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第十話 祖父の番
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「ただいまぁ……」
サトのこそこそとした小さな声が、しんとした家の中の空気を震わせた。
今日はチカと夕飯を食べてから帰宅すると、祖母には電話で伝えてある。時刻は夜九時を過ぎていた。
「ばあちゃん達、寝るの早いからなあ……起こさないように静かにしようっと……」
サトはなるべく足音をたてないようにと洗面台に向かう。まだ完全には慣れていない、コンタクトレンズを外す為だ。
「よし、取れたぞ……昨日よりは時間短縮できたな!」
無事にコンタクトレンズを外したサトは会心の笑みを浮かべ、横に置いておいた愛用の分厚いレンズの眼鏡を掛けた。
「さて、お風呂に入るとするか……まずは部屋着に着替えて……」
「おかえり、サト」
突然背後から静かな祖父の声がかかり、サトはびくりと肩を震わせた。
「あっ、じぃちゃん……ごめん、起こしちゃった?」
「いや、お前がちゃんと帰ってくるか心配で起きとったわい。一応嫁入り前の娘じゃしのう……で、今日もデートか?」
「今日は女友達とデートだよ」
「そうか……ところで、ワシに順番が回ってくるのはいつなのかのう?」
(順番ってことは……)
「じいちゃん、親父からなにも聞いてないんだね」
「まったく、コジロウの奴は昔から寡黙過ぎて、何を考えているのかさっぱりわからん」
「そうだよな、親父はそういう性格だからな……確かに、私が男と会う理由がわからないままじゃ、じいちゃんたちはいつまでも気になるよね」
サトは覚悟を決めたように、ふうっと息を吐いた。
「じいちゃんには怒られそうな気がするんだけどさ。結婚するっていっても、擬装なんだ。向こうの余命宣告を受けた父親を騙す為にね」
しばしの間、二人の間に沈黙が流れる。それを破ったのは祖父の深いため息だった。
「なぁんじゃ……ひ孫をこの手に抱けるかと、ほのかに期待しとったのに」
「ごめんじいちゃん……その期待は捨ててくれよ」
「いやいや、ワシゃあ捨てんぞ。事態はいつどこでどう変わるか、わからんからな」
微かな罪悪感を顔に浮かべるサトに、祖父はニヤリと笑った。
「まあ事情はわかった。じゃが、サトはその男の事をどう思っとるんじゃ?」
「は? どうって……」
サトはあらためて考えてみた。
「好みややり方の押しつけがひどいな。あと、なにを考えてるのかぜんっぜんわからない。あいつ、ほぼ無表情だからさ」
「ほうほう、そりゃあコジロウとよく似とるのぅ」
「いや、親父よりあいつの方がひどいよ」
「コジロウには、お前に娘としての情があるからの……きっとその男には、まだ情のかけらもないんじゃろ。もちろん、それはお前にも言えることじゃ……サトにはこの先、その男を好きになりそうな要素はなにもないんか?」
「要素……」
サトは再び考え込む。
「漫画の好みは似てる……ような気がする」
「そうか、相手の好きなものを否定しないところは良いところじゃな」
「いや、女がそういったのを読むんだなって言われたよ。それってやんわり否定してない?」
勿論、祖父はサトが青年漫画好きであることを知っている。
「それはただ知らんかっただけじゃろ? 共通の趣味があるということは、近づく要素ありっちゅうことじゃな……くくっ、期待しとるぞ、サト!」
にやにやと笑う祖父に、サトは心底嫌そうに顔を歪めた。
「ねぇ、ちゃんと話聞いてた? 偽装なんだからね? 一ヶ月後に向こうのお父さんに会ったら、もうそこで終わるんだからね?」
「うんうん、わかったわかった。ばあさんにはワシから適当に言っとくから、安心していいぞ。じゃ、おやすみ」
「あっ、うん……ありがとう、おやすみ……」
さっさと踵を返す祖父を見送るサトの胸の内に、薄い靄のようなものが広がっていった。
