、大した物など出てこない。
袖の中に隠し持った、得物の中では最も大振りなナイフを取り出し、手近な兵の背後を取って首を掻き切る。
――そろそろ、のらりくらりと逃げ回るのも限界そうだ。
そう思い、辺りを見渡した平助は、この上なく深々と溜息を吐いた。
「やだなーマジで、野郎ばっかの団体さんとか。もっとこう、丈が攻めまくりのミニスカ穿いた女剣士とか、殆ど痴女みてーな格好したダークエルフのエロい魔女とか、そんなのを望んでたんだよ俺っちはさあ」
それが蓋を開けてみればどうだ、眼前に広がるこの光景は。
さながら、男だらけの満員電車に乗っている気分だった。
「最悪、ホンット最悪! 俺っちがこの世で何より嫌いなものはさ、メイド服着たオッサンと、男しか居ない満員電車なんだよ! 何この状況、すっごい腹立つ!」
或いはもしかすると、自分の望んでいたエロ担当な女性兵士は、壊滅した後方部隊にでも固まっていたのかも知れない。
さっきから目を皿にして戦場を隅々まで見渡しているにも拘らず、雌の獣人も女ダークエルフも全く見当たらないのだ。
「ちくしょー、恨むぜ伊達っち……都合良く女の子だけ残しとくとかしてくれよ、ホント」
嘆くかの如く天を仰ぎ、ひと筋の涙を落とす平助。
そして気付けば、数百人の魔族軍兵士達に囲まれていた。
「おうふ……これだけ居て、全部野郎かよ。サービス精神の欠片もありゃしねー」
武器は尽き、四方八方から取り囲まれたこの状況。しかしそんな中に在っても、平助の顔に浮かんでいるのは、単純な落胆とやるせなさだけだった。
恐怖も絶望も一切含まれていない、普段と何も変わらない声音でボソッと呟く。
「しゃーない、ここは遠くの薔薇より近くのタンポポを取るか」
この場に居ない者を探したところで、全く時間の無駄でしかない。
だったら、確かに存在している者を目指そうじゃないか。
――パチンと、平助がおもむろに指を鳴らす。
喧騒極まる戦場の中に、その乾いた音は不思議と良く響き渡った。
その瞬間、地面から突如として突き出た無数の槍が、10人近くの魔族兵を串刺しにした。
「なあ、知ってるか? 蜘蛛って奴は、長い時間かけて巣を作るみたいなイメージあるけど、実際は1日足らずで完成させるそうだぜ」
次いで彼は、小さく足踏みをする。
それを合図に今度は大穴が穿たれ、数人が呑み込まれる。
再びトントンと足踏みの音が響くと、穴はまるで最初から存在しなかったかのように消え去った。
「俺っちの巣へようこそ! 野郎ばっかり来てくれて、俺っち全く嬉しくねーけどな!」
両腕を広げ、平助は高らかに声を張り上げた。
「ま、折角来てくれたんだ。茶は切らしてるから、代わりにたっぷり仕込んだ罠の数々でも、味わってってくれや」
平助を取り囲む、数百人もの兵士の外周をなぞるように、地面が爆ぜた。
「残念! 回り込まれてしまったぁ!」
爆ぜた地面から伸びたのは、茨のような形状をした長く鋭い刃。突き出した刃は十重二十重と複雑に絡み合い、まるで生垣のような様相を見せ、敵の周囲を取り囲んだ。
内部に閉じ込められる形となった魔族達は、そこでようやく気付く。
囲んでいたのではなく、囲まれていたことに。追い詰めたのではなく、追い詰められていたことに。
平助は、そんな彼等の中心で不敵に笑う。
そして――パチンと、指を鳴らすのだった。
串刺し、斬殺、爆死、火炙り、生き埋め、殴殺。
多種多様な死因の屍が転がる中、やれやれと嘆息する影が1人。
「あー、やっぱ逃げながら仕掛けるのはしんどかったですわー」
設罠系技『設置』。
手でも足でも、自分の触れた箇所へと瞬時に罠を作ることができる、『設罠マスタリー』による技である。
しかしながら、仕掛けた後に5分の間を置かなければ罠は発動させられず、更には半日放置すればそのまま消える。
他にも、罠が大規模になればなるほどSP(スタミナポイント)の消費量が跳ね上がる等の特性があり、中々に頭と体力を使わされる。
攻撃の回避や立ち位置の大まかな誘導などと並行して行うのは、かなりのホネであった。
「突っ込むべきじゃなかったんだよ、ホント。罠を仕掛けて待ち構えてれば良かったんだよ、正味の話」
こきこきと首を鳴らしながら、そう独りごちる平助。
