リノンさんは恋愛上手

そらどり

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友達作ろう編

閑話 マスターは世話好き・後編

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ただならぬ雰囲気を感じ取る。この40年間で経験したことのない事態だ。



「え、拓海……?」



その声に呼応して身体を硬直させる彼。カウンター席で一寸たりとも動かず、その背後のテーブル席に陣取っている4人の女子に顔を向けようともしない。



今の状況は彼にとってとてつもなく不利なのだと理解した。



「(私が彼の名前を呼んだばかりに……)」



このままでは接客のプロの名が廃る。拓海くんとの信頼関係に傷が付く前になんとかしなければ――――



「あー…こほん、あまり彼を責めないでやってほしい。彼は少々気難しい性格でね、でも悪気があるわけではないんだ」



「え、だって今、その人のこと拓海って……」



痛いところを突かれる。いや、当然か。



「(拓海……たくみ……たくみ……)」



脳内で必死に逃げ口を探す。大丈夫だ、私にならできる。40年という積み重ねが、私を味方しているのだから。



「―――……!」



時間にしておよそ2秒といったところ、極限の緊張感の中で落雷と共に見つけ出した答えを彼女に提示する。



「……彼は大工のせがれでね、私は彼のことを“匠”と称している。まだ若いのに卒業後は実家を継ぐと意気込む彼の姿に感動して、個人的にそう呼ばせてもらっているんだ」



「……え、匠?」



「そう、匠だ」



「…………」



彼女はポカンとしていた。唐突に語られた設定に理解が及んでいないのだろう。



決して彼女は悪くない。私だって自分で何を言っているのか分かっていない。でも、もう引き返せないのだ。



「なにもおかしくはないさ。ついこの間も、黒いマスクを被った集団が書物を片手にミーティングらしきことをしていたし……なんとかの下準備って本だったかな? だからまあ、大工の息子がいても不思議ではないだろう」



「え、でも、あの後ろ姿は完全に―――」



「後ろ姿だけで人を判別できるわけないだろう……! それともあれかな? きみはその拓海くんという子に特別な感情でも持っているのかな? それなら私も納得できるが、果たしてどうなのかね? ん?」



「うえぇっ!? ち、違いますって……!」



彼女はそう言うと、しぶしぶテーブル席に戻っていく。強引な手だが、なんとか疑いを退けることができたようだ。



だが、その代償は凄まじく、自分の中でこれまで積み上げてきた威信が崩れていくのが分かった。



「(試合に勝って勝負に負けた、ということか……)」



だがこれも全てはお客さんの笑顔のため、ならば仕方ないと割り切ろう。



「マスター、ありがとうございます……」



注文を受け取りカウンターへと帰還すると、拓海くんが涙ながらに感謝してきた。うん、良い笑顔だ。



「いいんだよ、というよりも……彼女は拓海くんの知り合いなのかい? きみの後ろ姿を見た途端に目の色を変えていたけど」



先程の話の中で気になったことを尋ねる。あの4人の中で唯一、その子だけが拓海くんを知っている口振りだったのが気になる。



それに加えて、あの動揺。もしかしたらと勘繰ってしまう。



だが、拓海くんはこくりと頷いて「幼馴染です」と付け加えた。昭和ならともかく、今では珍しい関係だ。



「(そうか、ただのご近所さんか……)」



学生の頃が懐かしい。向かいに住んでいた裕子さんは元気だろうか。確か、私が留学する前日に引っ越していってしまったのだったかな……



「……あの、マスター」



懐かしき思いでに耽っていると、目の前のカウンター席に座る拓海くんが突然話しかけてくる。目を逸らし、指先をいじりながら。



「あ、えと……」



後ろめたさを隠すような、そんな仕草を見せていた。



「……拓海くん、私で良ければ聞くよ」



だから、私は落ち着いた声を心掛ける。話しやすい空気を作り、胸の内を開いてもらう。



その思いが通じたのか、拓海くんはゆっくりと迷いながらも話してくれた。



「偏見かもですけど……喫茶店に1人で通うなんて年寄りみたいな趣味だ、なんて馬鹿にされたくないんです。周りで俺と同じ趣味を持ってる人はいないから……」



「そうか……」



注文の皿に盛り付けを行いながら、私はその言葉を噛み締める様に頷く。



遠くのテーブル席では、スマホを片手に談笑している4人の姿が見えた。しかしその中で1人だけ、時折こちらに視線を送る者が。



それが誰に向けられているのかは聞かずとも分かる。接客40年は伊達ではない。



「……拓海くん」



私は彼の名を呟くと一息つき、再びゆっくりと彼の目を見て言った。



「確かに偏見ではあるね。喫茶店に通う人は一括りにできるものではないし、皆それぞれ悩みを抱えてやってくる、その中には拓海くんの言うようなお年寄りもいるだろうし、子連れの方もきみのような若年もいるんだよ」



「す、すみません……」



拓海くんはすかさず謝る。でも私が望むのは謝罪ではない。



「でもね」と付け加え、私は続ける。



「喫茶店に限らず、どんなものにも偏見というのは付き纏う。人の数だけ意見がある。こればっかしは人間が繁栄を続ける以上、仕方のないことなんだ」



「マスター……」



盛り付けを終えた皿が乗ったトレーを両手に据える。



そして、私は去り際に拓海くんにこう告げた。



「……だから皆ではなく、彼女自身がどう思っているのか、それこそが大切なんじゃないかな?」



その問いかけに彼からの返事は返ってこなかった。それでも私は注文を受けた菓子をテーブルへと運ぶ。



「はい、お待たせ。ザッハトルテ4つ、ホイップ付きだよ」



元気な子の「よっしゃ!」という意気込みを皮切りに、各人がトレーから皿を拝借していく。



「ああ、そうだった、食べる前に一つだけ」



全員に行き渡ったのを確認し、私はあたかも今思い出したかのように伝えた。



「このケーキは少し特別でね、誰か親しい人と共有することで仲が深まるといわれているんだ」



「え、そうなの!? じゃあ皆で交換っこしようよー! ほら、りのっちも! 交換しても味同じでしょってツッコミは禁止だからね!」



「え? あ、うん」



元気な子の勢いに気圧される拓海くんの幼馴染。その彼女に、私は救いの一手を授ける。



「……もちろん、なにで共有するかは皆さんの自由ですがね」



「―――……!」



その言葉を聞いた瞬間、彼女が目を開かせるのがここからでもよく分かった。



最後に「ごゆっくり」と言い残し、私はカウンターへと戻る。



「あの、マスター、さっきのはどういう……」



「ふふ、魔法の言葉というやつさ。直に分かるよ」



拓海くんが不思議がっていた。この位置からでは一部始終しか見ることができないからだろう。



「……?」



すると彼はポケットから振動するスマホを取り出し、画面を覗き込む。



その瞬間、彼は少しだけ沈黙していた。



「…………なんだよ、ただの写真じゃん。せっかく友達といるんだから、わざわざ俺に送らなくていいだろうに」



愚痴をこぼす拓海くん。溜息をつき、手元のコーヒーを口に含んだ。



「お味はどうだい?」



私の問いかけに、彼は目を逸らしながら答える。



「……苦いですよ、とても」



「ふふ、そうかい」



その返事だけで私は満足した。やはり、彼には笑顔が似合う。



いや、彼だけではない。こちらを向いていた彼女も、そのお友達も、皆が曇りなき笑顔で溢れている。



ウィーンの魅力を知ってもらうために始めた喫茶店。その目的を達成し、長年路頭を彷徨っていたが、ようやく新たな目的を見出せた気がする。



冷めていた灯が胸の内で静かに熱くなっていく。



私の仕事は皆を笑顔にすることなのだと、そう訴えかけてくるように。
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