後宮の偽花妃 国を追われた巫女見習いは宦官になる

gari@七柚カリン

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1巻

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   第一章 巫女見習い、追放される


 大陸の中央に位置する国、月鈴ユーリン国。
 その宮殿の一角に、巫女見習いたちが暮らしている。

「今朝も、良い天気だな……」

 都にある宮殿内の庭園で、巫女見習いの凛月リンエは空を見上げる。
 今日も、朝から庭師に交じって水やりをしていた。
 寒い季節が過ぎ去り、暖かい日が続いている。庭師たちが丹精込めて手入れしている花の育ちが良い。
 眺めているだけで心が和んだ。

「この子たちは、そろそろ花が咲きそうね」
「あと、二、三日くらいでしょうか。ところで凛月様、そろそろ舞の稽古の時間ではございませんか?」
「まだ、大丈夫。お師匠様がいらっしゃる前に稽古場へ行けば、問題なし!」

 う~んと大きく伸びをすると、つい欠伸が出た。
 師に見つかれば「巫女見習いともあろう者が、人前ではしたない!」と大目玉を食らうだろう。
 さっと口を押さえ、凛月は水やりを続けた。
 巫女見習いたちの仕事は、ただ一つ。
 国内各地へ出向き、満月の夜に奉納舞を捧げ五穀ごこく豊穣ほうじょうを祈念すること。
 彼女たちの中から一人だけ選ばれる『豊穣の巫女』は、あらゆる植物をつかさどる豊穣神の化身と言われており、年に一度の中秋節の日には、皇帝陛下の御前で特別な舞を披露する栄誉にあずかるのだ。

「凛月様、『噂をすれば影が差す』といいますよ。ほら、そんなことを仰っていると」

 庭師が、庭園の入口へ視線を向ける。

「凛月様! 嶺依リョウイ様がお呼びでございます‼」

 師の従者が、慌てた様子で駆け込んできた。


 しゃりんしゃりんと鈴の音を響かせながら、幼い巫女見習いたちが真剣に舞を舞っている。
 裾の長い細身のスカートに背丈の倍はある領巾ひれを肩から左右に垂らす姿は、いつ見ても愛らしい。凛月は、つい目を細めて眺めてしまう。
 凛月も舞の稽古をしているが、幼い巫女見習いたちとは異なる舞だ。
 領巾ひれは身に着けておらず、全身は黒装束。手には模造刀。
 これは豊穣の巫女が中秋節の日に舞う特別な舞の一つ、剣舞である。

「凛月、動きが止まっていますよ!」

 振り返ると、険しい表情の『元豊穣の巫女』の姿が。師である嶺依だ。
 今朝、散々叱られたばかりなのに、二度もお説教をされてはかなわない。

「そんなことでは、今年の中秋節の舞を任せることはできませんわね」
「申し訳ございません。しかし、わたくしが次の豊穣の巫女に選ばれることはないと思いますが?」

 これは謙遜ではなく、凛月の本音だ。
 月鈴国の巫女見習いたちは皆、銀髪にすみれ色の瞳をした美しい容姿。そして、左手の甲に豊穣ほうじょう神から加護を授かったあかしである麦の穂をかたどったようなあざがある。
 しかし、凛月だけは違う。左手に証はあるが、唯一『黒髪・黒目』の巫女見習いなのだ。