とは言え、悠長に待ってなどいたら、恐らく活躍することなく他の皆に全て美味しいところを持って行かれてしまっていた。
それでは女子にキャーキャー言われるという目的が、果たせない。
結果的にはこうして無傷の勝利も達成できたし、今回はよしとしよう。
モテロードへの、モテモテ王への第1歩を、自分は今、確実に踏み出したのだ。
「そしてお次は近くのタンポポ摘み取り作戦だ! ダークエルフは諦め、代わりに我等がセッターの女性陣のピンチに颯爽と駆けつけることで、点数を稼ぐ!」
だが、これはこれで問題がひとつ。
一体誰の所に行くか、である。
九々は射程の関係からそもそもピンチに陥り難いので、却下。
となると、サクラか躑躅の2択になるワケだが。
「美作さんとか、実際鬼島っちとタメ張れるレベルの強さだからな……万が一彼女がピンチだった場合、寧ろ俺っちにどうしろと……? やっぱここは、か弱く清楚でちょっと天然入ってる鳳龍院さんか!」
しかも今なら、いつも彼女が引っ付いて回ってる戌っちも居ない!
フラグ建築のまたとないチャンス! この機を逃す手は無いぞ、平助ぇッ!
「男には、いや漢にはやらねばならない時がある……今がその時だ、待っててくれ鳳龍院さん!」
決意の咆哮と共に駆け出し、5メートル近い高さのある刃の生垣を平助は跳び越えた。
そしてそのまま、躑躅が居るだろう方角へと向かおうとするも、一度振り返る。
「…………南無」
そして、己が仕留めた数百人の亡骸に向け手を合わせる。
しばらくそうした後、平助は今度こそ走り出して行くのだった。
Ψ
ひとつ、問い掛けをしよう。
この世で、ありとあらゆる者が怖れ、慄き、退く存在。
果たしてそれは、何であろうか。
決して治すことの出来ない難病?
全てを蹂躙せしめる抗いようのない天災?
世界の創造主であり、森羅万象の理を定めた神?
恐らくは、どれも違う。
不治の病だからこそ、正面から立ち向かう医師が居る。
人は手を取り合い、どんな天災の猛威をも耐え忍ぶことが出来る。
宗教家達は神を妄信し、時にはその為に己が命さえも投げ出すだろう。
故に違う。万物から怖れられるには、いずれも程遠い。
そもそも明確な形あるものを、たとえ片鱗であっても自身に理解できる部分が存在するものを、全ての人間が真の意味で怖れることはない。
何故ならそれが何であるのかを正しく認識している、或いは正しく認識できていると思い込んでいるからだ。
全容の中で何かひとつでも自身の理解が及ぶ事柄が存在すれば、人はそれを拠り所に恐怖を跳ね除けられる。
つまり問い掛けの答えは、欠片たりとも人智が及ばない、理解も共感も勝手な決め付けも、何ひとつ入り込む余地すら無いもの。
『全く得体の知れない何か』である。
倒れる。倒れる。倒れる。
ぱたりぱたりと、次々と。それはさながら、糸の引き千切れた操り人形が如く。
倒れた者達は、その悉くが絶命していった。
ある者は苦しげに呻き、断末魔の声を上げて。またある者は、叫ぶことさえも出来ずただ苦悶の表情を浮かべて。
何が起きているのか、誰にも理解できなかった。
どうして周りの仲間達は死んだのか、誰にも何も分からなかった。
ただひとつだけ、明らかなことは――。
今こうして、目の前で起きている出来事を……一体誰が、引き起こしているのか。
「ふふふふ……」
控えめに響く、それでいて愉快げな笑い声。
美しく均整の取れた身体を包んだドレス。それと同じ色をした、広いつばを持つ帽子。
その下に覗き見えるのは、優しい笑みの形を作った口元。
パチリパチリと、手にした扇子を開いては閉じながら、躑躅は慈愛さえ感じられる柔らかな光を宿した青い双眸でもって、ゆるりと周囲を見渡した。
「ふふ、ふふふふ、ふふふふふふ……ねえ、どうしたのぉ?」
――そんなに怯えた顔をして。
「さっきまでの威勢は、どこへ行ったのぉ? アタシを捕まえて……何だったかな……確か、泣いて欲しがるようになるまでおかす、だったかしら」
よく意味が分からなかったけど、そんなことを言っていた。
その時にアホの柳本でさえ幾らかマシに思える下衆な顔してたから、多分碌なコトじゃないんだろうなぁ。
