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1巻
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プロローグ
お飾り王妃
初夜。
戦勝国から厄介払いのような形で敗戦国へ嫁がされた私に、とてもお顔が整った旦那様は言った。
「私が君を愛することは、ない――。初夜だろうと君を抱くつもりはない」
見ているだけで底冷えするような、冷たい瞳だった。
「かしこまりました」
私が深く腰を折ると、旦那様は鼻を鳴らして、寝室から出ていった。
それを見届けてからベッドに転がり、枕に口を押し付けて叫ぶ。
「イエーイ、これで自由の身だわ!!」
――そう、これで物語は終わったのだ。
私、クロア・サーランド。いえ、今は、結婚したからクロア・アイザルシアなのだっけ――とにかく私には前世の記憶がある。
その記憶によると、この世界は前世で読んだロマンス小説の世界にそっくりだった。
小説の内容はありきたりで、平民と王子の恋物語だ。そして私は、そんな二人の恋のスパイス、つまり悪役だった。
ロマンス小説の中の私は、それはもう性格が悪かった。実家の権力で第二王子であるダリウス殿下の婚約者に収まったのをいいことに、やりたい放題。高圧的な態度で、周囲からも恐れられていた。
そして、ヒロインである平民サナが現れてからは、第二王子の婚約者の座を奪われまいと、サナを徹底的にいじめ倒すのだ! けれど、のちにサナが特別な魔力を持つ聖女であることが判明。私は聖女を虐げた罪で国外追放される。
そんな悪役令嬢のクロアに転生したと気づいたのは、五歳のとき。
ロマンス小説では国外追放の上、つい先頃まで戦争をしていた相手――敗戦国のお飾りの王妃になる。そんなのはごめんだと色々手を尽くそうとした。
けれど、物語どおりに進行しないことを、世界は許さなかった。
私が何をしても、していなくても、強制的に物語は進行し、ついに私は敗戦国に嫁ぐという名目で国外追放処分を受けた。
ロマンス小説は、私が敗戦国であるアイザルシアに嫁ぎ、旦那様――つまりアイザルシア王であるクリフォード・アイザルシアに「お前を愛することはない」と言われるという、ざまぁのシーンで終わる。
つまり、これで物語は終わった。
ここから、やっと私自身の物語が始まる。
それにしても。
「最高の気分だわ!」
まさか、旦那様が初夜すら抱くつもりがないと言うとは予想外だった。
つまり、貴族の義務である、愛してもいない人の子供を産む、ということを果たす必要がないのだ!
「イエーイ!!」
なんて、なんて自由なんだ。
王子の婚約者なのだから、と何かにつけて小言を言ってきた家庭教師ももういない。
私は満足感に浸りながら、目を閉じた。
第一章
お飾り王妃の日常
小鳥の囀りが聞こえる。
「ん、んん……」
目を覚まし、ふわぁ、とひとつ大きな欠伸をする。
うーん、今日もいい天気ね。
私が身支度を整えていると、侍女のカミラがやってきた。
「おはようございます、王妃様」
「おはよう」
カミラは丁寧に支度を手伝ってくれるけれど、その視線は冷たい。まぁ、当然ね。私は隣国の第二王子のお下がりだ。それに旦那様の様子からして、私が悪女だという噂もこの国に届いているのだろう。
「陛下から、公務をする必要は一切ないので好きにせよ、と言付かっております」
思わず心の中でガッツポーズをする。
子供を産むという、一番の公務を放棄してもいいと言われたのだ。他の公務もしなくていいんじゃないかと予想はしていたけれど、はっきり言われるとめちゃくちゃ嬉しい。
「わかったわ」
朝食をとり、これから何をするか、考える。旦那様から働かなくていいとのお言葉を賜った私は、朝から二度寝するなんてこともできちゃうのだ!
二度寝しても誰にも叱られない。
なんて、楽園!
