3 / 75
第1章
3
しおりを挟む
〈20時〉
たった一言だけ入っていたメッセージに気付いて、了解、と返信をしておく。講義を終えてキャンパスを出た未紘は、その足でスーパーへと向かった。
毎日どこかのタイミングで送られてくる時間の記されたメッセージ。それは彼の帰宅時間を指していて、その時間に食事を用意しておけという意味だ。
「お疲れ」
食事の準備を終えたタイミングで、ちょうど藤城が帰宅したらしい。振り向くとスーツ姿の彼がダイニングの入口に立って、テーブルの上に並べられた料理を物色していた。
「コロッケ?」
「蟹クリーム。ちょっと爆発した」
「おまえの料理スキル年々上がってない?」
「毎日作ってんだから当然だろ」
言葉を交わしながら、キーフックに掛けられた鍵を一つ取り外す。
「バイト行ってくる」
「おー」
欠伸をしながら返事をしてくる藤城がこちらを振り向くことはない。
興味がないのだ。
交わす言葉は最低限、目が合うことなんて滅多にない。
気怠げにネクタイを緩めるその横顔を一瞥した後に、扉を閉めた。
*
藤城と番になってからもうすぐ二年が経つ。しかしその関係はお世辞にも番らしいとは言い難い。出会った頃からずっと、関係性は平行線のままだ。
彼のことは相変わらず、名前以外にほとんど何にも知らない。
聞いたこともないし、向こうも特に話す気はないのだろう。自分より年上だろうということと、スーツを着るような仕事をしているということしか本当にわからない。
彼に拾われたあの土砂降りの夜のことは、今でも鮮明に思い出せる。
『俺はさ、オメガがこの世で一番嫌いなの』
初対面のオメガ相手に番契約を持ち掛けてきた直後、藤城はやけに威圧感のある笑顔でそう言い切った。
『所構わず発情して、見境もなくアルファに縋ることしかできない劣等種。下劣極まりなくて虫唾が走る』
『……オメガの前でそれ言うかよ。性格わりー』
『でもおまえも一緒だろ? おまえもオメガが嫌いだし、自分がオメガであることが許せない。違う?』
言い当てられて、未紘はぐっと言葉を詰まらせた。
そんなリアクションを見て正解だと悟ったのか、藤城がクスクスと笑いながら続ける。
『だったら手を組もうよ。番になれば俺は他のオメガに対する虫除けができるし、おまえは今みたいに急に発情したって俺以外に匂いを感じ取られることもない。襲われる心配は二度となくなる』
『……でも、おまえにはフェロモンが効くんだろ』
『勘違いすんなよ。俺はおまえなんかキョーミないしオメガを抱くなんて死んでもゴメンだ』
『なんだよそれ……』
会話の中でとある疑問が頭に浮かんだ。番になればオメガは、番のアルファ以外に性的興奮を抱くことがなくなると聞いたことがある。
一度番ってしまえば基本的には死ぬまで番は解消できない。ここから導き出されることは、つまり──。
『つまりおまえはこの先一生オメガとしての欲を満たせなくなるリスクもあるわけだけど──どうする?』
藤城はまるで未紘を試すように、挑発的に微笑んだ。
もしかしたら自分は今、この先の人生を懸けたとんでもない提案を持ちかけられているのではないか。
どこかでそんな風に気付いてはいたが、どこかハイになっているあの状態では、正常な判断ができるはずもなかった。
『……そんなのどうだっていい。俺はオメガらしくアルファに媚びる気なんか毛頭ない』
『そうこなくっちゃ。じゃあ契約成立ってことでいい?』
『さっさと噛めよ』
あんなに色気もクソもない状況で項を噛まれることになろうとは、夢にも思わなかった。
ただ項に歯を立てられただけで、こんなに呆気なく番関係が成立するということにも驚いた。
なんにせよ、こうして出会ったその日に、藤城芹と未紘は正式に番となった。
それから藤城との間で交わした条件は三つ。
他人に番関係を疑われないために、一緒に生活すること。発情期がきたら藤城が数日家を空けるために、速やかに知らせること。
それから、互いに必要以上に干渉しないこと。
