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3巻

3-2

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「じゃあ、姫様はこっちで引き取りますんで。勇者様方にはご迷惑めいわくおかけしました、ホントに」

 ビシッと敬礼し、目を回して気絶しているクリュスの襟首えりくびを掴み、引きっていく帝国兵士。

「せめて戦いの最中だけでも余計なことしないように見張ってて下さい」

 それを見送る九々の後ろにもまた、それぞれ痛みに震えて自分の頭を押さえる仲間の姿があった。

「ぐ、うぅぅ……これが、死亡フラグを立て続けた者のむくいか……!」
「違うから。バカなことやってた報いだから」

 魔銃ライフル銃床じゅうしょうを地面に叩きつけ、鋭い眼差しで全員を見据える九々。
 特に悪いことはしていなかった為、彼女の仕置きをまぬがれていた躑躅以外の面子メンツが、その眼光に怯えを見せる。

「そ、そうカリカリしなさんなって委員長……ホラ、可愛いお顔がなんか怖くなっちゃってるっしょ?」
「シャラップ! 黙りなさい、このハイエナ系男子。モテたいならまず常識を学べ、変態覗き魔」
「ぬがぁっ!?」

 言い方は酷いが、なんとも至極まっとうな意見だった。
 ショックを受けた様子の平助は驚愕きょうがくの表情で固まり、そのまま動かなくなる。
 そんな彼から視線を外すと、九々は銃口でもって巨大な橋の先を指し示した。

「見なさい。アンタ達がバカやってる間に、お客さんの御到着よ」

 示されるまま夜行達がそちらを見遣れば、橋向こうから人間界へと進軍する無数の影が、未だ遠くも、彼等の目に見える距離まで迫っていた。

「進軍速度からして、接触まであと15分ってトコね。いい加減に心を入れ替えなさい」

 彼等7人の1キロほど後方に配置された兵士達も、その存在に気付き始めたらしい。
 切迫せっぱくした緊張感が、徐々に後ろから伝わってくる。

「……そうだな。おふざけパートはここで終了だ」

 静かに呟いた雅近の目から、気だるげな雰囲気が消え、他の面々もまた、各々臨戦りんせん態勢に入る。

雪代ゆきしろ……敵の、数は?」
「事前の報告にあった通りね、1万ちょいってトコ。視認できる限りじゃ、大体半分が獣人。3割くらいがダークエルフで、後は魔物かしら」
「……フン。やはり、全て魔族か」

 獣人。そして、ダークエルフ。
 種別こそ魔族に区分されているが、この2種族は厳密に言えば魔族ではない。
 魔族とは、人間が魔物化したことで生まれた突然変異種を指す。
 種として定着した後も、大陸の最北部に位置する小国でしか生まれない。
 まるでその個体数に反比例するかのような形で、魔族は絶大な力を持って生まれてくる。
 ――500年前。たった数千の軍勢にて『魔界』の2大国だった『獣国』と『エルフビレッジ』を同時に落としたほどの、すさまじい力があった。
 そしてその頃から、大陸北部は総じて『魔界』と称されるようになり、魔族の配下にちた獣人とエルフもまた、同じように魔族として区分されるようになった。

「つまり――」
「ええい! 小難しい話など分からんし、どうでもいい! 要するにあの連中程度は軽く倒せなければ、本物の魔族とサシでやり合うなど到底できん! そういうことだろう!?」
「……ほう。バカにしては珍しく、核心を突いたじゃないか鬼島きしま。つまり要約するとそうだ」

 魔族軍……否、魔族軍1万2千。
 確かに人間と比べれば強い力を持った2種族に加え、飼い慣らされた魔物を含めた混合軍。強敵であることには、なんら変わりない。
 だが――。

「ここでつまずくようでは、姫君が大枚叩たいまいはたいてオレ達を召喚しょうかんしたのが無意味になる。報酬ほうしゅうもそうだが、一応世話になってる身としては、通すべき義理もまたあるだろう」

 魔本ブックを取り出し、吹く風でぱらぱらとページをめくる雅近。

「俺様達7人だけで魔族と渡り合うなど無理だ、不可能だとほざいた他国の連中にも、このままめられっ放しは御免だな!」

 鎧を変形させたベルトを淡く発光させ、いつでも元の形へと戻せるよう構えた千影。

「いいじゃない、別に。今の内だけでも、好きに言わせてあげれば」

 どうせ――すぐに意見を、くつがえすことになるんだから。
 静かに言葉をつむぎ、『流桜』を鞘から抜き放ち、その刀身から幾重いくえにも桜花を散らすサクラ。

「ヒャハッ! いいんだなもう、レッツパーリィしてもさァッ!」
「クスッ……でも戌伏君の場合、独眼竜どくがんりゅうじゃなくて独腕竜どくわんりゅうになりますけど」
「どっちでもいいよォ! とにかくパーリィしたいんだよ俺はァッ!」