「しかもその後、不躾にアタシの肩を掴もうとしたわよねぇ? 妄りに女性の身体へ触れるなんて、ホント何を考えてるのぉ?」
自分からなら別にいい。でも、相手側から勝手に触れられるのは大ッ嫌い。
そもそも敵だってこともあったし、不躾極まるそのクズを、ついついぐしゃりと殺してしまった。
でも仕方ない。敵だし、下衆っぽかったし、獣人だし。
「どーぶつってキライ……アタシを見たら、逃げるか唸るかしかしないんだもの」
――以前、地元に新しく猫喫茶が出来て、夜行君に誘われ一緒に行った時なんて最悪だった。
店の猫が1匹も寄って来ず、猫派な彼は、自分が嫌われたのだと思い込んで大層傷付いていた。
最終的には半泣きになった。そんな姿にちょっとキュンとはきたけど、以来アタシの動物嫌いは更に拍車がかかった。
ぱたぱた扇子を振りながら、躑躅は深く嘆息する。
「……それでぇ? 話は戻るけど、最初の勢いはどうしたのぉ?」
来るなら早く来いと言わんばかりに、ゆっくりと手招きする躑躅。
いつも通りの、淡く優しい笑顔で。いつもと何も変わらない、そっと奏でるような声色で。
対し、兵士達は歯噛みする。
物腰こそ穏やかだが、挑発を受けていることは言うまでもなく明らかだった。
自分達より下等な存在である人間に侮られ、堪え切れない憤りを抱いてもいた。
だが、踏み出すべき足が動かない。
彼等をその場へと縫い止める要因は、目の前で事切れている仲間達である。
どうやって殺されたのか、そもそも何をされたのか。
何も分からないという恐怖が重りとなって、彼等に纏わりつく。
再び周囲を見渡した後、躑躅はクスリと笑った。
数で圧倒的に勝り、優位と信じて疑っていなかったろう彼等の余裕めいた表情が、今では一変して恐怖と警戒に彩られている。
そして、愚かにも自分の射程内で、無防備な姿を晒しているのだ。
「『呼吸強奪』」
適当な獣人兵の1人に掌を向け、それをぐっと握り締めて技を発動させる。
刹那。その兵士は構えていた剣を取り落とし、喉を押さえ倒れ込んだ。
兵は声にならない声を絞り出してのたうち回り、一度顔を真っ赤に染め上げる。
やがてそれが蒼白と化していくにつれ、まるで陸に上がった魚のように、少しずつ動きが弱々しくなっていく。
数分の後……苦悶の表情を浮かべたまま、ぱたりと動かなくなる。
またも1人。それも相当な苦しみを見せ、死んでいった。
「ふふふふ……」
躑躅はその姿を見遣りながら、相変わらず笑っていた。優しい優しい、慈しみを湛えた笑顔で。
兵士達が、いよいよその身を震わせ始める。
もう彼女がどのような手段で攻撃をしているのかなど、どうでもよくなった。
今、彼等の思考を一様に埋め尽くすのは、ただひとつの事実。
――この女は危険過ぎる、頭がおかしい。
タネの全く分からない、それでいて極めて殺傷性の高い攻撃手段。
尋常でない痛みと苦しみを他者に向け、罪悪感をまるで抱かないどころか愉悦さえ抱く精神。
殺しに躊躇がない、なんて生温い話ではない。嬉々として殺しにかかってきている。
恐怖と怯えにより心を折られ、恥も外聞もなく彼女から逃げ出そうとした兵士達だが、逃げることは叶わなかった。
その理由は……まるで、幼子のように単純なもの。
怖くて身体が、動かなかったのだ。
「アナタ達はぁ、すぐにでも逃げるべきだったのよ? アタシは足が遅いから、逃げられたら追いかけようがないもの」
根本的な選択ミスであった。
彼女の距離でまともに戦って、勝てる者などほぼこの世には存在しない。
鳳龍院躑躅と戦闘行為に入った時点で、大半の者は既にゲームオーバーとなる。
逃げることだけが、彼女を相手取って生き残る手段と言えるが、最早手遅れ。
「射程31メートル。その中に在るものなら、アタシは何でも奪い取れる」
呼吸機能だろうと、血流だろうと。なんだったら、心臓や脳髄そのものだって簡単に。
……ハッキリ言って汚らしいから、触りたくないけれど。
帝国決戦部隊『セブンスターズ』の結成、及び命名に並ぶ形で、帝国第2皇女クリュス=ラ・ヴァナの独断と偏見により定められた、夜行達の隊員番号である。
判断基準は、主に部隊を構成する勇者7人それぞれの総合的な戦闘能力。
防衛戦、攻城戦、護衛戦、白兵戦、集団戦、個人戦、殲滅戦、奇襲戦、持久戦、短期決戦。
