116 / 155
第4章 激動の冬編
挿話 舞台裏(前編)
しおりを挟む
王都ユールディアからミュリヌス地方へ向かう途中にあるとある小さな村。
ミュリヌス領と隣接するガルス領土内に位置するその村は、地図にも乗らないような名も無き村。百人にも満たない村人達が寄り添いながら、つつましく暮らしている村だ。
しかし、この村は聖アルマイト国にとっては、非常に重要な存在であった。
「お帰り、フェア!」
飛竜使い--空を飛ぶ竜を自在に操る才能を持った人間が住まう村。
地上で両手を広げて、つい今しがた仕事を終えて、空から飛竜と一緒に戻ってきた村長の孫娘ーーフェアを青年ーーユリアンが迎える。
「ただいまユリアン。ほら、みーちゃんもただいまって言ってあげて」
地上に降り立ったフェアは、愛竜を促すように身体をポンポンと叩くと、みーくんと呼ばれた飛竜は、頭を撫でろと言わんばかりにユリアンに向けて頭を差し出した。
「ははは、ミーティアは相変わらず甘えん坊だな」
ユリアンに撫でなられながら、気持ちよさそうに目を細めて喉を鳴らすミーティアという名の飛竜。ユリアンも満更では無さそうに笑う。
「仕事の方はどうだった?」
「うん、相変わらずカリオス殿下は優しくて良い人だったよ。報酬もこんなにはずんでくれたの」
ミーティアの背に取り付けた簡易的な荷台から、中身にぎっしりと金貨が詰まった袋をユリアンに差し出す。
「本当だ……すごいな」
「うん、本当にカリオス殿下には感謝しないとね」
飛竜使いは、今はもうすっかり廃れてしまっている職業である。飛竜種そのものが絶滅危惧種であり、更にその飛竜とコミュニケーションを交わす術を持つ人間も極僅か。
飛竜使いの資質は、天性の才能が全てと言われており、フェアはその希少な才能を有する少女だった。この村には、フェアの他にあと4人の飛竜使いと4匹の飛竜がいる。
移動や輸送、通信手段に関しては、そのほとんどが馬に頼っているこの大陸において、空を自由に行き来出来て、速度も馬とは比べ物にならない飛竜の存在は、はっきり言って甚大な利益を国にもたらす。そういった意味で、この村は重要な意味を持っているのだが。
そういった立場から、飛竜使いも飛竜も、国内外問わずに敵が多い。あらゆるものから、その利便さを狙われており、常に身の危険にさらされていると言ってもいい。それ故に飛竜が乱獲された結果が、今の絶滅寸前まで追いやられた結果だ。
国内に飛竜使いがいることが発覚した時、カリオスはそれを国益のために使用しようとは考えなかった。利用するよりも、存在を隠して保護をするという方針を打ち出し、この村の存在は秘匿されることとなったのだ。
それは、飛竜の存在を公然とすることで他国との関係に影響を与えてしまう、飛竜の数を増やしてから将来的に利用する、などの政治的事情も少なくはないだろう。しかし、カリオスから直接その言葉を聞いたフェアは、それだけではないような気がした。
あの人の良さそうな笑顔と優しげな瞳は、ここまで不遇だった飛竜使いの境遇を慮ってくれたのではないか--そう、フェアに思わせたのだった。
そんなカリオスだったからこそ、村の方からも自発的に協力を申し出た。
カリオス直々の命令限定、そして戦争などの争い事以外で飛竜使いが協力できることはしたい、と。その申し出をカリオスはありがたく承諾したのだったが、実際に請け負う仕事は、ちょっとした物資の輸送だったり、簡単な手紙のやり取りだったり…といったレベル。その内容の割には、今回のように、報酬を弾んでくれるのだった。
「おお、フェアよ。ご苦労じゃったな」
ユリアンに少し遅れて、フェアの祖父である村長がやってくる。フェアは「ただいま」と明るく言いながら、ユリアンはフェアから受け取った袋を村長に渡す。
「今回もこんなに……本当に、カリオス殿下には何から何まで申し訳ないのぅ。フェアも大変じゃったろう」
「ううん。今回はちょっと遠かったけど、なんてことなかったよ。私より、みーちゃんにお礼言ってあげて」