 後ろ腰から『娼啜』を抜き、片手で器用に回し、ステップを踏む夜行。
 そんな彼を、楽しげな目で見つめる躑躅。
 フリーズから復活リスポーンした平助が、フッと似合いもしない決め顔でアホなことをのたまう。

「カムヒアー・俺・ザ・モテロード……この戦いが終わった時、俺っちは数多あまたの美女美少女からキャーキャー言われることだろう」
「夢物語も大概たいがいにしなさい。アンタに向けられるのは精々、黄色い歓声じゃなくて侮蔑ぶべつの悲鳴よ」

 完全にマイワールドへと入っているのか、九々の辛辣しんらつな言葉も聞こえていない様子だった。

「――さて。じゃあまず、開幕ついでにド派手な花火でも上げるか」

 そう呟き、魔本片手に数歩前へと出る雅近。
 射程距離や攻撃の威力などを考えれば、確かに一番手は彼こそが相応ふさわしい。

「何せ数が数だ。下手に時間をかけて梃子摺てこずっているなどと思われるのは、極めて心外」

 雅近は口角を吊り上げ、滅多に見せることの無い笑みを浮かべた。『攻撃への予備動作』だと思わせるような、凶悪な笑みだった。

「それに、ダラダラと長引かせるのも面倒だ。まずはそうだな……連中を取り敢えず、半分以下に削るとでもしよう」
「『術式デッキ開示オープン』」

 雅近の手にしていた魔本が、ふわりと宙に浮かぶ。
 ページが、触れられもせずに凄まじい勢いで捲られていく。
 やがて弾かれるかの如く、ページの1枚1枚が魔本から切り離され、瞬く間に、無数の紙の群れとなって雅近を取り囲んだ。

「この魔本『グリモア』には、世界開闢かいびゃく以来より編み出されてきた全ての魔法と、その術式が仔細しさいに記されている」

 仲間達が彼の行いを黙って見据える中、雅近は誰ともなしに呟く。

「効果がほぼ重複するもの、下位互換ごかんや上位互換でしかないもの。それら全てを含めれば、魔法の種類は数千以上にも及ぶ」

 構成する術式に至っては、更にその数倍。
 如何に雅近が天才だとしても、その全てを記憶するのは面倒だった。

「だからこうして、覚える必要が無いよう魔本コレを持ち歩いている」

 そう言葉を続けると、自分の周囲に浮かぶページの1枚を手に取った。

「何せオレのクラス技能スキルのひとつである『術式合成』は、まず術式そのものを知らなければ話にならないのだからな」

 電話帳並みの薄い紙切れ、紙面にびっしりと書き込まれた極小の文字列。
 夜行や千影辺りなら1分で頭痛を起こすだろうそれに、雅近が素早く目を通す。

「ああ、これは使えそうだ」

 無数の文字列の中にあった一文を左手の指先でなぞると、かざした右手の上に、魔力でかたどられた同じ文章が浮かび上がった。
 そして用済みとなったページを手放せば、切り離された本の中へ、何事もなかったかのように戻っていく。
 ページを取っては記された術式をひとつかふたつなぞり上げ、右手に同じ物をコピーする。読み終えたページは本の中へと戻り、またページを取る。
 そんな焼き回しが、1分近く続いただろうか。
 気付けば30ほどの文章列が雅近の掌上しょうじょうで球体のように絡み合い、1個の完成された文になっていた。

「こんなところか」

 そんな呟きと共に、残っていたページも全て吸い込まれるかのように魔本へと戻る。
 本はそのまま勝手に閉じ、欠伸中の雅近の左手に収まった。

「そろそろ、初期設定では眼鏡をかけていたが、オレと姫君が既に眼鏡キャラと決まっていた為、急遽きゅうきょ変更になった委員長辺りから質問が来そうだから、先んじて答えておこう」
「何メタ発言をしてるのよ伊達君……」

