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夜の襲撃者

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 食べ終わったチップスの袋を片付けながら、愛生《あい》はさらに言う。

「あとは悪評のもとになった『誘っていた』というハーフエルフくらいか……子供たちがあっさり誘拐されたとなると、何か物でつったのか、よほど話術が上手かったのか」
「もしくはその両方か、ですね」
「……じゃ、知り合いのつてをあたって聞いてみるわ。そのハーフエルフの情報は、私も初めて聞くし」

 ソフィアが手を上げた。やはり現地民が仲間になってくれると心強いものだ。

 そこまで話したところで、虎子《とらこ》から通信が入った。

「虎子が基本的なデータを調べた限り、さらわれた五人に強固なつながりはないようです。近所に住んでいたから、親同士挨拶したりはしていたようですが……たまたま間が悪く犯人に行き合ってしまったのでしょう」

 そこまで言って、龍《りゅう》がぽつりとつぶやいた。

「学校で知り合いだったって線はあるでしょうか?」
「この時代なら日曜学校、ってことはあるか……」

 十九世紀の初めには、まともな学校はほとんどない。ただ、工場で働く少年少女に、読みや宗教解釈を教える日曜だけの学校はあった。なぜ日曜だけかというと、他の曜日は子供でも工場で働いているからだ。

「そっちの線も含めて再度調査を。また何か分かったら知らせて」

 龍が虎子に指示を出す。京《けい》は女の子の話題にしか興味がないのか、一切話しかけてこなかった。

「さて、聞き込みにでも行ってみるか」
「ただ様子を見るだけ、というわけにもいきませんしね」

 しかし愛生たちが昼に聞き回っても、犯人への怨嗟の声は聞けるが、子供たちの情報はばらばら。一人だけ街で見かけた、という者もいれば、五人がいつも一緒にいたという者もいる。子供たちが喧嘩をしていたという話を聞いたかと思えば、よく庇いあっていたという話も聞く。何が本当なのかわかりはしなかった。

 世間話のついでに聞き出せるのはこんなものかもしれなかったが、一向に先へ進まないので愛生はだんだん苛々してきた。リアル人命がかかっていなければ、任務放棄して家に帰っている。

 三時間を費やしても、得られたものは何もなかった。愛生たちは、人の来ない通りで一旦立ち止まる。

「うまくいかないわね……いっそ聞く時間を変えて試してみる? 通りがかる人も、日中とは違うかもしれないし」

 ソフィアがそう切り出した。

「そうだな。夜にでも行ってみるか?」
「じゃあ私が指揮を──」
「ソフィアはダメだ。視界が悪いから、戦闘になったら庇いきれない」

 愛生が言うと、ソフィアは河豚のように頬を膨らませた。

「道案内もなしで、どうやって西の街を歩くのよ」
「もう覚えたから大丈夫」

 本当は万全ではないが、虎子がいるから心配ないだろう。京はまあ……いてもいなくても一緒だ。手の掛かる弟が、邪魔をしないように願うばかりである。



 夜、休憩所から出発した愛生は龍と肩を並べるようにして歩く。手に持ったランタンの中で光る炎を頼りに、暗い街を歩いた。日中もそうだが、夜になると街灯も少なくていっそう寂しく感じる。

 ちらちらと横目で通りを見るが、人がいる様子はない。ただ細くなった運河だけが、わずかな音をたてながら流れていた。

「何か気になることがありますか?」

 声をひそめて龍が聞く。

「いや、どうでもいいことかもしれないが……いないな、あれが」
「え?」
「ほら、夜になると大きな街にはだいたいいる、あれだよ」

 愛生は過去の記憶をたぐりながら言葉を紡ごうとする。その時、ふと足音が聞こえてきて口をつぐんだ。人の気配がある。そしてそいつは、距離をつめてこない。ということは。

「危ない!」

 とっさに愛生は龍を抱いて地面に転がった。振り返ると、さっきまで愛生が立っていたところに矢が見える。

 よほどの威力で発射されたらしく、固い煉瓦に矢がしっかり突き刺さっている。龍に抱きつくようにして伏せていた愛生は飛び起きて、足音のする方へ走り出した。後ろから龍もついて来ている。

 足音はひとつ。潜んでいた犯人は単独だ。

 それに、不意にもうひとつの足音が混じった。争うような声が聞こえてくる。

「仲間割れ?」
「どうかな」

 愛生は低くつぶやく。眉をひそめ、目の前の暗闇を凝視した。

 人影が近付き、肉眼でも見えるようになる。まず、ぜいぜいとあえいでいる男が目に入った。そして背後に、もう一人いる。

「前の人の耳」

 龍が即座に気づく。愛生も小声で「ハーフエルフだな」とため息交じりに返した。また、ハーフエルフ関連で厄介なことが起こってしまった。

「おい、大丈夫か」

 背後の男が、愛生たちに話しかけてきた。

「まあな。矢で狙われたが、狙いが外れた」
「ひでえな。あんたらを襲って、逃げた男ってのはこいつだよ」

 男は、じたばたともがくハーフエルフの腕をつかんで前に押し出した。愛生はハーフエルフと、男の顔を交互に見た。

 ハーフエルフは痩せ型。飢えているという感じはなく、筋肉がついて引き締まっている感じだ。

 背後の男も似たような体格だが、来ているものは少し上等だ。耳も愛生たちと同じ形で、ハーフエルフではない。だがなんとなく、愛生は男に違和感をおぼえた。この男、全くの善人ではなさそうだ。