現状、家賃や水光熱費などの諸々を払ってもらっているため、せめてもの恩返しで食事の準備や掃除などの家事は未紘が受け持っている。
そして生活の全てを頼りっぱなしというのは性に合わないため、深夜帯のアルバイトで稼いで生活費の足しにしていた。
共に過ごし始めて二年半の間に、藤城に抱かれたことも、触れられたことも一度もない。
一見冷え切った関係のように見えるかもしれないが、未紘にとってはそれが心地良かった。
他のアルファに襲われる心配もなくなって快適な暮らしまでさせてもらっているのだから、後悔はしていない。
──そんな均衡が崩れ去ったのは、番関係を結んでから二年と八ヶ月が経った頃だった。
たった一言だけ入っていたメッセージに気付いて、了解、と返信をしておく。講義を終えてキャンパスを出た未紘は、その足でスーパーへと向かった。
毎日どこかのタイミングで送られてくる時間の記されたメッセージ。それは彼の帰宅時間を指していて、その時間に食事を用意しておけという意味だ。
「お疲れ」
食事の準備を終えたタイミングで、ちょうど藤城が帰宅したらしい。振り向くとスーツ姿の彼がダイニングの入口に立って、テーブルの上に並べられた料理を物色していた。
「コロッケ?」
「蟹クリーム。ちょっと爆発した」
「おまえの料理スキル年々上がってない?」
「毎日作ってんだから当然だろ」
言葉を交わしながら、キーフックに掛けられた鍵を一つ取り外す。
「バイト行ってくる」
「おー」
欠伸をしながら返事をしてくる藤城がこちらを振り向くことはない。
興味がないのだ。
交わす言葉は最低限、目が合うことなんて滅多にない。
気怠げにネクタイを緩めるその横顔を一瞥した後に、扉を閉めた。
*
藤城と番になってからもうすぐ二年が経つ。しかしその関係はお世辞にも番らしいとは言い難い。出会った頃からずっと、関係性は平行線のままだ。
彼のことは相変わらず、名前以外にほとんど何にも知らない。
聞いたこともないし、向こうも特に話す気はないのだろう。自分より年上だろうということと、スーツを着るような仕事をしているということしか本当にわからない。
彼に拾われたあの土砂降りの夜のことは、今でも鮮明に思い出せる。
『俺はさ、オメガがこの世で一番嫌いなの』
初対面のオメガ相手に番契約を持ち掛けてきた直後、藤城はやけに威圧感のある笑顔でそう言い切った。
『所構わず発情して、見境もなくアルファに縋ることしかできない劣等種。下劣極まりなくて虫唾が走る』
『……オメガの前でそれ言うかよ。性格わりー』
『でもおまえも一緒だろ? おまえもオメガが嫌いだし、自分がオメガであることが許せない。違う?』
言い当てられて、未紘はぐっと言葉を詰まらせた。
そんなリアクションを見て正解だと悟ったのか、藤城がクスクスと笑いながら続ける。
『だったら手を組もうよ。番になれば俺は他のオメガに対する虫除けができるし、おまえは今みたいに急に発情したって俺以外に匂いを感じ取られることもない。襲われる心配は二度となくなる』
『……でも、おまえにはフェロモンが効くんだろ』
『勘違いすんなよ。俺はおまえなんかキョーミないしオメガを抱くなんて死んでもゴメンだ』
『なんだよそれ……』
会話の中でとある疑問が頭に浮かんだ。番になればオメガは、番のアルファ以外に性的興奮を抱くことがなくなると聞いたことがある。
一度番ってしまえば基本的には死ぬまで番は解消できない。ここから導き出されることは、つまり──。
『つまりおまえはこの先一生オメガとしての欲を満たせなくなるリスクもあるわけだけど──どうする?』
藤城はまるで未紘を試すように、挑発的に微笑んだ。
もしかしたら自分は今、この先の人生を懸けたとんでもない提案を持ちかけられているのではないか。
どこかでそんな風に気付いてはいたが、どこかハイになっているあの状態では、正常な判断ができるはずもなかった。
『……そんなのどうだっていい。俺はオメガらしくアルファに媚びる気なんか毛頭ない』
『そうこなくっちゃ。じゃあ契約成立ってことでいい?』
『さっさと噛めよ』
あんなに色気もクソもない状況で項を噛まれることになろうとは、夢にも思わなかった。
ただ項に歯を立てられただけで、こんなに呆気なく番関係が成立するということにも驚いた。
なんにせよ、こうして出会ったその日に、藤城芹と未紘は正式に番となった。
それから藤城との間で交わした条件は三つ。
他人に番関係を疑われないために、一緒に生活すること。発情期がきたら藤城が数日家を空けるために、速やかに知らせること。
それから、互いに必要以上に干渉しないこと。
現状、家賃や水光熱費などの諸々を払ってもらっているため、せめてもの恩返しで食事の準備や掃除などの家事は未紘が受け持っている。
そして生活の全てを頼りっぱなしというのは性に合わないため、深夜帯のアルバイトで稼いで生活費の足しにしていた。
共に過ごし始めて二年半の間に、藤城に抱かれたことも、触れられたことも一度もない。
一見冷え切った関係のように見えるかもしれないが、未紘にとってはそれが心地良かった。
他のアルファに襲われる心配もなくなって快適な暮らしまでさせてもらっているのだから、後悔はしていない。
──そんな均衡が崩れ去ったのは、番関係を結んでから二年と八ヶ月が経った頃だった。
421
あなたにおすすめの小説
流れる星、どうかお願い
ハル
BL
羽水 結弦(うすい ゆずる)
オメガで高校中退の彼は国内の財閥の一つ、羽水本家の次男、羽水要と番になって約8年
高層マンションに住み、気兼ねなくスーパーで買い物をして好きな料理を食べられる。同じ性の人からすれば恵まれた生活をしている彼
そんな彼が夜、空を眺めて流れ星に祈る願いはただ一つ
”要が幸せになりますように”
オメガバースの世界を舞台にしたアルファ×オメガ
王道な関係の二人が織りなすラブストーリーをお楽しみに!
一応、更新していきますが、修正が入ることは多いので
ちょっと読みづらくなったら申し訳ないですが
お付き合いください!
捨てられΩの癒やしの薬草、呪いで苦しむ最強騎士団長を救ったら、いつの間にか胃袋も心も掴んで番にされていました
水凪しおん
BL
孤独と絶望を癒やす、運命の愛の物語。
人里離れた森の奥、青年アレンは不思議な「浄化の力」を持ち、薬草を育てながらひっそりと暮らしていた。その力を気味悪がられ、人を避けるように生きてきた彼の前に、ある嵐の夜、血まみれの男が現れる。
男の名はカイゼル。「黒き猛虎」と敵国から恐れられる、無敗の騎士団長。しかし彼は、戦場で受けた呪いにより、αの本能を制御できず、狂おしい発作に身を焼かれていた。
記憶を失ったふりをしてアレンの元に留まるカイゼル。アレンの作る薬草茶が、野菜スープが、そして彼自身の存在が、カイゼルの荒れ狂う魂を鎮めていく唯一の癒やしだと気づいた時、その想いは激しい執着と独占欲へ変わる。
「お前がいなければ、俺は正気を保てない」
やがて明かされる真実、迫りくる呪いの脅威。臆病だった青年は、愛する人を救うため、その身に宿る力のすべてを捧げることを決意する。
呪いが解けた時、二人は真の番となる。孤独だった魂が寄り添い、狂おしいほどの愛を注ぎ合う、ファンタジック・ラブストーリー。
学内一のイケメンアルファとグループワークで一緒になったら溺愛されて嫁認定されました
こたま
BL
大学生の大野夏樹(なつき)は無自覚可愛い系オメガである。最近流行りのアクティブラーニング型講義でランダムに組まされたグループワーク。学内一のイケメンで優良物件と有名なアルファの金沢颯介(そうすけ)と一緒のグループになったら…。アルファ×オメガの溺愛BLです。
やっと退場できるはずだったβの悪役令息。ワンナイトしたらΩになりました。
毒島醜女
BL
目が覚めると、妻であるヒロインを虐げた挙句に彼女の運命の番である皇帝に断罪される最低最低なモラハラDV常習犯の悪役夫、イライ・ロザリンドに転生した。
