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今回のような庭木についた害虫の駆除や、樹木が元気になるように栄養剤の散布などが峰風の主な仕事とのこと。
「その関係で他の植物のことも学んでいるから、知識は他の者よりはある。だから、先日の市場のような担当外の案件を押し付けられることも多々あるが」
「あれは、押し付けられた仕事だったのですか?」
「アイツは、強引だからな……」
遠い目をしている峰風の姿に、日頃の苦労が偲ばれた。
「でも、悪い人を捕まえたり、植物を治療したりと、やりがいのある素敵なお仕事です!」
「君はそう言ってくれるが、異国より伝わったばかりの職だからまだ知らぬ者も多い。周囲の理解も得られていない。俺自身も、いまだ手探りの状態だ」
峰風は様々な文献を読み漁って勉強をし、日々精進しているという。
「子墨は、俺が知らぬことも知識として持っている。今日の害虫がそうだった。さっそく報告書を作成し、幼虫の発見方法と対処法を国内に広めようと思っている。これで、薔薇の虫害が減るだろう」
「僕が、お役に立てたのですね」
「大いに助かった。だから、今後もその知識を仕事で活かしてみないか? 表向きは俺の助手という立場になるが、俺も君からいろいろと学びたいと思っている」
(峰風様は、やっぱり良い人だ)
高位の官吏なのだから、自身の命令一つで宦官の異動など造作もないことだろう。
それなのに、子墨の意思を尊重し、勧誘という形を取ってくれる。
「とても有り難いお申し出ですし、僕自身も大変興味があります。ですが、今の仕事は宰相様が斡旋してくださったものですので」
いろいろと事情持ちの凛月は、自分の判断だけで勝手に職を変えることはできない。
それでも、峰風と仕事をしてみたいと素直に思った。
「では、父上の許可が下りれば問題はないということだな。ならば、戻り次第すぐに直談判するとしよう」
「峰風様の『父上』とは、どなたですか?」
「そうか、子墨はすでに知っていると思っていたが。父は、宰相の胡劉帆だ。俺は三男になる」
「えっ、宰相様のご子息…………ええええー‼」
峰風が高位の官吏とは知っていたが、予想の遥か上を行っていた。
雲一つない青空の下、庭園に子墨の大絶叫が響き渡ったのだった。
無事、初日の仕事を終えた凛月は、迎えに来た浩然とともに宮に戻った。
自分の宮に出入りするのに一々付き添いが必要なのは、あらぬ噂を立てられないため。
たとえ宦官といえども、妃嬪付きでもない新人宦官だ。一人で宮に出入りするのは、妃嬪にとって外聞がよろしくないとのこと。
凛月が「私は、外聞なんて別に気にしないけど」と言ったら、「「そこは気にしてください!」」と二人から突っ込まれてしまった。
「ねえ……峰風様が宰相様のご子息だって、どうして私に教えてくれなかったの?」
凛月が少々恨みがましい目で瑾萱を睨んだら、「だって、凛月様から尋ねられませんでしたから」と涼しい顔であっさり流された。
「それより、聞きましたよ! 今日は、その峰風様と仲良く作業をされたそうですね?」
先ほどとは打って変わり、今度は瑾萱が食いついてきた。
なんという情報の早さ。凛月が驚いていると、女官たちの情報伝達の速さを舐めてはいけません! と言われた。
「なかなか良い雰囲気だったって、女官仲間が教えてくれました」
「『なかなか良い雰囲気だった』って、どういう意味? 周りから見れば、ただの男同士よね?」
女官ならまだしも、宦官と官吏の組み合わせだ。
「え~、そんなの決まっているじゃないですか! 峰風様は、女嫌いで有名なんですよ! 特に、官女や女官への対応が、冷たくて、素っ気なくて、淡々としていて」
「そんな風には見えないけど」
「見えなくても事実なんです! ですから、女嫌いの高官と、少女のように可憐な少年宦官が手を取り合…ムガッ」
「凛月様、聞く価値もない話ですのでお耳を貸されませんように。瑾萱、またくだらないことを言っていないで、早く湯浴みの準備をするぞ」
浩然から口を押さえこまれた瑾萱は、目を白黒させながら頷いている。
結局、意味が分からないまま、この話は終わった。
凛月が話の意味を理解するのは、もうしばらく先のこと――
第二章 巫女と宦官
姿見に映っているのは、官服に身を包んだ子墨の姿。
これまでは自分で適当に束ねていた髪も、瑾萱の手によって綺麗に一つに纏められている。
「凛月様、とっても凛々しいお姿です!」
「ありがとう。これも、瑾萱と浩然のおかげね」
童顔の凛月は、実年齢よりも下に見られることが多い。
そこで、周囲に侮られてしまうことを危惧した二人が作戦を考えた。
子墨が少しでも大人っぽく見えるよう瑾萱は薄化粧を施し、浩然は履けば多少背が高くなる沓をどこからか調達してきたのだ。
左手の証も、おしろいを塗ってごまかしてある。
「凛月様、外廷は魑魅魍魎が蠢く戦場です。くれぐれも一人歩きはなさいませんよう、常に峰風様と行動を共にしてください」
「フフッ、瑾萱は心配性なんだから」
