※完結済 【R-18】白薔薇の騎士と純白の姫

白金犬

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第3章 欲望と謀略の秋 編

第49話 御前試合

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 11月も終わりに近づき、冬の気配がもうそこまで感じられるようになっていた。

 その日、ミュリヌス学園のコロッセオは賑わっていた。

 国の重鎮が集まる最高評議会と並んで、1年の内の大イベントである『御前試合』。

 白薔薇の騎士候補生達が、実際に自らが仕えることとなる第2王女リリライト=リ=アルマイトの眼前で己の実力を存分に奮う貴重な機会である。

 リリライトは直接学生達の進退を決定付ける権限を持っていないが、彼女の意見は大きな影響を与える。特に卒業間近の2年生にとっては、このイベントは自分の将来を直接的に決定付ける重要な試験でもある。

 全生徒の中から、その実力を認められて選別された生徒同士が実践さながらに戦い合う形式で行われる。1組ずつ、丸1日かけて行われるのだ。

 学生達にとっては1年の集大成ともいえるこのイベント。毎年この試験のために、日々の厳しい鍛錬や試験をこなしていると言っても過言ではない。

そんな学生が日々努力している成果を激励するために、この地方に住む人々も集まる。わざわざ御前試合のためにスケジュールを調整し、頑張っている学生を応援するために、貴族・平民問わず、毎年この日ばかりはコロッセオの観客席が多くの人で埋め尽くされるのだった。

 観客席の中、特別に準備された来賓スペースにコウメイはいた。すぐ隣には、コウメイが滞在中のアテンドを仰せつかっているシンパがいる。ついでに言うならば、ミュリヌス地方の有力貴族バンデルセン侯爵など、その他それなりの身分の人間もこの来賓スペースに集っていた。

 御前試合の方は昼休憩を挟んで、いよいよ今年一番の注目カード――1年首席アンナ=ヴァルガンダルと1年次席リアラ=リンデブルグの試合が始まろうとしていた。

「いやー、俺勘違いしていましたよ」

 にわかに盛り上がりを見せるコロッセオ場内で、コウメイは隣のシンパにそう零す。

「可愛い女の子達が醜くひっかきあったり引きずり倒したりするキャットファイトだと思っていたんですけど、全然違うんですね。ごめんなさい」

 コウメイが何に謝っているのか分からないシンパは、どういう顔をしていいのか迷う。

 午前の試合を見ただけでも、コウメイは自分の認識を改めなければならなかった。これは決して大衆を楽しませるための見世物ではない。

 日々の厳しい努力の末に磨かれた技や魔法をもって競い合い、お互いを高め合うための高潔な儀式のようなものだ。武芸に関しては素人以上でも以下でもないコウメイから見ても、彼女たちの洗練された武芸の様から、普段の弛まぬ努力が感じ取られた。

 それはとても美麗で、飄々としているコウメイですら感嘆のため息を漏らさずにはいられない程だった。最初は御前試合の見学に全く乗り気では無かったコウメイも、次の試合が最注目カードということを聞き、珍しく興奮していた。

「ミュリヌス学園の生徒達は、本当にみんな真面目で良い娘達です。私も彼女たちが白薔薇の騎士になるのが、とても楽しみです」

 そう言って柔和な笑顔を浮かべるシンパ。

 普段は女性ながら厳しいという噂からは想像もできない程に優しげな笑みだった。それ程ミュリヌス学園のことを誇りに思っているのだろう。コウメイは彼女に対する認識がまた少し変わったのだった。

「次は1年生のトップ2かぁ。えーと……アンナ=ヴァルガンダル……ヴァルガンダル? どこかで聞いたような……?」

「ルエール騎士団長のご令嬢ですね」

「っああ!」

 そういや出発間際に娘の様子を見ておいてくれと頼まれていたような気がする。すっかり忘れていたコウメイは手をポンと叩く。

 はてさて、あの厳ついおじさんの娘はどんな感じなのだろうか。やはり父親ゆずりにゴツイ外見をしているのだろうか。

 そんなことを考えながら次の試合が始まるのを待つコウメイは、何ともなしに周囲を見回す。

 人で埋め尽くされるコロッセオ観客席。コウメイは初めて来る場所だから普段の様子など知れないが、それでも今が日常と掛け離れているであろうことは、想像に難くない。

 ふとコウメイの視界に、観客席や来賓スペースよりも高い場所に設置されたテラスのようなものが目に入る。確かシンパからは貴賓スペースと紹介された場所だ。そこにはリリライトと教育係のグスタフがいる。