より多様な状況下にて高い能力を発揮できる者ほど、上位の番号が与えられている。
とは言え、実のところこの序列自体にはさして深い意味など存在しない。
何せクリュス曰く「こんなのあった方がカッコ良くないですか?」という気紛れ、思い付きの下で作られたもの。本当に、ただそれだけだったりするのだ。
だが、世界最大の大国を一身に背負う皇女の人を見る目、眼力とでも呼ぶべきものは、伊達ではない。
各々へと与えられたその数字は、割かし適当に決められたものであるにも拘らず、存外に正確だった。
――『セブンスターズ』は、魔族との戦争における切り札。
クリュスが神に国家予算半年分にも相当する財を供物として捧げ、召喚した存在である。
極短期間で魔族達より強くなるべく、全員が特化型の力を与えられ、更にはレベルの上昇率にも大きく補正が掛けられている。
だからこそ彼等7人は僅かひと月少々の準備のみで、獣人やダークエルフで構成された魔族もどきの軍勢を圧倒するだけの強さを得た。
そればかりか未だレベル30にさえ至っていない状態であるにも拘らず、一部のステータスは既に魔族級の数値へと到達する勢いだった。
無論特化型であることから、他のステータスの中には人間の一般兵士以下の数値を示しているものもある。7人の殆どが、何らかの形で明確な欠点を抱えていた。
しかし、彼等は1人ではない。特化している力も、それぞれ方向性そのものから異なっている。
寄り集まれば各々抱える弱点や欠点はほぼ消え去り、利点長所だけを存分に活かすことが可能となる。
元よりそれを想定して、勇者は複数召喚された。
各々の特性、適性がまるで重ならない以上、一概に誰が最も強いと断言することは難しい。
置かれた状況に応じて、発揮できる力が全く変わってしまうからだ。
そんな、状況によって激しく能力が変動する面々の中でも、振れ幅が安定している者ほど高い数字が与えられる。
要は戦場で使い勝手の良い順に、振られていく番号。
それこそが隊内序列である。
『セブンスターズ』隊内序列7番、『滅魔導』伊達雅近。
今戦における魔族軍討伐数、7031人。
『セブンスターズ』隊内序列6番、『狙撃手』雪代九々。
今戦における魔族軍討伐数、808人。
戦い――否。
そもそも戦いとは、両者間の力量がある程度拮抗しなければ成り立たないもの。
故に今繰り広げられているのは、最早そのような次元を軽く飛び越えた、単なる蹂躙劇だった。
Ψ
一瞬で軍勢の過半数と退路が消し飛び、そこからたった6人の手で加速度的に数を削られる魔族軍。
彼等は応戦どころか、陣形も指揮系統もほぼ完全に崩壊し、半ば烏合の衆へと成り果て、ワケも分からず屠られた。
どうにか生き残りの指揮官達が集まり、辛うじて態勢を立て直した頃には、1万2千の軍はほんの数十分で僅か3千。当初の4分の1にまで、その勢力を弱めていた。
しかも、橋が崩落した為に撤退することさえ出来ない。
かと言えど獣人やダークエルフ達は、降伏することなど考えすらしていなかった。
彼等は遥か昔に魔族の眷属へと堕ちはしたが、両種族共に気位の高さは筆舌に尽くし難い。
そして基本的に、人間を蔑視している。
彼等がその人間に頭を垂れるなど、劣等種の軍門に降ることなど、生まれながらの上位種である誇りが、決して許しはしなかった。
好戦的で凶暴な獣人、とことん人間を見下しているダークエルフ。
予想だにしていなかった劣勢へ追い込まれようとも、彼等の士気が下がることはない。
何故なら相手は所詮人間で、それも高々数人程度。
相当の手練れであることは確実にしろ、劣等種であることは何ら変わらないのだ。
どんな手を使ったのかは分からないが、確かに先程の奇襲で甚大な被害を受けてしまった。
けれど、潰されたのは後方の援護部隊のみ。前衛の主力部隊は未だ3千少々残っているし、橋が自己修復を終えれば、既に本陣を出発している筈の後続とも合流できる。
要するに、ほんの数時間だけ待てばいい話だった。多少予定は狂ってしまったが、本当にただそれだけの話だった。
冷静になって攻めれば、こんな状況すぐにでも覆せる。魔族軍の指揮官達は、そう信じて疑わなかった。
古来より寡兵で大軍を打ち破ってきたのが魔族。
