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第6章 少年パティシエが何かを変える
第3話 準備とピンチ
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「それと、忘れちゃならないのは、ワール国のカカオの木は、フォラステロ種がメインなんすよねー。生産量は世界一とはいえ、クリオロ種系のベネズエラやエクアドル、プエルトカベロの豆みたいに、ブランド性での勝負はできないから、ブレンドのベース豆にされてるんすよ。生産上、発酵が長めっていうクセがあって、酸味が強いっていう弱点もあるからっすけど。これって逆に、チョコレートの中でいちばん料理に合うチョコレートとも言えますよね。逆手に取らない手はないってワケっすよ~」
「なるほどな。スイーツには難でも、料理にはうってつけってことはあるな」
ニヤリと、伊太郎が笑う。
メニューの創案と同時に、材料の選別にも、二人は忙しく走り回った。よりおいしいオクラ、よりおいしいプランテン・バナナ、よりおいしいキャッサバを扱う店を探す。
素材の持つ力で、料理は八〇パーセント決まる。下手に手をかけすぎないのがいい料理で、つまり、過不足なくというのがキモだ。調理する側の仕事は、どれだけ素材のよさをひきだすかではなく、どれだけ素材の邪魔をしないかだと言ってもいい。
伊太郎が普段からひいきにしていた名店リストに加え、あゆの行きつけの店、さらには近郊のマルシェまで、食材を物色して車を駆って回った。
京旗を警護する役目の警察官が可哀相なほどの過密スケジュール。
当日の朝、しかし、待ち合わせたオテル・ワールの厨房に、約束の時間より遅れて現れた伊太郎が、青ざめた顔で、やられた、と呻いた。その場に、がくりと膝をついた。
「どうしたんすか!!」
「肩を、やられた……」
唸るような声に、ザァッと、京旗は青ざめた。伊太郎の右腕が、ブラブラしている。出血はないが、肩から腕にかけてが明らかにおかしかった。重症だ。
「すまねぇ。油断した」
「伊太郎!! いたろーッ!!」
あゆが、泣きわめいていた。脂汗をかいている伊太郎のそばに膝をつき、
「一色! 大使館の医務官を呼んできて!!」
「は、ハイッ!」
駆け出そうとした京旗を、
「馬鹿野郎!!」
シェフの罵声がぶっとばした。ビクッと飛び上がって振り向くと、伊太郎はうずくまったまま、ギョロリと目を剥いていた。
「時間がねぇんだ、他のヤツに行かせろ。――京旗、てめぇが今日はシェフを張れ」
「な……!!」
「安心しろ、最後の味見くらいはしてやる。だが、てめぇが今日は、やってみるんだ」
「あは、あはははははははは……!!」
せっかくの伊太郎のカッコいいシーンだったが、京旗の頭の中では、混乱のあまり、くりくりした瞳のアグーチの群れが輪になってジェンカを躍りだしていた。
――前! 後ろ! 前・前・前ッ!
ぴょんこ・ぴょんこ・ぴょんこ。そしてエンドレス。
ACT 3 オペレーション・チョコレート
大使館の医務官を呼ぶ他に、ムサも慌てて呼んできて貰った。
伊太郎と京旗がこの晩餐会をやるのは、大使公邸の仕事でなく、いわば休憩時間に目こぼしをしてもらっての趣味だ。公邸のアフリカ人調理補助に手伝ってもらうことはできない。
あゆとムサを指揮して、三人で仕込みに入った京旗は、さすがに、鬼気せまる顔だった。
セザールのやり口が許せない。だが、その汚い妨害に、屈しなくてはならないかも知れない……?!
伊太郎の肩は脱臼で、手当のあと、それでもコックコートを羽織って厨房に現れた。
京旗はいつも伊太郎の仕事を見ていたし、手伝っていたし、パティシエだからカンはある。とはいえ、菓子職人と料理人とは違う。
冷静に仕事をこなしていこうとするが、内心では焦りまくってアグーチが躍る。
――前! 後ろ! 前・前・前ッ!
ぴょんこ・ぴょんこ・ぴょんこ。
――何故だ~~~ッ!!
