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第1章 危険な夢のはじまり
7話
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初日から、色々激しすぎた――。
大輔は疲れ果てて帰路に着いた。違法風俗店の摘発自体は滞りなくすんだが、慣れない事務手続きがあったので午後九時前にやっと、荒間署から一時間ほどの実家に帰宅した。
クタクタになって玄関を開けると、自分のものでも父のものでもない革靴があった。
「⋯⋯あれ? 兄ちゃん、来てるの?」
そう訊きながら、一階のリビングダイニングに向かう。するとダイニングテーブルの、いつもは大輔の椅子で、兄の和樹がくつろいでいた。
「おかえり、大輔。お前、念願叶って刑事になったって?」
会社員の兄は、都内のアパートで恋人と同棲している。その兄が平日の夜に実家を訪ねて来るのは珍しい。
なにかあったのだろうか、と不安になる。今さっき晃司からあんな目に遭ったせいで、余計にそんなことを思う。しかし、兄も兄の正面に座る母も、いたって和やかな雰囲気だった。
二人は兄の中学の卒業アルバムを眺め、彼女に見せる、見せないで笑い合っている。中学の頃の兄は少しグレていた時期があって、兄曰く黒歴史らしい。
大人になった兄は、黒歴史を笑い飛ばしている。しかし兄が荒れた理由を一人だけ知っている大輔は、母や兄と一緒に笑うことはできなかった。
「お帰りなさい。初日から遅かったのね。ご飯は?」
大輔の複雑な胸の内など察するわけがない母は、明るく訊いた。
「食べてない。用意してもらっていい?」
大輔は答えながら、母の隣、兄のはす向かいに座った。いつもはここが、実家に帰ってきた時の兄の席だ。
「今日はどうしたの、兄ちゃん。仕事帰りだろ?」
大輔が訪ねると、兄は照れくさそうに母を見た。すると母は、恥ずかしそうな嬉しそうな微妙な表情で立ち上がり、カウンターで仕切られたキッチンに行ってしまった。
「和樹、自分で報告しなさいよ」
母はキッチンで大輔の夕食の支度を始めた。兄が、大輔に向き直り「あ~」と、髪をグシャグシャとかき乱した。
「なに? なんだよ兄ちゃん」
「すっげぇ恥ずかしいんだけどさ⋯⋯彼女が、妊娠したんだ」
予想だにしていなかった答えだった。大輔は驚き、声を上げた。
「ええ?! マジ?!」
「ちょっと大輔! もう遅いんだから」
母が間髪入れずキッチンから怒ってくる。その声もかなりのボリュームだが、それを指摘する余裕は大輔にはなかった。
「マジで?! 彼女って、麻奈美さんだよね?」
「アホ! 決まってんだろ!」
「え、え⋯⋯じゃあ、結婚すんの?!」
そう訊くと、兄は二目と見られないひどいニヤケ顔で頷いた。兄弟でなかったら、「気持ち悪い」と口にしていただろう。
大輔は、しばらく開いた口が塞がらなかった。
「ほんっとうに恥ずかしいったらないわ! あちらの⋯⋯麻奈美さんのご両親に会わす顔がないわよ。だからお母さんは、同棲するんだったらさっさと入籍だけでもしなさいって、前から言ってたのに」
母は、授かり婚に手放しで賛成はしていないようだ。しかしその口調からも表情からも、初孫ができたこと、それから息子の結婚が決まったことが嬉しくて仕方ない、と伝わった。
大輔だけ、間抜け顔のままだった。
(だって兄ちゃん⋯⋯)
ふいに脳裏によぎる、過去の記憶。
今日、ホテルでフラッシュバックした、あのおぞましい光景――。
「⋯⋯それでさ、急に今週末、麻奈美の家族と食事会することになってさ。⋯⋯大輔、お前も出られるか?」
「え? あ、うん。交番の時と違って、基本は土日休みだから⋯⋯」
冷静に兄に答える自分が、自分ではない別の人間のように感じた。
キッチンの母は、夕飯を温め直しながら鼻歌を零している。兄は、デレデレとだらしない顔でのろけてくる。子供の性別はどっちがいいと思う? などと大輔に訊いて。
「あ~あ、お父さん、明日出張から帰ってきたら驚くわよ~。最近血圧が高いけど大丈夫かしら」
「ハハハ、母さん、上手く話してよ」
母と兄は、互いの顔を見て笑い合った。それを見つめる大輔は、自分の中から自分が抜け出ていく感覚に捕らわれていた。
心と体が引き離され、今いる現実が不明瞭に、あやふやになっていく――。
「大輔?」
弟があんまり呆けているからだろう、兄が心配そうに覗いた。大輔は頭を振って自分を取り戻した。
「ごめん、ビックリしちゃって⋯⋯」
「だよなぁ、俺だってビックリしたし」
驚いた、と言いながらも満面の笑みの兄に、大輔はぎこちなく笑い返した。
「兄ちゃん、おめでとう」
兄は嬉しそうに「ありがとう」と答えた。
母がキッチンで、楽しそうに鼻歌を歌っている。
