たづさの短編集『雪』

田作たづさ

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秋風と珈琲

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 目が覚めた。きっと、吹き抜けた風のせいだ。はらはらと揺らめくカーテン。隙間から、仄かな光が見える。月明かりではない。夜明けが近いのだろう。私は、重たい上半身を起こした。

「おかしいなぁ」

 記憶に自信は無いが、ベットの中央で眠ったはずだ。きっとそのはずだ。しかし今は、ベットの右端、転げ落ちるギリギリの位置にいた。頭を捻りながら、床に両足をつく。暗い室内、冷たいフローリング。私は周囲に散らばった服を丁寧に回収すると、ベットの上に置いた。そして壁を伝って一歩一歩踏みしめるように、1階のキッチンへと向かった。
 電気を点けると、案の定、目の奥がズキズキした。両手で目を覆う。なんでだろう。次は鼻の奥がズキズキとする。
 ずいぶん時間の経った頃、ゆっくりと瞳を開いた。歪んだ視界に、多数のビール缶やら酒瓶が、途端に飛び込んでくる。

「あらあら……」

 誰かしら。こんなに散らかして。私はお酒が好きじゃない。すぐに気持ち悪くなって、頭も痛くなって、そして眠たくなるから。お酒の好きな彼が、散らかしたに違いない。

「なんてね」

 カラカラに喉が渇いていたから、今は冷たい水が飲みたかった。なんだか頭も痛いし。冷蔵庫を開けてみるが、いつもの位置に2Lのペットボトルはない。しまった。冷やし忘れていたようだ。近くのダンボールに手を伸ばす。そこには、未開封のぬるい水が入っていた。それならば──

「いっぱいあるじゃん」

 冷凍庫を開けると、氷が並々とあって、なんだか嬉しくもあり、そうでもなかった。自動製氷もストップするくらい、氷がパンパンにできている。その小さな事実が、心をチクチクさせた。
 氷からふっと目線を逸らすと、冷凍庫の奥に、密閉容器に入った謎の袋を見つけた。両手で掴んで、丁寧に取り出す。幾度も使われ少々劣化した容器には、あの香りがあるような、ないような。蓋を開けると、ほんのりと、でも確実に記憶が蘇ってきた。

「コーヒーに凝ってたよね」

 豆の状態であれば、冷凍で半年は保つんだ。そんなことを言っていた気がする。
 
「淹れてみようかなぁ」

 初めてだけど、上手くできるだろうか。
 コーヒーミル、ドリッパー、フィルター、注ぎ口の細いポット、温度計、それからあれとそれと。全部あるよ。全部全部、あの時のまま。
 
「あ、ミルに埃が。やばいやばい。あ、豆って常温に戻さないといけないんだっけ。まあいっか」

 私はコーヒーに対する愛が足りないらしい。どんなに高級で珍しい豆を使っても、同じ味に感じる。感想はいつだって、苦い、とても苦い。そして、砂糖とミルクをたっぷりと入れてしまうんだ。コーヒーの香りが好きだから、毎回淹れて貰っていたけど。こんな私に、きっと呆れていたでしょう?
 でもね────

「全部、覚えているよ。
コーヒー豆12gをミルで挽いて。
お湯の温度は86℃だよね。ちゃんと温度計で測るから。
まずはお湯を20mL注いで、30秒蒸らす。お湯は置くように。500円玉を描くように。
それからお湯を50mL注いで、待って。
次にお湯を40mL注いで、待って。
次もお湯を40mL注いで、待って。
最後にお湯を30mL注いで。
お湯が落ちきる前に、ドリッパーを外す。
ほら、さすがわたし。完璧でしょ」

 淹れたてのコーヒーを白いカップに注ぐ。この香りは、彼が淹れてくれたコーヒーそのものだと思った。香りは記憶と密接に結びついていると、聞いたことがある。だから両手で目を覆った。やっぱり、鼻の奥がズキズキする。だけど、どうしてだろう。痛みはすぐに和らいだ。

「そうだ」

 私はそっとコーヒーカップを掴むと、2階へと駆け上がった。
 ゆらめくカーテン。その先のベランダには、昇りたての光に包まれた、小さな丸いテーブルと2つの椅子がある。

「やっぱり苦い、でも温かい」
 
 コーヒーカップは温かくて、暖かみがあった。
 ちらりと寝室を覗く。ベットの上、こんもりと山積みになった彼の洋服。抱きしめなければ眠れない私は、いつかそこから卒業できるのだろうか。

「あ、そうだ」

 コーヒーカップをそっと置くと、私は急いでライターと線香を取りに行った。
 お線香の煙に乗って、故人の欲しいものが運ばれる。そんなことを昔に聞いたことがあるような、無いような。いや、きっとあった気がする。あってほしい。

「混じるなぁ」

 これだとコーヒーの香りが楽しめないじゃないか。反省の意味を込めて、ブラックコーヒーを口へと運ぶ。今日は砂糖とミルクは我慢するって、なんとなくそう決めた。
 風が吹き抜け髪を揺らす。俺のがもっと上手く淹れられるって、そう聞こえた気がした。
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