珍しく、瑾萱が真面目な顔で話をしている。それが可笑しくて堪らない。
凛月は宰相からも、同じようなことを繰り返し言われていた。
「笑い事ではございません。残念ながら、外廷には宦官を見下す官吏や官女が少なからずおります。あなたさまは、大切な御役目を担う巫女様なのです。何を措いても、御身を大事に」
今日は、浩然までもがピリピリしていた。
瑾萱と違い官職を賜っている浩然は、内廷と外廷を自由に行き来できる。事情もよく知っている。
子墨の護衛として一日中張り付くと浩然は言った。それを、「(欣怡妃付きの護衛官なのに)子墨に付くのはおかしい!」と凛月はどうにか説得したのだった。
「大丈夫。『一人歩きはしない』、『行動するなら、峰風様と一緒』。あとは……」
「峰風様から許可が下りたものだけ、お召し上がりください。確認が取れていないものは、たとえ水でも口にしてはなりません」
「だから、私は持参したものだけを食べれば問題ないわね」
鞄の中には、朝、瑾萱と一緒に作った昼餉が入っている。
これまでは、尚食局で作られた食事を宮で食べていた。
しかし、外廷へ出仕する日の昼餉だけ、食材をもらい宮の厨房で調理し持って行くことにしたのだ。
竹の皮にごはんとおかずを一緒に包んだだけの簡単なものだが、凛月はお昼に食べるのを今からとても楽しみにしている。
「この門を通り抜けると、外廷となります」
守衛する宦官に聞こえぬよう小声で囁いた浩然に小さく頷き、子墨は建物内に足を踏み入れる。
門とはいっても、実際は屋根付き壁ありの立派な建造物だ。
室内には卓子や椅子が置かれ、許可を取れば、後宮で働く女官らがこの場所で家族や知人らと面会することも可能となっている。
欣怡妃として入内したときに一度は通っているはずなのだが、被っていた布で視界を遮られていたためよく覚えていない。
通り抜けた先にあったのは、無数の大きな建物と、道を行き交う人々の姿だった。
「わあ……男の人が大勢いる!」
月鈴国では巫女見習いたち、華霞国では女官が多い後宮に慣れている凛月にとって、男性の文官・武官が多く闊歩する光景は見ていて不思議な感覚を覚える。
「子墨、声が大きいですよ」
「申し訳ありません。つい、興奮しました」
表向きは、新人の子墨より浩然のほうが立場が上になる。
凛月は、彼の後ろを静かについて行く。
峰風に連れられ初めて宮廷に来たときは後ろに隠れるようにして歩いていたため、周囲の景色がまったく目に入っていなかった。
キョロキョロと辺りを見回したい衝動を、グッと堪える。
ある建物の前に、峰風が立っていた。
子墨の姿を見つけると、峰風は笑顔になった。
「浩然、ここまでご苦労だった。あとは俺が引き受ける」
「峰風様、子墨をよろしくお願いいたします」
「帰りは、門まで送り届ける。欣怡妃には、『ご厚意に、深く感謝している』と伝えてくれ」
「かしこまりました」
宰相との話し合いの結果、凛月や峰風の希望通り子墨は峰風の助手として働くことが決まった。
ただ、一つ問題があった。峰風専属の助手となった場合、子墨は後宮を出なければならないのだ。
峰風は、胡家の屋敷に住まわせると言った。
しかし、当然のことながらそれはできない。
女性であり巫女としての職務もある凛月は、宮から引っ越すわけにはいかないのだ。
そこで宰相が考え出した秘策が、子墨を欣怡妃付きの従者にし、そこから峰風へ貸し出す形を取ることだった。
これならば、後宮の欣怡妃の宮から毎日通うことになってもおかしくはない。宮付きになったことで、子墨単独での出入りも可能となる。
欣怡妃が、以前から気に入っていた子墨をどうしても従者にしたいと望んだこと。
妃嬪の我が儘を受け入れる代わりに、子墨の希望する職に従事することを許可すること。
宮の仕事(巫女としての職務)があるときは、助手の仕事を休ませること。
諸々の条件を宰相が妃嬪側と交渉し、この条件に落ち着いた(ことになったとした)。
「欣怡妃が君を従者にすると聞いたときは、正直かなり焦ったぞ」
「少々気に入られてしまいまして、ハハハ……」
子墨の髪には、欣怡妃付きの従者である証の簪が挿されている。もちろん、瑾萱と浩然にも同じ物が。
これは従者の証明であると同時に、妃嬪のお気に入りであることを意味する。
彼らは欣怡妃のものだから、手出しは一切無用。つまり、お守りというわけだ。
自分(欣怡)が自分(子墨)を気に入ったことになり、凛月の心境は少々複雑ではある。
それでも、こうでもしなければ外廷の峰風の下で働くことは叶わない。
峰風の仕事内容を聞き、凛月は非常に興味を持った。
『植物の心を感じ取る能力』を持っていても、これまではただ『知る』だけのこと。目の前の植物が病気や虫に侵されていることがわかっても、凛月ではどうすることもできなかったのだ。
しかし、樹医である峰風にはそれに対処できる知識も経験も道具もある。実際に、薔薇は全滅を免れた。
彼のもとで学べば、自分もあんな風に植物を救うことができるようになるかもしれない。
『植物に関係した仕事に就きたい』という漠然とした目標が、『能力を活かし植物を救う』という明確な目標になった瞬間だった。
