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第二幕 鬼と人形
参
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不知火家は、鬼を飼う家である。
しかし、鬼が従順であるかと言えば、そうでもなく。鬼は人の姿で屋敷を自由に行き来する。そう離れていなければ外にも出られるし、かといって、一族の者に危機があったとしても助けることはしない。当主が何かを命じている様子も無いので、使役や調伏といった気配もない。
では、何故に鬼は不知火家に飼われているか。
単純に、鬼は古い契約という呪縛に縛られているだけなのだ。
不知火家初代当主である不知火直継は、偉大なる邪気祓いと云われ語り継がれている。彼こそが、鬼を従え、不知火の家に縛りつけ『護法の柱』とした人物であるのだと。不知火直継の存在があってこそ、今の不知火があり、今の邪気祓いの術があり、護法の柱として鬼との繋がりがある。全ては、不知火直継の功績。その功績と栄誉を今も受け継ぎ、不知火の地位は不動のものとなったのだと。
しかし、だ。鬼はこれをあっさりと否定した。
「あの男以上に気狂いに至った人間を俺は見たことがない。殺した側から鬼や妖の屍を食い、俺を捕まえる為に女房を囮にする変人で、俺を不知火に縛りつける為に妹を差し出した狂人だ」
とまあ、酷い謂れ様である。
牡丹は部屋で寝そべりながら書物を広げ、半信半疑に鬼の言葉に耳を傾ける。持て余した足をぶらぶらと揺らしながら、頰杖ついて眺める姿は行儀が良いとは言い難い。しかし今、叱る人物がいないのも事実。牡丹の傍にいるのは、鬼、ただ一人。
牡丹の邪魔をしたいのか、それともただそこで寝そべって余暇を潰しているだけなのか。牡丹が読み耽る書物を覗き込んでは、ああでもない、こうでもないと口を挟む。特に、不知火の初代当主に関しては嘘八百であるとも。牡丹は鬼の言う人物の記録をもう一度覗き込んだ。しかし、どこをどう読んだところで鬼の言う様な言葉は綴られてはいない。
「でも、ここにはとても凄い人って書いてあるのよ?」
「あ? そんなもん、真っ当に書くわけねぇだろ。ただの恥以外の何ものでもねぇ。あれが邪気祓いをしていたのも、そもそも霊媒として質が良いもんだから鬼や妖に命を狙われていたからって話だ。その上、霊媒の質を高める為に悪食を始めて、余計に敵は増えた。しかもだ、それを妹や息子にまでやらせて、今も悪食の習慣が続いてる。イカれてんだろ」
鬼はケラケラと笑った。
「真実なんぞ、どうとでも塗り替えられるってこった。しかも不知火の奴ら、恥と外聞を気にする癖して、今も悪食を続けてるんだから笑える」
鬼がどこまで真実を語っているのか、牡丹に判断はできない。けれども、悪食なる習慣には牡丹も覚えがあった。朔月の日。不知火では必ず鬼を狩る。その日は必ず肉が出るのだ。味にしても、猪肉でも兎でも鹿でもない不可思議な肉の味。それが、鬼の肉だと言われたところで、牡丹は別段気にする様子もなく「ふうん」と軽く相槌するだけだった。
「お前は本当に可愛気がねぇなぁ。そこは、吐き気を催すところだろうが」
「だって、食べたのは六日も前よ。今更何したって胃の中に収まったものは出て来ないもの」
「違えねぇ」
そう言って、鬼は先ほどよりも高揚した様子でゲラゲラと笑う。鬼には、悪しき週間など些細なことなのだろう。それを、まだ十歳の牡丹までもが瑣末であると言い連ねるのが余程楽しいのか。
鬼と言葉を交わしてから、三年が経った。
