モーニングコーヒーはぬるめで

慶野るちる

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本編

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「俺今日、てっぺん越えるかも」
 相部屋の奴が夕食後、出かける準備完了状態で課題をしていた俺の机の横に立った。
「おけおけ。門は大丈夫なん?」
「なんとかしてよじ登って越えるから大丈夫」
 いつもそうだから今日だって大丈夫だろう。何人かいればそれも可能だ。
「ま、なんかあったら呼んで」
「サンキュ、じゃ、行ってくるわ」
「おう、いてら」
 そうして、カラオケに繰り出していった。歌手にでもなる気なんかな。歌はべらぼうに上手い。プロになる前にサインもらっとこうかね。
 しばらく帰ってこないとなると、ゆっくり足を伸ばしてだらけられる。そういう時間は大事だ、お互い。過度に気は遣わないが、全くというわけではない。それは人としてのマナーの範囲で。
 一気に気が緩むと風呂に行くのも面倒になってくる。シャワーで済ますか。
 怒涛の一日だったな。情報量が多すぎる。いや、昨日からだな。平日にやっぱやるもんじゃない。金曜がベストだ。しかし今日がその金曜だがさすがに昨日の今日じゃなあ……。誰からのお誘いもないし、疲れてる。ってかこれから俺どうしよう。石井さんはダメだし、もちろん樫木もない。岸さんか、誰か声をかけてくれるだろうか。外はちょっと保留だ。岡本さんの話で少しビビったし、樫木みたいに無言で強引にコトを運ぶような奴は御免だ。見知らぬ相手だと事前にわかりようがない。石井さんが言いふらしてくれてるのなら、岸さんみたいにまた三年生が寄ってきそうな気もするな。がっついてるわけじゃない。定期的に身体の中の淀を浄化したいだけだ。月二回ほどやれればいい。
 やっぱり今日は疲れてる。八時前だというのに猛烈に眠気が襲ってくる。課題は今日すべて終わらせなくていいし、シャワーを軽く浴びて寝よう。
 重い腰を上げ椅子から立ち上がったと同時にドアがノックされた。
「どうぞー」
 ノックをするということは同室の奴じゃない。風呂の誘いだろうか。
 ドアが開いて。
「歩」
 呼ばれたことのない下の名前で俺を呼んだのは、石井さんだった。二度と来るなって言ったの誰だよ。
「どうしたんですか、わざわざ」
 ベッドの上以外では徹底的に他人を決め込んで目すら合わせなかったのに、どうしてここまで来たんだ。棟の違う一番館に、しかも俺の部屋に。廊下は人も往来してるし屯ってだべってる奴らもいるだろうに。超目立ってるはずだ。三年生がここへ来るなんて。
「入っていいか?」
 深刻そうな顔で俺を見る。ドア口での立ち話は余計目立つ。ここは入れるしかなかった。俺は話すことなんかないが無下に追い返す訳にもいかない。
「相部屋の奴は?」
「風呂に行ってます」
 一度嘘をつくとハードルが下がる、わけではない。これは仕方ないだろ。夜中までいないと言えば居座りそうで。
「あまり時間がないな。単刀直入に言う。歩、僕と付き合ってくれ」
 ……。
 やっぱりこの人、勉強で疲れてるんだろうな。
「この間は殴ってすまなかった。僕には歩が必要だ」
 必要なのはセックスの快楽だけで。
「セックス以上のことはない、セフレなら今まで通り俺は石井さんと寝ることはできます」
 結構譲歩したぞ。この間の物言いは水に流すって言ってるんだからな。
「そうじゃない、僕はお前と身も心も一つになりたい。好きなんだ」
 だから、どこにそんなことに至るエピソードが俺たちの間にありましたかね?
「俺、岸さんと寝ましたよ?」
 あんたの紹介で。もうあんただけの身体じゃないんですよ、俺は。
「カッとなってお前に興味があると言った岸に売るようなことをしたのは謝る、だから戻ってきてくれないか」
 戻るのはいい、セフレなら。そう言ったでしょ、さっき。
「俺、この間も言いましたが誰かと付き合うとかそういうの考えてないんですみ……っ」
 都合のいいところにベッドがあるものだ。石井さんを立たせたままにしていた罰か、俺は自分のベッドに突き飛ばされた。
「せめて僕が卒業するまで恋人でいてほしい」
 避ける間もなく石井さんに跨がれて。
「ちょ、あの……っ?」
 服越しに勃ってるのがわかって。
「歩、好きなんだ。手離したことをすごく後悔して」
 盛り上がってる石井さんに反比例するように俺は冷めていって。歩と呼ばれることが無性に気持ち悪くて。いつからそんな懇意になったんだとか、じゃなく。単純にそう呼ばれることが嫌だった。
 無防備に投げ出していた両腕を押さえ込まれ、首筋を石井さんの唇が這う。
 今までと違う、不必要な感情を乗せた行為は到底受け入れがたく嫌悪しかない。強引にヤれば落ちると思ってるのか。
