歯医者さんの帰りに、美人女神様に出会えた

加藤労全(ろーぜん)

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歯医者さんの帰りに、美人女神様に出会えた

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「今回で全ての治療は終わりです」
「先生、ありがとうございました」
 この歯科クリニックに通った回数は、十回は越していたはずだ。子供の頃から歯科治療が苦手な僕が、恐怖と緊張に耐え抜いて、やっと今日で、治療が全て終わった。
 もう、歯科クリニックに来ないで済むのだ! 有頂天で会計を済ませ、晴ればれする気分で外に出て、奇麗な夕焼けを見上げた。
 今までは次回の治療が心配で、景色を見る心の余裕もなかった。
 歯科クリニックの近くに木々に囲まれた小さな公園があるのに気がつき、ふらっと足を進めた。
 夕方なのに子供がいない公園で、小さな池が目に留まる。水面が太陽の光を反射し、橙色に揺らめき美しさに見とれてしまう。
 ”よい子はここで遊ばない”とフェンスに看板がある。しかし、僕は大人だし、誰も見ていないので、ひょいっと飛び越えてしまう。
 歯科治療が終わると、こんなに景色さえこんなに美しく見えるなんて。
「もう、二度と歯医者さんに行かないぞ!」
 一人で叫びながら屈み、歯科クリニックの診察券を水面に置く。診察券は円を描きながら、池の中に吸い込まれるように消えて行く。
 どこからともなく、若い鈴のような女性の声が僕に聞こえる。
「診察券を捨てたのは、あなたですか?」
「も、申し訳ございません」
 僕は振り向いて謝るが、公園内に人の気配はない。
 もちろん、自分を除いてだ。
 巡らせた顔を池に戻す。水色の光を帯びたロングドレスに身を包んだ美しい女性が立っていた。
 あろうことか、ほほ笑みながら、池の水面上に立っている!
 怖い! 池の守り神かもしれない。尻餅をついてから、柵に手を伸ばし、逃げようとする。震える全身に力が入らない。
 死にたくない。女神様に僕は地に額を擦りつけ謝った。
「ごめんなさい。二度とゴミは捨てないので、許してください」
 女性は白い歯を見せて優しく笑い、診察券を両手で僕に差し出す。
「驚かしてしまいましたね。私は歯科クリニックを見守る女神です。あなたの十一回に渡る治療の様子も、ずっと見守っていました。苦痛に耐え抜き虫歯を治療されたのを称賛しております」
「僕のこと、見守ってくれてたんですね」
 女神さまが僕の心を強くしてくれたんだと、胸が熱くなって涙が頬を伝う。
「診察券を捨てるのは、感心できません」
「すみませんでした」
「分かってくれれば、良いんです。診察券をお返しして、それから、これは私からプレゼントです」
 女神さまが、両腕を伸ばし診察券と銀紙に包まれたモノを差し出す。
 僕が両手で受け取れば、池の中に、すーっと消えていく。診察券を財布にしまって、銀紙を開くと、大好きなチョコレートがあった。
 柵越しに公園の出入り口の人影が視界の隅に留まる。若い母親に手を引かれた女の子が、僕を指差していた。
 僕を見た母親は、女の子の手を追いかけるように握り締めた。一心不乱に道路へ出て行く。
 池の前で、両膝を突いている僕を怪しんだのだろう。柵を乗り越えてから、ベンチに腰を下ろした。
 不思議なこともあるものだ。夢でも見たのだろうか? 話してもどうせ誰も信じてくれないだろう。
 しかし、僕は女神様に守られているのだ。沸き立つ心で、女神さまが、ご褒美としてくれたチョコレートを頬張る。

 数日がたった朝、歯の痛みで飛び起きた。歯科クリニックに電話をする。以前、歯が痛くて電話会社を遅刻して、歯科クリニックに駆け込み受診した。
 心臓をえぐられるような恐怖に耐え抜きながら、虫歯の治療を受けた。
「最近、うちの治療した患者さんで完治してから、別の歯が虫歯になる患者さんが多いんですよ。後五回は、通ってください」
「先生としては、大繁盛ですね」
「――素直には、喜べないですよ」
 次回からの治療を想像するだけで憂鬱になる僕に、先生は気まずそうにしている。
 何かしらの助力を期待して、僕は先日の公園に走り、池に呼びかけた。
「女神さま、また虫歯になりました。僕に力を貸してくれださい!」
 池から現れた女神さまは、小首を傾げている。
「私は、歯科クリニックが繁盛するよう、見守っている女神なのですが?」(完)
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