フェアの横でねだるようにミーティアは頭を振ると、村長は朗らかに笑いながら、ミーティアの頭を撫でてやる。
「夕食も準備が出来ておるから、今晩はゆっくり休むんじゃぞ。今晩はフェアの好きなカルバ肉のスープじゃからのう」
「本当? やったあ!」
村長の言葉に、フェアはキラキラと瞳を輝かせていると、ふとミーティアが不服そうに翼をバタつかせる。
「あ、そうかそうか。みーちゃんもご飯だもんね。この子にご飯あげてからいくら、先に戻ってて」
フェアの言葉に村長はうなずくと、フェアの労働の成果を抱きしめるように大事に持ちながら、その場を去っていった。
「今日はミーティアにもカルバ肉のおすそ分けだ、ほら」
ユリアンが、フェアとミーティアが戻ってくるのに間に合うように用意していたのであろう、餌桶を持ってきて、ミーティアに差し出す。するとミーティアはがっつくように、嬉しそうに餌桶の中に首を突っ込むのだった。
「美味しい、ミーちゃん? ユリアンにお礼言わないとね」
見ている方が清々しくなるような食べっぷりを見せるミーティア。フェアの声に、高い鳴き声を返しながら、再び餌桶に顔を突っ込む。
そんなミーティアを嬉しそうに笑顔で見守るフェア。
愛竜の世話をする美少女ーーその絵になる光景に、思わずユリアンは顔を赤くしてぼーっと見とれていた。
「ち、ちょっと……やだ。そんなに見つめられたら照れるよ。なに?」
ユリアンの視線に気づくと、フェアも照れたように頬を染めてはにかむ。
そんなフェアに近づき、ユリアンは優しくフェアの身体を抱き寄せる。
「っきゃ!」
ほのかに汗をかいているフェアの身体だったが、不快な匂いはしない。少女特有の甘く、良い匂いがユリアンの鼻孔をくすぐる。そして、彼女の髪をすくように撫でながら
「俺、フェアのこと絶対に幸せにするから」
「……ぅん」
2人は、村の中でも公認の恋人同士で将来を誓い合っている。今ではフェアの唯一の肉親である村長もそれを認めている。
この小さな村の中で、ひっそりとだが華やかな結婚式を開催する準備も進めている。村を挙げて祝福してくれるという村人達に囲まれて、2人は今まさに幸せの絶頂にあった。
「私もユリアンのこと、大好きだよ。幸せにしてね」
日が暮れようとして、オレンジ色の光が降り注ぐ中。そよ風が地面の草草を揺らし、すぐ近くでは飛竜が大好物の餌を貪っている。
その中で、2人は顔を近づけていき、優しく唇を重ね合わせるのだった。
▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼
「大臣様?」
とある日、家事をしていたフェアは祖父よりそんな話を聞かされた。
「うむ。この度、大臣のグスタフ様がリリライト第2王女の教育係とヘルベルト連合の外交を担当することになったそうじゃ。それでミュリヌス領に赴任することになったそうじゃが……ミュリヌスに入る前に、ここで一泊するそうじゃ」
「へええ、すごいねえ。大臣だけじゃなく、そんなにたくさんの役職を持っているんだぁ」
口を大きく開けながら驚嘆の声を出すフェア。
「そんな偉い人が、この村に泊まってくれるなんて光栄だね。頑張っておもてなししないと」
「うむ、そうじゃのう」
相変わらず明朗快活で且つ細かな気配りも出来る自慢の孫、村長は目を細める。
両親を事故で失った後から、ずっとこの老いた身で育てることとなり、どうなることかと思ったが、最愛の孫は健康に素直に元気よく成長し、幸運なことに実直な好青年に見初められ、この度将来を共にすることとなった。
信頼出来る若者へ、最愛の孫の幸せを作る役目を引き継いでから、その後の自分の人生の楽しみは何にしようかと、明るい未来に老人の表情は明るかった。
□■□■
しかし、大臣とやらの来訪は、そんなささやかな幸せに包まれていた村の空気を、無慈悲に容赦なく切り裂いたのだった。
「すまん……すまんのぅ、ユリアン」
「……」
まるで祈るように謝罪の言葉を述べる村長ーーしかしユリアンはそれに何の反応も示さない。地面に腰を落とし、両手で顔を抑えながらうなだれている。
