水仙のほとりへ

花屋敷 千春

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第7話

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眼鏡をかけた詰襟の男は、机に肘をつき、白く細い指を忙しなく組み替えながら己の短く摘まれた爪を見つめていた。
ちら、と壁掛け時計を見れば17時が過ぎようとしていた。
「遅い……」
誰に聞こえるでも無く、小さな独り言は溜め息に混じって消えた。

かん、かん。

「やっと来た……一時間と二十三秒遅刻」
がた、と椅子を引き立ち上がる男の表情は、相変わらず仏頂面だがどこか安堵しているようだった。






「さて、何から教えてもらおうか?」
磔台のシスターの顎を鞭のグリップで持ち上げ、頬へ移動しぴたぴたと叩く。シスターは目を逸らし固く口をつぐんだ。

「そのシスターさん、意外と暴れん坊だから気をつけてよ~」
赤髪灼眼の軽薄そうな印象の男が、頑固なまでに生真面目を貫き通しそうな印象の眼鏡の男に忠告する。

「へえ。ま、うちの精鋭が手負いになって帰って来るんだもんね。納得」
「……っ」
鞭のグリップにますます圧力が掛かりシスターの痩せた頬をごりごりとすり潰す。赤い斑紋が右の頬に残った。
「ねえ、他人を傷つけるほど、精神的にも肉体的にも傷つけるほど、お前が必死になって大事に隠してるのってなあに?」
眼鏡の男はシスターの顎を捉えると口腔内にグリップをねじ込んだ。
「……ぇっ」
硬く長い物体が上顎を掻き回す。

「んっ、くっ、えっ、」
「なに?何か言いたいならやめるよ」

グリップが口腔から外され、シスターは激しく咳き込む。グリップはぬらりと艶めかしく光っていた。シスターは瞼を濡らしながら眼鏡の男を睨みつけた。

「……クソ外道が」
「それだけ?」

眼鏡の男は涙目のシスターの顎を掴みあげ、またしてもグリップを突っ込んだ。



「粘るね、お前。いやいや根性あるよ」

シスターは上半身を完全に外気に晒し、その白く薄い背中には赤い軌跡を何重も記録していた。

「はっ……ようやく鞭が本来の意味を成して、喜んでんじゃねえ、のっ!」
ひゅっ。
風の音がしたな、と思う時には新しい傷が生まれている。
ぅ……」
「痛いんだ。痛いよねぇ。だから早く終わらせようよ。お前が誰か、何者かだけ教えてくれたら今日は終われるんだから。早く言っちゃおうよ。僕もこんな事したくない」
眼鏡の男は言いながらも腕を振り下ろすのを止めない。冷めた瞳は、悶える背中を確実に打ちのめしている。
「なぜ「シスター」をしている?」
ぱしんっ!
「名前は?」
ぱしんっ!
「歳は」
ぱしんっ!
「あいつとどういう関係?」
ぱしんっ!

真っ赤に爛れた背中は皮膚が裂け、つらつらと流血を始めた。
やれやれ、とため息をつくと、眼鏡の男は磔台の拘束を解く。くたびれたかかしのようにぐったりとしなだれたシスターを磔刑台から降ろすと、細い体は素直に石畳に叩きつけられ苦しそうに眉を歪めていた。普段晒される事の無い長い髪は、柔らかそうな髪質により脂汗と血でシスターの額や背中に張り付いていた。眼鏡の男は革靴の踵でシスターの顔面を子削ぎ落とすかのように嬲った。その度、ざりざり、と髪がもつれた。
「ほんと頑張るよな。名前すら言わないんだから。でも気づいてるかな、お前がいくら頑張ったところで意味が無いってこと」
「……は?」
嬲られ続けたせいで大きく腫れた目を重たそうに開きシスターは眼鏡の男を見る。
「うちの精鋭があいつを迎えに行ったんだよ」
「嘘だ、嘘だ嘘だ嘘だ!!」
シスターは起き上がった。そして眼鏡の男に掴みかかろうとして殴られた。
「そんなにイイの?あいつ」
ふぅ、と煙草の煙を吐き出しながら眼鏡の男が言った。
「やっ、と、やっと手に、手にいれ、入れたのに、やっと、手に入れた、のに!!!うあああああ!!!あああああああああああ!!!」
シスターは髪を振り乱し頭を掻きむしり始めた。眼鏡の男は一層冷たい目でシスターを見下すと、骨張った手でシスターの口を塞ぐ。んんん!んんんん!!シスターが尚も叫ぶので鼻を摘んで黙らせた。
「うるせえな、僕が質問した時にそのくらい大きい声で答えろよ。クソが」
眼鏡の男は激しく錯乱するシスターの流す涙で煙草の火を押し消そうかと思ったが流石にまずいと思うのか、煙草は石畳へ落とし踏みつけて消火した。

「あれは私の……希望の光なのに……」
くちゃくちゃになったシスターが石畳に横たわったまま独りごちた。
「希望の光、ねぇ」
随分期待されたもんだなぁあいつも、眼鏡の男がボヤく。そしてシスターの涙と埃と血でベッタリと汚れた髪を掴み、言った。

「希望の光を奪ったのはお前だ」
「お前はあいつの家族を、友人を、全てを奪ったんだろう」
「あいつの弱った心に巣食って、あいつの弱い部分を餌にして、侵食したんだろうが」
「違う……違う……私は…彼が……彼の望みのまま、」
「本当にあいつが言ったか?俺を洗脳してくれと言ったか?」
「違う!洗脳じゃない!彼の意思だ!」
先ほどまで狼狽していたのを取り消すかのようにシスターが言い捨てたが、唇は興奮して震え、酷く怯えた表情は捨て切れては居なかった。
「いやだ、いやだいやだ、絶対あれは私のものだ、私の、私の……」
うわ言を聞きながら、眼鏡の男はまたもシスターの顔で靴の裏を磨き出した。シスターの顔が醜く上下に歪むのを見て、呆れたような、楽しむような気持ちが表立って分かった。
「お前のそれは愛とか恋心とか、そんな綺麗なものじゃないって自覚してるか?」
擦れて腫れた頬に優しく触れる。

「依存心っていうんだよ」

シスターの瞳孔が開いたのを、眼鏡の男は見逃さなかった。
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