……とはいえ寝て一日を過ごし続けるのも、数日は楽しくても、ずっとは退屈よね。
何か退屈を紛らわせることがほしい。
「ねぇ、お願いがあるのだけれど――」
動きやすい簡素な服を用意してもらい、それに着替える。長い髪は結って帽子の中に押し込んだ。
カミラはすでに下がっている。
「よし、やるわよ」
私は深呼吸し、自室の窓から木をつたって脱出した。
こそこそと隠れながら、城を出たものの――
「……ふーん、なるほど」
一応戦勝国からよこされた王妃が、こんな簡単に城を抜け出せるはずがない。それができた。つまり、この国は『私』という存在がどうなろうと、まるで興味がないということだ。大方、死んだら、病死ということになるのだろう。
……何はともあれ。
「よし」
せっかく始まった私の人生。
目一杯楽しもう。
街に出た私は、侍女に用意してもらった小銭を使って、買い物をすることにした。
「……なるほど」
街は全くといっていいほど荒れていなかった。まあ、そもそも戦争といってもそれほど規模の大きいものではなかったしね。
屋台で好きな肉串を買って、食べ歩きする。
「うーん、美味しーい!」
公爵家の令嬢としてこんなはしたないこと、今まで許されなかった。けれど今の私は、なんだってできちゃうのだ! なんといってもニートだからね!!
「次は、何をしようかな」
適当に食べながら歩いていると、子供に話しかけられた。
「ねぇ、おにーさん、ひま?」
お姉さんではなく? と一瞬思ったけれど、今の私は長い髪を帽子に押し込んでいる。だから、少年に見えなくもないのかもしれない。
「ひまだよ」
ニートだからね! 時間は無限にあるといってもいい。
私が頷くと、子供は私を引っ張った。
「だったら、一緒に遊んでほしいの」
「もちろん!」
第二王子であるダリウス殿下の婚約者となってからは、遊ぶ時間なんてほとんどなかった。だから、なんだかわくわくする。
――子供に連れていかれたのは、孤児院だった。
孤児院では、私以上に簡素な服を着た幼い子供たちが、じっと私を見つめている。
「何して遊ぶの?」
私を連れてきた子供――名前は、カイというらしい――に話しかけると、カイは考え込んだあと、かけっこ! と叫んだ。
途端に子供たちの顔がきらきらと輝く。
「……かけっこしたーい!」
「おにーさんは、足、速い?」
「まぁ、どうせ僕が一番だけど……」
様々な反応を見せる子供たちに微笑んで、手を空に掲げた。
「よーし、じゃあ、あっちの木まで、競争だ! いくよー、よーい、ドン!」
私の合図で、子供たちが一斉に駆け出していく。
私も後ろから子供たちを追いかけた。
「んー、よく遊んだぁ」
久しぶりのかけっこはとっても面白かった。第二王子の婚約者として、走ることははしたないと家庭教師に言われていた。でも、私は身体を動かすことが大好きで、本当はずっとこうやって駆け回りたかった。だから――本当に嬉しい。
「遊んでくれてありがとう!」
「おにーさん、走るの速すぎ」
「ううん、こちらこそ――」
ありがとう、と言おうとした言葉は、どこかから聞こえた声によって遮られた。
『クロア……』
「っ!?」
今にも泣き出しそうに私を呼ぶその声は――かつて焦がれた、あなたの……
「おにーさん、不思議な顔してどうしたの?」
「う、ううん。なんでもないよ。空耳だったみたい」
あたりを見回しても、誰もいなかった。当然だ。あなたが私の名前を呼ぶ声を聞く日は、もう二度と来ないのだから。
私は子供たちに向き直ると、明日の約束をした。
暗くなる前に王城に戻る。やっぱり、警備は意図的としか考えられないほど手薄で、あっさり城内に入り込めたし、自室にも戻れた。
侍女のカミラを呼び出し、お風呂の支度をしてもらう。
今朝用意してもらった簡素な服は泥だらけになっていたけれど、カミラは何も言わなかった。
……やっぱり、私のことなんてどうでもいいんだわ。
しみじみそう感じながらお湯に浸かる。そんなどうでもいい私なのに、こうやってお風呂を準備してもらえるのだから、王妃という職業はありがたいものだ。
公務はひとつもしてないけど!