その2人の光景は、まさに「絶望」という2文字が相応しい。
ユリアンが背にしている壁から聞こえるのは。
「いや、いやぁぁぁぁっ! 助けて、おじいちゃんっ! ユリアン! 助けてっ!」
「ぐひひひいっ! メスガキが大人しくせんかっ! すぐにチンポの味を教え込ませてやるからのぅ……ひぃひぃ言わせながら、すぐにアヘらせてやるわい」
ドタバタと激しい音が木で出来た壁一枚を隔てて聞こえてくる。
フェアの泣き叫ぶ悲痛な声が漏れ聞こえてくる度に、村長もユリアンも、絶望の海の沈んだような重く暗い気持ちに苛まれる。
「どうして……どうして……フェアが、こんな……」
あと少しすれば結婚式だった。愛の儀式を終えて、その後も幸せな生活が待っているはずだった。それなのに、どうしてこんな……
「何故ですか、村長っ! どうしてフェアがあんな男にっ……どうして、あんな男を大臣なんかにしているんですかっ、カリオス殿下は!」
ずっとうなだれていた顔を上げたユリアンは、ボロボロと涙をこぼしながら鬼気迫る表情でグスタフに詰め寄った。そのあまりの形相に、村長も思わずたじろいだほどだった。
「や、やだやだっ! 初めてはユリアンのためにとっていたのに……い、いたぁ……!」
「ぐほおおおっ! やはり初物じゃったかぁぁ! すぐにワシのものにしてやるからのぉぉ! ぶひいいいいっ!」
フェアの泣き叫ぶ声とグスタフの獣のような声が、更にユリアンと村長を絶望の淵へ追い立てる。
もう、どうしようもなかった。絶対の権力者に目を付けられて、こんな小さな村、脅されてしまっては成す術がない。
カリオスはこんな権力を盾に横暴を振るう真似など絶対に許さない人間だ。こんなグスタフの横暴が耳に入れば、大臣であることなど構わず極刑にするだろう。しかし、そのカリオスはこの場にはいない。
「……やっぱり殺す。あの豚を、殺してやるっ!」
そういうとユリアンは、ゆらりと立ち上がって台所から包丁を取り出してくる。
「や、止めるんじゃユリアン。相手は大臣じゃぞ。こんな村など、一晩のうちに消されてしまう!」
「でも、誰かが助けないと! このままじゃフェアは、今後ずっとあいつの好きなようにされて……!」
村長も、そのユリアンの鬼気迫る迫力と、何よりも愛する孫娘をあの欲望の権化から救い出したい気持ちはユリアンと同等以上。無理やり止めることなど、出来ることではなかった。
「ーーすみません、村長。でも俺は、フェアを愛しているんです。この世の誰よりも……あいつがいない人生なんて、俺には耐えられない。申し訳ないですが、俺には村よりもフェアの方が--」
「おっほおおおおおおお?」
ユリアンの言葉を遮ったのは、隣の部屋から聞こえてくる獣のような声だった。しかし、それはグスタフの野太い声ではなく、甲高い女性のものの声だった。
「ほれ、ほれっ! 顔つきが変わってきたのう。どうじゃ、チンポの味はぁっ!」
「おほっ、ほおおっ? き、気持ちひいいっ! ま、待ってぇ! そんなにパンパンされたらぁ……おほっ、おほおおおっ? 変な声出ちゃうっ! 気持ちよくなっちゃうっ! 幸せになっちゃう!」
激しく肉がぶつかり合う音に乗せて、グスタフとフェアの狂った会話が聞こえてくる。その内容に、村長もユリアンも信じられないというように目を合わせる。
「ふひひひっ! どうじゃ、ワシのチンポとぉ、婚約者とぉ、どっちの方が好きじゃあ? どっちの方を愛しておる? 隣で聞いている爺と婚約者に聞かせてやらんかぁぁ!」
「おっ……んおっ……おほほおおっ! ご、ごめんねユリアンっ! 大臣様のチンポ! オチンポ好きになっちゃったぁ! 聞いて、ユリアン! 私、優しいだけのユリアンよりも、大臣様のたくましいチンポ、愛しちゃったのぉ! チンポ、しゅきだよぉぉ! 大臣様、愛してりゅうう!」
「ふんっ、ふんっ! 婚約者はこんなことも教え取らんかったのか。処女マンコだけあって……ふおおっ! なかなか締まりも良くて……っおおおお! 出すぞ、出すぞぉぉぉっ!」
