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第3章 追放と孤立
34. 小さな声が胸に残る
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農村を離れてから、しばらくの間、俺は無言で歩き続けていた。
老人の言葉が、頭の奥で何度も反響している。
――形だけの正しさは、人を遠ざける。
分かっている。頭では、理解できているつもりだった。けれど、理解したからといって、すぐに変われるほど俺は器用じゃない。長年染みついた癖は、思考よりも先に体を動かしてしまう。
それが、俺だ。
「……くそ」
吐き捨てるように呟いて、歩く速度を少しだけ上げた。何かを振り払うみたいに。
道はやがて、村と村を結ぶ細い街道へと変わった。両脇には低い草原が広がり、ところどころに小さな石が転がっている。遠くで鳥が鳴き、空は穏やかな青色をしていた。
平和な景色だ。勇者一行と旅をしていた頃なら、「戦場との落差がすごいな」なんて軽口の一つも叩いていただろう。
今は、そんな余裕もない。
ぼんやりと前を見ながら歩いていると、不意に視界の端で何かが動いた。
「……ん?」
足を止めて、そちらを見る。
街道の脇、少し低くなった場所で、小さな人影がよろめいていた。次の瞬間、つまずいた拍子に前のめりになり、派手に転ぶ。
「うわっ!」
反射的に、体が動いていた。
考えるより先に駆け寄り、倒れた小さな体を抱き起こす。
「大丈夫か!?」
抱えた相手は、まだ幼い子供だった。年は六つか七つくらいだろうか。膝を擦りむいたのか、涙を溜めた目で俺を見上げている。
「……いたい……」
小さな声が、胸に直接響いた。
俺は慌てて膝を確認し、持っていた布でそっと拭う。血は出ていないが、赤く腫れている。
「よし、大丈夫だ。骨も折れてない」
自分でも驚くほど、声が柔らかかった。
「歩けるか?」
子供はこくりと頷く。
俺はゆっくりと手を差し出した。子供は一瞬だけ迷ってから、その手を握ってくる。小さくて、温かい。
その感触に、胸の奥がじんわりと熱くなった。
立ち上がった子供は、しばらく俺を見つめてから、遠慮がちに口を開いた。
「……ありがとう」
たったそれだけの言葉だった。
けれど、不思議なほど、胸に深く残った。
「……え?」
思わず聞き返してしまう。
「助けてくれて……ありがとう」
今度は、少しだけはっきりした声だった。目を伏せながら、ぎこちなく頭を下げる。
その瞬間、胸の奥で何かが音を立てて崩れた。
(……言われた)
教えたわけでもない。角度を指定したわけでもない。声量も、姿勢も、何一つ指摘していない。
それなのに、この子は自然に礼を言った。
俺は、しばらく言葉を失っていた。返事をしなきゃいけないのに、何も出てこない。
「……どういたしまして」
ようやくそれだけ言うと、子供はほっとしたように笑った。
「お兄ちゃん、旅の人?」
「ああ、まあ……そんなところだ」
「へぇ……」
興味津々といった様子で俺を見上げる。
「どこまで行くの?」
その問いに、俺は一瞬だけ言葉に詰まった。
「……まだ、決めてない」
正直な答えだった。
子供は「ふーん」と頷き、それ以上深くは聞いてこなかった。その距離感が、妙に心地いい。
「気をつけてね! この道、石ころ多いから!」
そう言って、子供は手を振りながら駆けていく。
「……ああ」
俺も、自然と手を振り返していた。
子供の背中が見えなくなってから、俺はしばらくその場に立ち尽くしていた。
胸の奥が、じんわりと温かい。
「……ありがとう、か」
呟いてみる。
今まで、何度も「ありがとう」を言われてきたはずだ。王宮でも、騎士団でも、宴会の席でも。けれど、それらはいつも、俺が“教えた結果”だった。
正しい作法を示したから。恥をかかせなかったから。評価されたから。
だから、どこか形式的で、当たり前のものとして受け取っていた。
でも、さっきの「ありがとう」は違った。
ただ、転んだ子供を助けただけ。
それだけなのに、胸がこんなにも揺れる。
(……これが、心からの感謝、か)
老人の言葉が、再び頭をよぎる。
――礼儀より、心を示せ。
俺は、ようやくその意味を、少しだけ理解した気がした。
足元の石を避けながら、再び歩き出す。
さっきよりも、空が明るく見えた。
孤独は消えない。それでも、ほんの少しだけ、胸の中に温もりが残っている。
それが、今の俺にとっては、何よりも大きな一歩だった。
老人の言葉が、頭の奥で何度も反響している。
――形だけの正しさは、人を遠ざける。
分かっている。頭では、理解できているつもりだった。けれど、理解したからといって、すぐに変われるほど俺は器用じゃない。長年染みついた癖は、思考よりも先に体を動かしてしまう。
それが、俺だ。
「……くそ」
吐き捨てるように呟いて、歩く速度を少しだけ上げた。何かを振り払うみたいに。
道はやがて、村と村を結ぶ細い街道へと変わった。両脇には低い草原が広がり、ところどころに小さな石が転がっている。遠くで鳥が鳴き、空は穏やかな青色をしていた。
平和な景色だ。勇者一行と旅をしていた頃なら、「戦場との落差がすごいな」なんて軽口の一つも叩いていただろう。
今は、そんな余裕もない。
ぼんやりと前を見ながら歩いていると、不意に視界の端で何かが動いた。
「……ん?」
足を止めて、そちらを見る。
街道の脇、少し低くなった場所で、小さな人影がよろめいていた。次の瞬間、つまずいた拍子に前のめりになり、派手に転ぶ。
「うわっ!」
反射的に、体が動いていた。
考えるより先に駆け寄り、倒れた小さな体を抱き起こす。
「大丈夫か!?」
抱えた相手は、まだ幼い子供だった。年は六つか七つくらいだろうか。膝を擦りむいたのか、涙を溜めた目で俺を見上げている。
「……いたい……」
小さな声が、胸に直接響いた。
俺は慌てて膝を確認し、持っていた布でそっと拭う。血は出ていないが、赤く腫れている。
「よし、大丈夫だ。骨も折れてない」
自分でも驚くほど、声が柔らかかった。
「歩けるか?」
子供はこくりと頷く。
俺はゆっくりと手を差し出した。子供は一瞬だけ迷ってから、その手を握ってくる。小さくて、温かい。
その感触に、胸の奥がじんわりと熱くなった。
立ち上がった子供は、しばらく俺を見つめてから、遠慮がちに口を開いた。
「……ありがとう」
たったそれだけの言葉だった。
けれど、不思議なほど、胸に深く残った。
「……え?」
思わず聞き返してしまう。
「助けてくれて……ありがとう」
今度は、少しだけはっきりした声だった。目を伏せながら、ぎこちなく頭を下げる。
その瞬間、胸の奥で何かが音を立てて崩れた。
(……言われた)
教えたわけでもない。角度を指定したわけでもない。声量も、姿勢も、何一つ指摘していない。
それなのに、この子は自然に礼を言った。
俺は、しばらく言葉を失っていた。返事をしなきゃいけないのに、何も出てこない。
「……どういたしまして」
ようやくそれだけ言うと、子供はほっとしたように笑った。
「お兄ちゃん、旅の人?」
「ああ、まあ……そんなところだ」
「へぇ……」
興味津々といった様子で俺を見上げる。
「どこまで行くの?」
その問いに、俺は一瞬だけ言葉に詰まった。
「……まだ、決めてない」
正直な答えだった。
子供は「ふーん」と頷き、それ以上深くは聞いてこなかった。その距離感が、妙に心地いい。
「気をつけてね! この道、石ころ多いから!」
そう言って、子供は手を振りながら駆けていく。
「……ああ」
俺も、自然と手を振り返していた。
子供の背中が見えなくなってから、俺はしばらくその場に立ち尽くしていた。
胸の奥が、じんわりと温かい。
「……ありがとう、か」
呟いてみる。
今まで、何度も「ありがとう」を言われてきたはずだ。王宮でも、騎士団でも、宴会の席でも。けれど、それらはいつも、俺が“教えた結果”だった。
正しい作法を示したから。恥をかかせなかったから。評価されたから。
だから、どこか形式的で、当たり前のものとして受け取っていた。
でも、さっきの「ありがとう」は違った。
ただ、転んだ子供を助けただけ。
それだけなのに、胸がこんなにも揺れる。
(……これが、心からの感謝、か)
老人の言葉が、再び頭をよぎる。
――礼儀より、心を示せ。
俺は、ようやくその意味を、少しだけ理解した気がした。
足元の石を避けながら、再び歩き出す。
さっきよりも、空が明るく見えた。
孤独は消えない。それでも、ほんの少しだけ、胸の中に温もりが残っている。
それが、今の俺にとっては、何よりも大きな一歩だった。
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