物量に頼るしか能のない脆弱な人間風情に、このような状況で敗北を喫するなど有り得ない。
過去のあらゆる戦いの結果が、それを如実に物語っている。
相手の手勢は両手の指で足りる、やもすれば1部隊とさえ呼べない程の少数。
その中の1人か2人でも討ち取れば、一気に形勢は傾く。
分断して各個撃破に臨んだなら、恐るるに足ることなど何ひとつ存在しない。
――そう判断した魔族達は、前線で暴れ回る5人の敵を押し潰すべく、指揮官の命令の下、攻勢に出るのだった。
Ψ
「うおっとっとぉ!」
迫り来る白刃を、大きく後ろに跳ぶことでかわす平助。
その先に待ち構えていた獣人兵の槍も、身体を捻って素通りさせた。
「っぶねー。当たったら痛てーじゃ済まないっしょ、コレ……ほっと!」
ぼやきつつ、四方八方から飛び交ってくる攻撃の悉くを回避する。
しかしながら、避けても避けてもまるでキリが無かった。
魔族軍は雅近の放った最初の一撃で受けた損壊と混乱から態勢を立て直したらしく、最初よりも統制の取れた動きで、次々と襲い掛かって来る。
「お陰で皆バラけちったし……そいつは最初からか」
何せ平助達7人は結局、今日に至るまで合同訓練を一度もしていない。
故に慣れない、出来もしない連携を取るより、スタンドプレーで戦った方が寧ろ良い。
そんな考えによって、彼等は戦闘開始直後から各々好き勝手に動いていた。
それに加えて前衛組5人を分断しようとする魔族達の動きによって、完全にバラバラとなった平助達。
「皆に釣られて、思わず一緒に突っ込んでしまった俺っち。正面切っての戦闘、得意でも専門でもないのに」
そう、平助のクラスは『暗殺者』。
一応戦闘タイプのクラスではあるが、搦め手や奇襲に特化した中衛型。
当然ながら受けてきた訓練も、そうした状況でこそ最も力を発揮する内容のものである。
その上、手持ちの得物は全てが暗器。
要するに、服の中に隠せる程度の大きさしかない。完全武装の敵を相手とするには、余りにも心許ないものばかり。
武器の扱いに特別秀でているワケでもないのに、袖に忍ばせたナイフでどう剣や槍の相手をしろと言うのか。普通に無理である。
「マジで無理無理リームー。えーと、毒煙玉とか風に乗って、皆のトコまで行ったらシャレになんないし、仕込み矢は全部使っちゃったしー」
あと何かあったっけなーなどと呟きつつ、服の中をゴソゴソと漁る平助。
そうこうしている間にも、魔族軍の兵士達は絶え間なく襲ってくる。
だが平助は軽快に動き回り、特に危なげも無くかわしていた。
クラス技能『気配消失』を散発的に使用しており、囲まれそうになればフッと姿が消え、そして少し離れた場所に現れると、また攻撃をかわす。
「……あららら、完全にネタ切れだわコレ。使えないのと、使い物にならないのと、使っちゃったのしかもう無いわ」
毒煙は、丁度平助から見渡して全方位に仲間がバラけている為、風向きに関係なく使えない。
極細のワイヤーを張り巡らせようにも、こんな橋の上ではそもそも引っ掛ける所が無い。
仕込み矢、手裏剣、投げナイフ、含み針。この辺の飛び道具は、使い切って残数ゼロ。
最早逆立ちしようとポケットを裏返そうと、大した物など出てこない。
袖の中に隠し持った、得物の中では最も大振りなナイフを取り出し、手近な兵の背後を取って首を掻き切る。
――そろそろ、のらりくらりと逃げ回るのも限界そうだ。
そう思い、辺りを見渡した平助は、この上なく深々と溜息を吐いた。
「やだなーマジで、野郎ばっかの団体さんとか。もっとこう、丈が攻めまくりのミニスカ穿いた女剣士とか、殆ど痴女みてーな格好したダークエルフのエロい魔女とか、そんなのを望んでたんだよ俺っちはさあ」
それが蓋を開けてみればどうだ、眼前に広がるこの光景は。
さながら、男だらけの満員電車に乗っている気分だった。
「最悪、ホンット最悪! 俺っちがこの世で何より嫌いなものはさ、メイド服着たオッサンと、男しか居ない満員電車なんだよ! 何この状況、すっごい腹立つ!」
或いはもしかすると、自分の望んでいたエロ担当な女性兵士は、壊滅した後方部隊にでも固まっていたのかも知れない。
さっきから目を皿にして戦場を隅々まで見渡しているにも拘らず、雌の獣人も女ダークエルフも全く見当たらないのだ。