「っふああああ! ま、待って……! キスしながら……さっきのねっとり、ぐちょぐちょに舌を絡めるベロチューすごかったからぁ! ベロチューでイキたいよほおおおっ!」
ユリアンの手から包丁が落ちると、床に当たってむなしく音が響き渡る。
「んちゅっ……べろべろ……ちゅばぁっ! しゅ、しゅごいぃ! 大臣様のこと、しゅきになるっ! だいしゅきっ! ちゅっ、ちゅっ……ああんっ! しゅき! 愛してりゅう! 赤ちゃん欲しくなっちゃう! 大臣様とフェアの赤ちゃん、欲しくなっちゃう! お願い、抜かないで! このまま中で……お願い! れろれろっ! ちゅうううう!」
「んむ……んちゅうう……ぶひ、ぶひいいいいいいいい!」
--どうやら、隣の2人は絶頂を迎えたようである。
その、僅か数秒の会話は、これまでユリアンが生きていた人生以上の体感時間を彼に与えた。そしてそれ以上の絶望も与えた。
「あ、あはは……あはははは……」
フェアの狂態を否が応もなく耳にしたユリアンは絞り出すような、乾いた笑い声を漏らす。そして村長の方へ顔を向けると、笑顔のまま涙と唾液を垂れ流しにしながら
「これ、なんなんですか?」
おそらくは、このまま何事も無ければ間違いなく孫娘を幸せにしてくれたであろう、村で評判の好青年は、その数日後に村の井戸に身を投げて自害したのだった。
▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼
それから時が経過した。
ユリアンの死を告げられても、フェアは「ああ、そう」と興味のない言葉を零した以上の反応は見せなかった。それよりも、あの欲望にギラついた、フェアが最も嫌いそうなタイプの男への執心を見せるという変貌ぶりに、もはや村長は深く考えるのを止めた。
それ以外の点においては、それまでと変わらない自慢の孫なのだ。
都合の悪いことにだけ目を瞑れば、それまでも変わらない、平凡だが恵まれた日常が返ってくる。あまりの異常事態に現実を受けいれることが出来ない村長は、そうやって思考を放棄した。
しかし、狂った異常な現実は、確実にフェアを、その村の平穏を脅かしていたのだ。
それは、王都からミュリヌス領へ行く道程の途中だという、龍牙騎士ミリアム=ティンカーズがこの村に訪れて、翌日に出立するのを見送った後だった。
「王都からの騎士様が……一体何の用だろう? 極秘任務って言ってたけど」
「さてな。ミュリヌスの方で、何かあったんじゃろうかのぅ」
グスタフがミュリヌス領へ赴任してから数か月が経過していた。それから村長に、少なくはない不穏な噂話が耳に入るようになってきた。聖アルマイトでは、カリオスが主導して禁止令を出している奴隷売買の噂などだ。
グスタフのことに関してはなるべく考えないようにしている村長でも、それにグスタフが関わっているであろうことは、どうしても考えてしまう。
しかし、龍牙騎士が彼の下へ向かっていったということは、ひょっとするとカリオスが奴の悪行を突き止めたのでは。だとするならば、奴に変えられてしまった孫娘も--
「大臣様にすぐ知らせないと。何かあったらすぐに知らせるよう、言われているの」
そんな村長の淡い期待を打ち砕くように、フェアは本気でグスタフの身を案じているような表情で言う。
あの夜から、フェアの飛竜使いとしての仕事が急増した。本来はカリオス直々の依頼しか受けない約束だったが、どうも裏でグスタフとやり取りをしているようで、フェアがミュリヌス領へ飛ぶことも少なくなかった。おそらくは、ミュリヌス領へ行くたびにフェアはグスタフと--
しかし、老人の心の弱さは、現実を見ようとする心の目を閉じてしまっている。
「そうか……気を付けてのぅ」
この村長が、もう少し心の強さを持っていれば、あるいはミリアムの結末は少し変わったものとなっていたかもしれない。
しかし、田舎の小さな村で生活をするごく平凡な老人に、その責を問うにはあまりに残酷だ。
いずれにせよ、これがミリアムの運命を決したことは間違いないことだった。