「ああ、もう! 風呂入って寝る!」
それを吹き払うかのように頭を掻きむしり、サトはいつものように大股で歩き始めたのだった。
サトのこそこそとした小さな声が、しんとした家の中の空気を震わせた。
今日はチカと夕飯を食べてから帰宅すると、祖母には電話で伝えてある。時刻は夜九時を過ぎていた。
「ばあちゃん達、寝るの早いからなあ……起こさないように静かにしようっと……」
サトはなるべく足音をたてないようにと洗面台に向かう。まだ完全には慣れていない、コンタクトレンズを外す為だ。
「よし、取れたぞ……昨日よりは時間短縮できたな!」
無事にコンタクトレンズを外したサトは会心の笑みを浮かべ、横に置いておいた愛用の分厚いレンズの眼鏡を掛けた。
「さて、お風呂に入るとするか……まずは部屋着に着替えて……」
「おかえり、サト」
突然背後から静かな祖父の声がかかり、サトはびくりと肩を震わせた。
「あっ、じぃちゃん……ごめん、起こしちゃった?」
「いや、お前がちゃんと帰ってくるか心配で起きとったわい。一応嫁入り前の娘じゃしのう……で、今日もデートか?」
「今日は女友達とデートだよ」
「そうか……ところで、ワシに順番が回ってくるのはいつなのかのう?」
(順番ってことは……)
「じいちゃん、親父からなにも聞いてないんだね」
「まったく、コジロウの奴は昔から寡黙過ぎて、何を考えているのかさっぱりわからん」
「そうだよな、親父はそういう性格だからな……確かに、私が男と会う理由がわからないままじゃ、じいちゃんたちはいつまでも気になるよね」
サトは覚悟を決めたように、ふうっと息を吐いた。
「じいちゃんには怒られそうな気がするんだけどさ。結婚するっていっても、擬装なんだ。向こうの余命宣告を受けた父親を騙す為にね」
しばしの間、二人の間に沈黙が流れる。それを破ったのは祖父の深いため息だった。
「なぁんじゃ……ひ孫をこの手に抱けるかと、ほのかに期待しとったのに」
「ごめんじいちゃん……その期待は捨ててくれよ」
「いやいや、ワシゃあ捨てんぞ。事態はいつどこでどう変わるか、わからんからな」
微かな罪悪感を顔に浮かべるサトに、祖父はニヤリと笑った。
「まあ事情はわかった。じゃが、サトはその男の事をどう思っとるんじゃ?」
「は? どうって……」
サトはあらためて考えてみた。
「好みややり方の押しつけがひどいな。あと、なにを考えてるのかぜんっぜんわからない。あいつ、ほぼ無表情だからさ」
「ほうほう、そりゃあコジロウとよく似とるのぅ」
「いや、親父よりあいつの方がひどいよ」
「コジロウには、お前に娘としての情があるからの……きっとその男には、まだ情のかけらもないんじゃろ。もちろん、それはお前にも言えることじゃ……サトにはこの先、その男を好きになりそうな要素はなにもないんか?」
「要素……」
サトは再び考え込む。
「漫画の好みは似てる……ような気がする」
「そうか、相手の好きなものを否定しないところは良いところじゃな」
「いや、女がそういったのを読むんだなって言われたよ。それってやんわり否定してない?」
勿論、祖父はサトが青年漫画好きであることを知っている。
「それはただ知らんかっただけじゃろ? 共通の趣味があるということは、近づく要素ありっちゅうことじゃな……くくっ、期待しとるぞ、サト!」
にやにやと笑う祖父に、サトは心底嫌そうに顔を歪めた。
「ねぇ、ちゃんと話聞いてた? 偽装なんだからね? 一ヶ月後に向こうのお父さんに会ったら、もうそこで終わるんだからね?」
「うんうん、わかったわかった。ばあさんにはワシから適当に言っとくから、安心していいぞ。じゃ、おやすみ」
「あっ、うん……ありがとう、おやすみ……」
さっさと踵を返す祖父を見送るサトの胸の内に、薄い靄のようなものが広がっていった。
「ああ、もう! 風呂入って寝る!」
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