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本編
9 エツミちゃん
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二週間が過ぎて。
毎日一時間、生徒会室でお手伝いをして。土日は学校自体が休みだから正味十日ほど。特に僕にとってのトラブルはなく(生徒会の仕事上なくはなかったけど、会長さんたちがすぐに解決する程度のことで)、コピーをとったり印刷をしたり、ワープロで清書をしたり、たまにみんなの飲み物を買いに自販機まで走ったり。書記の多田さんと一緒に仕事をすることが多かった。
生徒会室を出たり入ったりするのが一番多いのが実は近藤さん。
肩書は副会長とは言え学年は一つ下だからか、率先して席を立っていた。会長の桜野さんを始め、各委員会の委員長さんたち誰一人近藤さんの仕事ぶりには文句を言わないし、内容は僕にはわからないけど各部活の部長さんたちからも相談を持ち掛けられていた。要するに仕事ができて、人当たりの良い人なんだと僕は知った。……僕以外の人に対して。
あんなことやあんなことがあって僕が一人でもやもやとしている中、近藤さんは僕を一切無視した。挨拶をすれば事務的に返してくれるけどそれだけ。今のところ一緒に何か仕事をすることもないから本当にそれだけで。多分仕事上理由があって話しかければ答えはするのだろう、最低限に。近藤さんからは絶対話しかけない。そもそもが用もないんだろうけど。だから僕は近付くチャンスがなく。
…………近付く? 僕から?
どうして。嫌な思いをして、わけがわからない思いもして。そしてもう何も接触がない。それでいいじゃないか。目の前にいて向こうが関りを持とうとしないのなら、僕はこれ以上怖がる必要もない。僕から近付く必要はないのに。無視する理由なんて僕が知る必要もない。僕が嫌いだろうと、酷いことをしないというなら全然それで構わないことで。みんなに好かれようなんて思ってないし、僕だって人類全て好きなわけじゃないし好きになろうなんて思わない。
だけど。
あれは。
あまり自分の中で明確にしたくなかったから誤魔化してきたけど。
……あの晩の行為は。口付けはなんだったのか。
悪意を向ける相手に口付け、キスなんかするのか。ひどく穏やかな声色でおやすみと言うのか。
その後にこれでは僕はどう整理をつけたらいいのか。
「……落ちろ押してんのに落ちてくんないのよね」
「そりゃお前、前の前の選択肢間違えててフラグが立ってないんだわ、囁くを選ぶと落ちる」
知らない人の会話が不意に耳に入ってきて、引っかかる。おちる……なんだろう。
おちる…………あ……。僕は囁かれた。近藤さんに、あの時。
今になって思い出すなんて。堕ちろ……って、言われた。その前に言葉があったような気がするけど思い出せない。地獄へ、堕ちろ……ってことだろうか。
すべてが嫌がらせ? キスですら僕が舞い上がりそうになるのを笑うため?
「市原? カレーこぼれてる」
「えっ、あ、ごめ」
松川に言われて、ここは食堂で、カレーライスを乗せたままのスプーンを握っていたことを思い出す。こぼれたのは皿の上だったから問題なかったけど。
「エツミちゃん」
「は、はいっ」
そこへ後ろから名前を呼ばれた。振り返れば、多田さんと北見さんと桜野さんが立っていた。近藤さんはいなかった。
「エツミちゃん……?」
「あ、いやその」
松川が訝しそうな顔で僕を見る。僕の周りでは誰もそんな風に呼ばないしともすれば女の子を呼んでいるようで、何言ってんだと思うのは当然だろう……僕だって特別嬉しいわけでもないし。嫌と言うほどでもないけど。
「市原君が可愛いから桜野が、ってこいつね、生徒会長サン。桜野がそう呼んで愛でようって。君もよかったらエツミちゃんって呼んであげてね」
助け舟を出してくれたのだろう多田さんが松川に向かってにっこり笑う。
「多田さん!」
僕はそんな呼び方広めてほしくない。多田さんだって僕が諸手を挙げてそれを受け入れているわけではないことをわかってて言ってる。つくづくふざけるのが好きというか僕が困るのを楽しんでるというか。
「エツミちゃん、ちなみにね、たまたま通りかかっただけではあるんだけど用事もあってね。明日土曜だけどお手伝い頼めるかな」
会長さんが多田さんと北見さんの間からにゅっと顔を出した。
「あ、はい、大丈夫です」
「よかった。ありがとう、時間はまた後で送るね」
僕の返事ににこっと笑って。
「はい」
「食事中ごめんね、相部屋の君も」
松川に両手を合わせた。
「いえ……」
会長さんご一行はこれから食事だったようで、配膳カウンターの方へ歩いて行った。
「すっかり馴染んで、みんなから可愛がられてるんだな」
ぽつりと松川が言った。
「そんなんじゃなくて、どちらかというとあんな風に揶揄われてる感じだよ」
何か悪質なものに変わっていくような感じではないけど。
「桜野さんがちゃん呼び始めたのか」
「うん……まあ。あのさ」
「俺は呼ばないから」
「うん……」
呼んでほしいわけではないけど、松川の声が少し硬かった。高校生にもなって下の名前ちゃん呼びってやっぱり引く、か。
「俺食べ終わったから先に部屋戻るわ。ちょっと用事思い出して」
「うん。ごめん、遅くて」
向かいに座っていた松川はトレイを持って席を立つと返却口の方へ歩いて行った。
どうしたんだろう。急用かな。
一人僕は、残ったカレーライスとまだ手を付けてなかった生野菜サラダを最後まで平らげて席を立った。
毎日一時間、生徒会室でお手伝いをして。土日は学校自体が休みだから正味十日ほど。特に僕にとってのトラブルはなく(生徒会の仕事上なくはなかったけど、会長さんたちがすぐに解決する程度のことで)、コピーをとったり印刷をしたり、ワープロで清書をしたり、たまにみんなの飲み物を買いに自販機まで走ったり。書記の多田さんと一緒に仕事をすることが多かった。
生徒会室を出たり入ったりするのが一番多いのが実は近藤さん。
肩書は副会長とは言え学年は一つ下だからか、率先して席を立っていた。会長の桜野さんを始め、各委員会の委員長さんたち誰一人近藤さんの仕事ぶりには文句を言わないし、内容は僕にはわからないけど各部活の部長さんたちからも相談を持ち掛けられていた。要するに仕事ができて、人当たりの良い人なんだと僕は知った。……僕以外の人に対して。
あんなことやあんなことがあって僕が一人でもやもやとしている中、近藤さんは僕を一切無視した。挨拶をすれば事務的に返してくれるけどそれだけ。今のところ一緒に何か仕事をすることもないから本当にそれだけで。多分仕事上理由があって話しかければ答えはするのだろう、最低限に。近藤さんからは絶対話しかけない。そもそもが用もないんだろうけど。だから僕は近付くチャンスがなく。
…………近付く? 僕から?
どうして。嫌な思いをして、わけがわからない思いもして。そしてもう何も接触がない。それでいいじゃないか。目の前にいて向こうが関りを持とうとしないのなら、僕はこれ以上怖がる必要もない。僕から近付く必要はないのに。無視する理由なんて僕が知る必要もない。僕が嫌いだろうと、酷いことをしないというなら全然それで構わないことで。みんなに好かれようなんて思ってないし、僕だって人類全て好きなわけじゃないし好きになろうなんて思わない。
だけど。
あれは。
あまり自分の中で明確にしたくなかったから誤魔化してきたけど。
……あの晩の行為は。口付けはなんだったのか。
悪意を向ける相手に口付け、キスなんかするのか。ひどく穏やかな声色でおやすみと言うのか。
その後にこれでは僕はどう整理をつけたらいいのか。
「……落ちろ押してんのに落ちてくんないのよね」
「そりゃお前、前の前の選択肢間違えててフラグが立ってないんだわ、囁くを選ぶと落ちる」
知らない人の会話が不意に耳に入ってきて、引っかかる。おちる……なんだろう。
おちる…………あ……。僕は囁かれた。近藤さんに、あの時。
今になって思い出すなんて。堕ちろ……って、言われた。その前に言葉があったような気がするけど思い出せない。地獄へ、堕ちろ……ってことだろうか。
すべてが嫌がらせ? キスですら僕が舞い上がりそうになるのを笑うため?
「市原? カレーこぼれてる」
「えっ、あ、ごめ」
松川に言われて、ここは食堂で、カレーライスを乗せたままのスプーンを握っていたことを思い出す。こぼれたのは皿の上だったから問題なかったけど。
「エツミちゃん」
「は、はいっ」
そこへ後ろから名前を呼ばれた。振り返れば、多田さんと北見さんと桜野さんが立っていた。近藤さんはいなかった。
「エツミちゃん……?」
「あ、いやその」
松川が訝しそうな顔で僕を見る。僕の周りでは誰もそんな風に呼ばないしともすれば女の子を呼んでいるようで、何言ってんだと思うのは当然だろう……僕だって特別嬉しいわけでもないし。嫌と言うほどでもないけど。
「市原君が可愛いから桜野が、ってこいつね、生徒会長サン。桜野がそう呼んで愛でようって。君もよかったらエツミちゃんって呼んであげてね」
助け舟を出してくれたのだろう多田さんが松川に向かってにっこり笑う。
「多田さん!」
僕はそんな呼び方広めてほしくない。多田さんだって僕が諸手を挙げてそれを受け入れているわけではないことをわかってて言ってる。つくづくふざけるのが好きというか僕が困るのを楽しんでるというか。
「エツミちゃん、ちなみにね、たまたま通りかかっただけではあるんだけど用事もあってね。明日土曜だけどお手伝い頼めるかな」
会長さんが多田さんと北見さんの間からにゅっと顔を出した。
「あ、はい、大丈夫です」
「よかった。ありがとう、時間はまた後で送るね」
僕の返事ににこっと笑って。
「はい」
「食事中ごめんね、相部屋の君も」
松川に両手を合わせた。
「いえ……」
会長さんご一行はこれから食事だったようで、配膳カウンターの方へ歩いて行った。
「すっかり馴染んで、みんなから可愛がられてるんだな」
ぽつりと松川が言った。
「そんなんじゃなくて、どちらかというとあんな風に揶揄われてる感じだよ」
何か悪質なものに変わっていくような感じではないけど。
「桜野さんがちゃん呼び始めたのか」
「うん……まあ。あのさ」
「俺は呼ばないから」
「うん……」
呼んでほしいわけではないけど、松川の声が少し硬かった。高校生にもなって下の名前ちゃん呼びってやっぱり引く、か。
「俺食べ終わったから先に部屋戻るわ。ちょっと用事思い出して」
「うん。ごめん、遅くて」
向かいに座っていた松川はトレイを持って席を立つと返却口の方へ歩いて行った。
どうしたんだろう。急用かな。
一人僕は、残ったカレーライスとまだ手を付けてなかった生野菜サラダを最後まで平らげて席を立った。
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