鬼は思いの外感情豊かで、笑いの壺こそ違えど、大いに笑う。人間よりも、余程純粋に感情を見せるといっても良い。
鬼の言う通り、下女は下手に部屋に近付かなくなり、本当にただのお世話係程度の関係になった。代わりに、何を思ったのか鬼が頻繁に部屋に出入りする。
特に、何をするでもない。何を要求するでもない。時折、ちょっかいを出して牡丹の邪魔をすることこそあるが、大抵寝そべって牡丹を眺めているだけだった。
特に、牡丹もそれが嫌というわけでもない。会話もなく下女に監視されるよりも余程良い。下手な気遣いをされ、憐れまれるよりも良い。鬼は、遠慮も同情も気遣いも、何一つとしてしないのだ。
「悪食なんかすれば、確かに霊媒として力は強まるだろうよ。だが、気を抜けば悪鬼に落ちるのは人間の方だ。お前は欲を出して食い過ぎてくれるなよ、折角の上物の肉が屑になっちまう」
そう、だから。唐突に本音を呟くこともある。
牡丹の役目は贄として、霊媒としてのみを利用した悪食だ。鬼だけでなく、邪気を喰らい、護法の柱を維持する鬼の糧として、その身をより良い状態を保ち続けなけねばならない。
「お前の食いごろは、いつになるかねぇ」
鬼がどれだけ牡丹を気に入ろうとも、牡丹が贄である事実は変わりない。単純に美味そうな肉だから。肉質か、味か、それとも歯ごたえか。まだ数年は先を夢想した鬼は、うっとりと。思い馳せ恍惚として、しかしどこか無邪気でもあった。
そんな姿を見ても、牡丹に厭悪は浮かばなかった。なんとも純粋な理由に、牡丹は何気なく言葉を返す。
「大丈夫よ、私は多分、他の人よりもいっぱい食べられるから」
美味しいかどうかは知らないけれど、と付け足した口調は十という年頃を思わせ、生意気だったろう。しかし、鬼もまた不快を示す様子もなく、ただ一言。お決まりになった「お前は本当に可愛気がねぇなぁ」という言葉を呟くだけだった。
しかし、鬼が従順であるかと言えば、そうでもなく。鬼は人の姿で屋敷を自由に行き来する。そう離れていなければ外にも出られるし、かといって、一族の者に危機があったとしても助けることはしない。当主が何かを命じている様子も無いので、使役や調伏といった気配もない。
では、何故に鬼は不知火家に飼われているか。
単純に、鬼は古い契約という呪縛に縛られているだけなのだ。
不知火家初代当主である不知火直継は、偉大なる邪気祓いと云われ語り継がれている。彼こそが、鬼を従え、不知火の家に縛りつけ『護法の柱』とした人物であるのだと。不知火直継の存在があってこそ、今の不知火があり、今の邪気祓いの術があり、護法の柱として鬼との繋がりがある。全ては、不知火直継の功績。その功績と栄誉を今も受け継ぎ、不知火の地位は不動のものとなったのだと。
しかし、だ。鬼はこれをあっさりと否定した。
「あの男以上に気狂いに至った人間を俺は見たことがない。殺した側から鬼や妖の屍を食い、俺を捕まえる為に女房を囮にする変人で、俺を不知火に縛りつける為に妹を差し出した狂人だ」
とまあ、酷い謂れ様である。
牡丹は部屋で寝そべりながら書物を広げ、半信半疑に鬼の言葉に耳を傾ける。持て余した足をぶらぶらと揺らしながら、頰杖ついて眺める姿は行儀が良いとは言い難い。しかし今、叱る人物がいないのも事実。牡丹の傍にいるのは、鬼、ただ一人。
牡丹の邪魔をしたいのか、それともただそこで寝そべって余暇を潰しているだけなのか。牡丹が読み耽る書物を覗き込んでは、ああでもない、こうでもないと口を挟む。特に、不知火の初代当主に関しては嘘八百であるとも。牡丹は鬼の言う人物の記録をもう一度覗き込んだ。しかし、どこをどう読んだところで鬼の言う様な言葉は綴られてはいない。
「でも、ここにはとても凄い人って書いてあるのよ?」
「あ? そんなもん、真っ当に書くわけねぇだろ。ただの恥以外の何ものでもねぇ。あれが邪気祓いをしていたのも、そもそも霊媒として質が良いもんだから鬼や妖に命を狙われていたからって話だ。その上、霊媒の質を高める為に悪食を始めて、余計に敵は増えた。しかもだ、それを妹や息子にまでやらせて、今も悪食の習慣が続いてる。イカれてんだろ」
鬼はケラケラと笑った。
「真実なんぞ、どうとでも塗り替えられるってこった。しかも不知火の奴ら、恥と外聞を気にする癖して、今も悪食を続けてるんだから笑える」
鬼がどこまで真実を語っているのか、牡丹に判断はできない。けれども、悪食なる習慣には牡丹も覚えがあった。朔月の日。不知火では必ず鬼を狩る。その日は必ず肉が出るのだ。味にしても、猪肉でも兎でも鹿でもない不可思議な肉の味。それが、鬼の肉だと言われたところで、牡丹は別段気にする様子もなく「ふうん」と軽く相槌するだけだった。
「お前は本当に可愛気がねぇなぁ。そこは、吐き気を催すところだろうが」
「だって、食べたのは六日も前よ。今更何したって胃の中に収まったものは出て来ないもの」
「違えねぇ」
そう言って、鬼は先ほどよりも高揚した様子でゲラゲラと笑う。鬼には、悪しき週間など些細なことなのだろう。それを、まだ十歳の牡丹までもが瑣末であると言い連ねるのが余程楽しいのか。
鬼と言葉を交わしてから、三年が経った。
鬼は思いの外感情豊かで、笑いの壺こそ違えど、大いに笑う。人間よりも、余程純粋に感情を見せるといっても良い。
鬼の言う通り、下女は下手に部屋に近付かなくなり、本当にただのお世話係程度の関係になった。代わりに、何を思ったのか鬼が頻繁に部屋に出入りする。
特に、何をするでもない。何を要求するでもない。時折、ちょっかいを出して牡丹の邪魔をすることこそあるが、大抵寝そべって牡丹を眺めているだけだった。
特に、牡丹もそれが嫌というわけでもない。会話もなく下女に監視されるよりも余程良い。下手な気遣いをされ、憐れまれるよりも良い。鬼は、遠慮も同情も気遣いも、何一つとしてしないのだ。
「悪食なんかすれば、確かに霊媒として力は強まるだろうよ。だが、気を抜けば悪鬼に落ちるのは人間の方だ。お前は欲を出して食い過ぎてくれるなよ、折角の上物の肉が屑になっちまう」
そう、だから。唐突に本音を呟くこともある。
牡丹の役目は贄として、霊媒としてのみを利用した悪食だ。鬼だけでなく、邪気を喰らい、護法の柱を維持する鬼の糧として、その身をより良い状態を保ち続けなけねばならない。
「お前の食いごろは、いつになるかねぇ」
鬼がどれだけ牡丹を気に入ろうとも、牡丹が贄である事実は変わりない。単純に美味そうな肉だから。肉質か、味か、それとも歯ごたえか。まだ数年は先を夢想した鬼は、うっとりと。思い馳せ恍惚として、しかしどこか無邪気でもあった。
そんな姿を見ても、牡丹に厭悪は浮かばなかった。なんとも純粋な理由に、牡丹は何気なく言葉を返す。
「大丈夫よ、私は多分、他の人よりもいっぱい食べられるから」
美味しいかどうかは知らないけれど、と付け足した口調は十という年頃を思わせ、生意気だったろう。しかし、鬼もまた不快を示す様子もなく、ただ一言。お決まりになった「お前は本当に可愛気がねぇなぁ」という言葉を呟くだけだった。
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