ミュリヌス領と隣接するガルス領土内に位置するその村は、地図にも乗らないような名も無き村。百人にも満たない村人達が寄り添いながら、つつましく暮らしている村だ。
しかし、この村は聖アルマイト国にとっては、非常に重要な存在であった。
「お帰り、フェア!」
飛竜使い--空を飛ぶ竜を自在に操る才能を持った人間が住まう村。
地上で両手を広げて、つい今しがた仕事を終えて、空から飛竜と一緒に戻ってきた村長の孫娘ーーフェアを青年ーーユリアンが迎える。
「ただいまユリアン。ほら、みーちゃんもただいまって言ってあげて」
地上に降り立ったフェアは、愛竜を促すように身体をポンポンと叩くと、みーくんと呼ばれた飛竜は、頭を撫でろと言わんばかりにユリアンに向けて頭を差し出した。
「ははは、ミーティアは相変わらず甘えん坊だな」
ユリアンに撫でなられながら、気持ちよさそうに目を細めて喉を鳴らすミーティアという名の飛竜。ユリアンも満更では無さそうに笑う。
「仕事の方はどうだった?」
「うん、相変わらずカリオス殿下は優しくて良い人だったよ。報酬もこんなにはずんでくれたの」
ミーティアの背に取り付けた簡易的な荷台から、中身にぎっしりと金貨が詰まった袋をユリアンに差し出す。
「本当だ……すごいな」
「うん、本当にカリオス殿下には感謝しないとね」
飛竜使いは、今はもうすっかり廃れてしまっている職業である。飛竜種そのものが絶滅危惧種であり、更にその飛竜とコミュニケーションを交わす術を持つ人間も極僅か。
飛竜使いの資質は、天性の才能が全てと言われており、フェアはその希少な才能を有する少女だった。この村には、フェアの他にあと4人の飛竜使いと4匹の飛竜がいる。
移動や輸送、通信手段に関しては、そのほとんどが馬に頼っているこの大陸において、空を自由に行き来出来て、速度も馬とは比べ物にならない飛竜の存在は、はっきり言って甚大な利益を国にもたらす。そういった意味で、この村は重要な意味を持っているのだが。
そういった立場から、飛竜使いも飛竜も、国内外問わずに敵が多い。あらゆるものから、その利便さを狙われており、常に身の危険にさらされていると言ってもいい。それ故に飛竜が乱獲された結果が、今の絶滅寸前まで追いやられた結果だ。
国内に飛竜使いがいることが発覚した時、カリオスはそれを国益のために使用しようとは考えなかった。利用するよりも、存在を隠して保護をするという方針を打ち出し、この村の存在は秘匿されることとなったのだ。
それは、飛竜の存在を公然とすることで他国との関係に影響を与えてしまう、飛竜の数を増やしてから将来的に利用する、などの政治的事情も少なくはないだろう。しかし、カリオスから直接その言葉を聞いたフェアは、それだけではないような気がした。
あの人の良さそうな笑顔と優しげな瞳は、ここまで不遇だった飛竜使いの境遇を慮ってくれたのではないか--そう、フェアに思わせたのだった。
そんなカリオスだったからこそ、村の方からも自発的に協力を申し出た。
カリオス直々の命令限定、そして戦争などの争い事以外で飛竜使いが協力できることはしたい、と。その申し出をカリオスはありがたく承諾したのだったが、実際に請け負う仕事は、ちょっとした物資の輸送だったり、簡単な手紙のやり取りだったり…といったレベル。その内容の割には、今回のように、報酬を弾んでくれるのだった。
「おお、フェアよ。ご苦労じゃったな」
ユリアンに少し遅れて、フェアの祖父である村長がやってくる。フェアは「ただいま」と明るく言いながら、ユリアンはフェアから受け取った袋を村長に渡す。
「今回もこんなに……本当に、カリオス殿下には何から何まで申し訳ないのぅ。フェアも大変じゃったろう」
「ううん。今回はちょっと遠かったけど、なんてことなかったよ。私より、みーちゃんにお礼言ってあげて」
フェアの横でねだるようにミーティアは頭を振ると、村長は朗らかに笑いながら、ミーティアの頭を撫でてやる。
「夕食も準備が出来ておるから、今晩はゆっくり休むんじゃぞ。今晩はフェアの好きなカルバ肉のスープじゃからのう」
