ブラック企業マナー講師、異世界追放されたら魔族に爆ウケしました

ならん

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第2章 押し付けマナーの果てに ~正しさと孤独の分岐点~

第16話 戦場にマナー講師、爆誕!?

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 土埃が低く流れ、草の先が剣先みたいに震えていた。遠くで金属がぶつかる耳障りな音。俺は喉を鳴らして唾を飲み込む。甲冑の留め具を指でなぞり、肩のベルトを一つ締め直した。深呼吸一回、背筋を伸ばす。緊張はある。だけど、整った所作は心を整える。研修で何百回も言ってきた台詞が自然と胸から湧く。

「前線、間合いに入るぞ!」
 勇者カインの声が響いた。リディアは剣を抜き、ガレスは斧を肩で受け、ミラは詠唱のための呼吸を整える。俺は——俺の役割を探す。ここだ、というタイミングで一歩前に出た。

「皆、落ち着いて。まずは敬礼からだ」

「は?」と三人同時に振り向く。その顔に流れる「嫌な予感」の影。

「戦いの前に姿勢を正し、挨拶を——」

「今!?」リディアが素で叫ぶ。「正樹、今は切り結ぶ前!こっち来る!来るって!」

 確かに、敵の槍兵が地を蹴って近づいてくる。けれど、だからこそだ。開戦前の所作は心の乱れを鎮め——

「敬礼!」俺は右手を耳の横にきびすっと上げた。肘は水平、指は揃えて。角度はおよそ四十五度。

「お前がするな!」ガレスが吠える。「こっちは殴る準備で手が塞がっとるわ!」

「殴る前に整える!所作は強さの根だ!」俺も負けじと言い返す。胸の中は妙な昂揚で熱い。やれる、俺はみんなをより強くできる。

 リディアは舌打ちして、一歩踏み込みながら振り返る。「三、二、——」

「一!」俺が号令を被せる。「『気をつけ』、から——」

「違う!『突撃』だ!」

 カインの声が空気を割った瞬間、皆が地面を蹴った。俺は反射的に「待っ……姿勢!」と言いながら、右足を半歩引いてしまう。目の前の槍の穂先がきらりと光り、心臓が縮む。

「屈め!」リディアの肩が俺の胸を押し下げた。風を裂く音。槍が頭上を掠め、髪が一筋切れた気がした。

「死ぬわ!」リディアの怒鳴り声。「今度こそ本当に死ぬからやめろ!」

「し、失礼……」膝が笑うのを感じながら、俺は地面すれすれで体勢を立て直す。怖い。正直怖い。けど、呼吸を整えろ。肩の力を抜け。姿勢——姿勢だ、正樹。

 前に出たガレスの斧が大気を裂く。「うおおおおっ!」

「掛け声、もっと短く!『えいっ』くらいが——」

「黙っとれ!」

 ミラの詠唱が重なる。「風よ、我が刃に……」

「ミラ、語尾は落ち着いて。早口は印象が悪——」

「誰の印象よ!? 敵! 敵に良く思われたいの!?」

 返す言葉に詰まる。いや、良く思われたいのは敵ではない。味方の士気のため——そう言いかけた時、左から別の槍兵が滑り込んできた。視界の端が白く跳ねる。

「危ない!」
 リディアが俺の腕を引き、体が回る。俺は思わずリディアの腰に手を回してしまい、彼女の頬が赤くなる。

「こ、こういう時は『失礼します』って言え!」

「失礼します!」

「言うな!今は言うな!」

 言葉と息が空回りする。心臓はドラム。足はわずかに震え続ける。でも、脳のどこかは冷静だ。崩れている。動き出しが合っていない。全体の呼吸がばらばら——。

「全員、呼吸合わせ!吸って、二拍、吐いて——」

「正樹!」カインの声が鋭い。「指示は俺が出す!」

「は、はい!ではカイン様、まず敬礼の——」

 言い終わる前に、ガレスの巨体が俺の前を横切り、土煙が顔にかかった。「ぺっ」と吐き出しながら、俺は反射的にハンカチを取り出し、口元を拭く。拭き方はやさしく、端を内側に折って手を汚さない——

「余裕あんのかお前は!」リディアの切っ先が敵の槍を弾き、火花が飛ぶ。

 敵隊列の後列から笛の音。槍兵が整然と一歩下がり、盾を組む。綺麗だ。思わず唸る。あれは見習うべき——。

「いい隊形!」俺は思わず叫ぶ。「統率の取れた後退、見事です!そちらの隊長、指の揃いも——」

「褒めるな!」ミラが半泣きで怒鳴る。「敵だから!」

 焦げた匂い。ミラの風刃が盾に弾かれ、刃の切れ端が草を刈る。ガレスは斧を振り切り、一歩遅れて体勢が崩れた敵を押し返す。カインが間合いを詰め、剣の腹で槍の柄を叩き落とす。一瞬、押せる。

「今!」とリディア。

「なら、合図を整えよう!」俺は両手を上げて振る。「この『一拍置いてから』——」

 その一拍で、敵の増援が側面から雪崩れ込んだ。ぎち、と背中に冷たい汗。

「だから今じゃないって言ってんだろ!」

 リディアの怒号。彼女は俺の前に立ち、盾のない腕で槍を受け流し、踵で地面を蹴って相手の間合いに入り込む。動きは滑らかで、怖いくらいに美しい。——そうだ、その美しさに名前をつけてやりたい。型にすれば再現できる。皆が同じ角度で、同じリズムで——

「正樹!」リディアの声が引き戻す。「見てるだけなら下がってて!」

「いや、俺にもできることが——」

 言い切る前に、槍の穂先が胸に向かって一直線。世界が細くなる。足がすくむ。避けなきゃ、でも、体が——。

 次の瞬間、ガレスの腕が俺の首根っこを引っ掴んだ。「どけぇっ!」
 体が宙に浮き、俺は尻餅をついた。尾てい骨に衝撃。「いだっ……」目に涙が滲む。

「お前、いいか」ガレスが睨み下ろす。「礼ってのは生きてからやるもんだ!」

 胸の奥がちくりと痛む。そう、分かってる。分かってるつもりだった。けど、俺には俺の正しさがあって、それを捨てたら俺は何者でもなくなる。喉の奥で言葉が渋滞する。

「……でも、所作を整えると、皆の心が揃って——」

「心より先に足を動かせ!」リディアが振り返りざまに怒鳴る。「私らの命、今まさに落ちるんだよ!」

 その声に心臓が掴まれる。息が苦しい。俺は拳を握り、指の関節が白くなるまで力を込めた。怖い、でも逃げたくない。俺だって役に立ちたい。立てるはずだ。

「……わかった。号令は出さない。けど、一つだけ」

 俺は立ち上がり、土を払って背筋を伸ばした。目の前で敵の隊列が再び押し寄せる。カインが剣を構え直し、短く「来る」と告げる。ミラが息を吸い、リディアが足を半歩引く。

「合図、これだけ合わせよう。——『いまだ』の一声で、全員、踏み込む」

 カインが一瞬だけ俺を見た。視線は冷静だが、拒絶ではない。「わかった。俺の『いまだ』だ」

 胸に小さな灯がともる。俺は顎を引き、余計な言葉を飲み込む。

 敵が距離を詰める。硬い靴音が土に刻まれる。呼吸が重なる。俺は口を閉じたまま、心の中で数える。——一、二。

「いまだ!」

 四人が同時に地を蹴った。ガレスの斧が盾を跳ね上げ、リディアの剣が露出した喉元へ滑り込み、カインの一撃が槍の間を割った。ミラの風刃が隙間を縫い、敵の足をすくう。さっきまでのちぐはぐが嘘みたいに、動きが線で繋がった。

 胸の奥が熱くなる。これだ。これを、もっと——。

「……整った動き、素晴らしい」思わず呟く俺に、リディアが横目で睨む。

「調子に乗るな。終わってから言え」

「はい」

 戦いは長引かなかった。敵は統率を乱し、じりじりと退いた。最後尾の兵が笛を鳴らすと、全員が同じ角度で振り返り、整然と撤退を始めた。その揃い方がまた綺麗で、俺は胸の中で拍手を送った。

「勝った、のか?」ガレスが肩で息をしながら斧を地面に突き立てる。

「一応な」リディアは汗を拭い、俺を厳しい目で見る。「……正樹」

「はい」

「さっきの『敬礼してから攻撃』は、二度とやるな」

 心臓が痛いほど跳ねた。俺は反射的に背筋を伸ばす。「……申し訳ありません。皆の安全のためだと、思って……」

 言葉が萎む。リディアの目には怒りだけじゃなく、恐怖があった。俺のせいで誰かが倒れる未来を、本気で怖がっている目。

「死ぬわ、マジで」リディアは小さく吐き、刃を鞘に収める。その動作は乱れがなく、いつもより慎重だ。

 ミラが肩で息をしながら、俺に指を突きつけた。「次、詠唱に割り込んだら爆発させるから」

「それは困る」

「ほんと困るのはこっち」

 ガレスはふんと鼻を鳴らし、俺の頭を軽く小突いた。「生きてりゃ説教いくらでも聞いてやる。先に生きろ」

 カインは短く頷いただけだったが、その目はいつもより長く俺を見た。「……次は、俺の『いまだ』だけだ」

「了解しました」

 言い切って、胸に残る納得のいかなさを飲み込む。俺の正しさは、皆の命より先に出るものじゃない。頭では分かった。けれど、心はまだ騒いでいる。整えたい。角度を、足並みを、言葉を。そうすれば皆はもっと強くなる——その確信が、まだ俺の中で燻っていた。

 土埃の向こうで、風が草を撫でた。俺は甲冑の胸に手を当て、小さく一礼する。誰にも見えない角度で。心を落ち着けるための、俺のささやかな儀式だ。

「行くぞ」カインの声。

「うん」リディアが短く返事をして歩き出す。俺は彼女の半歩後ろに付き、足を合わせる。右、左、右——。

「合わせなくていい」

「はい」

 つい揃えてしまう癖を、ぎこちなく崩す。その不自然さに、自分でも苦笑いが漏れた。笑っていられるうちは、大丈夫だ。次は——次こそ、空気を読む。……いや、読む努力をする。まずはそこからだ。

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