堂本家に降ってわいた幸せな話に、追いつけないのは大輔の心だけだった。
一章 危険な夢の始まり 終
大輔は疲れ果てて帰路に着いた。違法風俗店の摘発自体は滞りなくすんだが、慣れない事務手続きがあったので午後九時前にやっと、荒間署から一時間ほどの実家に帰宅した。
クタクタになって玄関を開けると、自分のものでも父のものでもない革靴があった。
「⋯⋯あれ? 兄ちゃん、来てるの?」
そう訊きながら、一階のリビングダイニングに向かう。するとダイニングテーブルの、いつもは大輔の椅子で、兄の和樹がくつろいでいた。
「おかえり、大輔。お前、念願叶って刑事になったって?」
会社員の兄は、都内のアパートで恋人と同棲している。その兄が平日の夜に実家を訪ねて来るのは珍しい。
なにかあったのだろうか、と不安になる。今さっき晃司からあんな目に遭ったせいで、余計にそんなことを思う。しかし、兄も兄の正面に座る母も、いたって和やかな雰囲気だった。
二人は兄の中学の卒業アルバムを眺め、彼女に見せる、見せないで笑い合っている。中学の頃の兄は少しグレていた時期があって、兄曰く黒歴史らしい。
大人になった兄は、黒歴史を笑い飛ばしている。しかし兄が荒れた理由を一人だけ知っている大輔は、母や兄と一緒に笑うことはできなかった。
「お帰りなさい。初日から遅かったのね。ご飯は?」
大輔の複雑な胸の内など察するわけがない母は、明るく訊いた。
「食べてない。用意してもらっていい?」
大輔は答えながら、母の隣、兄のはす向かいに座った。いつもはここが、実家に帰ってきた時の兄の席だ。
「今日はどうしたの、兄ちゃん。仕事帰りだろ?」
大輔が訪ねると、兄は照れくさそうに母を見た。すると母は、恥ずかしそうな嬉しそうな微妙な表情で立ち上がり、カウンターで仕切られたキッチンに行ってしまった。
「和樹、自分で報告しなさいよ」
母はキッチンで大輔の夕食の支度を始めた。兄が、大輔に向き直り「あ~」と、髪をグシャグシャとかき乱した。
「なに? なんだよ兄ちゃん」
「すっげぇ恥ずかしいんだけどさ⋯⋯彼女が、妊娠したんだ」
予想だにしていなかった答えだった。大輔は驚き、声を上げた。
「ええ?! マジ?!」
「ちょっと大輔! もう遅いんだから」
母が間髪入れずキッチンから怒ってくる。その声もかなりのボリュームだが、それを指摘する余裕は大輔にはなかった。
「マジで?! 彼女って、麻奈美さんだよね?」
「アホ! 決まってんだろ!」
「え、え⋯⋯じゃあ、結婚すんの?!」
そう訊くと、兄は二目と見られないひどいニヤケ顔で頷いた。兄弟でなかったら、「気持ち悪い」と口にしていただろう。
大輔は、しばらく開いた口が塞がらなかった。
「ほんっとうに恥ずかしいったらないわ! あちらの⋯⋯麻奈美さんのご両親に会わす顔がないわよ。だからお母さんは、同棲するんだったらさっさと入籍だけでもしなさいって、前から言ってたのに」
母は、授かり婚に手放しで賛成はしていないようだ。しかしその口調からも表情からも、初孫ができたこと、それから息子の結婚が決まったことが嬉しくて仕方ない、と伝わった。
大輔だけ、間抜け顔のままだった。
(だって兄ちゃん⋯⋯)
ふいに脳裏によぎる、過去の記憶。
今日、ホテルでフラッシュバックした、あのおぞましい光景――。
「⋯⋯それでさ、急に今週末、麻奈美の家族と食事会することになってさ。⋯⋯大輔、お前も出られるか?」
「え? あ、うん。交番の時と違って、基本は土日休みだから⋯⋯」
冷静に兄に答える自分が、自分ではない別の人間のように感じた。
キッチンの母は、夕飯を温め直しながら鼻歌を零している。兄は、デレデレとだらしない顔でのろけてくる。子供の性別はどっちがいいと思う? などと大輔に訊いて。
「あ~あ、お父さん、明日出張から帰ってきたら驚くわよ~。最近血圧が高いけど大丈夫かしら」
「ハハハ、母さん、上手く話してよ」
母と兄は、互いの顔を見て笑い合った。それを見つめる大輔は、自分の中から自分が抜け出ていく感覚に捕らわれていた。
心と体が引き離され、今いる現実が不明瞭に、あやふやになっていく――。
「大輔?」
弟があんまり呆けているからだろう、兄が心配そうに覗いた。大輔は頭を振って自分を取り戻した。
「ごめん、ビックリしちゃって⋯⋯」
「だよなぁ、俺だってビックリしたし」
驚いた、と言いながらも満面の笑みの兄に、大輔はぎこちなく笑い返した。
「兄ちゃん、おめでとう」
兄は嬉しそうに「ありがとう」と答えた。
母がキッチンで、楽しそうに鼻歌を歌っている。
堂本家に降ってわいた幸せな話に、追いつけないのは大輔の心だけだった。
一章 危険な夢の始まり 終
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