「本当? やったあ!」
村長の言葉に、フェアはキラキラと瞳を輝かせていると、ふとミーティアが不服そうに翼をバタつかせる。
「あ、そうかそうか。みーちゃんもご飯だもんね。この子にご飯あげてからいくら、先に戻ってて」
フェアの言葉に村長はうなずくと、フェアの労働の成果を抱きしめるように大事に持ちながら、その場を去っていった。
「今日はミーティアにもカルバ肉のおすそ分けだ、ほら」
ユリアンが、フェアとミーティアが戻ってくるのに間に合うように用意していたのであろう、餌桶を持ってきて、ミーティアに差し出す。するとミーティアはがっつくように、嬉しそうに餌桶の中に首を突っ込むのだった。
「美味しい、ミーちゃん? ユリアンにお礼言わないとね」
見ている方が清々しくなるような食べっぷりを見せるミーティア。フェアの声に、高い鳴き声を返しながら、再び餌桶に顔を突っ込む。
そんなミーティアを嬉しそうに笑顔で見守るフェア。
愛竜の世話をする美少女ーーその絵になる光景に、思わずユリアンは顔を赤くしてぼーっと見とれていた。
「ち、ちょっと……やだ。そんなに見つめられたら照れるよ。なに?」
ユリアンの視線に気づくと、フェアも照れたように頬を染めてはにかむ。
そんなフェアに近づき、ユリアンは優しくフェアの身体を抱き寄せる。
「っきゃ!」
ほのかに汗をかいているフェアの身体だったが、不快な匂いはしない。少女特有の甘く、良い匂いがユリアンの鼻孔をくすぐる。そして、彼女の髪をすくように撫でながら
「俺、フェアのこと絶対に幸せにするから」
「……ぅん」
2人は、村の中でも公認の恋人同士で将来を誓い合っている。今ではフェアの唯一の肉親である村長もそれを認めている。
この小さな村の中で、ひっそりとだが華やかな結婚式を開催する準備も進めている。村を挙げて祝福してくれるという村人達に囲まれて、2人は今まさに幸せの絶頂にあった。
「私もユリアンのこと、大好きだよ。幸せにしてね」
日が暮れようとして、オレンジ色の光が降り注ぐ中。そよ風が地面の草草を揺らし、すぐ近くでは飛竜が大好物の餌を貪っている。
その中で、2人は顔を近づけていき、優しく唇を重ね合わせるのだった。
▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼
「大臣様?」
とある日、家事をしていたフェアは祖父よりそんな話を聞かされた。
「うむ。この度、大臣のグスタフ様がリリライト第2王女の教育係とヘルベルト連合の外交を担当することになったそうじゃ。それでミュリヌス領に赴任することになったそうじゃが……ミュリヌスに入る前に、ここで一泊するそうじゃ」
「へええ、すごいねえ。大臣だけじゃなく、そんなにたくさんの役職を持っているんだぁ」
口を大きく開けながら驚嘆の声を出すフェア。
「そんな偉い人が、この村に泊まってくれるなんて光栄だね。頑張っておもてなししないと」
「うむ、そうじゃのう」
相変わらず明朗快活で且つ細かな気配りも出来る自慢の孫、村長は目を細める。
両親を事故で失った後から、ずっとこの老いた身で育てることとなり、どうなることかと思ったが、最愛の孫は健康に素直に元気よく成長し、幸運なことに実直な好青年に見初められ、この度将来を共にすることとなった。
信頼出来る若者へ、最愛の孫の幸せを作る役目を引き継いでから、その後の自分の人生の楽しみは何にしようかと、明るい未来に老人の表情は明るかった。
□■□■
しかし、大臣とやらの来訪は、そんなささやかな幸せに包まれていた村の空気を、無慈悲に容赦なく切り裂いたのだった。
「すまん……すまんのぅ、ユリアン」
「……」
まるで祈るように謝罪の言葉を述べる村長ーーしかしユリアンはそれに何の反応も示さない。地面に腰を落とし、両手で顔を抑えながらうなだれている。
その2人の光景は、まさに「絶望」という2文字が相応しい。
ユリアンが背にしている壁から聞こえるのは。
「いや、いやぁぁぁぁっ! 助けて、おじいちゃんっ! ユリアン! 助けてっ!」
