やっぱり義姉には敵わない!/天才少年パティシエのオレ、母が再婚するんで渡航して義妹に会ったら義姉だし内戦が起きてるんだが?

春倉らん

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第5章 少年パティシエにできること

第5話 あゆとフィナンシェのある風景

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 何も言わずに、京旗はコーヒーを飲んでいたが、あゆも何も言わなかった。さくっ、さくっと、ときどき、フィナンシェを噛む音がした。
 京旗と同じように、コーヒーカップに口を付けてひとくちゆっくり飲んでから、あゆはほけら、と、幸せそうに言った。
「お~いし~い!」
「どっちが? コーヒーが?」
「フィナンシェが、だ! むう、ネにもつなあ、一色は」
 あゆが腕を組んで眉間にしわを寄せて見せる。
「おいしいよ。これまで食べたどのフィナンシェよりうまいよ、これ」
 かじりかけのフィナンシェを、また持ち上げる。口をほころばせて運ぶ。
 表現において、視線や仕草はいつでも口先三寸の言葉を凌駕する。
 心からの賞賛に、
「そりゃ、心を込めて作りましたから」
 トボけた調子で嘘っぽく言ったが、言った直後、京旗は何かがストンと腑に落ちた。
 すみずみまで神経をとがらせて作ったらいい結果が出たってわけじゃない。具体的に誰に対して作るか意識して、思いを込めることで、こうまで、出来が変わるものらしい……
 たぶんフィナンシェは、この日から一生の十八番になる……そんな予感がした。
 あゆがコーヒーのカップを両手で抱えていて、その褐色の表に向かって、切れ切れの物語を手探りしはじめたからだった。
「一〇年以上も前の話を……。昔話をひとつ、独り言だが、してみても、いいか?」


「ルネイ島に、わたしの心は十七さひ」
――はぁッ?!
 いきなりなんで七五調ッ?! と、京旗は椅子からずり落ちそうになったところをどうにか踏みとどまりつつ、口の中だけで叫んだ。
「極楽鳥。剥製はワシントン条約にひっかかりマス」
――ちょっと待て!! これは笑いを取りにきているのかッ?!
「みなみじゅうじせい。ぽんぷの井戸。ドリアンのヌガー。セメダインふうせん。ピーナツ売り」
「………………?」
「あゆに会いに行かなきゃ。あゆさんはそこできちんと じうなな歳になってる。あゆは知らんが、あゆさんは太平洋の国の学校制度のとおりにちゃんと学校行ってて、お友達もそのまま、一杯いて、大きくなったみんなを、知ってていたり、ちゃんとします」
「オイッ! 何の話をしてるッ!?」
「へ?」
 がくっと肩をゆさぶられて、あゆは真っ直ぐ京旗を見上げた。困ったような、小さな声で、
「だから、ほんとのあゆさんの話……」
「ほんとのあゆ? ここにいるのはほんとのあんたじゃないとでも!?」
「ちがうと思う。置き去りにしたほうが、たぶん本物。ヌケガラが日本に帰ったけれど、タマシイは置いて来ちゃったからきっとあゆはこんなんなんだと考えられる。あっちが本体で、あっちではきっとうまくやっているのだと……思ったことは、一色は、ないか? 枝分かれした今の分身の方が、実はニセモノで、枝分かれでないほうの梢はまっすぐキレイに伸びているんだけど自分からは斜め後ろで見えないだけなんじゃないかと……ていうか、見ちゃうのが怖いから、会いにいかなきゃいけないのが分かっていても、あゆはなかなか会いにいけずに、ずっと道草しているのだが。それでいて、その分身を見ている自分もここにもう一人いるみたいで、どちらかというとそっちが本当の本当の自分で、ここに居るあゆは、どこか斜め上空から見ている他人のような……何をしていても、ここのあゆにあゆのタマシイは宿ってないので、自分を生きてる感覚がナイ。ここのあゆにはするべきことも、してちゃんと結果になることもないっていうような気が。またリセットして枝分かれが始まって解体するような気が…………!!」
 う、と唐突に、あゆがぎゅっと胸元を握り込むように押さえた。
「……ど、どーした?」
「ちょっと、ごめん……あゆ、こんなに沢山喋ったの初めてで……息切れが……」
 ぜえ、ぜえ、と息をつく。
――ったく、どこまでふがいないんだよあんたはよッ!
 くうう、と京旗はコブシを握る。
「わ、忘れそうで……ぜぇっ、ぜぇっ、思いついたことはもったいないから覚えとこうと思ったんだけど…… 口に出すよりばびゅーんって……速くって、でも追いつこうとして……ぜぇっ、ぜぇっ……」
 しかし、あゆはそれでも何かを伝えようとたどたどしい言葉を紡ぎ、そこから先、あゆが紡ぎ出す世界に京旗は憑かれ、取り込まれた。
 ――めくるめく湿気の熱帯雨林。アジア。ゴムの森。赤土の道路。藁葺きの屋根。庭の真鍮のポンプをキコキコ動かすお手伝いさん。あふれ出す水。泡だって、陽光に輝きながらバケツに流れ込む豊かな奔流。
 家の勝手口の昔の風呂小屋。コンクリートの浴槽に飼っていた、あゆの顔面くらいも大きかった亀。蚊帳吊りの寝室。幼稚園からタバコを吸う、太平洋の赤道直下の島国の子供たち。
 海は遠浅のエメラルドグリーン。水底の砂は象牙色。若い母親の差す日傘。父親の平泳ぎする背にのせてもらってはしゃいだこと。帰りの車は寝て起きて、幼稚園で習った歌を唄っていた。
 家庭菜園のトウモロコシの畑ごし、青い空にひるがえった――父親が立てたコイノボリが、彼女のものごころついた最初の記憶だという。
 原風景。
 原風景の土地から離れて――言葉の違う国に行って……そこが祖国だと言われて。
 アボカドもドリアンも煎りピーナツ売りもない世界。食べ物も歌も服も習慣も、なにひとつ知っているもののない世界。知らないことが、ヘンだと言われて当然のように蔑まれ攻撃される、言葉の通じない世界。日本。
 吐き気がした。目眩がするほどの混乱。鮮烈なイメージの世界のぶつかり合い。カオスが激突してくる。呑まれる……。
「えーと……それで、やっとフィナンシェに話が戻るんだが……」
「って、戻るんすかッ?!」
 意外で波瀾万丈すぎる大転回に、京旗はいきなり引き戻されて、椅子ごとガタッとひっくりかえりそうになった。
「うん。魚屋の店主にしては、あゆの昔のじーちゃんは、とてもハイカラな人だった。縁側で、一緒にいろいろ洋菓子を食べた。中でもフィナンシェは、じーちゃんのいちばんの好物だった……」
 静かな声で、あゆはフィナンシェをもう一つ取り、ほけら、と笑って、口に運んだ。
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