「ちくしょー、恨むぜ伊達っち……都合良く女の子だけ残しとくとかしてくれよ、ホント」
嘆くかの如く天を仰ぎ、ひと筋の涙を落とす平助。
そして気付けば、数百人の魔族軍兵士達に囲まれていた。
「おうふ……これだけ居て、全部野郎かよ。サービス精神の欠片もありゃしねー」
武器は尽き、四方八方から取り囲まれたこの状況。しかしそんな中に在っても、平助の顔に浮かんでいるのは、単純な落胆とやるせなさだけだった。
恐怖も絶望も一切含まれていない、普段と何も変わらない声音でボソッと呟く。
「しゃーない、ここは遠くの薔薇より近くのタンポポを取るか」
この場に居ない者を探したところで、全く時間の無駄でしかない。
だったら、確かに存在している者を目指そうじゃないか。
――パチンと、平助がおもむろに指を鳴らす。
喧騒極まる戦場の中に、その乾いた音は不思議と良く響き渡った。
その瞬間、地面から突如として突き出た無数の槍が、10人近くの魔族兵を串刺しにした。
「なあ、知ってるか? 蜘蛛って奴は、長い時間かけて巣を作るみたいなイメージあるけど、実際は1日足らずで完成させるそうだぜ」
次いで彼は、小さく足踏みをする。
それを合図に今度は大穴が穿たれ、数人が呑み込まれる。
再びトントンと足踏みの音が響くと、穴はまるで最初から存在しなかったかのように消え去った。
「俺っちの巣へようこそ! 野郎ばっかり来てくれて、俺っち全く嬉しくねーけどな!」
両腕を広げ、平助は高らかに声を張り上げた。
「ま、折角来てくれたんだ。茶は切らしてるから、代わりにたっぷり仕込んだ罠の数々でも、味わってってくれや」
平助を取り囲む、数百人もの兵士の外周をなぞるように、地面が爆ぜた。
「残念! 回り込まれてしまったぁ!」
爆ぜた地面から伸びたのは、茨のような形状をした長く鋭い刃。突き出した刃は十重二十重と複雑に絡み合い、まるで生垣のような様相を見せ、敵の周囲を取り囲んだ。
内部に閉じ込められる形となった魔族達は、そこでようやく気付く。
囲んでいたのではなく、囲まれていたことに。追い詰めたのではなく、追い詰められていたことに。
平助は、そんな彼等の中心で不敵に笑う。
そして――パチンと、指を鳴らすのだった。
串刺し、斬殺、爆死、火炙り、生き埋め、殴殺。
多種多様な死因の屍が転がる中、やれやれと嘆息する影が1人。
「あー、やっぱ逃げながら仕掛けるのはしんどかったですわー」
設罠系技『設置』。
手でも足でも、自分の触れた箇所へと瞬時に罠を作ることができる、『設罠マスタリー』による技である。
しかしながら、仕掛けた後に5分の間を置かなければ罠は発動させられず、更には半日放置すればそのまま消える。
他にも、罠が大規模になればなるほどSP(スタミナポイント)の消費量が跳ね上がる等の特性があり、中々に頭と体力を使わされる。
攻撃の回避や立ち位置の大まかな誘導などと並行して行うのは、かなりのホネであった。
「突っ込むべきじゃなかったんだよ、ホント。罠を仕掛けて待ち構えてれば良かったんだよ、正味の話」
こきこきと首を鳴らしながら、そう独りごちる平助。
とは言え、悠長に待ってなどいたら、恐らく活躍することなく他の皆に全て美味しいところを持って行かれてしまっていた。
それでは女子にキャーキャー言われるという目的が、果たせない。
結果的にはこうして無傷の勝利も達成できたし、今回はよしとしよう。
モテロードへの、モテモテ王への第1歩を、自分は今、確実に踏み出したのだ。
「そしてお次は近くのタンポポ摘み取り作戦だ! ダークエルフは諦め、代わりに我等がセッターの女性陣のピンチに颯爽と駆けつけることで、点数を稼ぐ!」
だが、これはこれで問題がひとつ。
一体誰の所に行くか、である。
九々は射程の関係からそもそもピンチに陥り難いので、却下。
となると、サクラか躑躅の2択になるワケだが。
「美作さんとか、実際鬼島っちとタメ張れるレベルの強さだからな……万が一彼女がピンチだった場合、寧ろ俺っちにどうしろと……? やっぱここは、か弱く清楚でちょっと天然入ってる鳳龍院さんか!」
しかも今なら、いつも彼女が引っ付いて回ってる戌っちも居ない!