「ぐひひひいっ! メスガキが大人しくせんかっ! すぐにチンポの味を教え込ませてやるからのぅ……ひぃひぃ言わせながら、すぐにアヘらせてやるわい」
ドタバタと激しい音が木で出来た壁一枚を隔てて聞こえてくる。
フェアの泣き叫ぶ悲痛な声が漏れ聞こえてくる度に、村長もユリアンも、絶望の海の沈んだような重く暗い気持ちに苛まれる。
「どうして……どうして……フェアが、こんな……」
あと少しすれば結婚式だった。愛の儀式を終えて、その後も幸せな生活が待っているはずだった。それなのに、どうしてこんな……
「何故ですか、村長っ! どうしてフェアがあんな男にっ……どうして、あんな男を大臣なんかにしているんですかっ、カリオス殿下は!」
ずっとうなだれていた顔を上げたユリアンは、ボロボロと涙をこぼしながら鬼気迫る表情でグスタフに詰め寄った。そのあまりの形相に、村長も思わずたじろいだほどだった。
「や、やだやだっ! 初めてはユリアンのためにとっていたのに……い、いたぁ……!」
「ぐほおおおっ! やはり初物じゃったかぁぁ! すぐにワシのものにしてやるからのぉぉ! ぶひいいいいっ!」
フェアの泣き叫ぶ声とグスタフの獣のような声が、更にユリアンと村長を絶望の淵へ追い立てる。
もう、どうしようもなかった。絶対の権力者に目を付けられて、こんな小さな村、脅されてしまっては成す術がない。
カリオスはこんな権力を盾に横暴を振るう真似など絶対に許さない人間だ。こんなグスタフの横暴が耳に入れば、大臣であることなど構わず極刑にするだろう。しかし、そのカリオスはこの場にはいない。
「……やっぱり殺す。あの豚を、殺してやるっ!」
そういうとユリアンは、ゆらりと立ち上がって台所から包丁を取り出してくる。
「や、止めるんじゃユリアン。相手は大臣じゃぞ。こんな村など、一晩のうちに消されてしまう!」
「でも、誰かが助けないと! このままじゃフェアは、今後ずっとあいつの好きなようにされて……!」
村長も、そのユリアンの鬼気迫る迫力と、何よりも愛する孫娘をあの欲望の権化から救い出したい気持ちはユリアンと同等以上。無理やり止めることなど、出来ることではなかった。
「ーーすみません、村長。でも俺は、フェアを愛しているんです。この世の誰よりも……あいつがいない人生なんて、俺には耐えられない。申し訳ないですが、俺には村よりもフェアの方が--」
「おっほおおおおおおお?」
ユリアンの言葉を遮ったのは、隣の部屋から聞こえてくる獣のような声だった。しかし、それはグスタフの野太い声ではなく、甲高い女性のものの声だった。
「ほれ、ほれっ! 顔つきが変わってきたのう。どうじゃ、チンポの味はぁっ!」
「おほっ、ほおおっ? き、気持ちひいいっ! ま、待ってぇ! そんなにパンパンされたらぁ……おほっ、おほおおおっ? 変な声出ちゃうっ! 気持ちよくなっちゃうっ! 幸せになっちゃう!」
激しく肉がぶつかり合う音に乗せて、グスタフとフェアの狂った会話が聞こえてくる。その内容に、村長もユリアンも信じられないというように目を合わせる。
「ふひひひっ! どうじゃ、ワシのチンポとぉ、婚約者とぉ、どっちの方が好きじゃあ? どっちの方を愛しておる? 隣で聞いている爺と婚約者に聞かせてやらんかぁぁ!」
「おっ……んおっ……おほほおおっ! ご、ごめんねユリアンっ! 大臣様のチンポ! オチンポ好きになっちゃったぁ! 聞いて、ユリアン! 私、優しいだけのユリアンよりも、大臣様のたくましいチンポ、愛しちゃったのぉ! チンポ、しゅきだよぉぉ! 大臣様、愛してりゅうう!」
「ふんっ、ふんっ! 婚約者はこんなことも教え取らんかったのか。処女マンコだけあって……ふおおっ! なかなか締まりも良くて……っおおおお! 出すぞ、出すぞぉぉぉっ!」
「っふああああ! ま、待って……! キスしながら……さっきのねっとり、ぐちょぐちょに舌を絡めるベロチューすごかったからぁ! ベロチューでイキたいよほおおおっ!」
ユリアンの手から包丁が落ちると、床に当たってむなしく音が響き渡る。