峰風の執務室は、小さな建物の中にある小ぢんまりとした部屋だ。
中は壁一面が棚になっており、書物や巻物、道具などが所狭しと収納されている。
中央に卓子と椅子が置かれており、壮年の男性がいた。
「秀英、今日から俺の助手となった子墨だ。彼は欣怡妃付きの従者で、妃嬪のご厚意により借り受ける形となっている。くれぐれも、よろしく頼む」
「子墨と申します。よろしくお願いいたします」
「楊秀英です」
子墨がぺこりと頭を下げると、秀英も同じように返してくれた。
口数は少ないが、物腰の柔らかそうな人物だ。
「秀英は俺の事務官だ。何かわからないことがあれば、彼に訊くといい」
「わかりました。ところで、他の方は?」
周囲を見回しても、二人の他に人はいない。
「ここは、俺と秀英しかいない」
「そうでしたか」
どんなに規模が小さくとも、部屋付きの官女は必ず一人はいる。やはり、峰風の女嫌いは本当のことらしい。
納得したところで、子墨は窓辺に置かれた鉢植えに目を留めた。
「峰風様、あの鉢植えはもしかして……」
「先日、押収した鉢だ。この部屋が殺風景だから、一つもらい受けた」
「もうすぐ、花が咲きそうですね」
子墨は顔を近づける。
先日は硬く閉じられていた蕾が、少し開いてきている。
「薄紅色の綺麗な花が咲くだろうな」
「これは……薄紅色と白の二色ですね」
「白?」
峰風と秀英は、揃って首をかしげた。
「しかし、蕾は明らかに薄紅色だぞ?」
「フフッ、でも、この子がそう言っているようですので」
冗談めかして、子墨は楽しげに微笑んだ。
助手としての最初の仕事は、書物を読み知識を増やすことだった。
峰風と秀英が報告書の作成に追われているなか、連日、子墨は書物を読んでいる。
それは、装丁に見たこともない装飾が施されている異国のもの。植物の絵が写実的に描かれている図鑑だった。
どう見ても、平民が気軽に触ってよい代物ではない。
手に取ることを躊躇した子墨に、峰風は「読んで知識を深めることも、助手の仕事の一つだ」と言った。仕事だと強制することで、子墨が読みやすい状況を作ってくれたのだ。
峰風の気遣いに感謝し、絵を見ながら横に添えられた翻訳文を確認していく。
見たことも聞いたこともないような植物が、次から次へとたくさん出てくる。子墨はすぐに夢中になった。
今日も時間を忘れ読書に没入していると、外から足音が。扉へ視線を向けると、護衛官を二人伴った人物が入ってきた。
官服ではない仕立ての良い豪奢な衣装を身に纏った、見目の良い若い男性。
誰だろう? と子墨が見つめていると、峰風と秀英が立ち上がりすぐさま揖礼する。
高位の人物と知り、子墨も慌ててそれに倣う。
「堅苦しい挨拶はいらぬ。それより、峰風に頼みがある」
「梓宸殿下、先触れもなしに何事でございますか?」
(皇子殿下!?)
男性は貴人だった。
峰風のやや非難めいた言葉と態度に、子墨はさらに驚き固まる。
「そんな、嫌そうな顔をするな」
「こちらにも、都合というものがございます。ご用件がありましたら先触れを出していただきたいと、何度も申し──」
「その言葉遣いもやめろ。私とおまえの仲だろう」
梓宸は空いている椅子に勝手に腰を下ろす。さらに、全員に座れと命じた。
峰風と秀英はそれぞれの席に。子墨は、先ほどとは違う梓宸からはなるべく離れた端の席に座った。
「ハア……せっかく俺が取り繕っているのに。それで、用件はなんだ? 忙しいから手短に頼む」
先ほどの敬う姿勢から一変、皇子に対してなんとも不遜な物言い。
不敬罪になるのでは? ハラハラドキドキしている子墨をよそに、峰風と秀英はいつの間にか仕事を再開している。
まるで、皇子など存在していないような雰囲気だ。
しかし、梓宸はそんな周囲の様子を気にすることはない。
「何度も言うが、こんな風に話ができるのはおまえしかいないのだから、私の前ではいつでもそういう態度でいろ。いいな?」
「それは、この部屋の中と、他の者がいないときだけにする。それより、早く用件を言え」
もはや、峰風は向き合っている書類から顔も上げず、筆を走らせる手も止めない。
「後宮の果樹園へ行き、妃嬪用に一番美味しい枇杷を採ってきてくれ」
「なぜ、そんな仕事が俺に回ってくる? 尚食局の仕事だろう?」
「尚食局が何度も宮へ枇杷を届けているが、味に納得しないらしい。それで、妃嬪のわがままに困り果てた尚食が私に泣きついてきた、ことになっている」
「……違うのか?」
「どうやら、麗孝が焚き付けたらしい」
ここで、ようやく峰風は手を止め梓宸のほうを向く。
「ある妃嬪が、美味しい枇杷を食べたいと騒いでいるのは本当のことだ。それを聞きつけた麗孝が『第一皇子殿下の覚えめでたい樹医様にお願いをすれば、さぞかし美味しい枇杷を選んでくださるだろう』と」
「俺は、ただの樹木の医者だぞ」
「先日の薔薇の件で皇帝陛下よりお褒めの言葉をいただいたことが、相当気に食わなかったようだ」
「兄弟喧嘩に、俺を巻き込むな」
(兄弟ということは……麗孝様も皇子殿下?)