温かなお湯でじんわりと身を解しながら、一日の疲れを落とした。
ふぅー、気持ちよかった。
それにしても今日は、子供たちのおかげで充実した一日だったなぁ。お風呂から上がり、髪を乾かしてから、ベッドにダイブする。柔らかな布団は私を優しく包み込んだ。
「はー」
ふかふかなお布団に乗っていると眠くなってくる。
でも、ちゃんとお布団を被らないと風邪を引いてしまう。そう、頭ではわかっているのに動きたくない。身体がこのまま眠ってしまいたいと主張する。
微睡む心地よさに、このまま眠ってしまおうか、そう思ったとき――
『……クロアぁ』
子供たちと遊んだときに聞こえた声が、再び聞こえた。
「っ!」
思わずがばりと身体を起こす。目は完全に覚めていた。
でも、まだ消していない灯りがゆらゆらと揺れるだけで当然のことながら、その声の主はいない。
「……私、らしくないわね」
過去を振り返っても仕方ないと知っている。だから、振り返らずにすむように、私は強くなりたい。この国に来るときに、そう決めたのに。
頭を振って幻聴を追い出すと、今度こそ灯りを消して、お布団を被った。
今日食べた肉串、とっても美味しかったなぁ。アイザルシアの料理はまだそんなに食べてない。でも、結婚式などを通してこの短期間でわかったことは、とんでもなく美味しいということだ。果物も美味しかった。デザートに食べたリンゴが甘くて瑞々しくて最高だったのよね。あとは、量がもっと多ければ言うことなしなんだけどな……
特に、お肉料理は、もっとお肉をたくさん使ってほしい!
食べ物のことを考えていたら、お腹が空いてきちゃったわ。明日は、小腹が空いたとき用に城下で何か買って帰ろうかな……
さすが美食の国だけあって、色んな種類の料理があるから、何を食べるか迷うわね。
明日も子供たちとまた遊ぶ約束をしたし、とりあえずは、それを果たさなきゃ。何をして遊ぼうかな。
つらつらと考えているうちに、再び眠くなってきた。心地良く押し寄せる睡魔の波に攫われるようにして、私は意識を手放した。
◇◇◇
「……は?」
影――王家直属の秘密部隊の報告に思わず、瞬きをする。
「……ですから王妃様は、簡素な服に着替えられたあと城を抜け出し、肉串三本、リンゴ一個を食べたあと、孤児たちに連れられて、泥だらけになるまで遊んでおいででした」
先程と同じ報告が繰り返される。聞き間違いかと思ったのだが。
「彼女は、間違いなく、隣国の――公爵令嬢だったはずだが……」
それも隣国――イグルス国の第二王子の現婚約者である平民の娘を、苛烈にいじめた。
その噂は私たちの国にも届くほどだった。
けれど、話に聞いていた悪辣な令嬢と、今報告された彼女の姿が一致しない。
彼女は身分至上主義で、平民というだけで人を馬鹿にし、いじめるような人間だと思っていたが、違うのか……?
いや、子供に甘いだけなのかもしれない。
でも、平民を貶めるような人間が、平民と同じ服装をして一緒に遊ぶだろうか……?