「何を言っているのです。あなただって満月の夜には……ですから、皆と変わりはありません!」

 なんとも強引な師の理屈に思わず苦笑する。
 嶺依が言葉を濁したのは、これ以上は皆の前ではできない話だから。
 凛月は、周囲に秘密にしていることが二つある。
 一つは、ある日突然見た目が変化したこと。
 先日の満月の前日の夜更け、左手に違和感を覚えた凛月は目を覚ました。
 手を触ってみるが、特に痛みは感じない。どうやら、気のせいだったようだ。
 喉が渇いたので、水を飲もうと起き上がる。月明かりに照らされた白い髪が見えた。
 急いで灯りをつけ鏡をのぞき込むと、見知らぬ『銀髪・紫目』の女性と目が合う。
 それは凛月だった。
 これは夢だと頬をつねってみたが痛い。目もすっかり覚めた。
 寝る前はたしかに黒髪・黒目だったはずなのに、意味がわからない。
 皆と同じ姿になったと喜ぶよりも、凛月は事態が飲み込めず慌てた。
 これからどうしようと部屋の中をぐるぐると歩き回り、何気なく月を見上げる。
 月明かりの眩しさに手をかざすと──左手の『証』が光を帯びていた。
 知らないうちに眠ってしまっていたため、翌朝、恐る恐る鏡で顔を確認する。
 姿は元に戻っていた。手の証も前と変化はない。
 昨夜起きた出来事をすぐに嶺依へ報告したところ、口外することを禁じられた。
 原因を探るために宮殿の書庫で昔の文献などを調べたが、結局何もわからず終い。
 あれから数日が経過したが、姿は一度も変化していない。この件を知っているのは師匠の嶺依のみで、他の者には秘匿したまま。
 嶺依は「豊穣神様のおぼし」と言った。巫女としての本来の力が覚醒しつつあるのだと。
 いずれにせよ、見目が変化するなど常人の域を超えていることは確か。
 来月の満月の日はどうなるのか、凛月は今から戦々恐々としていた。
 もう一つの秘密は、八歳の頃に『証』と同時に発現したある能力。これは、嶺依にも内緒にしているものだ。
 巫女見習いになった者は皆が持っていると凛月は思っていた。そうではないと気付いたのは、成長してから。
 それから十年。誰に打ち明けることもなく、現在に至っている。

「そもそも、神託に髪色など関係ありません! 重要なのは、巫女としての力が強いかどうかですから」

 先月、『現豊穣の巫女』の力が弱まったと発表があった。それにより、新たな巫女が神託により選出されることになる。

「いつ神託が下りてもいいように、凛月は真面目に舞の稽古をすること!」
「……はい」

 嶺依は、はなから凛月が次の巫女に選ばれるものと決めつけている。姿が変化してからは、その傾向がより強くなった。
 しかし、凛月はそうは思わない。
 歴代の豊穣の巫女は、嶺依も含め皆が『銀髪・紫目』の容姿をしていた。これまで巫女の神託を受けた人物で銀髪・紫目以外の人物など、凛月だけだ。
 少しの間だけしかその姿になれない凛月が万が一にでも巫女に選ばれてしまったら、やっかい事しか起こらない。
 なぜなら──
 稽古場に、ある人物が現れた。
 煌びやかな衣装で現れたのは、タン桜綾ヨウリン
 歳は凛月の一つ上の十九歳。高位官吏の娘だ。

「凛月は、自分が豊穣の巫女に選ばれるとまだ思っているの? とんだ勘違い女ね」

 孤児だった凛月とは違い、桜綾は生粋のお嬢様。そして、何かと凛月を敵視してくる面倒な人物でもある。

「あなたは、髪色も瞳も地味な黒。手の甲の証だって、薄くて貧弱だもの」

 桜綾の言う通り、凛月の証は知らなければそれとわからないほど薄い。ある日突然消えていても、誰も気付かないだろう。
 しかし、あの日の夜だけは違った。
 月明かりに反応し証が光を放っていたなど、口が裂けても言えない。

「桜綾様、恐れながらわたくしは巫女見習いで終わりたく存じます。さすれば、希望の職に就けますので」

 たとえ巫女に選ばれなくても、これまでの貢献に対しての俸禄給金が出る。その後の職も、希望に沿った形で斡旋してもらえると聞く。
 この好条件のために、これまで頑張ってきたと言っても過言ではない。
 凛月は、昔から植物を慈しんできた。
 さすがに巫女見習いの立場上宮廷で畑仕事はさせてもらえなかったが、暇があれば庭師と一緒に花壇の手入れなどをしていた。
 庭園の管理をする。もしくは、作物を育てる。植物に関係した仕事がしたいと、ずっと考えていた。
 もし、また中途半端に姿が変わってしまうのであれば、人目に付かない田舎に生涯引きこもっていたい。
 のんびり作物を育てながらの自給自足生活も、悪くはない。
 凛月のように、次の職を求める者は稀だ。元巫女見習いというだけで、嫁の貰い手は引く手数多あまたなのだから。
 師も巫女を退いたあとは望まれるまま高位官吏へ嫁ぎ、跡取りを立派に育てあげた。
 未亡人となった現在は、後進の指導に情熱を注いでいる。