凛月は後宮には入っているが、皇帝をはじめ皇族と顔を合わせたことは一度もない。
皇子たちの名も、誰一人として知らない。
二人の会話の内容から、梓宸が第一皇子であることを初めて知った。
「私としても、いちいち麗孝の相手をするのは面倒だが、峰風が軽んじられるとなれば話は別だ。だから、頼んだぞ」
「美味しい枇杷の見分け方など、俺は知らん」
「それでも、おまえはできる男だ。毒草を回収してきたようにな」
梓宸はニヤリと不敵な笑みを浮かべる。「手続きは終えているから、すぐに後宮へ向かえ」と言い残し、颯爽と帰っていった。
報告書の作成を秀英に任せ、峰風は子墨を連れて後宮へやって来た。
「これはまた、立派な枇杷の木ですね」
子墨が見上げているのは、果樹園の一角に植えてある枇杷の木々。
旬を迎え、どれも橙色の実がたわわに生っている。
「まったく、次々とやっかいな案件を持ち込まれるな」
「第一皇子殿下は峰風様の主であり、後ろ盾でもありますから、仕方ありません」
「面倒事を押し付けてくる、困った主だがな」
道すがら、子墨はいろいろと話を聞いた。
樹医という仕事は、第一皇子が持ち帰った異国の書物から始まったこと。
先日の峰風の話にもあったように、まだまだ周囲の理解が得られていないこと。
峰風は宰相の子息ということもあり、同い年の梓宸とは幼い頃から親しい付き合いをしていたこと。
成長し臣下の礼を取るようになった峰風に対し、梓宸はいつまで経っても昔のままであること。
愚痴ったり文句を言ったりしつつも、話をしている峰風の表情はどこか楽しげだった。
言いたいことを言い合う二人の様子からは、信頼関係も見て取れる。
初対面のときは、峰風のことを品行方正なお育ちの良い良家のご子息様だと思っていた。
しかし、何度か顔を合わせるうちに彼の人間性が少しずつわかってくる。
(峰風様は、案外素直じゃないのかもしれない)
子墨はクスッと笑った。
「いつまでも下から見上げていても、仕方ないな」
峰風はぐるりと枇杷の木を見回すと、採取担当へ顔を向ける。
「果実の色が濃く、丸みを帯びている物を選んでくれ。アレとかこの辺りの物が―─」
「峰風様、それはまだ未熟です!」
指示を出す峰風を黙って見ていた子墨だが、見かねてつい口を出してしまった。
「もしや……子墨は、どれが美味しい物かわかるのか?」
「……はい」
少し迷ったが、子墨ははっきりと答える。
「では、俺の代わりに君が指示を出してくれ」
「僕が選んでも、いいのですか?」
「構わない。君のことは信頼しているし、何かあれば俺が責任を取る」
「では、文句のつけようがないくらい美味しい枇杷を、選んでみせます!」
峰風に責任を取らすわけにはいかない。
信頼に応えるべく、子墨は張り切って選び始める。
すべての木を見て回り、最終的に選んだものは五つだけだった。
「あれだけある実の中から、たったこれだけか」
「その代わり、味は保証します。なんと言っても、あの子たちのお薦めですから!」
厳選したから、外れはないはず。
子墨は自信を持って胸を張った。
「フフッ、子墨はいつも『あの子』とか『この子』と言っているな。まるで、植物と会話をしているようだ」
「そ、そうですね……ハハハ」
会話はできないけれど、彼らの意思はわかります! とは、もちろん言えない。
子墨は、曖昧に微笑んだ。
「遅くなったな……」
依頼を終えた子墨と峰風が足早に執務室へ戻ると、秀英はまだ書類を片付けていた。
彼を食事に行かせた峰風は、子墨にも食事をするよう伝える。
「後宮と外廷を行き来すると、足腰が鍛えられますね。おかげで、お腹が空いてご飯が美味しく食べられそうです」
「それは羨ましいな。俺は、宮廷内で食事をするのは苦手だ。昼餉は食べないことが多い」
「それでは、お腹が空きませんか?」
子墨が助手となって三日目。峰風が食事をしないことがずっと気になっていた。
「中に何が混入されているかわからないから、安心して食事ができない。あっ、言っておくが毒ではないぞ。俺を毒殺したところで、なんの益もないからな」
笑いながら峰風は筆を手に取ると、また仕事を始めた。
峰風は宦官である子墨に配慮し明言を避けたが、常に媚薬を警戒している。
これまで、『お茶葉』『食堂での食事』『差し入れの果物や菓子』などなど様々な物に媚薬が混入されていた。
すべて事前に気付き峰風の口に入ることはなかったが、食欲不振と女性不信になるには十分だった。
しかし、周囲に女性しかいない環境で育ってきた凛月は、媚薬自体を知らない。
峰風は明るく告げたつもりのようだったが、深刻に捉えてしまう。
『外廷は魑魅魍魎が蠢く戦場』と評した瑾萱の言葉を思い出していた。
持参した昼餉を取り出した子墨は、竹皮の包みを二つ峰風へ差し出す。お箸付きだ。
「このような物で恐縮ですが、何も食べないのは体によくありません」
「でも、これは君の昼餉だろう?」
峰風は、子墨が昼餉を持参していることを知っている。
すべて、宰相の指示であることも。
「包みは三つありますし、中身は今朝、僕が瑾萱さんと一緒につくったものです。ですから、安心してお召し上がりください」
「料理ができるのか?」
「えっと……一応、できます」
峰風の驚いたような反応に、思わず語尾が小さくなる。
宦官が料理をするのは、おかしいことなのだろうか。後宮の常識がわからない凛月は戸惑う。
「見た目はこんなのですが、味は保証します! それに、一人で食べるのは寂しいですから」