と、伊太郎が、静かに語りだした。
「京旗よ。ヨーロッパでは、食事は最後のデザートのためにあるんだそうだな。縦系列一本道の食事形式で、コースのどんづまりのデザートをおいしく召し上がって頂くために、食前酒、前菜から始まってスープ、メインディッシュ、などなどすべてが存在しているという。最後のドルチェは、調理場のいちばんの苦心のしどころで、昔から、パーティーのたびに、新作を発表したもんだな。たとえばザッハトルテも、ウィーン会議に集まったヨーロッパ中の王侯貴族に目にモノ見せてやるってんで、作られたんじゃなかったか?」
「……そうっすよ。けど……?」
チョコレートケーキの代名詞、「ザッハトルテ」が創作されたとき、人々は驚嘆した。それまで飲みものだったチョコレートが、ケーキになって出てきたからだ。ぎっしりとチョコレート風味のスポンジ台「ザッハマッセ」。それよりなお驚かれたのはコーティングで、それはクリームでなく、パリッとした薄いチョコレート「ショコラーデ・コンセルヴェ・グラズール」で被覆されていた。そんなものはそれまでなかった。
チョコレートを摺り練り、17ミクロン以下のなめらかな舌触りにする機械「コンチェ」をスイス人が発明したのは一八七九年。固形のチョコレートがイギリスで開発されたのが、一八四七年。ウィーン会議はそれに先立つ一八一四年。口でとける、パリパリと固形のチョコレートコーティングを、コンチェに六〇年先立ち、固形チョコに三〇年先立って、世界で最初に、手仕事でやってのけたのは偉業だ。それをなし得たのは、才能と、コース料理のとどめにこれでテーブルを湧かせてやるという職人根性。
「パティシエがコースのとどめを作る職人なら、とどめのために、コース全体を考え、組み立て、仕切る力も必要だろう。パティシエにとって、大した勉強になるんじゃねぇのか? おりゃあいつか、てめぇに一度コース全部を仕切らせてやりてぇと考えていた……」
「シェフ……!!」
伊太郎流のはげましに、京旗は感動で目頭を熱くしかけたが、
「って、そんなこといって、オレまで料理人の道にひきずりこもうって策略じゃないっすよね?」
「わはは。なんでわかった?」
「こっ、この人はッ!」
ディナー開始一時間前。気の早い招待客が、もうラウンジにちらほらと集まりはじめた。
裏方の厨房は、戦場になっていた。
「時間ないんすよ、あゆサン! なんでいちいち包丁研ぎながらやってんです! 道具の手入れは前日の最後にやっとくもんでしょう!」
「研ぎかたをこまめに変えながらやってんだ! 全部の食材を同じ研ぎで切ろうと無理するより、この方が全然能率いいんだよッ!」
「はっはっは、京旗の負け~」
「伊太郎は黙ってろ!」「伊太郎さんは黙ってて下さい!!」
「う……」
「なるほどな。スイーツには難でも、料理にはうってつけってことはあるな」
ニヤリと、伊太郎が笑う。
メニューの創案と同時に、材料の選別にも、二人は忙しく走り回った。よりおいしいオクラ、よりおいしいプランテン・バナナ、よりおいしいキャッサバを扱う店を探す。
素材の持つ力で、料理は八〇パーセント決まる。下手に手をかけすぎないのがいい料理で、つまり、過不足なくというのがキモだ。調理する側の仕事は、どれだけ素材のよさをひきだすかではなく、どれだけ素材の邪魔をしないかだと言ってもいい。
伊太郎が普段からひいきにしていた名店リストに加え、あゆの行きつけの店、さらには近郊のマルシェまで、食材を物色して車を駆って回った。
京旗を警護する役目の警察官が可哀相なほどの過密スケジュール。
当日の朝、しかし、待ち合わせたオテル・ワールの厨房に、約束の時間より遅れて現れた伊太郎が、青ざめた顔で、やられた、と呻いた。その場に、がくりと膝をついた。
「どうしたんすか!!」
「肩を、やられた……」
唸るような声に、ザァッと、京旗は青ざめた。伊太郎の右腕が、ブラブラしている。出血はないが、肩から腕にかけてが明らかにおかしかった。重症だ。
「すまねぇ。油断した」
「伊太郎!! いたろーッ!!」
あゆが、泣きわめいていた。脂汗をかいている伊太郎のそばに膝をつき、
「一色! 大使館の医務官を呼んできて!!」
「は、ハイッ!」
駆け出そうとした京旗を、
「馬鹿野郎!!」
シェフの罵声がぶっとばした。ビクッと飛び上がって振り向くと、伊太郎はうずくまったまま、ギョロリと目を剥いていた。
「時間がねぇんだ、他のヤツに行かせろ。――京旗、てめぇが今日はシェフを張れ」
「な……!!」
「安心しろ、最後の味見くらいはしてやる。だが、てめぇが今日は、やってみるんだ」
「あは、あはははははははは……!!」
せっかくの伊太郎のカッコいいシーンだったが、京旗の頭の中では、混乱のあまり、くりくりした瞳のアグーチの群れが輪になってジェンカを躍りだしていた。
――前! 後ろ! 前・前・前ッ!
ぴょんこ・ぴょんこ・ぴょんこ。そしてエンドレス。
ACT 3 オペレーション・チョコレート
大使館の医務官を呼ぶ他に、ムサも慌てて呼んできて貰った。
伊太郎と京旗がこの晩餐会をやるのは、大使公邸の仕事でなく、いわば休憩時間に目こぼしをしてもらっての趣味だ。公邸のアフリカ人調理補助に手伝ってもらうことはできない。
あゆとムサを指揮して、三人で仕込みに入った京旗は、さすがに、鬼気せまる顔だった。
セザールのやり口が許せない。だが、その汚い妨害に、屈しなくてはならないかも知れない……?!
伊太郎の肩は脱臼で、手当のあと、それでもコックコートを羽織って厨房に現れた。
京旗はいつも伊太郎の仕事を見ていたし、手伝っていたし、パティシエだからカンはある。とはいえ、菓子職人と料理人とは違う。
冷静に仕事をこなしていこうとするが、内心では焦りまくってアグーチが躍る。
――前! 後ろ! 前・前・前ッ!
ぴょんこ・ぴょんこ・ぴょんこ。
――何故だ~~~ッ!!
と、伊太郎が、静かに語りだした。
「京旗よ。ヨーロッパでは、食事は最後のデザートのためにあるんだそうだな。縦系列一本道の食事形式で、コースのどんづまりのデザートをおいしく召し上がって頂くために、食前酒、前菜から始まってスープ、メインディッシュ、などなどすべてが存在しているという。最後のドルチェは、調理場のいちばんの苦心のしどころで、昔から、パーティーのたびに、新作を発表したもんだな。たとえばザッハトルテも、ウィーン会議に集まったヨーロッパ中の王侯貴族に目にモノ見せてやるってんで、作られたんじゃなかったか?」
「……そうっすよ。けど……?」
チョコレートケーキの代名詞、「ザッハトルテ」が創作されたとき、人々は驚嘆した。それまで飲みものだったチョコレートが、ケーキになって出てきたからだ。ぎっしりとチョコレート風味のスポンジ台「ザッハマッセ」。それよりなお驚かれたのはコーティングで、それはクリームでなく、パリッとした薄いチョコレート「ショコラーデ・コンセルヴェ・グラズール」で被覆されていた。そんなものはそれまでなかった。
チョコレートを摺り練り、17ミクロン以下のなめらかな舌触りにする機械「コンチェ」をスイス人が発明したのは一八七九年。固形のチョコレートがイギリスで開発されたのが、一八四七年。ウィーン会議はそれに先立つ一八一四年。口でとける、パリパリと固形のチョコレートコーティングを、コンチェに六〇年先立ち、固形チョコに三〇年先立って、世界で最初に、手仕事でやってのけたのは偉業だ。それをなし得たのは、才能と、コース料理のとどめにこれでテーブルを湧かせてやるという職人根性。
「パティシエがコースのとどめを作る職人なら、とどめのために、コース全体を考え、組み立て、仕切る力も必要だろう。パティシエにとって、大した勉強になるんじゃねぇのか? おりゃあいつか、てめぇに一度コース全部を仕切らせてやりてぇと考えていた……」
「シェフ……!!」
伊太郎流のはげましに、京旗は感動で目頭を熱くしかけたが、
「って、そんなこといって、オレまで料理人の道にひきずりこもうって策略じゃないっすよね?」
「わはは。なんでわかった?」
「こっ、この人はッ!」
ディナー開始一時間前。気の早い招待客が、もうラウンジにちらほらと集まりはじめた。
裏方の厨房は、戦場になっていた。
「時間ないんすよ、あゆサン! なんでいちいち包丁研ぎながらやってんです! 道具の手入れは前日の最後にやっとくもんでしょう!」
「研ぎかたをこまめに変えながらやってんだ! 全部の食材を同じ研ぎで切ろうと無理するより、この方が全然能率いいんだよッ!」
「はっはっは、京旗の負け~」
「伊太郎は黙ってろ!」「伊太郎さんは黙ってて下さい!!」
「う……」
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