フラグ建築のまたとないチャンス! この機を逃す手は無いぞ、平助ぇッ!
「男には、いや漢にはやらねばならない時がある……今がその時だ、待っててくれ鳳龍院さん!」
決意の咆哮と共に駆け出し、5メートル近い高さのある刃の生垣を平助は跳び越えた。
そしてそのまま、躑躅が居るだろう方角へと向かおうとするも、一度振り返る。
「…………南無」
そして、己が仕留めた数百人の亡骸に向け手を合わせる。
しばらくそうした後、平助は今度こそ走り出して行くのだった。
Ψ
ひとつ、問い掛けをしよう。
この世で、ありとあらゆる者が怖れ、慄き、退く存在。
果たしてそれは、何であろうか。
決して治すことの出来ない難病?
全てを蹂躙せしめる抗いようのない天災?
世界の創造主であり、森羅万象の理を定めた神?
恐らくは、どれも違う。
不治の病だからこそ、正面から立ち向かう医師が居る。
人は手を取り合い、どんな天災の猛威をも耐え忍ぶことが出来る。
宗教家達は神を妄信し、時にはその為に己が命さえも投げ出すだろう。
故に違う。万物から怖れられるには、いずれも程遠い。
そもそも明確な形あるものを、たとえ片鱗であっても自身に理解できる部分が存在するものを、全ての人間が真の意味で怖れることはない。
何故ならそれが何であるのかを正しく認識している、或いは正しく認識できていると思い込んでいるからだ。
全容の中で何かひとつでも自身の理解が及ぶ事柄が存在すれば、人はそれを拠り所に恐怖を跳ね除けられる。
つまり問い掛けの答えは、欠片たりとも人智が及ばない、理解も共感も勝手な決め付けも、何ひとつ入り込む余地すら無いもの。
『全く得体の知れない何か』である。
倒れる。倒れる。倒れる。
ぱたりぱたりと、次々と。それはさながら、糸の引き千切れた操り人形が如く。
倒れた者達は、その悉くが絶命していった。
ある者は苦しげに呻き、断末魔の声を上げて。またある者は、叫ぶことさえも出来ずただ苦悶の表情を浮かべて。
何が起きているのか、誰にも理解できなかった。
どうして周りの仲間達は死んだのか、誰にも何も分からなかった。
ただひとつだけ、明らかなことは――。
今こうして、目の前で起きている出来事を……一体誰が、引き起こしているのか。
「ふふふふ……」
控えめに響く、それでいて愉快げな笑い声。
美しく均整の取れた身体を包んだドレス。それと同じ色をした、広いつばを持つ帽子。
その下に覗き見えるのは、優しい笑みの形を作った口元。
パチリパチリと、手にした扇子を開いては閉じながら、躑躅は慈愛さえ感じられる柔らかな光を宿した青い双眸でもって、ゆるりと周囲を見渡した。
「ふふ、ふふふふ、ふふふふふふ……ねえ、どうしたのぉ?」
――そんなに怯えた顔をして。
「さっきまでの威勢は、どこへ行ったのぉ? アタシを捕まえて……何だったかな……確か、泣いて欲しがるようになるまでおかす、だったかしら」
よく意味が分からなかったけど、そんなことを言っていた。
その時にアホの柳本でさえ幾らかマシに思える下衆な顔してたから、多分碌なコトじゃないんだろうなぁ。
「しかもその後、不躾にアタシの肩を掴もうとしたわよねぇ? 妄りに女性の身体へ触れるなんて、ホント何を考えてるのぉ?」
自分からなら別にいい。でも、相手側から勝手に触れられるのは大ッ嫌い。
そもそも敵だってこともあったし、不躾極まるそのクズを、ついついぐしゃりと殺してしまった。
でも仕方ない。敵だし、下衆っぽかったし、獣人だし。
「どーぶつってキライ……アタシを見たら、逃げるか唸るかしかしないんだもの」