「……」

 最初にコウメイが覚えた違和感。

 それは、王族という立場にも関わらず、側にいるのが護衛騎士のシンパではなく、戦闘能力など皆無であろうグスタフということ。――まあシンパがあそこにいるのであれば、自分のアテンドは入れ替えでグスタフになるのだろうが、それはご免被りたいところなのでコウメイには幸運なことであったが。

 こんなにも多くの人が集まるのに無防備過ぎないだろうか?

 そしてもう違和感はもう1つ。グスタフがニヤニヤと、何やら気持ち悪く、何かを企んでいるような顔でリリライトと会話を交わしている。勿論、コウメイがいる場所までその内容は届かない。

 そのグスタフの様子は至って正常だ。その醜悪な容貌に相応しい、反吐が出る程の気持ち悪い笑みがかえって自然。

違和感を抱いたのはリリライトの方だった。『純白の姫君』と称される彼女が、グスタフと一緒となってニヤニヤと会話をしているのだ。正に美女と野獣。不釣り合いなこと、この上無い光景だ。

「――いやいや。先入観を持ち過ぎだぞ、俺」

 確かにグスタフの前評判は良い物が一切なく、外見もあの通り。どうしたって悪く見たくなるものだが、姫と教育係という関係上、別に談笑することがあっても不思議なことではないだろう。

 コウメイは違和感を半ば無理やり振り払って、今から始まろうとするアンナとリアラの試合を注視した。

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 大勢の観客の歓声と視線にさらされるよう、アンナとリアラはコロッセオの中央で対峙していた。

 2人とも、今日は鍛錬授業の時に来ている体操服や学園の制服ではない。この日ばかりはリリライトの前ということで、学生にも白薔薇騎士団の制服着用を許されるのだ。見た目の豪奢さと動きやすさを重視した機能的な服装に身を包み、2人はいよいよその時を迎えた。

「調子、戻ったみたいだね。リアラ」

 アンナの獲物は双剣――スタンダードな騎士剣と比べると、刀身がやや短めの2本1対の剣を肩に乗せている。

 対するアンナの武器は刺突剣。右手に持ったその剣を軽やかに扱い、素振りをする。

「アンナ。昨日はずっと姿が見えなかったけど、もしかしてずっと学園長と……?」

 リアラはこの場で心配そうな表情でアンナを見やるが、アンナは対照的に軽い調子の笑みを浮かべる。

「っと。それはこんな所で話す内容じゃないかな。昨日、ボクがどこで何していたってリアラには関係ないし……それに、リアラだって同じでしょう?」

 まもなく試合開始の宣言がされる。それに合わせて、アンナは双剣を構える。

「ばっちりリアラの声聞こえてたよ。リアラの不調はステラ先輩のせいだったんだね。でも良かった。本番前に吹っ切れたみたいで。本気のリアラとやりたかったからね」

「何を言って……」

 生徒会室での行為の際、隣の学園長室から聞こえてきたのはやはりアンナで間違いなかったようだ。そうしたら、そこで行われていた行為は容易く想像できる。

「嘘でしょう、アンナ」

 リアラは顔を赤くしながら、それでも試合開始の宣言に備えて刺突剣を構える。

「リアラだって人の事言えないでしょう? あんな隣の部屋にまで届くドスケベな声出してさ。まあ、ボクもなんだけど。でも、とにかく――!」

 アンナの口から自然に出る下品な言葉にリアラは驚きを隠せない。

 しかし、それでも時間は関係なく流れる。

 2人の試合の審判役を務める教師が、いよいよ手を上げる。その手が下ろされれば、待ったなしに試合は始まる。

「この場ではそんなこと関係ないっ! 全力で行くよっ!」

 ――確かに、そうだ。

 自分が淫欲に狂っていたとしても、アンナがグスタフと爛れた関係でいようと。少なくとも、今この試合には一切の関係が無い。手を抜かず全力で、ここまで積み重ねた鍛錬の結果をぶつけるだけだ。