「んちゅっ……べろべろ……ちゅばぁっ! しゅ、しゅごいぃ! 大臣様のこと、しゅきになるっ! だいしゅきっ! ちゅっ、ちゅっ……ああんっ! しゅき! 愛してりゅう! 赤ちゃん欲しくなっちゃう! 大臣様とフェアの赤ちゃん、欲しくなっちゃう! お願い、抜かないで! このまま中で……お願い! れろれろっ! ちゅうううう!」
「んむ……んちゅうう……ぶひ、ぶひいいいいいいいい!」
--どうやら、隣の2人は絶頂を迎えたようである。
その、僅か数秒の会話は、これまでユリアンが生きていた人生以上の体感時間を彼に与えた。そしてそれ以上の絶望も与えた。
「あ、あはは……あはははは……」
フェアの狂態を否が応もなく耳にしたユリアンは絞り出すような、乾いた笑い声を漏らす。そして村長の方へ顔を向けると、笑顔のまま涙と唾液を垂れ流しにしながら
「これ、なんなんですか?」
おそらくは、このまま何事も無ければ間違いなく孫娘を幸せにしてくれたであろう、村で評判の好青年は、その数日後に村の井戸に身を投げて自害したのだった。
▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼
それから時が経過した。
ユリアンの死を告げられても、フェアは「ああ、そう」と興味のない言葉を零した以上の反応は見せなかった。それよりも、あの欲望にギラついた、フェアが最も嫌いそうなタイプの男への執心を見せるという変貌ぶりに、もはや村長は深く考えるのを止めた。
それ以外の点においては、それまでと変わらない自慢の孫なのだ。
都合の悪いことにだけ目を瞑れば、それまでも変わらない、平凡だが恵まれた日常が返ってくる。あまりの異常事態に現実を受けいれることが出来ない村長は、そうやって思考を放棄した。
しかし、狂った異常な現実は、確実にフェアを、その村の平穏を脅かしていたのだ。
それは、王都からミュリヌス領へ行く道程の途中だという、龍牙騎士ミリアム=ティンカーズがこの村に訪れて、翌日に出立するのを見送った後だった。
「王都からの騎士様が……一体何の用だろう? 極秘任務って言ってたけど」
「さてな。ミュリヌスの方で、何かあったんじゃろうかのぅ」
グスタフがミュリヌス領へ赴任してから数か月が経過していた。それから村長に、少なくはない不穏な噂話が耳に入るようになってきた。聖アルマイトでは、カリオスが主導して禁止令を出している奴隷売買の噂などだ。
グスタフのことに関してはなるべく考えないようにしている村長でも、それにグスタフが関わっているであろうことは、どうしても考えてしまう。
しかし、龍牙騎士が彼の下へ向かっていったということは、ひょっとするとカリオスが奴の悪行を突き止めたのでは。だとするならば、奴に変えられてしまった孫娘も--
「大臣様にすぐ知らせないと。何かあったらすぐに知らせるよう、言われているの」
そんな村長の淡い期待を打ち砕くように、フェアは本気でグスタフの身を案じているような表情で言う。
あの夜から、フェアの飛竜使いとしての仕事が急増した。本来はカリオス直々の依頼しか受けない約束だったが、どうも裏でグスタフとやり取りをしているようで、フェアがミュリヌス領へ飛ぶことも少なくなかった。おそらくは、ミュリヌス領へ行くたびにフェアはグスタフと--
しかし、老人の心の弱さは、現実を見ようとする心の目を閉じてしまっている。
「そうか……気を付けてのぅ」
この村長が、もう少し心の強さを持っていれば、あるいはミリアムの結末は少し変わったものとなっていたかもしれない。
しかし、田舎の小さな村で生活をするごく平凡な老人に、その責を問うにはあまりに残酷だ。
いずれにせよ、これがミリアムの運命を決したことは間違いないことだった。
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
328
1 / 5
この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる