上 下
65 / 101

天の火を盗んだ獣

しおりを挟む
「応接室でも期待していたのか? 居心地の良さを期待するなら、街に戻ったらどうだ」

 クララがそれを聞いて笑う。

「使用人とか、他に人はいないのですか? 世話だけでも大変でしょうに」

 龍《りゅう》が聞くと、クララは変なものを見るような目をした。

「ありえない。私は一人が好きなんだ」
「誰かに相談したいと思ったことは?」
「生まれてこの方、ないな」

 常に頭の悪い奴に逆らうように生きてきた、と言いながら、クララは先へ急いだ。

 中庭も建物の中にあって、その屋根にはコウモリのような生物が張り付いていた。彼らが動く度にざわめくような音が起こり、ただでさえ張り詰めているベルトランの顔が、変な風にねじ曲がった。

「どこまでこんな変な空間が続くんでしょう……」
「やかましいぞ、ベルトラン」
「しかし私も教えてほしいです。一体どこへ行く気ですか?」

 ベルトランは一喝したクララだったが、龍の問いには答えた。

「……里が滅びた元凶だと思っているものが、この奥にある」

 龍は息をのみ、先を急いだ。そして、屋敷の最奥にある階段を降りていく。

 屋敷はなにもかも頑丈にできているが、ここは特に厳重だった。壁は先ほどより灰色の濃い石、その奥に鋼鉄の厚い扉が二枚、そしてその向こうに小部屋があって、また二枚同じような扉が配置されている。そこを抜けるとようやく、クララが足を止めた。

「ここだ。言っておくが、危険だぞ」

 クララはそう言って笑った。

「自分の身は自分で守れる奴だと判断したから見せる。そっちの男は、部屋に入ったら壁際に下がっていろ」
「……それはご親切にどうも」

 もったいぶった様子に腹が立ったのか、ベルトランは顔をしかめた。

「あれが、元凶ですか?」

 龍が小さく聞くと、クララは無言でうなずいた。龍は粛然とした気分になって、クララに続いてそっと足を踏み入れる。

 奇妙な部屋だった。暗い照明の中、目をこらして見ると、壁には何やら古代のものらしき難しい文字が刻まれており、ひどく変色した部位があった。部屋の隅には、綺麗な水をなみなみと満たした瓶と桶が置いてある。床も水で濡れているので、掃除をした後なのだろうか。そのせいか、室内には湿気が満ちてじめじめしていた。

「ずいぶん湿っぽい……」
「沼地にいたやつを飼っているからな。気候も似せてある」

 石壁を目で辿っていくと、奥に檻があるのが見えた。檻の鉄格子の太さは尋常ではなく、人間の大人が体当たりしたって壊れないだろう。

 指示通り、壁に背中をぴったり貼り付けたベルトランが怯えた声をあげた。

「何を守ってるんですか……尋常な構えじゃないですよ」

 何かが檻の奥で、低く唸っている。龍はかがむようにしてそちらを見た。暗くて細部まではよく見えないが、中の生物はせいぜい一メートル程度の大きさだ。尾びれが帯のように細く長く、床にだらんと伸びている。

「蜥蜴《とかげ》……のようなものでしょうか」

 龍は檻の奥をのぞきこんだ。もっとよく見たい、と思ったのだが、クララの手が前を遮る。

「これ以上近付くな」
「でもあんな立派な檻があるのに……」
「いいから黙って見てろ」

 クララが少し声を大きくした途端、小ぶりな蜥蜴が咆哮をあげた。頭が持ち上がり、口が開く。牙でこちらを食いちぎろうというのか──と、龍が思った次の瞬間。蜥蜴の口から、無数の火の粉がはじけた。

 すかさず、クララが桶を手に取り、水を蜥蜴に向かって乱暴にぶちまける。火の気はこれで消えたが、部屋の空気は張り詰めたままだ。龍は思わず銃を握っていることに気づき、ベルトランはふらふら歩いたかと思えばへたりこみ、腰を抜かしている。

「これが天の火を盗んだという不遜な生き物、神の加護を拒否し世界を滅ぼそうとしたドラゴンの眷属だ」
「ドラゴン……?」

 龍は苦笑した。モンスターの最強格、物語には敵としても味方としても欠かせない存在。おとぎ話の世界の住民は、こちらの街にもいたのか。

「他の街では別の名で呼ぶのか? 火を吐く、翼持つ大蜥蜴だ」

 わかりが良くないと思われたのか、クララが言い直してくれた。龍はあわててうなずく。

「こいつはその眷属。どうやって手に入れたかは聞いてくれるなよ。危ない橋を渡ったからな」
「な、なんてものを! 今すぐ、今すぐ殺処分を!!」

 ベルトランが縋るような目でクララを見る。

「やかましいぞ、男。この程度の下等眷属なら、そう危険ではない。少し飼うのに辛抱がいるくらいだ」

 クララは冷たく吐き捨てた。

「だが、もう少し格上のものなら、只人は会った瞬間に命を落とすだろう」
「そんな危険な生き物が、この国にいる可能性があると……?」
「ああ。この先にある島で、炎のドラゴンが目覚めた」

 ドラゴンの力が強くなると、眷属は近くの土地にいずこからか湧いて出るのだと言う。それは少なくても数十体、多いときは数百体にも及ぶ。眷属だけで国が滅んだことも、珍しくないそうだ。
しおりを挟む

処理中です...