「ですから、どうかわたくしのことはお気になさらず」
「なんですって!」

 桜綾の顔が真っ赤に染まった。
 つい本音をぶちまけたところで、彼女を怒らせてしまったのだと気付く。
 今回、豊穣の巫女に選ばれた者は皇族との婚姻が決められており、桜綾がそれを一番に望んでいることは皆が知る事実。
 それなのに「私は(皇族へ嫁ぐよりも)好きな仕事がしたいから、あなたは私に構わず(早く巫女に選ばれるように)頑張ってね!」と遠回しに言ってしまったのだ。
 口はわざわいの門。
 しまった! と思っても、後の祭り。

「ちょっと、あなた! 元孤児の分際で‼」

 扇を手に、桜綾が恐ろしい形相で向かってくる。
 歳が近いせいか、凛月は昔から何かと絡まれてきた。
 元々の身分が違うのだから放っておいてほしいと、いつも思う。口には出さないが。
 ものすごい剣幕に身の危険をひしひしと感じるが、おとなしく扇で打たれる気はさらさらない。

(手元に鍋の蓋でもあれば、武官のように盾にできるのに……)

 凛月に武芸の心得はないが、扇を弾くことくらいはできる。しかし、今手にしている模造刀では怪我をさせてしまう可能性がある。
 盾の代わりになるような物がないか、辺りを必死に見回す。
 そこへ、時機よく官吏がやって来た。

「失礼いたします。先ほど、神託が下りました」

 この神託が、その後の自分の人生を左右するものになろうとは。
 このときの凛月は、知る由もなかった。


 それから数日後、凛月は隣国へ向かう商隊の荷馬車に乗っていた。
 隣国で半年に一度開かれる大市場へ出店する商会の一員として、同行している。
 神託で次の巫女に選ばれたのは、桜綾だった。
 凛月は希望通りのことに喜んだが、その後まさかの展開が待っていた。
 これまでの言動が(次期)豊穣の巫女に対する侮辱罪として、国外追放処分となってしまったのだ。
 嶺依は「根も葉もない言いがかりだ!」と異議を唱えようとしたが、師へ累が及ぶことを恐れた凛月が必死で止めた。
 桜綾がこれまでの個人的な恨みをここで晴らしたのは間違いない。高官である父親の影響力も働いたのだろう。
 抗議したところで決定がくつがえるわけもないと、凛月は粛々と処分を受け入れた。
 もう、これ以上桜綾に関わるのが面倒だったのだ。
 同じ国に居れば、これからも嫌がらせを受けることは火を見るよりも明らか。
 ならば、ここですっぱり縁を断ち切り、心機一転、他国でやり直そうと考えた。
 なぜか皇族への不敬罪でも処罰されるところだったが、皇太后の取り成しでそちらは撤回されたと嶺依からは聞いた。
 おかげで、財産は没収されず、俸禄はきちんと受け取ることができ、さらに、隣国で職に就けるよう紹介状まで頂いてしまった。
 隣国から月鈴国へ輿入れした皇太后は、あちらの国に知り合いは多い。
 嶺依と皇太后は古くからの友人で、その関係で凛月も二回ほどお茶会に招かれたことがある。
 女性皇族の頂点に立つ皇太后は、孤児だった凛月に対しても優しく接してくれた。
 嶺依は「これくらいしか、凛月の力になれなかった」と嘆いたが、ここまでしてもらった凛月は感謝の言葉しかない。
 二人の顔に泥を塗らないよう、隣国で精一杯働こうと決意を新たにしたのだった。