半ば押し付けるように峰風へ渡す。彼に渡すために、今日は三つ持ってきた。
子墨は残り一つの包みを開ける。中身は肉と野菜を甘辛い味噌で炒めた簡単なおかずだが、ご飯にしっかり味が染みており冷めても美味しく食べられる。
満面の笑みで食事をしている子墨につられるように、峰風も包みを手に取った。
「これは旨いな」
「お口に合ったなら、よかったです」
「俺も、こうやって家から持ってくればいいのだな」
飲み物は瓢箪に入れ持参していた峰風だが、食事までは気が回らなかった。
「よろしければ、こちらのお茶もどうぞ」
良いことを知ったと微笑む峰風に、湯呑に注いだお茶を渡す。
子墨は昼餉と一緒に、瓢箪も二本持参していた。
腰に下げた瓢箪とは別に、食事中に飲めるようにと瑾萱が用意したもの。口は付けていない。
喉が渇いていたので、子墨は自分用に注いだ湯呑のお茶を一気に飲み干した。
「この茶葉はかなり良い物だな。もしかして……妃嬪用の物を使用しているのか?」
「!?」
思わぬ問いかけに、お茶で噎せた。吹き出さなかった自分を、褒めたいくらいだ。
「ゴホッ……そ、そうですね。でも、使用してもよいと、許可はもらっています」
峰風へ言い訳をしながら、内心冷や汗が止まらない。
後宮妃である欣怡と、従者の子墨が同じものを口にするなど、本来は有り得ないことだ。
「その関係で他の植物のことも学んでいるから、知識は他の者よりはある。だから、先日の市場のような担当外の案件を押し付けられることも多々あるが」
「あれは、押し付けられた仕事だったのですか?」
「アイツは、強引だからな……」
遠い目をしている峰風の姿に、日頃の苦労が偲ばれた。
「でも、悪い人を捕まえたり、植物を治療したりと、やりがいのある素敵なお仕事です!」
「君はそう言ってくれるが、異国より伝わったばかりの職だからまだ知らぬ者も多い。周囲の理解も得られていない。俺自身も、いまだ手探りの状態だ」
峰風は様々な文献を読み漁って勉強をし、日々精進しているという。
「子墨は、俺が知らぬことも知識として持っている。今日の害虫がそうだった。さっそく報告書を作成し、幼虫の発見方法と対処法を国内に広めようと思っている。これで、薔薇の虫害が減るだろう」
「僕が、お役に立てたのですね」
「大いに助かった。だから、今後もその知識を仕事で活かしてみないか? 表向きは俺の助手という立場になるが、俺も君からいろいろと学びたいと思っている」
(峰風様は、やっぱり良い人だ)
高位の官吏なのだから、自身の命令一つで宦官の異動など造作もないことだろう。
それなのに、子墨の意思を尊重し、勧誘という形を取ってくれる。
「とても有り難いお申し出ですし、僕自身も大変興味があります。ですが、今の仕事は宰相様が斡旋してくださったものですので」
いろいろと事情持ちの凛月は、自分の判断だけで勝手に職を変えることはできない。
それでも、峰風と仕事をしてみたいと素直に思った。
「では、父上の許可が下りれば問題はないということだな。ならば、戻り次第すぐに直談判するとしよう」
「峰風様の『父上』とは、どなたですか?」
「そうか、子墨はすでに知っていると思っていたが。父は、宰相の胡劉帆だ。俺は三男になる」
「えっ、宰相様のご子息…………ええええー‼」
峰風が高位の官吏とは知っていたが、予想の遥か上を行っていた。
雲一つない青空の下、庭園に子墨の大絶叫が響き渡ったのだった。
無事、初日の仕事を終えた凛月は、迎えに来た浩然とともに宮に戻った。
自分の宮に出入りするのに一々付き添いが必要なのは、あらぬ噂を立てられないため。
たとえ宦官といえども、妃嬪付きでもない新人宦官だ。一人で宮に出入りするのは、妃嬪にとって外聞がよろしくないとのこと。
凛月が「私は、外聞なんて別に気にしないけど」と言ったら、「「そこは気にしてください!」」と二人から突っ込まれてしまった。
「ねえ……峰風様が宰相様のご子息だって、どうして私に教えてくれなかったの?」
凛月が少々恨みがましい目で瑾萱を睨んだら、「だって、凛月様から尋ねられませんでしたから」と涼しい顔であっさり流された。
「それより、聞きましたよ! 今日は、その峰風様と仲良く作業をされたそうですね?」
先ほどとは打って変わり、今度は瑾萱が食いついてきた。
なんという情報の早さ。凛月が驚いていると、女官たちの情報伝達の速さを舐めてはいけません! と言われた。
「なかなか良い雰囲気だったって、女官仲間が教えてくれました」
「『なかなか良い雰囲気だった』って、どういう意味? 周りから見れば、ただの男同士よね?」
女官ならまだしも、宦官と官吏の組み合わせだ。
「え~、そんなの決まっているじゃないですか! 峰風様は、女嫌いで有名なんですよ! 特に、官女や女官への対応が、冷たくて、素っ気なくて、淡々としていて」
「そんな風には見えないけど」
「見えなくても事実なんです! ですから、女嫌いの高官と、少女のように可憐な少年宦官が手を取り合…ムガッ」
「凛月様、聞く価値もない話ですのでお耳を貸されませんように。瑾萱、またくだらないことを言っていないで、早く湯浴みの準備をするぞ」
浩然から口を押さえこまれた瑾萱は、目を白黒させながら頷いている。
結局、意味が分からないまま、この話は終わった。
凛月が話の意味を理解するのは、もうしばらく先のこと――
第二章 巫女と宦官
姿見に映っているのは、官服に身を包んだ子墨の姿。
