60 / 63
60. 証言の連鎖
しおりを挟む
曇天の朝、菜々美のカフェにかすかな緊張が走っていた。
営業停止中の静かな空間に、椅子の軋む音と紙の擦れる音だけが響いている。
テーブルの上には、前日ヴァレリーに提出した巻物と書類の写しが重ねて置かれていた。
「……これが、本当に裁判で通用すればいいんだけど」
アリスの小さな声が、静寂を切り裂くように響く。
彼女の視線は、未だ心を決めかねている証言者の名が記されたリストに向いていた。
「まだ足りないのよ。これじゃ『巻物は見つかったが、関係が不明』って扱われかねない」
ガイデンが筆を止め、手帳を閉じながら言った。
彼女の顔には焦りよりも、冷静な計算が浮かんでいた。
「つまり……証人を増やすってこと?」
マークが問いかけると、ガイデンは頷いた。
「ええ。実際に『ミリアム』や『アーウィン』の行動を見た、もしくは被害を受けたと明言できる者の証言が必要。町の中で噂されていた“脅し”や“失踪”、それが事実だったと、誰かが声を上げれば――」
「……きっと、誰かは話してくれる」
菜々美が静かに口を開いた。
彼女の目は疲れを湛えながらも、確かな光を宿していた。
「私たちのカフェを愛してくれた人たちが、こんな仕打ちを望んでるとは思えないわ。だから、諦めない」
その言葉を聞いたアリスは、小さく頷き、リストを手に取った。
「わたし、回ってくる。話してくれる人がいるかもしれない」
「俺も行く」
マークが立ち上がった。
彼の目は決意に燃えていた。
その日、町には小さな変化が訪れた。
アリスとマークはかつての常連客や、ミリアムのカフェで働いていた元従業員の家を一軒一軒訪ね歩いた。
はじめは皆、戸惑いと不安を隠そうとしたが、アリスの率直な言葉と、マークの誠実な眼差しが、少しずつ彼らの心を揺さぶった。
「ほんとうに……信じていいの?」
ある年配の女性が、涙をこらえながらそう言った。
「もちろんです。私たちは、ただ事実を知りたいだけなんです」
アリスの言葉に、女性は震える手で差し出された紙を握った。
午後には数人の証人候補が菜々美のカフェにやって来た。
ヴァレリーが用意した証言記録のための帳簿が開かれ、一人ひとりが自分の経験を語り始めた。
「……あれは数週間前のことでした。私、ミリアムのカフェで“お客様専用の部屋”に呼ばれて。そこでアーウィンに言われたんです。“余計なことは言うな。言えば家族が困ることになる”って」
「最初は冗談かと思ったけど、笑えませんでした……あの人、本当に、目が……冷たくて」
別の若者がそう口にした時、菜々美の手が無意識に強く握られていた。
夕方近くになり、一人の青年が戸を叩いた。
彼は以前、裁判で偽証をした人物の兄だった。
「……弟は、脅されてました。病気の母の薬を止めるとまで言われて。……あいつ、泣きながら話してくれました。俺、もう黙っていられません」
彼の証言は詳細で、脅迫の具体的な日時や場所、アーウィンの言動まで明らかにした。
証言が集まり始めたその頃、ガイデンはヴァレリーのもとを訪れていた。
「彼らの証言をまとめたわ。数はまだ少ないけれど、どれも濃い内容よ」
ヴァレリーはそれを受け取り、黙って読み始めた。
やがて、一枚目を読み終えた彼女は、目元をわずかに細めた。
「これは……思った以上に重い」
「ええ、そしてまだ氷山の一角でしょう」
「分かりました」
彼女は机の上に書類を並べながら言った。
「このまま監査報告に加えます。裁判の場で提出すれば、流れは変わるかもしれません」
「そう願うしかないわ」
ガイデンは小さく頷き、椅子を立ちかけたが――ヴァレリーが静かに言葉を続けた。
「……でも、そのためには“最後の証人”が必要です」
「最後の……?」
「以前、ミリアムと近しい立場にいた人物。名前は明かせませんが、その者が証言台に立てば、裁判官の心証は決定的になるでしょう」
「その人物は……名乗り出るかしら?」
「それは……私の方で何とかしてみます」
ヴァレリーの言葉に、ガイデンは深く頷いた。
その夜、菜々美のカフェはいつもより遅くまで灯りがともっていた。
窓の外では冷たい風が木々を揺らしていたが、店の中には、穏やかな希望の灯がともっていた。
「……ありがとう、二人とも」
菜々美は、アリスとマークの方を見てそう言った。
「皆が話してくれるようになったのは、きっとあなたたちのおかげよ」
アリスは照れたように笑い、マークは静かに頷いた。
「でも、まだ終わってないわ」
ガイデンが言葉を締めくくる。
「裁判までは、あとわずか。その間にやるべきことは、まだある」
窓の外、町の明かりが夜の帳の中でかすかに揺れていた。
だが、そのひとつひとつが、人々の勇気と希望の証であることを、菜々美は静かに感じていた。
営業停止中の静かな空間に、椅子の軋む音と紙の擦れる音だけが響いている。
テーブルの上には、前日ヴァレリーに提出した巻物と書類の写しが重ねて置かれていた。