 魔本をふところに収めながら、振り返る雅近。
 訝しげに首を傾げる九々を含めた6人の視線が、彼の右手にある魔力の球体へとそそがれた。

「こいつは今作った、対軍用の殲滅せんめつ魔法だ。何せオレの習得魔法には、数千の軍勢を消し炭に出来るほどのものなどまだ無いからな」

『セブンスターズ』で魔法を扱えるのは雅近だけなので、彼の発言に対し、驚きを見せる者は居なかった。
 しかしもしまだここにクリュスあたりが残っていたなら、彼の言葉がどれだけ異常なものであるかを理解できたことだろう。
 雅近が成したことは、わば新魔法の創造。
 無数に存在する術式の中から最適なものを抜き出し、複雑な計算を幾度も繰り返し、綿密めんみつに組み上げる。
 それは数多あまたの魔法使い達がたばとなっても、中々成し遂げられることではない。
 確かに雅近は、組み替えの工程を大幅にはぶくことが可能な技能スキル『術式合成』を持っている。
 だが、短縮化されるのは『組み上げた術式をつなぎ合わせる』ことのみ。
 並べた複数の術式をひとつに結び、魔法として組み替える。特殊な触媒しょくばいと儀式を必要とするその最終工程を、省略できるだけ。
 ひとつでも術式を組む順序が違えば、予定とは全く異なる効果にしかならない。
 わずかでも矛盾むじゅんがあれば、魔法が発動しないばかりか暴走さえ引き起こす。
 危険極まる、だからこそ緻密ちみつな計算が何よりも重要視される魔法創造なのだ。
 それをたった1分少々で、彼は行ってしまった。

「自分で作れば、技能スキルのマスタリーレベルなど無視できる。丁度いいのがないなら、1から作ってしまえばいいじゃない」
「随分と過激派なアントワネットさんが、脳内に住んでますねぇ……」

 躑躅達はそんなことなど知らない為、雅近の行いも「そんなもんなのか」ぐらいにしか思わなかった。
 けれどそれも仕方ない。当人ですら「便利」のひと言で済む程度の感慨かんがいしか、持っていないのだから。

「さて、そろそろほふるとしよう……ついでに」

 術式を載せた右手が、天へと高く掲げられた。
 雅近は着実に迫り来る大軍を見据え、再び笑みを浮かべる。

尻尾しっぽを巻いて逃げられんよう、退路も一緒にっておくか」

 ――ぐしゃり。
 握った右手で、組み上げた術式を潰し、砕く。
 弾けるように展開されたのは、雅近の魔力を吸い上げる幾重もの魔法陣。
 耳の奥に響くような高音が一瞬、周囲に響き渡った。


         Ψ


巨橋きょきょうゴリアテ』の上を、魔族達は勇み進軍していた。
 橋の先に見えるのは巨大な砦と、そこに待ち受ける人間の兵士達。
 魔族軍1万2千の先遣せんけん隊、その10倍以上にも及ぶだろう軍勢である。
 しかし魔族側に、恐怖や怯みなど存在していなかった。
 人間は脆弱ぜいじゃくだ。数こそ多いが、なんとも弱々しい生き物だ。
 弱者でありながらも同じ種族間でさえ争うような、下らない連中だ。
 前方を往く主に獣人で構成された前衛部隊には、既にときの声を張り上げる者の姿さえあった。
 紛れもなく寡兵かへいであるにも拘らず、士気は極めて高い。
 己達の敗北など、考えてさえいなかった。
 そんな中で、に気付くことが出来た者は、どれだけ居ただろうか。
 気付けたところで防げたかと問えば……出来なかったろうが。
 ――燃え盛る隕石いんせきが、魔族軍の後方部隊へと降り注いだ。
 成層圏せいそうけんにも至るような高さから飛来する、赤熱した無数の岩。
 凄まじい速さで押し寄せる膨大ぼうだいな質量。それ等を防ぐ手立てなど、魔族軍には無かった。
 隕石群は地面へと衝突することで轟音と衝撃を響かせ、大きくぜる。
 砕け飛び散る石片ひとつひとつが、矢の如き威力を備えていた。
 防ぐいとまどころか、考えを巡らせる時間すらも与えられず、隕石の雨を無防備に受け、魔族達は押し潰されていく。
 やがて、足場である橋に大きく亀裂きれつはしった。百の砲撃を受けてさえ微動だにしない巨大な橋も、絶え間ない衝撃と爆発に耐え切ることはかなわなかった。
 最後のトドメとばかりに天から落ちる、小山ほどの巨岩。
 赤いほのおを纏ったそれが、轟音を撒き散らして衝突した瞬間。
 倒れ伏した半数あまりの兵達と共に、神代かみよの石橋は――奈落ならくの闇へ崩れ落ちていくのだった。



         Ψ


 爆風と振動が、ここまで伝わってくる。
 展開していた魔法陣が煙のように消え去ると、雅近は後ろの仲間達を振り返った。

「これで少なくとも数時間は橋を渡れない。兵力も半数潰した。オレの仕事はここで終わりだ」

 MP(マジックポイント)も尽きたしな、と続けて気だるげに欠伸した後、その場へと寝転がる。

「すげー威力、伊達っちヤベー!」
「確かに便利だが下らん小技だ。術式の改造だの合成だの効率化だの、そんなものネット小説じゃ、2世代は前に使い古された手垢塗てあかまみれの手管てくだだ。得意げに使うもんじゃないさ、恥ずかしい」
「だから何を言ってるのよ、伊達君……」

 本人的には、もっとこう斬新ざんしんなことがしたいらしい。
 九々を無視して、隕石はベタ過ぎたか、などと呟いていた。

「それに、所詮しょせんは殲滅魔法しか作れないしな。エターナルフォースブリザードとか」
「今のも殲滅魔法なんだ……」

 納得したようなしないような、今ひとつ釈然しゃくぜんとしない表情かおの九々。
 まあ、イメージ的には殲滅魔法で間違っていないと思われる。
 ――ともあれ、一瞬で敵勢力の半数が壊滅した。
 しかも潰されたのは、魔法や遠距離武器で前衛の支援をするだろう後方部隊。鬱陶うっとうしい援護が消えて、より目の前の敵へと集中して戦える。
 そして橋の後方が崩れた以上、魔族軍はもう退くことさえ出来ない。
 突然の大規模攻撃により戦線も乱れ、まさしく好機である。

「オレはひと眠りする。その間に終わらせておけよ、君達」

 言うが早いか、『グリモア』をまくらに寝息を立て始めた雅近。
 残った6人はそれぞれ彼を一瞥いちべつして、それから正面へと向き直った。

「残り6千……いえ、5千弱ってトコね。橋の崩落とか込みで、半分どころか6割近く減ってるわよ」

 九々があきれたように言う。

「あーあァ、マサやり過ぎ。1人頭の取り分が、ごっそり持ってかれた」
「5千を6で割ったら……幾つだ? 分からん」

 不満げにのどの奥でうなる夜行と、無骨ぶこつな指を折って計算しようとする千影。

「いいじゃない……早い者勝ちで。それで、作戦とか立ててみる……?」
「全員で俺っちを活躍させる方向で行こうぜ!」
却下きゃっかです。私、1人の方が気兼きがねないので」

 刀を肩に担ぎ、喋りながらも既に前へと歩き出しているサクラ。
 逆に平助は、躑躅から思わぬ拒絶を受けその場で打ちひしがれていた。

「何言ってんだ。作戦なら、とっくに決まってんだろォ?」
「うむ!」

 だらりと猫背ねこぜになり、『娼啜』の刀身に舌をわせ、夜行は頷いた千影と共に叫び声を上げるのだった。

「「『ガンガン行こうぜ』だ! とにかく目の前の奴等、全員ブッ倒せばいいんだよぉっッ!!」」
「いや、それ作戦って言うか……あ! ちょ、待ちなさい! 勝手に行くな!」


 ――誰が、予想しただろうか。
 十重とえ二十重はたえに張り巡らされたわな巣窟そうくつへと、次々えさを呼び込む姿無き蜘蛛くも
 目視さえままならないほどのはやさで空をけ、手当たり次第に獲物を屠るあかい獣。
 桜の花片はなびらと共に飛来する斬撃により、幾百人もの兵を斬り伏せる遊女。
 あらゆる攻撃をものともせず、暴虐的ぼうぎゃくてきな強さでもってことごとくを打ち砕く黒鎧の巨漢。
 場違いもはなはだしい出で立ちをした、けれど誰1人近寄ることさえ許さない見目麗みめうるわしい令嬢れいじょう
 誰が予想しただろうか。
 誰に、予想など出来ただろうか。
 万を超す、精強なる魔族の軍勢が、高々7人の人間達に――ただ一方的に、蹂躙じゅうりんされることになるなどとは。


「……自重じちょうする気ゼロよね、あいつ等」

 数キロは離れた先にて、5千の敵を相手に暴れ回る仲間達の姿を見遣りながら、若干引き気味の声音で、九々はそう呟いた。
 小刻みに響いてくる、爆発音や衝撃音。
 少し目をらせば、高速でそこら中を駆け回る紅い影や、当然のように飛び交っている斬撃のひらめきなども見えた。

「Zzz……」

 そして、今後ろでのうのうと寝ている男に至っては、敵側の退路を断つが為に、後方部隊ごと橋を崩落させている。砲撃などものともしない、巨大で堅牢けんろうなこの橋を、である。
 果たして初陣でここまでやるだろうか、普通。
 もっとこう、戦いへの躊躇ちゅうちょとか怯えとか、命をうばうことに対する忌避感きひかんとか色々あるんじゃないだろうか。現代日本人として。

「って、そんなの今更よね」

 覚悟や決意を固めるだけの時間は、幾らでもあった。
 それに雅近などは、元々「人間が生きるには、他の誰かの命を食い続けなければならない」という殺伐さつばつとした考え方の持ち主。
 彼あたりはむしろ、こちらの世界観の方が肌に合ってるのかも知れない。
 各々の目的を果たす為、あるいは己の快楽を満たす為。
 それぞれ異なる思いはあるが、7人は等しく自らの意志で戦っている。
 その点で言ってしまうと、九々には勇者として戦って果たしたい大仰おおぎょうな願いなど、何も無かった。戦いそのものを望むような精神も、持ち合わせてはいなかった。
 巨万の富、英雄の称号、絶大な権力……そのどれにもこれと言って興味は無い。己のうつわに収まらないほどの権力や財力など、別に要らなかった。
 誰もが描く平凡ながらも心地よい人生が送れれば、それで良かった。
 そんな彼女が、何故勇者になったのか。
 、やると言ったからだ。
 臆病おくびょう内気うちきで、いじめられてばかりで、裏切られ、誰も信じられなくなった。
 そんな自分に手を差し出してくれた大切な友人達が、勇者になると言ったから。
 命さえ失いかねない危険なことに首を突っ込もうとしていた彼等を放って、1人日本へと帰るなど、また独りぼっちになるなど、九々には到底耐えられなかった。
 だから彼女は勇者になった。だから銃を取った。
 友達をそばで守りたい、ただそれだけの理由で。

「……私は臆病だから。相手が敵でも魔族でも、殺すのは凄く怖い」

 ウエストホルダーに収められた、魔力を弾丸へと変換させる8種類の魔弾生成装置マガジン
 その中で『フォー』と刻まれたものを取り、魔銃ライフルに装填した。

「けど。皆が死ぬのは、もっと嫌だから」

 狙撃スナイプアーツ『イーグルアイ』を発動、生来せいらいの異常視力を更に強化する。
 覗き込むスコープ越しに見えた、無数の敵兵。
 手近な者の眉間へと、正確無比に照準を合わせ、一切の躊躇さえも見せず、九々はこごえるほど冷徹れいてつな声音で呟き、引き金を引いた。

「だから、戦ってどっちかが死ななきゃいけないなら――皆の代わりに、アンタ達が死になさい」

 放たれた一閃は、発砲とほぼ同時に狙いと寸分違わない位置へ着弾する。
 それでも勢いを止めることなく、弾道に居た7人の魔族を撃ち抜いた。

「『徹甲光弾レーザーバレット』。私が扱う弾丸8種の内、最速にして最長射程の光の弾」

 次いで3発、17人を貫く。
 自分の立ち位置からどこにどのタイミングで撃てば、最も多くを仕留められるのか。
 その弾道が、九々の目にはハッキリと映り込んでいる。

「体調にも左右されるけど、私の現魔力による『徹甲光弾レーザーバレット』の装弾数は約150発前後」

 ――700か800は、れるわね。
 更に5発、28人を貫く。
 1発ごとに少しだけ銃口を動かし、絶え間なく引き金を引き続ける。
 雅近の手で後方部隊のほぼ全てを潰された魔族軍に、九々の射程に対抗するすべは無かった。
 そもそも眼前で暴れ回る5人と相対するだけで、ほぼ手一杯の状況。
 ゆえに九々を止めることはおろか、盾も鎧も意味をなさない光速の弾丸を防ぐこともかわすことも不可能。
 さながらヤスリで削られるかの如き勢いで、手勢を欠いていくのだった。


 狙い、撃ち、貫き。
 また狙い、撃ち、貫き。
 機械的にそれを延々と繰り返す。
 スコープ越しに見える敵は仲間を傷付け殺そうとしている。
 そんな考えが頭をぎると、自分でも驚くほど簡単に引き金を引いてしまう。
 敵意以外の感情が、全て全て凍り付いてしまう。
 ――させない。
 戌伏君も鬼島君も、鳳龍院さんも。後ろで寝てる伊達君も、ついでに柳本も。

「絶対に、誰も……殺させないんだから……ッ!」

 立て続けで撃っているにも拘らず、確実に複数を貫いていく。
 呼吸も瞬きすらも忘れ、九々は弾が切れるまでひたすらに撃ち続ける。
 大切な存在ものを、守る為に。


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