「凛月様、明日には国境を越えます。今夜が、月鈴国で過ごす最後の夜になりますね」
「そうですね」

 商会の店主の声を聞き、凛月は宿の部屋から月の出ていない夜空を眺める。
 今日は新月だ。
 彼の店は都内では一流店として名を馳せる大店で、皇太后が長年贔屓ひいきにしてきた。
 女の一人旅は危険だからと、ちょうど隣国へ行くこの商隊を紹介された。
 店主だけが凛月の事情を把握しており、彼の親類の娘として同行させてもらっている。

「隣国の華霞ファーシャ国の都も、月鈴国に負けないくらい立派ですよ」
「それは楽しみです」

 十八年間暮らした国を出て行くのに、凛月に悲愴感はまったくない。
 どちらかといえば、新たな希望に燃えていると言ってもいいくらいだ。
 もう、過去は振り返らない。
 前を向くと決めたのだから。


「いらっしゃい! いらっしゃい!」
「さあ、さあ、手に取ってみてくれ。こんな品、めったにお目にかかれないよ!」

 ここは、華霞国の都。
 半年に一度、数日間だけ開かれる大市場には、大勢の買物客が訪れていた。
 国内外の品々が購入できることもあり、珍しい商品を求めて都中から人々が集まっている。
 そんな中を、一人の少年が歩いていた。
 手には、竹の皮に包まれた胡麻団子。口は絶えずもぐもぐと動いている。

「よっ! 兄ちゃん。そんな団子だけじゃ、腹も膨れないだろう? この串焼きも、一つどうだい?」

 串焼き店の店主に呼び止められた少年は、男装した凛月だ。
 女の一人歩きと覚られぬよう、商会の主人に勧められるまま男物の服を着用していた。
 変装している自分はちゃんと男に見えている。凛月は嬉しくなった。

「おじさん、串焼きを一つください」
「へい、まいど!」

 威勢のよい掛け声と共に、串焼きが目の前に差し出された。タレの香ばしい匂いに、思わずよだれが垂れそうになる。
 巫女見習いのときには決して許されなかった買い食い。今は誰に咎められることもない。
 凛月はフーフーと息を吹きかけ、火傷をしないよう慎重にかぶりつく。

(美味しい‼)

 黒曜石のような瞳が、きらりと輝く。串焼きは、あっという間にお腹の中に消えた。


 ◆◆◆


「う~む」

 大市場の中にある鉢植え店の前。
 二つの鉢を見比べながら、フー峰風フォンファンはどちらの鉢を買うべきか頭を悩ませている……フリをしていた。
 彼の目の前にあるのはタンの鉢植え。
 一つはつぼみが大きく、開花すれば見事な姿を見せてくれそうなもの。
 もう一つは蕾はやや小さめだが、こちらはじくが太くしっかりしており、長く花を楽しませてくれそうなものだった。

「ご主人様、そろそろお時間です」

 峰風の後ろに控えるようにして立つ使用人に扮した護衛官から、やんわりと急かされる形での暗号が届く。
 買物客に扮した衛兵が、配置についたとの知らせだ。

「わかった」

 今から、この店の摘発が始まる。
 表向きの容疑は、各地で牡丹と偽り異国の安価な花を高額な値段で売りさばいていること。
 本命は、禁輸植物である毒草を国内に持ち込んだ容疑である。
 峰風は主から無理やり管轄外の仕事を押し付けられ、金持ちの子息になりすましていた。

「まあ、これ以上悩んだところで同じことだな。ところで、店主殿。こちらの牡丹は──」

 蕾の大きい鉢を手に取る。
 峰風の見立てですでに偽物と確認済みで、今から店主に証拠を突きつけ追及しようとしたときだった。

「それは、買わないほうがいいですよ」

 横からの声に峰風が顔を向けると、一人の少年がにこやかな顔で立っていた。
 無造作に一つにまとめられた肩先よりやや長い射干ぬばたま色の髪に、大きめの漆黒の瞳。
 少年というよりも、少女のような愛らしい雰囲気を纏っている。

「どうして、君はそう思った?」

 突然話しかけてきた少年に、峰風は警戒よりも先に興味を覚えた。
 相手が無手の少年ということもあり、護衛官も後ろで静観の構えのようだ。
 これで少年が殺気を纏うものならば即座に切り捨てられるところだが、不穏な気配もまったく感じられない。
 大勢の客がいる中での作戦のため、あらゆる事態を想定していた。峰風は落ち着いて対処する。
 峰風の問いかけに、少年はクスッと笑った。

「それは、これが牡丹ではないからです!」

 自分の言うことは間違いないと言わんばかりの顔で言い切った少年に、店主だけでなく峰風の顔色も変わる。
 まさか自分以外に偽物と見破れる客が居るとは。峰風も、これは想定外だった。
 事実を指摘された店主だったが、すぐに表情を取り繕う。

「いやいや、すまねえ。よく見ると、これは牡丹じゃなく芍薬シャクヤクだな」

 さも今気付いたかのような店主の態度に、峰風は思わず舌打ちをしそうになる。
 芍薬は、牡丹に並ぶ高級花だ。
 この二つの花の蕾はよく似ており、開花するまで気付かない者も多い。
 客から指摘されたとき用の言い訳なのだろう。本物の芍薬も、客の手の届かない店の奥に数鉢だけ並べられている。
 このまま摘発しても、肝心の毒草が見つからなければ言い逃れられて大した罪には問えない。
 峰風は、作戦開始の合図を出すことを躊躇した。

「これは芍薬でもありません。葉の形が全然違いますから、まったく別の植物です。おそらく……異国の花?」
「へ、へえ~、そうなのか。坊主は、いろいろと物知りだな」

 感心したような口調とは裏腹に、店主の目つきが鋭くなった。
 少年を警戒しているのが、峰風には手に取るようにわかる。
 幸いこの少年の仲間とは思われていないようだが、このままだと大事な証拠品(毒草)が隠滅されてしまうかもしれない。
 表情には出さないが焦りを感じ始めた峰風を余所に、店主と少年の会話は続いている。

「見たところ、店頭に牡丹は一つもないようですが?」
「面目ねえが、俺も仕入れ先に騙されたのさ。客に偽物を売るわけにもいかねえから、今日はこのまま店じまいさせてもらう。そちらのお客さんも申し訳ないが、他の店を当たってくれ」

 店主はあっさりと、牡丹が偽物であると認めた。
 ここで揉め事を起こせば人目を引く。店主は引き際を見極めた。
 撤収のため鉢植えを荷台に積み始めた若い店員の一人に、「水を汲んでこい」と店主は指示を出す。
 このまま何食わぬ顔で商品を片付け、雲隠れをするつもりなのだろう。峰風にとっては非常に不味い事態となった。
 若い店員は、奥から数本の竹筒が入ったトウ製の買い物籠を取り出し、店を出て行く。
 それを横目に見やりながら、峰風はやむなく作戦の中止を決断した……ときだった。

「すみませんが、その籠の中に入っている物を見せてもらえませんか?」

 何気ない少年の声に店主は明らかに狼狽し、若い店員は弾かれたように走り出す。
 峰風は、迷うことなく声を上げた。

「作戦決行! その店員を逃がすな! 店の商品も差し押さえろ‼」

 峰風にとって、これは一種の賭けだ。
 籠の中身が何も問題がなかった場合、牡丹の偽物を売った軽微な罪にしか問えない。
 店の周囲に待機していた衛兵たちによって、容疑者たちは全員捕縛された。
 竹筒を除けて押収した籠の中を調べるが、何も見つからない。

「怪しい物は、ありませんね。籠も二重底になってはいないようですし……」
「いや、奴らの慌てぶりから見ても、この中に何かを隠しているのは間違いない」

 峰風は一本の竹筒を手に取った。

「そういえば、この竹筒には水が入っていないはずなのに重さがあるな」

 筒につるを巻き付けごまかしてあるが、よく見ると割れ目がある。
 蔓を切り中身を確認した峰風は、ようやく肩の力を抜く。
 そこには、探し求めていた毒草が隠されていた。