これまでは自分で適当に束ねていた髪も、瑾萱の手によって綺麗に一つに纏められている。
「凛月様、とっても凛々しいお姿です!」
「ありがとう。これも、瑾萱と浩然のおかげね」
童顔の凛月は、実年齢よりも下に見られることが多い。
そこで、周囲に侮られてしまうことを危惧した二人が作戦を考えた。
子墨が少しでも大人っぽく見えるよう瑾萱は薄化粧を施し、浩然は履けば多少背が高くなる沓をどこからか調達してきたのだ。
左手の証も、おしろいを塗ってごまかしてある。
「凛月様、外廷は魑魅魍魎が蠢く戦場です。くれぐれも一人歩きはなさいませんよう、常に峰風様と行動を共にしてください」
「フフッ、瑾萱は心配性なんだから」
珍しく、瑾萱が真面目な顔で話をしている。それが可笑しくて堪らない。
凛月は宰相からも、同じようなことを繰り返し言われていた。
「笑い事ではございません。残念ながら、外廷には宦官を見下す官吏や官女が少なからずおります。あなたさまは、大切な御役目を担う巫女様なのです。何を措いても、御身を大事に」
今日は、浩然までもがピリピリしていた。
瑾萱と違い官職を賜っている浩然は、内廷と外廷を自由に行き来できる。事情もよく知っている。
子墨の護衛として一日中張り付くと浩然は言った。それを、「(欣怡妃付きの護衛官なのに)子墨に付くのはおかしい!」と凛月はどうにか説得したのだった。
「大丈夫。『一人歩きはしない』、『行動するなら、峰風様と一緒』。あとは……」
「峰風様から許可が下りたものだけ、お召し上がりください。確認が取れていないものは、たとえ水でも口にしてはなりません」
「だから、私は持参したものだけを食べれば問題ないわね」
鞄の中には、朝、瑾萱と一緒に作った昼餉が入っている。
これまでは、尚食局で作られた食事を宮で食べていた。
しかし、外廷へ出仕する日の昼餉だけ、食材をもらい宮の厨房で調理し持って行くことにしたのだ。
竹の皮にごはんとおかずを一緒に包んだだけの簡単なものだが、凛月はお昼に食べるのを今からとても楽しみにしている。
「この門を通り抜けると、外廷となります」
守衛する宦官に聞こえぬよう小声で囁いた浩然に小さく頷き、子墨は建物内に足を踏み入れる。
門とはいっても、実際は屋根付き壁ありの立派な建造物だ。
室内には卓子や椅子が置かれ、許可を取れば、後宮で働く女官らがこの場所で家族や知人らと面会することも可能となっている。
欣怡妃として入内したときに一度は通っているはずなのだが、被っていた布で視界を遮られていたためよく覚えていない。
通り抜けた先にあったのは、無数の大きな建物と、道を行き交う人々の姿だった。
「わあ……男の人が大勢いる!」
月鈴国では巫女見習いたち、華霞国では女官が多い後宮に慣れている凛月にとって、男性の文官・武官が多く闊歩する光景は見ていて不思議な感覚を覚える。
「子墨、声が大きいですよ」
「申し訳ありません。つい、興奮しました」
表向きは、新人の子墨より浩然のほうが立場が上になる。
凛月は、彼の後ろを静かについて行く。
峰風に連れられ初めて宮廷に来たときは後ろに隠れるようにして歩いていたため、周囲の景色がまったく目に入っていなかった。
キョロキョロと辺りを見回したい衝動を、グッと堪える。
ある建物の前に、峰風が立っていた。
子墨の姿を見つけると、峰風は笑顔になった。
「浩然、ここまでご苦労だった。あとは俺が引き受ける」
「峰風様、子墨をよろしくお願いいたします」
「帰りは、門まで送り届ける。欣怡妃には、『ご厚意に、深く感謝している』と伝えてくれ」
「かしこまりました」
宰相との話し合いの結果、凛月や峰風の希望通り子墨は峰風の助手として働くことが決まった。
ただ、一つ問題があった。峰風専属の助手となった場合、子墨は後宮を出なければならないのだ。
峰風は、胡家の屋敷に住まわせると言った。
しかし、当然のことながらそれはできない。
女性であり巫女としての職務もある凛月は、宮から引っ越すわけにはいかないのだ。
そこで宰相が考え出した秘策が、子墨を欣怡妃付きの従者にし、そこから峰風へ貸し出す形を取ることだった。
これならば、後宮の欣怡妃の宮から毎日通うことになってもおかしくはない。宮付きになったことで、子墨単独での出入りも可能となる。
欣怡妃が、以前から気に入っていた子墨をどうしても従者にしたいと望んだこと。
妃嬪の我が儘を受け入れる代わりに、子墨の希望する職に従事することを許可すること。
宮の仕事(巫女としての職務)があるときは、助手の仕事を休ませること。
諸々の条件を宰相が妃嬪側と交渉し、この条件に落ち着いた(ことになったとした)。
「欣怡妃が君を従者にすると聞いたときは、正直かなり焦ったぞ」
「少々気に入られてしまいまして、ハハハ……」
子墨の髪には、欣怡妃付きの従者である証の簪が挿されている。もちろん、瑾萱と浩然にも同じ物が。
これは従者の証明であると同時に、妃嬪のお気に入りであることを意味する。
彼らは欣怡妃のものだから、手出しは一切無用。つまり、お守りというわけだ。
自分(欣怡)が自分(子墨)を気に入ったことになり、凛月の心境は少々複雑ではある。
それでも、こうでもしなければ外廷の峰風の下で働くことは叶わない。
峰風の仕事内容を聞き、凛月は非常に興味を持った。
『植物の心を感じ取る能力』を持っていても、これまではただ『知る』だけのこと。目の前の植物が病気や虫に侵されていることがわかっても、凛月ではどうすることもできなかったのだ。