「……ああ、感謝してるよ」
「その割には嬉しくなさそうだな」
「こっちは殺されかかったんだ。用心して当然だろう」

 男は愛生たちを見返した。

「しかしあんたら、よく街を歩けるな。誘拐犯の話を聞いてないのか? 片方は女じゃないか」
「いや、知ってるよ。でも、狙われてるのは子供だけだろう? 全然年齢が違うし」

 愛生が言うと、男は信じられないと言いたげな顔をした。あえて夜の街を歩いていると知ったら、どんな顔をするだろうか。

「今度、仕事でこっちに来ることになっててな。雰囲気を見たかったんだ。妻もそうしたいって言うし」

 愛生が言い訳をすると、男は一応納得した顔をしてうなずく。

「で、その男は? 見た感じハーフエルフみたいだけど、俺たちになんの恨みがあったんだ」
「あ、あの……」

 ハーフエルフの男は、少し言いよどんだ。しかし背後の男に睨まれて、突然舌がなくなったかのように押し黙って首を振る。

「あんたら夫婦から、あわよくば金品も奪おうとしていたんだろう。あんたら、羽振りがよさそうだからな。東から来たんだろ?」

 男の問いに愛生はうなずく。

「まあ、見れば分かるよな」
「別に俺は、盗みなんて……」
「じゃあ、この美人でも狙ったのか? 卑しい奴だな」

 ハーフエルフは言い訳をしようとしたが、屈強な男ににらまれて、すくみあがってしまった。

 愛生はこのまま男にいいようにされるのは、気にくわなかった。この男は

「こいつは俺が警察に連れて行くよ」

 愛生がそう言うと、男はこちらから見ても分かるくらいの身じろぎをした。やはり、怪しい。

「もう一度言おうか。伴侶を褒めてくれたことには感謝するが──そいつはこっちで預かる」

 閑散とした通りに、愛生の声が響いた。

「何言ってるんだ、お前?」

 愛生が小馬鹿にされた雰囲気を感じ取って、龍が眦をつり上げた。

「俺は本気だ。ハーフエルフだからといって、罪を犯したものを見逃すつもりはない。警察官だからな。灸をすえなきゃ、安心できない」
「警官……?」

 男は、ハーフエルフと愛生の顔を交互に見た。その時わずかに蔑みの色が見えたが、すぐにそれは消える。男はハーフエルフの腕から手を離した。ハーフエルフは地面にくず折れ、そのまま動かなくなる。

「わかったよ。あんたは官憲の鑑だな」

 そして顔をそらし、街の奥に向かって消えていく。愛生は男がいなくなるまで、その背中をじっとにらんでいた。

「……気配が消えましたね。虎子の検知でも、周囲に人陰はないようです」

 龍にそう言われて、愛生はやっと安堵した。へたり落ちたハーフエルフの男に、声をかける。

「おい、起きろ」

 愛生が慎重に男の頬を叩いてみても、目を覚まさない。どうやら、本当に気絶してしまったようだ。

「これからどうします?」
「警察につれていくよ。虎子に、場所を調べてもらってくれ」

 愛生はハーフエルフの男を背負いながら、龍に向かって言った。



 翌日、愛生たちはパブに入った。早朝なのに、ソフィアがじっと頬杖をついて入り口をにらんでいる。昨夜の結果が気になって仕方ないのだろう。

「ちゃんと寝たか? 目、赤いぞ」
「結果を聞き逃さないためなら早起きもするわよ」

 むっつりした顔で恨みがましく言われて、愛生はため息をついた。怪我をさせないようにという配慮が、かえって裏目に出ている。

「あんたらこそ、調査を忘れて子作りしてたりしてないでしょうね」
「こづくり……」
「将来は男女三人ずつほしいと思っているが、今はないな」
「……なんの話をしてるんですか?」

 起きてきたオリバーが、呆れた様子でつぶやいた。益体もない会話をしていた愛生たちは、我に返って昨日のことを話し出す。

 聞き終わったソフィアは、苦笑しながら言った。

「で、結局その男は警察に移動したわけね」
「ああ。俺たちが見届けたからな。間違いない。今頃、警察署で拘留されてるよ」

 オリバーが、ますますしょぼくれた様子になった。自分を責めているのだろうと、容易に想像がつく。

「同胞が迷惑をかけて、申し訳ありません……ご無事で良かった」
「別にあんたが謝ることじゃない。悪いことはなにもしてないんだから」

 愛生はオリバーの横に座って、肩を叩いた。

「それにしても、どうして愛生たちを襲おうとしたのかしら。別に金品を見せびらかしたわけじゃないんでしょ?」

 湯気のたつミルクティーを持ってきたソフィアが首をかしげた。
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