「……これが、本当に裁判で通用すればいいんだけど」
アリスの小さな声が、静寂を切り裂くように響く。
彼女の視線は、未だ心を決めかねている証言者の名が記されたリストに向いていた。
「まだ足りないのよ。これじゃ『巻物は見つかったが、関係が不明』って扱われかねない」
ガイデンが筆を止め、手帳を閉じながら言った。
彼女の顔には焦りよりも、冷静な計算が浮かんでいた。
「つまり……証人を増やすってこと?」
マークが問いかけると、ガイデンは頷いた。
「ええ。実際に『ミリアム』や『アーウィン』の行動を見た、もしくは被害を受けたと明言できる者の証言が必要。町の中で噂されていた“脅し”や“失踪”、それが事実だったと、誰かが声を上げれば――」
「……きっと、誰かは話してくれる」
菜々美が静かに口を開いた。
彼女の目は疲れを湛えながらも、確かな光を宿していた。
「私たちのカフェを愛してくれた人たちが、こんな仕打ちを望んでるとは思えないわ。だから、諦めない」
その言葉を聞いたアリスは、小さく頷き、リストを手に取った。
「わたし、回ってくる。話してくれる人がいるかもしれない」
「俺も行く」
マークが立ち上がった。
彼の目は決意に燃えていた。
その日、町には小さな変化が訪れた。
アリスとマークはかつての常連客や、ミリアムのカフェで働いていた元従業員の家を一軒一軒訪ね歩いた。
はじめは皆、戸惑いと不安を隠そうとしたが、アリスの率直な言葉と、マークの誠実な眼差しが、少しずつ彼らの心を揺さぶった。
「ほんとうに……信じていいの?」
ある年配の女性が、涙をこらえながらそう言った。
「もちろんです。私たちは、ただ事実を知りたいだけなんです」
アリスの言葉に、女性は震える手で差し出された紙を握った。
午後には数人の証人候補が菜々美のカフェにやって来た。
ヴァレリーが用意した証言記録のための帳簿が開かれ、一人ひとりが自分の経験を語り始めた。
「……あれは数週間前のことでした。私、ミリアムのカフェで“お客様専用の部屋”に呼ばれて。そこでアーウィンに言われたんです。“余計なことは言うな。言えば家族が困ることになる”って」
「最初は冗談かと思ったけど、笑えませんでした……あの人、本当に、目が……冷たくて」
別の若者がそう口にした時、菜々美の手が無意識に強く握られていた。
夕方近くになり、一人の青年が戸を叩いた。
彼は以前、裁判で偽証をした人物の兄だった。
「……弟は、脅されてました。病気の母の薬を止めるとまで言われて。……あいつ、泣きながら話してくれました。俺、もう黙っていられません」
彼の証言は詳細で、脅迫の具体的な日時や場所、アーウィンの言動まで明らかにした。
証言が集まり始めたその頃、ガイデンはヴァレリーのもとを訪れていた。
「彼らの証言をまとめたわ。数はまだ少ないけれど、どれも濃い内容よ」
ヴァレリーはそれを受け取り、黙って読み始めた。
やがて、一枚目を読み終えた彼女は、目元をわずかに細めた。
「これは……思った以上に重い」
「ええ、そしてまだ氷山の一角でしょう」
「分かりました」
彼女は机の上に書類を並べながら言った。
「このまま監査報告に加えます。裁判の場で提出すれば、流れは変わるかもしれません」
「そう願うしかないわ」
ガイデンは小さく頷き、椅子を立ちかけたが――ヴァレリーが静かに言葉を続けた。
「……でも、そのためには“最後の証人”が必要です」
「最後の……?」
「以前、ミリアムと近しい立場にいた人物。名前は明かせませんが、その者が証言台に立てば、裁判官の心証は決定的になるでしょう」
「その人物は……名乗り出るかしら?」
「それは……私の方で何とかしてみます」
ヴァレリーの言葉に、ガイデンは深く頷いた。
その夜、菜々美のカフェはいつもより遅くまで灯りがともっていた。
窓の外では冷たい風が木々を揺らしていたが、店の中には、穏やかな希望の灯がともっていた。
「……ありがとう、二人とも」
菜々美は、アリスとマークの方を見てそう言った。
「皆が話してくれるようになったのは、きっとあなたたちのおかげよ」
アリスは照れたように笑い、マークは静かに頷いた。
「でも、まだ終わってないわ」
ガイデンが言葉を締めくくる。
「裁判までは、あとわずか。その間にやるべきことは、まだある」
窓の外、町の明かりが夜の帳の中でかすかに揺れていた。
だが、そのひとつひとつが、人々の勇気と希望の証であることを、菜々美は静かに感じていた。
0
あなたにおすすめの小説
冷遇王妃はときめかない
あんど もあ
ファンタジー
幼いころから婚約していた彼と結婚して王妃になった私。
だが、陛下は側妃だけを溺愛し、私は白い結婚のまま離宮へ追いやられる…って何てラッキー! 国の事は陛下と側妃様に任せて、私はこのまま離宮で何の責任も無い楽な生活を!…と思っていたのに…。
クラス転移したけど、皆さん勘違いしてません?