 知りたいことは、その後に知ればいい。

 リアラはそう思考すると、一切の雑念を払う。

ステラとの関係に悩んでいた時には出来なかった集中――もうそこは開き直って受け入れたリアラは、今まっさらな精神状態で御前試合に臨むことが出来ていた。

 審判役である教師の手が下ろされる。

「――開始っ!」

    ▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼

 アンナ=ヴァルガンダルの持ち味は、双剣を活かした手数の多さだった。そして彼女の攻撃は多いだけではなく、素早く鋭い。

 まるで嵐の中の雨のように繰り出される斬撃を、リアラは冷静に受け流しながら防御していた。

「やるねっ! ついこの間とは雲泥の違いだよ」

 嬉しそうに、ライバルの復活を歓迎するアンナ。その間にも両腕から繰り出される剣戟が緩むことがない。前から、右から、上から……あらゆる方向からリアラに向けて降り注いでくる。

「っく! このっ……!」

 対するリアラの切り札は聖魔法だ。己を癒して強化する術。

 自力での素早さは互角――手数はアンナの方が上。リアラは自らの敏捷性を聖魔法で強化しつつ、アンナの剣戟をさばき続ける。

 そんな息をつかない2人の攻防に、場内は歓声で湧き上がる。前評判通り、午前中までの試合とはレベルが違う攻防だった。

「っし!」

 アンナの一瞬を逃さずに捉えるアンナ。刺突剣の剣先を、彼女の喉元へ向けて突き出す。しかし攻撃一方だったアンナはすかさず1歩後退し、双剣を交差させてリアラの剣を受け止める。

「さすがリアラ……危ない所だったよ。でも相変わらず表情や目線に出すぎだよ。簡単に攻撃が読める」

「余裕で講釈している――場合かなっ?」

 刺突剣を受け止められたリアラ。すぐにその剣を引くと、体重をかけてリアラの剣を防いでいたアンナはバランスを僅かに崩す。

「――っ? まずっ!」

 リアラは聖魔法を発動。下半身の筋力を強化すると、身体を半回転させて回し蹴りをアンナの腹部に叩き込む。

「げふっ……!」

 想定外の攻撃に、アンナは直撃を受けてしまう。

 ただの蹴りではなく、聖魔法の強化がかかっている強烈な一撃だ。ダメージは甚大。アンナはこみあげてくる嘔吐感をなんとか堪えるが、苦痛に顔が歪み、よろよろとふらつく。

「もらった」

「っ!」

 その隙を逃すリアラではない。引いた刺突剣を再び構えて、膝をつくアンナに振り下ろす。

「っと、危ないっ!」

 しかしそれがアンナに接触する前に、アンナは立ち上がると、飛びのくようにして後退。リアラの一撃を回避する。

 態勢を崩した上で意表を突いた会心の一撃――それを驚異的な運動能力で避けられた。やはり一筋縄ではいかない。

「やるね、アンナ」

「リアラこそ、さすがだよ。こんな短い期間で格闘術まで身に付けていたなんて」

 不敵に笑うアンナ。

そうだ、相手は入学してからこの日まで、1度たりとも首席の座を誰にも譲ったことがないアンナ=ヴァルガンダル。こんな小手先のような奇襲で呆気なく勝てる程容易い相手ではない。

色々なわだかまりや疑念は置き去りにして、リアラはライバルとの凌ぎ合いに、素直に健全な喜びを感じていた。

 しかし、次の瞬間――その最大のライバルは信じられない行動に出た。

「ボク、こうさ~ん。負けでいいや」

「――は?」

 と、持っていた双剣を放り投げて敗北宣言をするアンナ。

 そんな投げやりな降参宣言は周りの観客には届かなかったが、得物を放り投げたことで降参したことは伝わっていたのか、場内はどよめきに包まれる。

 そして何よりも驚愕に襲われたのは、その場にいたリアラと審判役の教師である。

「ほ、本当にいいのか? こんな内容で……?」

 宣言が出た場合即座に試合終了を告げるべき教師が、あまりの事態に思わず確認をしてしまう。

「う、嘘でしょうアンナ? こ、これじゃ私が首席に……それにそんなことしたら、白薔薇騎士団への入団だって……」

「ああ、いいのいいの。ボク、別にもう首席にもこだわりないし、白薔薇騎士団もどうでもいいから。あんまり無理して身体に傷がつくとあの人に嫌われちゃうから、もうここまででいいかな。今のリアラに無傷で勝てる気がしないもん」

 そのアンナの、あまりにも不真面目過ぎる態度に、リアラも教師もあんぐりと口を開けて立ち尽くすしかなかった。冗談にしか思えない言葉を、冗談にしか思えない軽薄な表情で言い放つアンナ。

「ほら、早く試合終了にして下さい。時間が勿体ないですよ~」

 数十秒立ってもなかなか動かない両者に、アンナがそう言うと、ようやく試合終了の宣言がなされる。

 今大会最注目のカード。1年首席アンナ=ヴァルガンダルと1年次席リアラ=リンでブルグの試合は、御前試合史上最短の時間でリアラ=リンデブルグの楽勝で終わったのだった。

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 アンナとリアラの試合が終わると、しばらく場内のどよめきは収まらなかった。

「そんな……馬鹿な……」

 場内の誰よりも打ちひしがれているのは、隣にいるシンパなのかもしれない。と、コウメイがそう思う程に彼女は衝撃を受けていた。

「あれ、本当にルエール騎士団長の娘さん? なんか聞いていた感じと違うんですけど……ていうか、俺なんて騎士団長に言えばいいの、これ?」

 実際に試合場でどんな会話がなされたのかは分からないが、アンナの方は持っていた武器を放り投げて、なんだかやり投げな感じに見えなくもない。

 一撃で戦う気力を削がれる程にリアラという学生の回し蹴りが効いたのだろうか。だとすると、リアラという人間が恐ろしすぎる。

「あの、シンパ卿――」

「うるさいっ!」

「ひええっ! ごめんなさいっ!」

 話しかけても反応が無いシンパにしつこく声を掛けると、怒鳴りつけられるコウメイは情けない悲鳴を漏らしてしまう。それで少し我に返ったのか、シンパは恥ずかしそうに咳ばらいをした。

「も、申し訳ないコウメイ殿。つい、取り乱してしまって」

「い、いえいえ。そんなに意外だったんですか、ルエール騎士団長の娘さんが負けたの」

「負けたこと自体よりも……」

 シンパは表情を曇らせてコウメイの問いに答える。余程ショックだったのだろう。

「まさかアンナが降参をするなんて……!」

 話しているうちに、また感情が昂ったのか、声を大きくしていくシンパ。しかしそれとは対照的に、コウメイは冷静にシンパの言葉を聞いていた。

「それ程にお互いの実力が掛け離れていた、とかは?」

「あり得ません。そもそも、アンナは首席でリアラよりも成績が上、しかも試合前まではリアラの方が不調で懸念されていたくらいですよ。それなのに、アンナの降参負けだなんて……こんな短時間で」

 シンパはワナワナと身を震わせているようだった。コウメイには正直ピンとこない部分ではあったが、それ程に衝撃的な事だったらしい。周りの観客の様子から察しても、どうもズレているのはコウメイのようだったが。

「そもそも、一撃を受けた程度で早々に降参するなんて……リリライト殿下の御前で、下手をすれば不敬罪に問われかねない行為です。一体何が……」

「不敬罪、ねぇ」

 その言葉を聞いて、コウメイはリリライトとグスタフが座している貴賓スペースを見上げる。

「当の本人は、そんなこと気にしていないみたいですけどね」

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「ぐひひっ! どうですかな、リリライト殿下」

「あははっ……いい様ですね。本人があっけらかんとしているのが少々気にくわないですが、これでリアラが首席になりますね。良い事です。これでリアラも元気を出してくれるでしょう」

 貴賓スペースで、悪だくみが成功して満足そうに笑い合う2人。

「さて、後の試合はもう興味が無いのですが……御前試合という名目上、立ち去るわけにはいきませんものね」

 あからさまに嘆息をしながら、そう零すリリライト。以前までの彼女なら、絶対に言わないであろう自分勝手で傲慢な言動。

もはや夜の“遊び”だけではなく、昼間グスタフとの2人という限定的な状況ながらも、日常のリリライトに変化が出てきていることに、グスタフはこれ以上ない満足感を得ていた。

「ああ、もう。早くお兄様からのお手紙を読みたいのに、煩わしいですね。お兄様からの使者の方も来ていらっしゃるのでしょう? 挨拶も出来ないままで……」

 一昨日については、グスタフとアンナとの行為に耽っており、コウメイに対応する余裕が無かったリリライト。昨日も、どうもグスタフとアンナは1日中行為に及んでいたらしいが、御前試合を控えていたリリライトは、そちらの準備に忙殺された。

 結局コウメイがミュリヌス地方についてから2日間、敬愛する兄王子の使者であるコウメイのことは放置状態で、持ってきた手紙にも目が通せていなかった。

 リアラ達の試合が始まるまではすっかり忘れていたくせに、終わってしまえばそれが気になり気が急くリリライト。グスタフの影響か、自分勝手な思考や振る舞いが明らかに増長されていた。

「そういえば、姫殿下」

「なんですか?」

 兄からの手紙という楽しみなイベントを前に、グスタフの気持ち悪い声が差し込まれても、いつの間にかリリライトは嫌悪感を抱かなくなった。自然な声と表情で反応をするようになっている。

「兄君との距離は、よくお考えになられた方がよろしいかと」

「それは、どういう意味ですか?」

 しかし、兄との関係に釘を刺されれば途端に不機嫌な感情を隠そうともしない。冷たさのこもった口調で答えるリリライトに、しかしグスタフは動じない。

「ご自分が、今どのようなことをしているか思い返して下さい。カリオス殿下は、まぎれもなく名君の器――リリライト殿下が少しでもヘマをすれば、簡単にバレてしまいますぞ。そうすれば、姫という立場がどうなるか、お分かりになるのでは?」

 ニタァと、悪魔のような醜悪な笑みを浮かべるグスタフ。

 その言葉とグスタフの表情に、リリライトは思わず身が凍る恐怖を感じた。

 そうだ。自分は兄が徹底的に排除しようとしている奴隷売買に手を出し、兄の腹心が愛する娘に取り返しのつかないことをしているのだ。

 それが兄にバレれば許されるはずがない。確実に嫌われる。それだけではなく、兄妹の関係も勘当されるだろう。更には極刑にすら処される可能性もある。

 どれもこれも……絶対に嫌だ。

「ど、どうしましょうグスタフ。私、お兄様に絶対に嫌われたくないですっ……」

 ここに来てようやく自分が仕出かしたこと――それがグスタフに唆されたということも忘れて、その責任の大きさに震えるリリライト。その恐怖に、目に涙を溜めて震えあがっている。

「ひょほっ、ほほほっ! 安心めされい。ワシにかかればカリオス殿下を出し抜くことなど、たわいもないことですじゃ」

「ほ、本当ですかっ?」

 藁にもすがるような声でリリライトが言う。

 実際グスタフは、アンナの篭絡の件など、彼が言う通りに事態を動かしてきていた。そういう意味ではグスタフはリリライトの信頼を勝ち取っている。

「カリオス殿下もその使者に選ばれる者も、おそらく一癖も二癖もあるじゃろうて。絶対にリリライト殿下お一人では会わないことですじゃ。手紙の類なども、必ずワシに確認させて下さい。どんなことから隠し事が漏れるか、分かったものではないですからのぅ」

「わ、分かりました。全部、グスタフの言う通りに――」

 既に始まろうとしていた次の試合など、全く意識の外。リリライトは自らの保身ばかりに気がいっており、心細い表情でグスタフにすがっていた。

 そして、その様をずっと観察する視線があった。

 来賓スペースからリリライトとグスタフの様子を注意深く見つめるのは、第1王子カリオスの腹心であるルエール騎士団長に推され、使者としてこの地に赴いているコウメイである。


 こうして衝撃冷めやらぬまま、午後の試合は始まっていき、それ以上に滞ることはなく今年の御前試合は終わりを告げるのだった。
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