――以前、地元に新しく猫喫茶が出来て、夜行君に誘われ一緒に行った時なんて最悪だった。
店の猫が1匹も寄って来ず、猫派な彼は、自分が嫌われたのだと思い込んで大層傷付いていた。
最終的には半泣きになった。そんな姿にちょっとキュンとはきたけど、以来アタシの動物嫌いは更に拍車がかかった。
ぱたぱた扇子を振りながら、躑躅は深く嘆息する。
「……それでぇ? 話は戻るけど、最初の勢いはどうしたのぉ?」
来るなら早く来いと言わんばかりに、ゆっくりと手招きする躑躅。
いつも通りの、淡く優しい笑顔で。いつもと何も変わらない、そっと奏でるような声色で。
対し、兵士達は歯噛みする。
物腰こそ穏やかだが、挑発を受けていることは言うまでもなく明らかだった。
自分達より下等な存在である人間に侮られ、堪え切れない憤りを抱いてもいた。
だが、踏み出すべき足が動かない。
彼等をその場へと縫い止める要因は、目の前で事切れている仲間達である。
どうやって殺されたのか、そもそも何をされたのか。
何も分からないという恐怖が重りとなって、彼等に纏わりつく。
再び周囲を見渡した後、躑躅はクスリと笑った。
数で圧倒的に勝り、優位と信じて疑っていなかったろう彼等の余裕めいた表情が、今では一変して恐怖と警戒に彩られている。
そして、愚かにも自分の射程内で、無防備な姿を晒しているのだ。
「『呼吸強奪』」
適当な獣人兵の1人に掌を向け、それをぐっと握り締めて技を発動させる。
刹那。その兵士は構えていた剣を取り落とし、喉を押さえ倒れ込んだ。
兵は声にならない声を絞り出してのたうち回り、一度顔を真っ赤に染め上げる。
やがてそれが蒼白と化していくにつれ、まるで陸に上がった魚のように、少しずつ動きが弱々しくなっていく。
数分の後……苦悶の表情を浮かべたまま、ぱたりと動かなくなる。
またも1人。それも相当な苦しみを見せ、死んでいった。
「ふふふふ……」
躑躅はその姿を見遣りながら、相変わらず笑っていた。優しい優しい、慈しみを湛えた笑顔で。
兵士達が、いよいよその身を震わせ始める。
もう彼女がどのような手段で攻撃をしているのかなど、どうでもよくなった。
今、彼等の思考を一様に埋め尽くすのは、ただひとつの事実。
――この女は危険過ぎる、頭がおかしい。
タネの全く分からない、それでいて極めて殺傷性の高い攻撃手段。
尋常でない痛みと苦しみを他者に向け、罪悪感をまるで抱かないどころか愉悦さえ抱く精神。
殺しに躊躇がない、なんて生温い話ではない。嬉々として殺しにかかってきている。
恐怖と怯えにより心を折られ、恥も外聞もなく彼女から逃げ出そうとした兵士達だが、逃げることは叶わなかった。
その理由は……まるで、幼子のように単純なもの。
怖くて身体が、動かなかったのだ。
「アナタ達はぁ、すぐにでも逃げるべきだったのよ? アタシは足が遅いから、逃げられたら追いかけようがないもの」
根本的な選択ミスであった。
彼女の距離でまともに戦って、勝てる者などほぼこの世には存在しない。
鳳龍院躑躅と戦闘行為に入った時点で、大半の者は既にゲームオーバーとなる。
逃げることだけが、彼女を相手取って生き残る手段と言えるが、最早手遅れ。
「射程31メートル。その中に在るものなら、アタシは何でも奪い取れる」
呼吸機能だろうと、血流だろうと。なんだったら、心臓や脳髄そのものだって簡単に。
……ハッキリ言って汚らしいから、触りたくないけれど。
応援ありがとうございます!
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