ブラック企業マナー講師、異世界追放されたら魔族に爆ウケしました

ならん

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第4章 成長と魔族との出会い

41. 刃の前で、言葉を選んだ

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 森の中は、異様なほど静かだった。

 風が枝を揺らす音も、小鳥の鳴き声もない。ただ、湿った土と苔の匂いが鼻の奥に張りつき、重たい空気が肺に溜まっていく。歩くたび、靴底の下で枯れ葉がかすかに鳴り、その音がやけに大きく響いた。

(……嫌な静けさだ)

 無意識に歩幅を狭め、周囲に視線を巡らせる。木々の影が不規則に揺れ、何かが潜んでいるように見えて仕方がない。喉が渇き、唾を飲み込むたびに、かすれた音が自分の耳に返ってきた。

 次の一歩を踏み出した、その瞬間だった。

「――止まれ」

 低く、腹の底に響くような声。

 条件反射で足が止まり、背筋を冷たいものが走った。心臓が跳ね上がり、どくどくと脈打つ音がやけに大きい。ゆっくりと顔を上げると、木々の間から姿を現したのは、角と鋭い牙を持つ存在だった。

 魔族。

 一人ではない。左右、背後、視界の端で複数の気配が動く。完全に囲まれている。

(終わった……)

 剣もない。魔法も使えない。逃げ場もない。生存確率を冷静に計算する余裕すらなく、ただ本能的な恐怖だけが全身を支配していた。

 最前に立つ魔族が、一歩前に出る。筋肉質な体躯、鋭い眼光。手にした武器が、わずかにきらりと光った。

「人間か」

「……は、はい」

 声が裏返りそうになるのを、必死で抑えた。舌がうまく回らず、口の中が乾く。

 その瞬間、頭の奥で、嫌というほど慣れ親しんだ感覚が疼いた。

(以前の俺なら……)

 以前の俺なら、きっとこう言っていた。

『その武器の構えは威圧的すぎます』
『まず挨拶が先ではありませんか』

 ぞっとした。

 そんな言葉を口にした瞬間、この場で首を刎ねられて終わりだ。背中に冷や汗が伝い、指先が小刻みに震え始める。

(違う……今は、違う)

 第3章の放浪の中で、痛いほど思い知らされたことがある。

 正しさを押し付けることが、どれほど人を遠ざけるか。
 自分が「正しい」と信じていた言葉が、どれほど人を傷つけてきたか。

 胸の奥が、ぎゅっと締めつけられる。

(ここで、昔の自分に戻るわけにはいかない)

 逃げられないなら、選ぶしかない。俺はゆっくりと息を吸い込み、肺に溜まった重たい空気を吐き出した。

「……堂々とした立ち姿ですね」

 自分の声が、意外なほど落ち着いて聞こえた。

「警戒を怠らず、それでいて隙がない。戦う覚悟がある人の構えだと思います」

 一瞬、時間が止まったように感じた。

 魔族たちの視線が、一斉に俺に集まる。殺気が強まるのか、それとも――。

(や、やばい……)

 頭の中で警鐘が鳴り響く。今さら取り消すこともできない。喉の奥がひくりと鳴り、心臓がさらに早鐘を打つ。

 だが、次の瞬間。

「……ほう」

 最前列の魔族が、ゆっくりと武器を下ろした。

「人間に、我らの構えを褒められる日が来るとはな」

 ざわり、と空気が揺れる。肌に刺さっていた殺気が、ほんのわずかだが和らいだのが分かった。

「名を名乗れ」

「佐藤……正樹です」

「マサキ、か」

 魔族は顎に手を当て、俺をじっと見つめる。

「逃げもせず、虚勢も張らず……奇妙な人間だな」

(生きてる……)

 信じられない思いで、胸の奥がじんわりと熱くなる。ほんの数秒前まで、確実に死を覚悟していたというのに。

 背後の魔族が、低い声で言った。

「なぜ斬らぬ」

「待て」

 最前の魔族が手を上げる。

「こいつは、我らを『見て』いる」

 その言葉に、胸が強く締めつけられた。

 見ている。
 評価している。
 否定していない。

 それだけの行為が、こんなにも重い意味を持つなんて。かつての俺は、きっと理解できなかっただろう。

「人間、なぜ我らを褒めた?」

 問いかけに、俺は一瞬言葉に詰まった。

 理由を飾ろうとすれば、いくらでも飾れる。でも、そんな余裕はなかった。

「……怖かったからです」

 正直に、そう答えた。

「殺されると思いました。でも……怖いからこそ、ちゃんと見なきゃいけない気がしたんです」

 魔族たちは顔を見合わせ、低く喉を鳴らして笑った。

「正直なやつだ」

「嫌いではない」

 張りつめていた肩の力が、少しだけ抜ける。足の震えはまだ止まらないが、呼吸はわずかに楽になっていた。

 最前列の魔族が、俺に背を向ける。

「来い」

「……え?」

「すぐ殺すつもりなら、もう終わっている」

 振り返りもせず、淡々と言う。

「集落へ案内する」

 足が、言うことを聞かなかった。それでも、ここで拒否する選択肢はない。俺は震える足に力を込め、一歩、また一歩と前に進んだ。

(……今の選択は、正しかったのか?)

 歩きながら、何度も自分に問いかける。

 注意しなかった。
 教えなかった。
 ただ、相手を見て、感じたことを伝えただけだ。

 それだけで、俺は今もこうして息をしている。

 森の奥へと進む魔族たちの背中を見つめながら、胸の奥で、何かが静かに、しかし確かに動き出すのを感じていた。

(……もしかして)

 ここなら。

 ここなら、俺は――

 誰かを傷つけずに、生きていけるのかもしれない。
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