「驚かせてすまなかった」

 突然始まった捕り物に目を丸くしている少年へ、峰風は声をかけた。

「君のおかげで、容疑者を捕まえることができた。礼を言う」
「お役に立てたのであれば、良かったです」

 無邪気に微笑む少年を、峰風はさりげなく観察する。
 少年は驚いてはいたが、怯えたり逃げ出したりすることもなくその場に留まっていた。
 十五、六歳くらいに見える彼の終始落ち着いた態度に、二十歳の峰風は感心しきりだ。

「一つ、お尋ねしたいことがあるのですが?」
「なんだ?」
「先ほど回収された子たちは、これからどうなるのでしょうか?」
「子たち? ああ、鉢植えのことか。証拠品としての調査が終わったあとは、すべて国の所有物となる。牡丹の偽物と言ってもあの花自体は綺麗なものだから、おそらく宮殿に飾られるのではないか」

 峰風は口には出さなかったが、おそらく後宮の庭園に置かれると考えている。

「では、その籠の中の子たちは?」
「これは、処分される。禁輸品だからな」

 他の鉢植えは衛兵たちに任せた峰風だったが、さすがに毒草をそのままにはしておけない。
 万が一にも紛失しないよう、これだけは自ら責任を持って持ち帰ることにした。
 毒草とはいえ大変珍しい植物であるだけに、仕事柄峰風としても詳しく観察をしたい気持ちはある。しかし、こればかりは許可が下りないだろう。

「その子たちは、強力な『毒消し薬』として利用できます。ですから、信用のおける医官様の下で管理されれば、悪用はされないかと。その子たちも、それを望んでいます」

へんどくやく(毒を変じて薬と為す)』という言葉があるように、毒と薬は背中合わせのものだ。
 実際に、毒性を弱めて薬としている『トリカブト』のような例もある。
 しかし、峰風が気になったのは別のことだった。

「君は、籠のコレがどういうものか知っているのか? 中を見たわけでもないのに」

 思わず声が低くなる。
 峰風は、周りから見えないようにして竹筒の中を確認した。
 たとえチラッと見えていたとしても、知らぬ者にはただの雑草にしか見えない。

「その子の名はわかりませんが、用途は知っています」

 話の流れからみても、少年がこれを毒草と認識していることは明らかだった。
 一瞬、鉢植え売りの仲間かとも思ったが、峰風はすぐにその考えを捨て去る。彼らの仲間であるならば、容疑者たちが黙っているはずがない。

「俺は、峰風という。君の名を教えてくれ」

 峰風は、姓は名乗らず名だけを告げる。

「僕は……子墨ズーモといいます」
「子墨か。『泰然たいぜん自若じじゃく(どんな事態にも、慌てず落ち着いた様子)な男の子』。君に似合いの名だな」
「…………」

 褒めたはずが、子墨はなぜかばつが悪そうに目を伏せ黙り込んでしまった。
 峰風は気にせず言葉を続ける。

「君の植物に関する目利きと知識は、どこで培ったものだ? 書物か? それとも、師事する者がいるのか?」
「えっと……どちらでもありません」

 言い淀む子墨は、この件に関してはあまり話したくなさそうな雰囲気を漂わせている。
 察した峰風は、これ以上の追及を止めた。

「引き留めて悪かったな。では、俺はこれで失礼する」

 少し離れた場所で、証拠品をすべて押収した衛兵たちが峰風を待っている。
 これから宮殿へ戻り、主へ報告をしなければならない。本来の仕事もまだ残っている。
 くるりと向きをかえ歩き出した峰風の背中に「あの!」と声がかかった。

「峰風様は、宮廷の官吏様ですか?」
「そうだが」
「宮廷にいらっしゃるこの方と面会するには、どうすればいいでしょうか?」

 振り返った峰風の前に差し出されたのは、一通の書簡。
 宛名と差出人のものと思われるおう、使用されている紙の質を確認した峰風の表情が一変する。


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