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1、貧乏男爵の犬
しおりを挟むノエルは、自宅である男爵邸の一室でため息をつきながら外を眺めていた。
「金が、ない……」
こんな台詞、貴族が口にしていいものかと思わないでもないが、ないものはないのである。
数年前に父が病死したノエルは、若くして男爵位を継いだ。過保護に育てられてきたノエルは、はっきり言って世間知らずであり、しかしどうにか領地経営に奮闘してきたのであった。
だが二十一歳になった今、かなりの窮地に立たされている。端的に言えば財政が逼迫しているのである。
父の男爵は領民からの評判が良く、彼らのために力を尽くしていた。住んでいる者は農民がほとんどの小さな男爵領は、気候が冷涼で凶作が起きやすい。苦しむ領民を助けるための借金は、膨らむ一方だった。
ノエルの母は息子を出産した後すぐにこの世を去り、父はノエルをとにかく甘やかしてきた。そのせいで、ノエルは金というものについて疎いまま成長してきたのである。
突然男爵位につくことになったノエルは戸惑いながらも貴族としての仕事をこなそうとしてみたが、全く上手くいかない。給金が払えないために使用人のほとんどに出て行ってもらい、家財も売り払って、邸内はスカスカになっていた。
このままだと、爵位を維持するのも難しくなるかもしれない。ノエルは毎日頭を抱えながら過ごしていた。
優しかった父の笑顔を思い出す。
――ノエル。お前は本当に美しい男の子だ。きっとこのロマリス国で一番の美男子だろう。
そう言って、父はよく褒めてくれたのだった。毎日褒められたせいか、ノエルはしっかりと自惚れている。
「父上……確かに私はかなりの美男子ですが……。けれど……、金がないのです……」
自分達が下級貴族であるのは知っていたし、大金持ちではない自覚もあった。けれど父がノエルには良いものを食べさせ、良い服を着せ、良いものを与えようとしてきたため、そこまで貧しいとは予想外だったのだ。
ひょっとすると、ノエルはロマリス国一の貧乏貴族かもしれない。どこぞの商人の方が、余程裕福だろう。
「あー……、父上……父上……! 私はどうしたらよいのですか……!」
美貌以外に何もないと言ってもいいこの状況に、今日も頭を抱えるしかない。
そこでノエルは、庭に金色の花が咲いているのを見つけた。曼珠沙華は主に赤い色の花だが、男爵邸には黄金色のリコリスが咲く。あれは不思議な種類で、十年に一度だけ咲くのであった。
十年前にもあの花を見た。あの時ノエルは十一歳で、何も知らずに幸せに生活していた。
黄金のリコリスを目にしたのは久しぶりだが、あれを見ると、ノエルは一人の少年を思い出すのだった。
しかし借金取りの取り立てが激しくなって、にっちもさっちもいかない今、ノエルは思い出に浸る気持ちの余裕もなくなっていた。空から金貨でも降ってこないかと祈りながら、長椅子でうなだれるしかなかった。
――静かな男爵邸の外で、馬車の通る音がする。
なんだかうちの前で停車したような気がするが、また誰か金を返せとか言いに来たのではあるまいな、とノエルは戦慄した。
やはり来訪者だったようで、使用人のジェフリーが応対している。男爵家にはジェフリーという老僕と、メイベルという老メイドの二人しか使用人がいない。彼らにも暇を出したのだが、可哀想な男爵家の坊ちゃんに同情して、運命を共にしようとしていた。
ジェフリーが困惑顔でノエルのもとにやって来る。
「ノエル様」
「居留守を使うぞ。私は畑に行っているからいないと伝えろ」
返済計画について詰め寄られても何も答えられない。こそこそするのはプライドが傷つくが、ノエルもこの頃では居留守を決め込むのに慣れつつあった。
「それが、借金の関係の方ではないようです。身なりの立派なお若い方で、ノエル様にご恩があると仰っております」
「恩……?」
何の話かさっぱりだが、金の件でないなら会ってもいいだろう。ノエルはおそるおそる玄関に向かった。
するとそこには、確かに育ちの良さそうな、ただ者ではない青年が立っている。髪は銀色で、仕立ての良い服に身を包んでいた。一目見て、平民でないのは明らかである。
「お久しぶりです、ノエル様。どんなにあなたに会いたかったことか……」
「誰だ?」
ノエルは眉をひそめながら青年に呼びかけた。
美しい顔をした青年は、ノエルに嬉しそうに微笑みかける。
「あの時助けていただいた『犬』です」
犬……? とノエルは首を傾げて悩んだが、記憶の中のとある少年と、目の前の青年の姿が途端に結びついた。
「犬! あの時の、野良犬か! そうか、お前、レオだな!」
「覚えていてくださったんですね」
彼こそが、十年前の黄金のリコリスが咲いた年、ノエルが出会った少年だった。思い出したらすぐに現れるなんて、こんな偶然もあるものなんだなぁとノエルは不思議に思う。
昔、ノエルは泥まみれになった少年を保護し、お前は犬だぞと言い聞かせてこっそり屋敷の中に匿っていたのだ。後に名前はレオだと聞いたが、父を誤魔化すためにも彼をあくまで犬扱いして生活していた。
「お前も立派になって……。いきなりいなくなるから心配したんだぞ。ガリガリにやせ細っていてちっぽけだったのに、成長して私より背が高くなったじゃないか。息災で過ごしていたのか? 何よりだな! お前が生きていて嬉しいぞ。何せレオは、私が飼った唯一の『犬』だからなぁ」
事情があって、男爵家では犬が飼えなかったのだ。ノエルはレオを犬の代わりにして可愛がった。お手もお座りも教えて、毎晩抱きしめて寝ていたのだ。懐かしさがこみあげて、ノエルもにこにこ笑う。
「それで、どうしたんだ? レオ」
「あなたのおかげで命が助かりましたから、お礼を申し上げたくて」
「礼なんていいんだよ! こうして生きていたと教えてくれただけで、十分だ」
開いた扉の向こうに、妙に立派な馬車が止まっているのが目に入り、ノエルはそちらに気をとられた。何やら紋章が入っているようだが、知っているような知らないような……。
レオにはお付きの者が二名いるらしく、少し離れた外で待機していた。ということは、彼の現在の身分は、そこそこ高いのだろうか。あの後、商売で成功して、良い地位につけたのだろうか?
ノエルがちらちら見ていたからか、男二人が近づいてくる。何者かは知らないが、威厳があって物々しい雰囲気の男達だったのでノエルは気圧された。
「あなたが、ノエル・ミラリア卿ですな。我々からも、感謝申し上げます。十年前、レオフェリス殿下を救っていただき、ありがとうございました」
「いや、私は当然のことをしたまでだ。おや、レオ、お前の本名はレオフェリスというのか。良い名だな! ……ん? レオフェリス……?」
何やら聞いた覚えがあるぞ、とノエルは額に手をあてた。というか、それ以上に何か大変な言葉を耳にした気がするが。
レオフェリス、殿下。
「……殿下?」
殿下というのは間違いなく、王族に対する敬称だ。そしてレオフェリスといえば、ロマリス国の隣国、リューネフェルト国の王子の名ではなかっただろうか。
リューネフェルト国はここ十年政情が安定していなかった。というのも、クーデターが起きて王が殺され、親族が王位についたのだ。そして今年、そう、つい最近、王の息子の王子が仇を討ち、王位を取り戻したと聞いている。
家計が火の車で他国の情勢など気にする余裕もなかったノエルだが、リューネフェルトは大国で近隣ということもあり、さすがにその騒ぎは耳に入っている。
そして思い出したが、馬車の紋章はリューネフェルト王家のものだ。
「……つまり、レオ。お前はリューネフェルトの国王なのか?」
「そうなる予定です。今はまだ王子の身分で、即位式は来月になりますが」
穏やかに言うレオフェリスを、ノエルは長い間凝視していた。あまりの衝撃で何も考えられず、しばらく硬直するしかなかった。
レオが、リューネフェルトの王子で、もうじき王になる?
それで? それで私は、十年前、彼をどのように扱った?
血の気が引いてめまいがしたノエルだったが、なんとか卒倒するのはこらえた。ここ何年もの間、あらあゆる悩みを抱えて嘆息する毎日であったが、どれも些細な問題に思えるほど、今の状況は最悪だった。
ノエルはそっとレオフェリスの肩を押して、玄関から外へと出てもらった。
「ノエル様?」
「レオフェリス殿下。あの時のご無礼はお許しください。何分私は、愚かな子供でしたので、どうぞ水に流していただきたく……。お詫びをしたいところですが、田舎の貴族ですので何も差し上げるものもありません。私にお慈悲を……どうか、お引き取りを……」
「ノエル様、私は今も、あなたの犬でいるつもりです。それをお伝えに来たのです」
「申し訳ございません。心から悔いております……」
ノエルは胸に手を当てて頭を下げると、音を立てずに扉を閉めた。
そして体を反転させると、裏口へ向かって駆け出す。
「どうされました? あの方は、どなたです?」
近寄ってくるジェフリーの腕をノエルはつかんだ。
「いいか、お前達は外にいる方々に質問されても、旦那様はどこかへ行った、何も知らないとしらを切るんだ。私は逃げる。金もなくなり、命も失うなんてあんまりじゃないか!」
レオフェリスが腹を立てているとしたらノエルに対してだけだろうし、老人達を置いていくのは不安だが、ここで揉めて巻き込むよりは距離をとった方がまだましだろう。
状況がのみこめないジェフリーは首を傾げながら追いかけてくる。
「しかし坊ちゃん……夕食までには戻ってこられるでしょうね?」
「おい、坊ちゃんはよせ! 私はミラリア男爵家の現当主で、もう二十一なんだぞ!」
ジェフリー達は幼かった頃のノエルの姿が忘れられず、いまだに坊ちゃんと呼ぶことがあるので力が抜ける。大声を出してしまったのではっとして玄関の方を確認するが、訪問者達の声は聞こえない。それからノエルは裏口から飛び出すと、厩舎まで走っていって、馬にまたがり男爵邸を離れた。
(ろくなことがないな、本当に……!)
ノエルは助けを求めて、友人のもとへと馬を走らせるのだった。
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