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第二章 汐里と亮太

第17話 汐里と亮太のおじいさん 民宿

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『あいつのせいで亮子は死んだんだ』

「亮太は仮死状態で生まれたけれど、なんとか回復して……でも、亮子さんは助からなかった」
 私は民宿の部屋で、淡々と過去を語る亮太のおじいさんと向き合っている。
 やっぱりそうだった……あのお父さんの口ぶりだと、そうとしか考えられない。
「龍彦は亮子さんが……亮太の母親が亡くなってから荒れてしまってね……特に亮太にはひどくあたっていた……一緒に住んでいた私はその度に止めたんだが、それがますます気に入らなかったんだろう……亮太が1歳半位の時に家を出ていったんだ」
「そうなんですか……」
 私は少しホッとした。
 亮太が幼い頃から家庭内暴力にさらされてきたのではないかと、想像していたからだ。
「亮一が生きていた頃は、まだ平和だったんだ。両親がいなくて寂しかったかもしれないが、私も妻も二人をかわいがっていたし」

『だから言っただろ、あいつは疫病神なんだよ! っとに、亮一じゃなくて、あいつが死ねば良かったんだ!』

 あのお父さんの言葉……今思い出しても胸がずきずきする。
「亮一さんって、亮太さんのお兄さんですよね? こんなこと……とても聞き辛いのですが……亮一さんはなぜ亡くなってしまったのでしょうか……」
 民宿のオーナーさんが出してくれたお茶から、いつの間にか湯気がたたなくなっている。
 亮太のおじいさんは、しばらくの間それを黙って見つめていた。
 私も同じように口を閉じながら、亮太の部屋で見た2冊の母子手帳を思い出す。

 ビリビリに破かれたと思われる母子手帳には、亮一さんの名前が書いてあった。
 ちょっと破けただけならわかる。
 けれど、少し欠けた部分のあるあの修復跡は、明らかに故意に破かれたものだ。
「亮一は……事故だった……自転車ごと、車にはねられたんだ」
 沈黙を破った亮太のおじいさんの言葉に、さっと体が冷たくなった。
「亮一は11歳、亮太は6歳の時だった……はねたのは、龍彦だ」
「え……」
 龍彦さん……つまり、お父さん……
「そんな……」
「本当に……なんて偶然なのか……亮一は自転車を降りて横断歩道を渡っている時にはねられた……龍彦は……酒が抜けきっていない状態で車を運転していてな」
 亮太のおじいさんは微かに目を細めた。
「その時の事故から、龍彦は完全におかしくなってしまった。突然家に戻ってきて、暴れるようになってしまったんだ……すまないね、その頃のことはあまり話したくないんだ」
「はい、もう十分です……本当に辛い話をさせてしまって……ごめんなさい」
 私は深々と頭を下げた。

 思い出を語るには、過去の出来事を思い出さなければならない。
 それが悲しく辛い内容なら、古傷をえぐるようなものだ。
「佐川さん……亮太は、ちゃんと生活できているんだよね? 私は、それだけがずっと心配だったんだよ」
 私を見る亮太のおじいさんの目は、真剣なものだった。
 そうだよね……おじいさんは地元を出た後の亮太のこと、なにも知らないんだもの……心配して当然だ。
「私が亮太と付き合い始めたのは約三年前です。別れ話が出たのは……つい最近で……その間の話ですが、亮太はちゃんと……真面目に働いていました」
 私の説明に、亮太のおじいさんはほっとしたように頬を緩めた。
「そうか、ありがとう……あの……これは二人のことだから、聞くのはとても失礼だとは思うんだが……君達はなぜ別れようとしてるんだい? 私は君とは初対面だけど、君が礼儀正しい良いなのはわかるよ」
 そんな……おじいさん……私は良いなんかじゃないんですよ……だって、その原因は私が言った一言なんだもの。
 胸の奥が、チリチリと痛む。
「私が……亮太さんに冷却期間を置こうって言ったからなんです……でも、私の方がその間にもう一度やり直したいと思ってしまって……でも、亮太さんはそうじゃなかった」
 どうしよう、亮太が虫に乗っ取られてるだなんて話、したくない。
「なるほどね……あの子はちょっと頑固なところがあるからなぁ……佐川さんがいないのが寂しくて、ちょっと拗ねてるのかもしれないね」
 おっ、なんかいい方向にいった気がする。
「私……自分があまりに亮太さんのことを知らなかったことに気がついて、今日ここに来たんです。おじいさんから話を聞いて、亮太さんが言いたがらなかった理由がよくわかりました」
「なんとも、暗い話ばかりでね……」
「いえ、おじいさんがいてくれて本当に良かったです……私、あの格好で電車に乗らなきゃいけなくなるところでしたし」
「佐川さん」
 おじいさんがにこりと目を細めた。
 あ……やっぱり亮太の目に似ているから、ちょっと胸が切なくなっちゃうな……
「亮太と仲直りしたら、二人で一緒に遊びに来なさい。龍彦に見つかると面倒だから、この民宿に来ればいい。ついでに、この民宿お客さんがあまりいなくて潰れそうだから、助けてやってくれないか」
 思わず、私は笑ってしまった。
 これは、なにがなんでもあいつから亮太を取り戻さなければならない。
 取り戻して、もう一度私と一緒に生きて欲しいと頼むんだ。
 私はすっかり冷めきったお茶を飲み干して、深く息を吐き出したのだった。
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