そんな最期は絶対に避けたいイライはヒーローとヒロインの仲を結ばせつつ、ヒロインと円満に別れる為に策を練った。
彼の努力は実り、主人公たちは結ばれ、イライはお役御免となった。
「これでやっと安心して退場できる」
これまでの自分の努力を労うように酒場で飲んでいたイライは、いい薫りを漂わせる男と意気投合し、彼と一夜を共にしてしまう。
目が覚めると罪悪感に襲われ、すぐさま宿を去っていく。
「これじゃあ原作のイライと変わらないじゃん!」
その後体調不良を訴え、医師に診てもらうととんでもない事を言われたのだった。
「あなた……Ωになっていますよ」
「へ?」
そしてワンナイトをした男がまさかの国の英雄で、まさかまさか求愛し公開プロポーズまでして来て――
オメガバースの世界で運命に導かれる、強引な俺様α×頑張り屋な元悪役令息の元βのΩのラブストーリー。
陰キャな俺、人気者の幼馴染に溺愛されてます。
陽七 葵
BL
主人公である佐倉 晴翔(さくら はると)は、顔がコンプレックスで、何をやらせてもダメダメな高校二年生。前髪で顔を隠し、目立たず平穏な高校ライフを望んでいる。
しかし、そんな晴翔の平穏な生活を脅かすのはこの男。幼馴染の葉山 蓮(はやま れん)。
蓮は、イケメンな上に人当たりも良く、勉強、スポーツ何でも出来る学校一の人気者。蓮と一緒にいれば、自ずと目立つ。
だから、晴翔は学校では極力蓮に近付きたくないのだが、避けているはずの蓮が晴翔にベッタリ構ってくる。
そして、ひょんなことから『恋人のフリ』を始める二人。
そこから物語は始まるのだが——。
実はこの二人、最初から両想いだったのにそれを拗らせまくり。蓮に新たな恋敵も現れ、蓮の執着心は過剰なモノへと変わっていく。
素直になれない主人公と人気者な幼馴染の恋の物語。どうぞお楽しみ下さい♪
期待外れの後妻だったはずですが、なぜか溺愛されています
ぽんちゃん
BL
病弱な義弟がいじめられている現場を目撃したフラヴィオは、カッとなって手を出していた。
謹慎することになったが、なぜかそれから調子が悪くなり、ベッドの住人に……。
五年ほどで体調が回復したものの、その間にとんでもない噂を流されていた。
剣の腕を磨いていた異母弟ミゲルが、学園の剣術大会で優勝。
加えて筋肉隆々のマッチョになっていたことにより、フラヴィオはさらに屈強な大男だと勘違いされていたのだ。
そしてフラヴィオが殴った相手は、ミゲルが一度も勝てたことのない相手。
次期騎士団長として注目を浴びているため、そんな強者を倒したフラヴィオは、手に負えない野蛮な男だと思われていた。
一方、偽りの噂を耳にした強面公爵の母親。
妻に強さを求める息子にぴったりの相手だと、後妻にならないかと持ちかけていた。
我が子に爵位を継いで欲しいフラヴィオの義母は快諾し、冷遇確定の地へと前妻の子を送り出す。
こうして青春を謳歌することもできず、引きこもりになっていたフラヴィオは、国民から恐れられている戦場の鬼神の後妻として嫁ぐことになるのだが――。
同性婚が当たり前の世界。
女性も登場しますが、恋愛には発展しません。
そばかす糸目はのんびりしたい
楢山幕府
BL
由緒ある名家の末っ子として生まれたユージン。
母親が後妻で、眉目秀麗な直系の遺伝を受け継がなかったことから、一族からは空気として扱われていた。
ただ一人、溺愛してくる老いた父親を除いて。
ユージンは、のんびりするのが好きだった。
いつでも、のんびりしたいと思っている。
でも何故か忙しい。
ひとたび出張へ出れば、冒険者に囲まれる始末。
いつになったら、のんびりできるのか。もう開き直って、のんびりしていいのか。
果たして、そばかす糸目はのんびりできるのか。
懐かれ体質が好きな方向けです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる