ブラック企業マナー講師、異世界追放されたら魔族に爆ウケしました

ならん

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第2章 押し付けマナーの果てに ~正しさと孤独の分岐点~

30. 追放前夜、沈黙の焚き火

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 夜は深く、風は冷たかった。焚き火は小さく、薪を足しても火勢は上がらない。ぱち、と火の粉が跳ねる音だけが、沈黙の底をゆっくり沈んでいく。

 俺は火の前に膝を抱えた。指を組みかけて、やめる。胸の中で言葉が暴れて、喉元まで上がってくるのに、外には出さない。出せば、また全部、壊れる。

 足音。カインが、暗がりから現れた。リディア、ミラ、ガレスも続く。四人とも、顔に影を抱いていた。

「——集まってくれて、すまない」カインの声は低く、疲れていた。「今夜で、決める」

 胸が凍る。焚き火の赤が、身体の芯まで届かない。

 カインは火の向こうに立ち、俺をまっすぐ見た。「結論から言う。正樹——これ以上は、共に行けない」

 言葉が、刃になって胸に刺さる。息が止まる。視界の端で火が揺れ、世界がゆっくり遠ざかる。

「……俺は、正しいことをしたかっただけだ」自分でも驚くほど小さな声が出た。「皆が生き延びるために、揃えて、整えて……」

「それが、俺たちを止めた」ミラが重ねる。目は赤く、涙ではなく怒りで濡れていた。「何度言えば分かるの。あんたの正しさは、今の私たちを守らない」

「言葉を減らせ」ガレスは短く、低く言う。「肩を貸せ。道を空けろ。角度じゃなく手だ」

 リディアは黙っていた。唇を噛み、焚き火を見つめ、何度も言葉を飲み込んでいる。俺は彼女の横顔を見ることができない。見たら、崩れる気がした。

「正樹」カインが一歩だけ近づく。「お前は間違ってない。だが、今の俺たちには合わない。戦は続く。判断は重い。だから——去ってくれ」

 去ってくれ。丁寧な言葉ほど、遠い。俺は膝に置いた手を握り、こわばった指を一本ずつ開く。冷たい空気が皮膚に触れ、掌が震える。

「……俺は、どこへ行けばいい」

「どこでも、正樹の『正しさ』が通用する場所へ」ミラの皮肉は薄かった。疲れていたのだろう。彼女らしくない、柔い言い方だった。

 ガレスが立ち上がり、背中を向ける。「朝が来たら、ここを出ろ。荷は……必要なものだけ持て」

「……ああ」声が砂みたいに崩れた。

 沈黙が落ちる。焚き火の音がやけに大きい。リディアが、やっと口を開いた。

「正樹」

「……」

「ごめん」

 その一言が、一番痛かった。謝られる筋合いじゃない。謝らせたくなかった。俺は首を横に振った。「謝るのは、俺だ」

「違う。私が……ずっと、お前を守る振りをして、何も変えられなかった」

 顔を上げられない。「お前がいなきゃ、俺はとっくに折れてた」

「折れなかったから、ここまで来た」リディアはふっと笑って、すぐに消す。「折れないのが良いことばかりじゃないって、今日わかった」

 火がぱちんと鳴った。遠くで狼の遠吠え。夜は深くなるばかりだ。

「最後に、頼みがある」俺は立ち上がり、三人と、そしてカインに向き直る。背筋を伸ばすのを、意識で止める。「……リディアを、頼む」

 ガレスが「言われなくても」と鼻を鳴らし、ミラは小さく頷いた。カインは目を細める。「彼女は、彼女自身で立つ。だが、預かろう」

「ありがとう」

 言葉がもう出ない。胸の中で、昨日まで使い込んでいた辞書がばらばらに páginas を落とす。——角度、列、声の出し方、報告の順序。整っていた頁は風に飛び、闇の中へ消えた。

 夜が明ける前に、俺は荷物をまとめた。水袋、簡易の鍋、布、携行用のナイフとフォークのセット。最後に、そのフォークを手に取って、しばらく眺める。馬鹿みたいだ。けれど、これが俺の武器だった。俺の盾でもあった。

 焚き火はすでに灰になっていて、まだ温かい。俺はその温もりに片手をかざし、誰にも見えない角度で、小さく頭を下げた。——さようなら。ありがとう。

 歩き出す。背中に寝息。たまに薪が崩れる微かな音。リディアの気配だけが、遠くで揺れている気がした。振り返らない。振り返ったら、戻ってしまう。

 森の縁で、夜がほどけ始める。東の空が薄く青い。鳥の声が一つ、二つ。足元の土が柔らかく、冷たい。

 俺は深く息を吸い、吐いた。言葉じゃなく、呼吸で整える。誰のためでもない、ただ歩くための整え方だ。

 最後に一度だけ、胸の内で呟く。「——俺は、正しいことをしたかった」

 涙が、やっと出た。頬を伝う温度で、まだ生きていると分かった。俺は袖で拭わず、ただ前を見た。足を前へ。ひとりの音だけが、森の奥へ吸い込まれていった。
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