「やめ……ろっ、て……いし、いさ」
「善がってみせろよ、僕がいいって、素直に言ってみろよ」
 だからなんでそんなこと俺が。あんたなんか好きでもなんでもないからセフレやってたんだろ。
 耳にかかる湿った吐息とシャツの下から入れられたねっとりした指の滑りに悪寒が走って。嫌だ。気持ち悪い。この人はこんなだったか?
「石井ー、相手間違ってるって。お前の良さをわからない子なんかにいつまでも執着すんなよ」
 え?
 突然、声がした。岸さんの。いつの間にかドアが開いていて。ここ、一番館で。なんでこの人もいるんだ。いいのか悪いのか鍵はかかってなかったらしい。
「なんだよ岸、歩と約束でもあるのかよ」
 跨ったままではあったが、石井さんは手を止めて振り返った。
「ないよ、俺が用があるのはお前。探してたんだよ」
 俺からは姿は見えないが岸さんの声はのんびりしていて。
「僕?」
「そう、ちょっと耳貸せ」
 と言って部屋の中に入ってくる足音がした。さすがに石井さんの横まで来ると岸さんが見えて。俺を一瞥もせずに石井さんに何か耳打ちした。
「え……? あいつが?」
 石井さんの驚いた目には少し嬉しそうな色もあって。
「そう。大人しくて優しい奴だからさ、多田ちゃんを押しのけてまでは言い出せなかったんだろうな。とりあえず行ってやれよ、いつまでも待たせちゃ可哀想だろ、なけなしの勇気出してんだからさ」
「お、おう」
 岸さんは一気に捲し立て、石井さんは急き立てられるように部屋を出ていった。俺には一言もないままに。
 あっけなくベッドの上に俺は取り残されて。
「多田ちゃん、お礼言って、俺に」
 ニヤニヤ顔に見下ろされ、急いで体を起こして。
「あ、りがとう、ございました」
 なんでお礼と思ったが、円満(だろう多分)に石井さんがいなくなったのはこの人のお陰で。
「もう石井は多田ちゃんのとこ来ないよ、よかったね」
「助けてくれたんですか?」
「うーん、まあそういうことになるかな」
 はっきりしないが、どういうことであれ結果俺は助けられた。
「ナイスタイミングではあったね。あれ以上されてたら石井を殴ってたろ」
「そんなことはしませんよ……」
 多分。
「耳打ちは本当のことなんですか?」
 俺が疑う筋合いはまったくないのだが、おそらく耳打ちは石井さんに好意をもっている人がいてその人が今石井さんを待ってる、って話だろう。
「本当だよ。芝居打ってまでどうこうしようとは思わないよ」
 ですよね。でもそれをどうして岸さんが請け負っているのか、もしかしてそこに岡本さん、ひいては樫木がからんでたりするのだろうか……。いやいや、自分何様だよって。
「岡本と話をしたんだろ? 失敗したって言っててさ、多田ちゃん鈍いんだねえ」
 何の話だ。岡本さんは腐れ縁だって言ってたけど、案外仲が良いんだな。どうもこの二人も情報を共有してるっぽい。
「あ、俺は別に岡本の仲間というか樫木とは関係ないからね」
「でも中学時代に先生に」
「あら、岡本はそんな話までしたのか。珍しいな。あんまあいつ自分のことしゃべらないからさ」
 無関係というわけではないだろう。かと言って、俺がそれ以上突っ込んで訊く立場にはない。
「岸さん」
 だから。
「明日の晩、空いてますか?」
「お。孤高の姫からのお誘い。そういうの初めてじゃない?」
 まあそうなる。
「俺、もしかして多田ちゃんのセフレ候補にあがってんの?」
 いや、そこまでは。岸さんは面倒じゃなさそうだから。と言うと怒るだろうか。でもセフレなんてそんなものだろ。
「あのね、俺、どんな人とも一度しか寝ないの。なんとも惜しいけどそう決めてるからパスね」
 意外な答えが返ってきた。まさか断られるとは。
「今すぐセフレがほしいわけ? 樫木はどうしたの」
 関係ないと言いながらもちゃんと知ってるんじゃねえか。
「どうって、別に何も」
 でもだからといって俺がわざわざ説明する必要もないことだ。
「俺のせいでこじれた?」
「いや、そんなことは」
 寝たことを言ってるのだろう。あれは勝手に樫木が機嫌を悪くしただけだ。こじれたというか終わったというか。
「岡本に怒られたんだけどさ、多田ちゃんと一度してみたかったんだよ、石井が自慢するからさ」
「別に樫木、先生に操を立てる必要はないし、俺が外じゃなきゃ誰としようといいでしょ」
「それなんだけどね、多田ちゃん」
「はい」
「ごめん、勝手に座るよ」
 岸さんは俺の椅子を引っ張ってきて座った。
「あ、いや、すみません、気が利かずに」
「長居する気はないからと思ってたんだけどさ、どうせだからもう少し話いい?」
「まあ……岸さんがよければ」
 いつの間にか眠気も飛んでいたし。岸さんはじゃあ、と言って話し始めた。 
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