しかし、樹医である峰風にはそれに対処できる知識も経験も道具もある。実際に、薔薇は全滅を免れた。
彼のもとで学べば、自分もあんな風に植物を救うことができるようになるかもしれない。
『植物に関係した仕事に就きたい』という漠然とした目標が、『能力を活かし植物を救う』という明確な目標になった瞬間だった。
峰風の執務室は、小さな建物の中にある小ぢんまりとした部屋だ。
中は壁一面が棚になっており、書物や巻物、道具などが所狭しと収納されている。
中央に卓子と椅子が置かれており、壮年の男性がいた。
「秀英、今日から俺の助手となった子墨だ。彼は欣怡妃付きの従者で、妃嬪のご厚意により借り受ける形となっている。くれぐれも、よろしく頼む」
「子墨と申します。よろしくお願いいたします」
「楊秀英です」
子墨がぺこりと頭を下げると、秀英も同じように返してくれた。
口数は少ないが、物腰の柔らかそうな人物だ。
「秀英は俺の事務官だ。何かわからないことがあれば、彼に訊くといい」
「わかりました。ところで、他の方は?」
周囲を見回しても、二人の他に人はいない。
「ここは、俺と秀英しかいない」
「そうでしたか」
どんなに規模が小さくとも、部屋付きの官女は必ず一人はいる。やはり、峰風の女嫌いは本当のことらしい。
納得したところで、子墨は窓辺に置かれた鉢植えに目を留めた。
「峰風様、あの鉢植えはもしかして……」
「先日、押収した鉢だ。この部屋が殺風景だから、一つもらい受けた」
「もうすぐ、花が咲きそうですね」
子墨は顔を近づける。
先日は硬く閉じられていた蕾が、少し開いてきている。
「薄紅色の綺麗な花が咲くだろうな」
「これは……薄紅色と白の二色ですね」
「白?」
峰風と秀英は、揃って首をかしげた。
「しかし、蕾は明らかに薄紅色だぞ?」
「フフッ、でも、この子がそう言っているようですので」
冗談めかして、子墨は楽しげに微笑んだ。
助手としての最初の仕事は、書物を読み知識を増やすことだった。
峰風と秀英が報告書の作成に追われているなか、連日、子墨は書物を読んでいる。
それは、装丁に見たこともない装飾が施されている異国のもの。植物の絵が写実的に描かれている図鑑だった。
どう見ても、平民が気軽に触ってよい代物ではない。
手に取ることを躊躇した子墨に、峰風は「読んで知識を深めることも、助手の仕事の一つだ」と言った。仕事だと強制することで、子墨が読みやすい状況を作ってくれたのだ。
峰風の気遣いに感謝し、絵を見ながら横に添えられた翻訳文を確認していく。
見たことも聞いたこともないような植物が、次から次へとたくさん出てくる。子墨はすぐに夢中になった。
今日も時間を忘れ読書に没入していると、外から足音が。扉へ視線を向けると、護衛官を二人伴った人物が入ってきた。
官服ではない仕立ての良い豪奢な衣装を身に纏った、見目の良い若い男性。
誰だろう? と子墨が見つめていると、峰風と秀英が立ち上がりすぐさま揖礼する。
高位の人物と知り、子墨も慌ててそれに倣う。
「堅苦しい挨拶はいらぬ。それより、峰風に頼みがある」
「梓宸殿下、先触れもなしに何事でございますか?」
(皇子殿下!?)
男性は貴人だった。
峰風のやや非難めいた言葉と態度に、子墨はさらに驚き固まる。
「そんな、嫌そうな顔をするな」
「こちらにも、都合というものがございます。ご用件がありましたら先触れを出していただきたいと、何度も申し──」
「その言葉遣いもやめろ。私とおまえの仲だろう」
梓宸は空いている椅子に勝手に腰を下ろす。さらに、全員に座れと命じた。
峰風と秀英はそれぞれの席に。子墨は、先ほどとは違う梓宸からはなるべく離れた端の席に座った。
「ハア……せっかく俺が取り繕っているのに。それで、用件はなんだ? 忙しいから手短に頼む」
先ほどの敬う姿勢から一変、皇子に対してなんとも不遜な物言い。
不敬罪になるのでは? ハラハラドキドキしている子墨をよそに、峰風と秀英はいつの間にか仕事を再開している。
まるで、皇子など存在していないような雰囲気だ。
しかし、梓宸はそんな周囲の様子を気にすることはない。
「何度も言うが、こんな風に話ができるのはおまえしかいないのだから、私の前ではいつでもそういう態度でいろ。いいな?」
「それは、この部屋の中と、他の者がいないときだけにする。それより、早く用件を言え」
もはや、峰風は向き合っている書類から顔も上げず、筆を走らせる手も止めない。
「後宮の果樹園へ行き、妃嬪用に一番美味しい枇杷を採ってきてくれ」
「なぜ、そんな仕事が俺に回ってくる? 尚食局の仕事だろう?」
「尚食局が何度も宮へ枇杷を届けているが、味に納得しないらしい。それで、妃嬪のわがままに困り果てた尚食が私に泣きついてきた、ことになっている」
「……違うのか?」
「どうやら、麗孝が焚き付けたらしい」
ここで、ようやく峰風は手を止め梓宸のほうを向く。
「ある妃嬪が、美味しい枇杷を食べたいと騒いでいるのは本当のことだ。それを聞きつけた麗孝が『第一皇子殿下の覚えめでたい樹医様にお願いをすれば、さぞかし美味しい枇杷を選んでくださるだろう』と」
「俺は、ただの樹木の医者だぞ」
「先日の薔薇の件で皇帝陛下よりお褒めの言葉をいただいたことが、相当気に食わなかったようだ」
「兄弟喧嘩に、俺を巻き込むな」
(兄弟ということは……麗孝様も皇子殿下?)
凛月は後宮には入っているが、皇帝をはじめ皇族と顔を合わせたことは一度もない。
皇子たちの名も、誰一人として知らない。
二人の会話の内容から、梓宸が第一皇子であることを初めて知った。
「私としても、いちいち麗孝の相手をするのは面倒だが、峰風が軽んじられるとなれば話は別だ。だから、頼んだぞ」
「美味しい枇杷の見分け方など、俺は知らん」
「それでも、おまえはできる男だ。毒草を回収してきたようにな」
梓宸はニヤリと不敵な笑みを浮かべる。「手続きは終えているから、すぐに後宮へ向かえ」と言い残し、颯爽と帰っていった。
報告書の作成を秀英に任せ、峰風は子墨を連れて後宮へやって来た。
「これはまた、立派な枇杷の木ですね」
子墨が見上げているのは、果樹園の一角に植えてある枇杷の木々。
旬を迎え、どれも橙色の実がたわわに生っている。
「まったく、次々とやっかいな案件を持ち込まれるな」
「第一皇子殿下は峰風様の主であり、後ろ盾でもありますから、仕方ありません」
「面倒事を押し付けてくる、困った主だがな」
道すがら、子墨はいろいろと話を聞いた。
樹医という仕事は、第一皇子が持ち帰った異国の書物から始まったこと。
先日の峰風の話にもあったように、まだまだ周囲の理解が得られていないこと。
峰風は宰相の子息ということもあり、同い年の梓宸とは幼い頃から親しい付き合いをしていたこと。
成長し臣下の礼を取るようになった峰風に対し、梓宸はいつまで経っても昔のままであること。
愚痴ったり文句を言ったりしつつも、話をしている峰風の表情はどこか楽しげだった。
言いたいことを言い合う二人の様子からは、信頼関係も見て取れる。
初対面のときは、峰風のことを品行方正なお育ちの良い良家のご子息様だと思っていた。
しかし、何度か顔を合わせるうちに彼の人間性が少しずつわかってくる。
(峰風様は、案外素直じゃないのかもしれない)
子墨はクスッと笑った。
「いつまでも下から見上げていても、仕方ないな」
峰風はぐるりと枇杷の木を見回すと、採取担当へ顔を向ける。
「果実の色が濃く、丸みを帯びている物を選んでくれ。アレとかこの辺りの物が―─」
「峰風様、それはまだ未熟です!」
指示を出す峰風を黙って見ていた子墨だが、見かねてつい口を出してしまった。
「もしや……子墨は、どれが美味しい物かわかるのか?」
「……はい」
少し迷ったが、子墨ははっきりと答える。
「では、俺の代わりに君が指示を出してくれ」
「僕が選んでも、いいのですか?」
「構わない。君のことは信頼しているし、何かあれば俺が責任を取る」
「では、文句のつけようがないくらい美味しい枇杷を、選んでみせます!」
峰風に責任を取らすわけにはいかない。
信頼に応えるべく、子墨は張り切って選び始める。
すべての木を見て回り、最終的に選んだものは五つだけだった。
「あれだけある実の中から、たったこれだけか」
「その代わり、味は保証します。なんと言っても、あの子たちのお薦めですから!」
厳選したから、外れはないはず。
子墨は自信を持って胸を張った。
「フフッ、子墨はいつも『あの子』とか『この子』と言っているな。まるで、植物と会話をしているようだ」
「そ、そうですね……ハハハ」
会話はできないけれど、彼らの意思はわかります! とは、もちろん言えない。
子墨は、曖昧に微笑んだ。
「遅くなったな……」
依頼を終えた子墨と峰風が足早に執務室へ戻ると、秀英はまだ書類を片付けていた。
彼を食事に行かせた峰風は、子墨にも食事をするよう伝える。
「後宮と外廷を行き来すると、足腰が鍛えられますね。おかげで、お腹が空いてご飯が美味しく食べられそうです」
「それは羨ましいな。俺は、宮廷内で食事をするのは苦手だ。昼餉は食べないことが多い」
「それでは、お腹が空きませんか?」
子墨が助手となって三日目。峰風が食事をしないことがずっと気になっていた。
「中に何が混入されているかわからないから、安心して食事ができない。あっ、言っておくが毒ではないぞ。俺を毒殺したところで、なんの益もないからな」
笑いながら峰風は筆を手に取ると、また仕事を始めた。
峰風は宦官である子墨に配慮し明言を避けたが、常に媚薬を警戒している。
これまで、『お茶葉』『食堂での食事』『差し入れの果物や菓子』などなど様々な物に媚薬が混入されていた。
すべて事前に気付き峰風の口に入ることはなかったが、食欲不振と女性不信になるには十分だった。
しかし、周囲に女性しかいない環境で育ってきた凛月は、媚薬自体を知らない。
峰風は明るく告げたつもりのようだったが、深刻に捉えてしまう。
『外廷は魑魅魍魎が蠢く戦場』と評した瑾萱の言葉を思い出していた。
持参した昼餉を取り出した子墨は、竹皮の包みを二つ峰風へ差し出す。お箸付きだ。
「このような物で恐縮ですが、何も食べないのは体によくありません」
「でも、これは君の昼餉だろう?」
峰風は、子墨が昼餉を持参していることを知っている。
すべて、宰相の指示であることも。
「包みは三つありますし、中身は今朝、僕が瑾萱さんと一緒につくったものです。ですから、安心してお召し上がりください」
「料理ができるのか?」
「えっと……一応、できます」
峰風の驚いたような反応に、思わず語尾が小さくなる。
宦官が料理をするのは、おかしいことなのだろうか。後宮の常識がわからない凛月は戸惑う。
「見た目はこんなのですが、味は保証します! それに、一人で食べるのは寂しいですから」
半ば押し付けるように峰風へ渡す。彼に渡すために、今日は三つ持ってきた。
子墨は残り一つの包みを開ける。中身は肉と野菜を甘辛い味噌で炒めた簡単なおかずだが、ご飯にしっかり味が染みており冷めても美味しく食べられる。
満面の笑みで食事をしている子墨につられるように、峰風も包みを手に取った。
「これは旨いな」
「お口に合ったなら、よかったです」
「俺も、こうやって家から持ってくればいいのだな」
飲み物は瓢箪に入れ持参していた峰風だが、食事までは気が回らなかった。
「よろしければ、こちらのお茶もどうぞ」
良いことを知ったと微笑む峰風に、湯呑に注いだお茶を渡す。
子墨は昼餉と一緒に、瓢箪も二本持参していた。
腰に下げた瓢箪とは別に、食事中に飲めるようにと瑾萱が用意したもの。口は付けていない。
喉が渇いていたので、子墨は自分用に注いだ湯呑のお茶を一気に飲み干した。
「この茶葉はかなり良い物だな。もしかして……妃嬪用の物を使用しているのか?」
「!?」
思わぬ問いかけに、お茶で噎せた。吹き出さなかった自分を、褒めたいくらいだ。
「ゴホッ……そ、そうですね。でも、使用してもよいと、許可はもらっています」
峰風へ言い訳をしながら、内心冷や汗が止まらない。
後宮妃である欣怡と、従者の子墨が同じものを口にするなど、本来は有り得ないことだ。
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