ブラック企業マナー講師、異世界追放されたら魔族に爆ウケしました

ならん

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第1章 異世界に持ち込まれたマナー警察

10. 動線と合図、当日の本番

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 来客当日の朝は、空気がやけに薄く感じた。門へ向かう回廊を足早に歩きながら、俺は手の中の小さな巻紙を握り直す。掌が汗ばむ。深呼吸。吸って、吐く。胸の奥の小さな鼓動が少しだけ整う。

 門一の前には、白い粉で引いた矢印と丸印。壁には簡単な図。「旗一=進め」「旗二=止まれ」「旗三=ゆっくり」。言葉は三文で揃えた。**『主賓→供→荷』『止まる位置は丸』『案内は手で』**。最初の五秒に置く道具はそろった。

 近衛隊長が腕を組んで立っていた。横にはリディア。後ろに近侍、書記の少女、門番の兵たち。商務の役人もなぜかいる。全員が俺を見る。喉が乾く。

「本番だ、講師」

「はい。短く共有します。
 一つ、『合図は旗で三種』。声で怒鳴らない。
 二つ、『動線は一本』。横道に誘導しない。
 三つ、『止まる位置は丸印』。誰も丸を踏み越えない」

 俺は旗を三本、胸の前で見せた。一本上げて左右にゆっくり、二本を水平で停止、三本は胸の高さで小さく揺らす。書記の少女が目を輝かせる。

「分かりやすい……」

 近衛隊長が低く頷いた。

「合図役は誰だ」

「門では俺。中庭はリディア。前室は近侍。**代表は一人ずつ**。横から手を出さない」

 商務の役人が口を尖らせる。

「いちいち旗など無くとも口で言えばよかろう」

「口は届く前に消えます。**目で分かる合図**で、誰も置いていかない」

「相変わらず言い切るな。嫌われるぞ」

「最初の五秒だけは強く言います」

「はいはい」

 軽いやり取りで、こわばりが少しほどける。俺は門扉の位置を手で確かめ、丸印の角度を少しだけ修正した。体が勝手に細かい位置を合わせる。これは、俺の仕事だ。

 角笛が一声。見張りが叫ぶ。「使者、遠見!」

 胸が跳ねる。深呼吸。旗を握り直し、俺は一歩前へ。砂埃の向こうに青い外套。二騎、馬車一台。俺は丸印の少し手前で旗を一本上げ、**ゆっくり左右**へ振った。

「進め」

 馬が速度を落とし、丸の手前で止まる。成功。胸の奥に小さな熱。だが、次の瞬間――横道から、楽士の一団がうっかり列に割り込もうとした。笛を抱えた少年が、丸印を跨ごうと足を上げる。

「それ!!マナー違反ですよ!!!」

 思わず声が出た。少年がびくりと止まる。周りの視線が俺に集まる。しまった、強すぎた。補う。

「**丸は“止まる位置”**。ここを越えると、相手が迷います。楽士は壁際の細い線の内側へ。――手で案内します」

 俺は手の平を開いて、少年の進む道を示す。少年は素直に下がり、笛を抱え直した。ほっと息が出る。リディアが横から小声で突く。

「強い。けど、今のは必要」

「ありがとう」

「礼は短く」

「ありがとう」

 使者の二騎が丸印に揃った。近侍が前へ出て、**三文**を短く置く。

「ようこそ。ここで一度お止まりください。順番は主賓、供、荷の順です」

 使者は静かに頷き、馬車が丸印二つ目で止まる。俺は旗二本を水平で掲げ、**停止**を示す。中庭からはリディアの旗三本が小さく揺れて見えた。準備完了の合図。胸の中で歯車が噛み合う音がする。

 そこで、事件。城内から商人風の男が慌てて飛び出してきて、使者へまっすぐ近づいた。両手に包み。横から入り込む形だ。

「それ!!マナー違反ですよ!!!」

 俺は前に出て、男の進路に手の平を掲げて**遮る**。男が眉をしかめた。

「急ぎの伝言だ。今渡さねば――」

「**代表以外は入らない**。合図の後に。今は目線で『後ほど』を」

「後ほど、だと?」

「はい。三文で要件を用紙に。**手は下から渡す**。今は退いてください」

 男は舌打ちしたが、近衛隊長の視線を受けて渋々下がった。周りの兵が小さく頷く。胸の冷たさが少し抜ける。

「講師、前室へ回せ」

 近衛隊長の一声。俺は旗一本を高く掲げて、使者に**進行**を示す。ゆっくりと門をくぐり、中庭へ。リディアが受け取り、旗二本で停止。**丸印の前**で馬を降りる動きまで、揃っている。

 前室の前では、近侍が待っていた。扉の横には、昨日決めた三つの言葉が小さく書かれている。**『三回ノック』『半身で開ける』『代表が先』**。近侍が使者へ短く告げ、三回のノック。返事。扉が半身で開く。俺は一歩下がって、呼吸を整えた。

 白髭の重臣が中で待っている。机の位置は扉から見て右奥が上座。椅子の角度は、あらかじめ\*\*「どうぞ」の角度**に。俺は指で小さく示し、使者を**上座\*\*へ誘導する。商務の役人がまたしても王の右隣に腰を下ろしかけ、俺は即座に言った。

「それ!!マナー違反ですよ!!!」

 視線が刺さる。役人が固まる。重臣の目が細い。引くか、押すか。押す。

「そこは主賓の席です。**城側は扉側**へお願いします」

 役人は咳払いして席を移った。重臣がうなずき、王の代理として短く三文を置く。

「ようこそ。今日の要件は二つ。まず道の整備、次いで交易税」

 俺は壁際で旗を下げ、空気の流れを見る。椅子が軋む音が少ない。視線が交差せず、丸印の上で足が止まる。――うまく回っている。

 だが、油断は禁物。窓の外、後続の荷車が**丸印を跨いで**止まった。中庭の端で怒号。リディアの旗が二本、水平。止まれの合図が届いていないのか。

 俺は前室を近侍に任せ、走りそうになる足を**速歩**に切り替え、中庭へ戻った。荷車の御者が焦っている。周りに野次馬。通路が塞がる。胸がざわつく。吸って、吐く。

「御者さん。丸は“止まる位置”です。**跨がない**」

「す、すまねえ! 見えなかった!」

「大丈夫。**旗は目線の高さ**で振ります。次は見えます」

 俺はリディアに合図し、旗を高めに上げてもらう。御者がこくこく頷き、荷車が少し後退した。通路が開く。野次馬が散る。胸の奥の冷えが引いていく。

「講師」

 リディアが小声で笑う。

「顔、今は優しい」

「意図的に優しくしています」

「器用だな」

「不器用です」

「どっちだよ」

 二言三言の応酬で、体の強張りが抜ける。俺は再び前室へ戻った。室内では、最初の議題が終わったところだ。重臣が立ち上がり、**贈り物**の交換へ移る。

「代表は近侍。向きは相手側。開ける合図は相手から」

 俺が短く置くと、近侍がこくりとうなずいて箱を差し出す。使者は「後ほど拝見します」と言い、近侍が「かしこまりました」で下がる。音が少ない。動きが短い。心が落ち着く。

 会談は続いた。俺は旗を壁に立てかけ、代わりに**手の合図**で小さな修正を繰り返す。書記の少女の筆が止まらない。商務の役人は、さっきの失敗が効いたのか、静かだ。

 やがて、重臣が締めの三文を置く。

「本日の要点は二つ。道の補修は明日開始。交易税は次回の会議で再確認」

 使者が立ち上がり、短く頭を下げる。俺は旗一本を軽く上げ、**退室の合図**。扉の前で三回ノック。返事。半身。外へ。動線は一本。誰も丸を踏まない。

 扉が静かに閉まった瞬間、室内に大きな息が落ちた。近侍が肩で笑い、書記の少女が「手が痛い」と指を振る。商務の役人は気まずそうに咳払い。

「……押しつけでは、なかったな」

「ありがとうございます」

「礼は短く」

「ありがとう」

 リディアが俺の肘をつつく。

「強気は三回。数えた」

「好きだな、数えるの」

「嫌いじゃない」

 笑いが広がる。けれど、胸の奥に小さな棘が残った。門で楽士に強く言いすぎた。顔は優しくしたが、言葉は刃だったかもしれない。**嫌われる**のは、怖い。

 それでも――最初の五秒で転ばなかった。丸印は踏まれず、合図は通じ、前室は静かだった。給仕の少女が片付けに入ってきて、小声で言う。

「今日、楽でした。道が一本だから」

 喉の奥が熱くなる。俺は深くうなずいた。

「次は、客が二組同時に来た時の練習です。**旗の色を変える**。赤は止まれ、白は進め」

「また増やすのか」

「増やすけど、**最初の五秒**は変えない。『丸で止まり、旗を見る』。それだけ」

 近衛隊長が短く笑い、重臣が椅子を押して立ち上がる。

「短いのに、整う。続けよ。ただし、顔は柔らかくな」

「努力します」

 俺は旗を束ね、丸印の粉を手でなぞった。指先に白がつく。深呼吸。吸って、吐く。胸の中の小さな火は、確かに明るい。

 短く、分かりやすく。目で分かる合図。動線は一本。命と安全は強く言う。

 その四つをもう一度胸に刻み、俺は次の準備へ歩き出した。
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