疑問は尽きないが、私には関係のないことだと思い直し、影に引き続き彼女を探るようにと命じた。
◇◇◇
「んん……ふわぁぁ」
昨日は、子供たちと遊んだおかげでぐっすり眠れた。
やっぱり、ニートといえども、適切な運動は必要よね。
「……さて、今日は何をしようかしら」
朝食を食べ、服を着替えて街に出る。
子供たちとの約束の時間までまだあるので、ぶらぶらと歩いていると、ふと、あるお店が目に留まった。
そのお店は、大衆向けのレストランだ。店の前に出ていた看板によると、制限時間以内に、ステーキ(特大サイズ)を食べきれれば、料金が無料になるみたい。そして、食べきれなければ、ステーキの正規料金を支払うというルールらしい。
……なるほど、大食い勝負ってわけね。
――かつて、言われた言葉が蘇る。
『あなたは、将来第二王子妃になるのです。たくさん食べるなんてはしたない真似が許されないこと、わかりますね?』
そう言って、眼鏡をくい、と押し上げた家庭教師。
目の前に美味しそうな料理が並んでいるのに、少量を口にしただけで我慢するなんて、耐えられなかった。でも……耐えるしかなかった。
決められた量以上の食事に手を出そうとすると、鞭が飛んできたから。
「なーんてね。今の私は、ただのニートだもの」
あれ、でも職業は第二王子妃よりも責任のある王妃なんだっけ。
まぁ、公務なんてひとつもしてないんですけどね!
いいのよ、ニートの許可(?)はちゃんと旦那様から取ってるわけだし!
――そんなことより、今は目の前の挑戦に集中するべきね。
私は勢いよく店の扉を開いた。
「いらっしゃいませ」
店員さんに案内され、席に座る。窓側のいい席だ。
「ご注文は?」
「特大サイズのステーキをお願いします」
途端に、店員さんの顔つきが変わった。にこやかな表情から、挑戦者を値踏みする顔になる。
「ルールはご存知ですか?」
確認をしてくる。あとでルールを知らなかったと言われたら困るからでしょうね。
「はい、もちろん」
私は笑顔で頷き、店員さんを見つめ返した。
「……かしこまりました」
注文を厨房に伝えに店員さんが戻――らなかった。
「特大サイズステーキのご注文です!」
その場で厨房に向かって叫ぶ。
途端に周囲のお客さんの視線が私に向けられた。
「おいおい、あの細い身体にこの店の特大ステーキが入るのか?」
「少なくとも、常連じゃねぇな。俺は、食べきれないに今晩のメシ代を賭けるぜ」
「あっ、ずるいぞ。俺もそっちに賭けようと思ったのに!」
他にも様々な声が聞こえたけれど、そのどれもが私が食べきれない、と思っているものだった。
そんな周囲の声を聞きながら待っていると、やがて程よく焼けた肉の香りが鼻をくすぐった。
「おまたせしました」
……なるほどね。
テーブルに置かれたのは、大きく、そして分厚いステーキだった。もちろん、脂身もしっかりある。
普通の令嬢なら、一口で限界でしょうね。
そんなことを思いながら、ふと、視線をステーキから上げる。
店員さんの瞳に闘志の炎が揺らめいていた。
ステーキの大きさに絶対の自信がある――そう瞳が語っていた。
確かにこの大きさなら、その自信も納得だわ。
お腹に手を当てると、お腹の虫が鳴いた。
「……ふふ」
思わず笑みが漏れる。
こんなに大きなお肉を食べられるのは、いつぶりかしら。
――何はともあれ。
「いただきます!」
◇◇◇
「……は?」
思わず書類から顔を上げると、普段表情が読めない影が、困惑しているのが見てとれた。
「……ですから、今日の王妃様は朝食をとられたあと、服を着替えて街に出られました」
……そこまではいい。問題はそのあとだ。
「街に出られた王妃様は、制限時間以内に食べたら無料の肉の大食いに挑戦され――見事食べきりました」
どうやら聞き間違いではなかったようだ。
大食いをする元公爵令嬢で現王妃。私の知識不足かもしれないが、聞いたことがない。
それも、肉。
「ちなみに、私は完食は無理でした」
「……お前も挑戦したのか」
「はい」
休憩時間でしたので、としれっと言う影に、若干不安を覚えつつ続きを促す。
「そのあとは?」
「昨日と同じで、孤児たちと楽しそうに遊んでいました。特に木登りがお好きのようで――」
「木登り!?」
結婚式での彼女を思い出す。あのすました顔は、到底木登りなどしそうに見えなかった。
「お前、本当にクロア・アイザルシアを探っているのか?」
「……とは?」
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