青いウーパーと山椒魚
ファンタジー
加藤あいは高校2年生。
最近ネット小説にハマりまくっているごく普通の高校生である。
普通に過ごしていたら異世界転移に巻き込まれた?
しかも弱いからと森に捨てられた。
いやちょっとまてよ?
皆さん勘違いしてません?
これはあいの不思議な日常を書いた物語である。
本編完結しました!
相変わらず話ごちゃごちゃしていると思いますが、楽しんでいただけると嬉しいです!
1話は1000字くらいなのでササッと読めるはず…
【12月末日公開終了】これは裏切りですか?
たぬきち25番
恋愛
転生してすぐに婚約破棄をされたアリシアは、嫁ぎ先を失い、実家に戻ることになった。
だが、実家戻ると『婚約破棄をされた娘』と噂され、家族の迷惑になっているので出て行く必要がある。
そんな時、母から住み込みの仕事を紹介されたアリシアは……?
【完結】使えない令嬢として一家から追放されたけど、あまりにも領民からの信頼が厚かったので逆転してざまぁしちゃいます
腕押のれん
ファンタジー
アメリスはマハス公国の八大領主の一つであるロナデシア家の三姉妹の次女として生まれるが、頭脳明晰な長女と愛想の上手い三女と比較されて母親から疎まれており、ついに追放されてしまう。しかしアメリスは取り柄のない自分にもできることをしなければならないという一心で領民たちに対し援助を熱心に行っていたので、領民からは非常に好かれていた。そのため追放された後に他国に置き去りにされてしまうものの、偶然以前助けたマハス公国出身のヨーデルと出会い助けられる。ここから彼女の逆転人生が始まっていくのであった!
私が死ぬまでには完結させます。
追記:最後まで書き終わったので、ここからはペース上げて投稿します。
追記2:ひとまず完結しました!
子供にしかモテない私が異世界転移したら、子連れイケメンに囲まれて逆ハーレム始まりました
もちもちのごはん
恋愛
地味で恋愛経験ゼロの29歳OL・春野こはるは、なぜか子供にだけ異常に懐かれる特異体質。ある日突然異世界に転移した彼女は、育児に手を焼くイケメンシングルファザーたちと出会う。泣き虫姫や暴れん坊、野生児たちに「おねえしゃん大好き!!」とモテモテなこはるに、彼らのパパたちも次第に惹かれはじめて……!? 逆ハーレム? ざまぁ? そんなの知らない!私はただ、子供たちと平和に暮らしたいだけなのに――!
辺境ぐうたら日記 〜気づいたら村の守り神になってた〜
自ら
ファンタジー
異世界に転移したアキト。 彼に壮大な野望も、世界を救う使命感もない。 望むのはただ、 美味しいものを食べて、気持ちよく寝て、静かに過ごすこと。 ところが―― 彼が焚き火をすれば、枯れていた森が息を吹き返す。 井戸を掘れば、地下水脈が活性化して村が潤う。 昼寝をすれば、周囲の魔物たちまで眠りにつく。 村人は彼を「奇跡を呼ぶ聖人」と崇め、 教会は「神の化身」として祀り上げ、 王都では「伝説の男」として語り継がれる。 だが、本人はまったく気づいていない。 今日も木陰で、心地よい風を感じながら昼寝をしている。 これは、欲望に忠実に生きた男が、 無自覚に世界を変えてしまう、 ゆるやかで温かな異世界スローライフ。 幸せは、案外すぐ隣にある。
【完結】転生したら悪役継母でした
入魚ひえん@発売中◆巻き戻り冤罪令嬢◆
恋愛
聖女を優先する夫に避けられていたアルージュ。
その夜、夫が初めて寝室にやってきて命じたのは「聖女の隠し子を匿え」という理不尽なものだった。
しかも隠し子は、夫と同じ髪の色。
絶望するアルージュはよろめいて鏡にぶつかり、前世に読んだウェブ小説の悪妻に転生していることを思い出す。
記憶を取り戻すと、七年間も苦しんだ夫への愛は綺麗さっぱり消えた。
夫に奪われていたもの、不正の事実を着々と精算していく。
◆愛されない悪妻が前世を思い出して転身したら、可愛い継子や最強の旦那様ができて、転生前の知識でスイーツやグルメ、家電を再現していく、異世界転生ファンタジー!◆
*旧題:転生したら悪妻でした
敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています
藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。
結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。
聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。
侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。
※全11話 2万字程度の話です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる